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What's Happening? ― I don't know. Anyway,he said ...

民主主義者ムッソリーニ
 「市民感覚」とか「国民全体」とは一体、何か?無作為に抽出された数人の意見が一億総勢の意見に拡大解釈されることが民主主義であるらしい。
「民主主義とは、人民が天下を取る事だなどと喚いてゐるうちに、組織化された政治力といふ化け物が人間を食ひ殺して了ふだらう。ムッソリニはファシスムを進歩した民主主義と定義してゐたのです。」(『私の人生観』小林秀雄 昭和23)
 「人民の為」を楯に天下を取りたいのがいつの世も独裁者のやり方であり、それは民主主義でも国粋主義でも同じであろう。
「チャアチルといふ人などは最後の人物かも知れませぬ。彼の「世界大戦回顧録」は、優れた人間が、法則を持たぬ自然の如き政治組織といふ非人間的な敵と悪戦苦闘する記録でもある。」(『私の人生観』小林秀雄 昭和23)
 マスメディアという「非人間的な敵と悪戦苦闘する」日本の「最後の人物」もチャーチルに習って「政界大戦回顧録」でも出してみたら、それが「説明責任」になるかもしれぬ。しかし、そのマスメディアにも「法則」があるから大物ばかりつけ狙うのだろう。
「社会は殻に閉ぢこもつた厭人家や人間廃業者等を少しも責めない、そのくせいつも生身を他人の前に曝らしてゐる様な溌剌とした個性には、無理にも孤独人の衣を着せたがる。」(『Xへの手紙』小林秀雄 昭和7)
 そういうハタラキが民主主義であるとしたら、「民主主義の定着のために…」と政治家が語るとき、それが定着すればするほど、人前に全てを曝してハツラツとしていられないのだから自らの首を締めているようなものではないか。
「政治は徹底的に組織化され、さつぱりと一つの能率的な技術となつた方がいい。政治的イデオロギイといふ様な思想ともつかず、術策ともつかぬ、わけのわからぬ代物を過信する要はない。(中略)政治家は、社会の物質的生活の調整を専ら目的とする技術家である、精神生活の深い處などに干渉する技能も権限もない事を悟るべきだ。政治的イデオロギイ即ち人間の世界観であるといふ様な思ひ上つた妄想からは、独裁専制しか生れますまい。」(『私の人生観』小林秀雄 昭和23)
 なぜ、民主主義も「わけのわからぬ代物」であるか?
「江藤氏が大江氏について「ものを見ない」というのは、氏のこういう根深い性格をさしているのである。大江氏が、「民主主義」なる教科書によって、「東京の中学生」と対等であると感じそれを護るべきものと感じたことは事実かもしれない。しかし、それを普遍化することはあやまっている。実際は、「民主主義」なる理念に酔うことによって(中略)氏は「現実の事物」、あるいは現実の人間の関係から遁走していったにすぎない。」(『二人の先行者』柄谷行人 昭和46)
 今どきの大学生はメールアドレスを何百も登録しているというが、それも「友だち」という理念に酔うことによって「現実の人間の関係から遁走してい」るにすぎない。では、「ものを見る」とか「現実の人間の関係」とは、どういうものか?
「愛情も憎悪も尊敬も、いつも唯一無類の相手に憧れる。あらゆる人間に興味を失ふ為には人間の類型化を押し進めるに如くはない。」(『ドストエフスキイの生活(序)』小林秀雄 昭和10)
 「唯一無類の相手」への憎悪は「ものを見」た結果であり、そこに「人間への興味」や「現実の人間の関係」があるのだが、それを「普遍化することはあやまっている」し、それがなされた時点で、民主主義は独裁専制に生まれ変わるだろう。
2010年4月28日 (水)

掌説『不忠臣蔵』
私の名は赤穂藩主、浅野内匠頭。『忠臣蔵』で有名な赤穂浪士の討ち入り事件について話そう。時は元禄の世。平和な時代が百年も続き、華やかな文化が栄えていたが、その陰で人々は将軍綱吉の悪政に苦しんでいた。人より犬を大事にするという「生類あわれみの令」は前代未聞の悪法で、犬公方に世継ぎが恵まれないのもゼイタク三昧のせいではないかと人々はあきれ返っていた。幕府の財政は火の車で、「元禄金銀」なる質の悪い金貨がたくさん出回ったために、物価が上昇して庶民生活も火の車であった。火といえば、十万人もの死者を出した明暦の大火で江戸城下も丸焼けだった。そんな烈火の如き時代に、あの事件は起こった。私の切腹の後、主君の仇を討った四十七士を助命するか、切腹させるかでずいぶんもめたようだ。最初、将軍は恩赦も考えたが、何とかという法親王にお伺いをたてた結果、全員切腹にすることになったという。その理由が「彼らが生きながらえて生き恥をさらし名を汚してはいけない。時には死を与えることも情け」だってさ…エライ坊さんってのはもっともなヘリクツを思いつく。やっぱり人より名が大事なんじゃないか。そんな顛末のおかげで討ち入りに参加しなかった多くの赤穂浪士たちは「不忠者」と罵られ、名を汚すどころか名まで変えて生きながらえるよりなかった。まったく彼らこそ最大の被害者だ。しかし、世の中、そんなものかもしれぬ。美談だけが語り継がれて、肝心な事は有耶無耶になる。幕府は四十七士を祭り上げることによって、自分らの悪政に対する不満をうまくかわしたけれど、いずれはその不満が倒幕につながるわけだから、美談だけで世は治められない。思うに、五代将軍の頃にはすでに鎖国政策に限界がきていたのだ。戦がなくなり、武士もゼイタクになって、それでも貿易で財政を建て直そうとせず、ひたすら古い儒教の秩序で治めようとしたことが間違いだったのだ。私が殿中で刃傷事件を起こしたのもそういう非人情に対する不満が爆発したのだ。吉良上野介に「遺恨あり」というのは口実だ。「衣食足りて礼節を知る」という鉄則を為政者はつねに肝に銘じておけ。
2010年4月12日 (月)

血と母のツナガリ
 血圧とは何故に上がり、脳卒中を起こすまでになるのか?巨人軍のコーチが数日前、試合直前のノック中にクモ膜下出血で倒れ、今朝方の三時二十二分に亡くなった。37歳の若さだったという。クモ膜下といえば…この人も20歳の若さで死にそこなっている。
「偶然とは思えないのだが、脳出血が起こったのは、いろいろ考えあぐねた末、ほかに道はないと結論し、家出をして親子の縁を切ろうと決心した日の翌朝であった。」(『わたしの原点』岸田秀 昭和50)
 脳卒中はだいたい朝方に起こるらしく、この人の場合も…
「翌日の早朝、「舌がもつれる」と、三千代夫人を起し、そのまま横に倒れ、意識を失った。急激な脳出血に襲われ、かけつけた二人の医者の手当もむなしく、昭和三十年二月十七日午前七時五十五分、永眠した。(中略)安吾は、高血圧になやまされながらも、血圧をはからず、ウイスキイを痛飲し(中略)どんな薬でも飲んだ。その頃愛用していたアドレナリン系の薬が、血圧を上げ、生命とりになった、と医者は語っている。」(『坂口安吾』奥野健男 昭和47)
 酒や薬以前に、何かが彼の血圧を漲らせていたのではないか?岸田氏の場合は「家出」であったろうし…安吾はその頃、『安吾新日本風土記』の連載中で、高千穂や富山に次ぎ、高知を訪れたばかりだった。そのコーチも広島に家族を残し単身赴任中だったという。家を遠く離れることが血圧をあげるのか?
「最後に「瘋癲老人日記」で、作者は、美の崇拝者や寄食者の存在の実態をあばいてみせたからである。その存在の実態とは、血圧だった。「脈搏九〇で速く、整。」であった。」(『谷崎潤一郎論』三島由紀夫 昭和37)
 その「脈搏九〇」こそ、半世紀に渡る谷崎文学を貫いている「存在の実態」である、と三島は感嘆する。選手の士気を鼓舞するコーチも小説家以上に気持ちを高ぶらせてグランドに臨むのだろう。
「その嫁の肉体への欲求が、母の回想にうち重ねられて現われてくることである。ほとんど性的とも言ってよい母への思慕は、谷崎氏の小説では、早く『母を恋うる記』に現われ、中ごろ『吉野葛』に描かれ、終りに近く『夢の浮橋』に記されている。」(『瘋癲老人日記』解説 山本健吉 昭和43)
 三島は「血圧」といったが、この評論家は「母への思慕」こそ谷崎文学の真髄という。そういえば、安吾も母の命日に亡くなっており、以前には薬物中毒の発作も…
「母の命日である二月十三日(著者註:年譜では十七日)の朝、安吾はふとんの衿をかみしめるようにして子供のように泣き「今日はオッカサマの命日でオッカサマがオレを助けに来て下さるだろう。」と懸命になにかをこらえる様子であったと云う。」(『坂口安吾』奥野健男 昭和47)
 岸田氏の出血も「親子の縁を切る」という決心が発端になっているし、谷崎の「脈搏九〇」も母への回想が重なっているというし、また、「血のツナガリ」ともいうほどだから、高血圧と母への思慕は深い関係があるのかもしれない。脳卒中といえば昔は死亡率第一位の国民病で、それが'70年代をピークに減少し、今は第三位という。それでもかのコーチのような急死もあるということは、この軽症化は国民の栄養状態の改善というより、血のツナガリの希薄化ではないか?しかし、脳梗塞による重度障害の苦しみはかえって長引いており、血のシガラミからはなかなか抜けだせないようだ。
2010年4月7日 (水)

ジャーナリズム受難
 ラジオ放送開始85年目にあたる一昨日、NHKは「激動のマスメディア」と題しネット時代のジャーナリズムのあり方を議論していたが、そもそも3月22日が「放送記念日」と知る人がどれだけいよう?
「クリストのジヤアナリズムは貧しい人たちや奴隷を慰めることになつた。それは勿論天国などに行かうと思はない貴族や金持ちに都合の善かつた為もあるであらう。しかし彼の天才は彼等を動かさずにはゐなかつたのである。」(『続西方の人』芥川龍之介 昭和2)
 テレビは地デジになっても貧しい人たちに愛されるか?ますます金持ちに都合の善いものになるなら、「日本放送教会」と名を改めるべきではないか?
「彼は十字架にかかる為に、―ジヤアナリズム至上主義を推し立てる為にあらゆるものを犠牲にした。」(『続西方の人』芥川龍之介 昭和2)
 その「ジヤアナリズム至上主義」とは、結局、民主主義のことではないか。それを推し立てる為には受信料や購読料などもってのほかだし、液晶テレビをケータイ端末やバイブルみたいにタダで配るくらいの犠牲が必要だろう。
「クリストは「万人の鏡」である。「万人の鏡」と云ふ意味は万人のクリストに倣へと云ふのではない。たつた一人のクリストの中に万人の彼等自身を発見するからである。」(『続西方の人』芥川龍之介 昭和2)
 ラジオも「われに倣へ」とラジオ体操などを放送し、その「新しいクリスト」の影響力に芥川も「ぼんやりした不安」を抱いたにちがいなく、85年後の今日、新聞テレビも同じ感慨であろう。
「どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは公表せずに措いてくれ給へ。(中略)僕はエムペドクレスの伝を読み、みづから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。僕の手記を意識してゐる限り、みづから神としないものである。(中略)君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覚えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた。」(『或旧友へ送る手記』芥川龍之介 昭和2)
 そういいつつ「みづから神にした」かったから自ら十字架にかかったのではないか?果たして彼は紙メディアの神にはなれたかもしれぬが、不幸にも媒体は紙のみでない時代に入った。映像メディアも自らの鏡に映らないネット情報に動揺しているが、そのグーグルも中国から撤退を余儀なくされたのは如何なるわけか?
「黄河治水は歴代の統治者の宿題であったが、今日に至るまで、成功した者はいない。二千年前に匙を投げた学者があって、堤をつくるのは下策である、水と地を争うというコンタンがマチガイの元で、水には逆わぬ方がいい。潼関から下流の人民をそっくり他の地へ移動させて、勝手に洪水にさせておくに限るという名論をはいた。」(『国宝焼亡結構論』坂口安吾 昭和25)
 「水には逆わぬ方がいい」「勝手に洪水にさせておくに限る」式にグーグルも撤退したにちがいない。中国政府がサイバーポリスを駆使してネット検索を規制するのも「歴代の統治者」に学んだ苦肉の策であり、誰が統治しても洪水を防げぬ大地と人民なのだろう。それに比べて日本は箱庭同然だが、それでもマスメディアが苦戦するのは如何なるわけか?
「風流には大地に根のおりた足がないせいであろう。(中略)このような奥儀にかかっては、森羅万象も森羅万国も軽手玉にとられ文句なしにヒネラれるのが自然かも知れぬ。物質文明何者ぞ。すべては精神であるぞ。すべて、気の持ちようだ。(中略)実に風流の奥儀と心境ほど、自在無碍な魔法使いは多く見当らないところであろう。」(『風流』坂口安吾 昭和26)
 中国の水も手強いが、日本の風も侮れない。歴史上には元冦を撤退させた神風もあるし、先日、目白駅で起きた架線トラブルなども風のいたずらかも知れぬ。所詮、「マスメディア激震」も「グーグル中国撤退」もアメリカをはじめとする民主主義者の「ぼんやりした不安」にすぎない。しかし、彼らは何ゆえに自由を世界に広めることを正義と思っているのか?
「クリストの一生の最大の矛盾は彼の我々人間を理解してゐたにも関らず彼自身を理解出来なかつたことである。」(『続西方の人』芥川龍之介 昭和2)
 そういう病者が「世界は一つ」と信じ込むのだろうが、いうまでもなく、世界は一つではないし、いかなるジャーナリズムも万人の鏡にはなれない。そもそも自由など欲しない、犬に成り下がる人間も多い。しかし、自分自身の矛盾を理解出来る人間ばかりにならぬ限り、ジャーナリズムは絶えず生じ、受難に遭うにちがいない。
2010年3月24日 (水)

『トヨタにリコールの問題はない』(上)
 トヨタの大規模リコール問題について一部の国内メディアは「日米開戦の難局」とまで大騒ぎしているが、不具合なのは「トヨタ潰し」にブレーキのかからぬ米国メディアではないか?この状況は80年代の貿易摩擦と似ている。
「GMとトヨタのカリフォルニアでのジョイントベンチャーとかは、全部どっちかというと日本的経営で動いているわけですね。(中略)しかしアメリカの労働者が実際にこれを続けると、自分の自我がなくなるということは、まだ気がついてないんですね。だからこれから何年か先に、その労働者が、だんだん自分はグループ行動しかやってないということがわかってきたら、不満が爆発するんじゃないかと思うんですね。」(『黒船幻想』岸田秀、K・D・バトラー 昭和61)
 労働者だけでなく、経営者まで「不満が爆発」して、アフガンでもトヨタでも手頃な敵を見つけては攻撃しているんじゃないか?
「もしかりにアメリカが弱い立場になったとしても、アメリカ人は日本人がするような我慢はしないでしょうね。違うんですね。アメリカが我慢しているのは失業率が上がっていること。しかし代わりに立派なトヨタの自動車は走っているんだから。」(『黒船幻想』岸田秀、K・D・バトラー 昭和61)
 そもそも失業率が上がったのはリーマンの傲慢のせいであって、それを日本語で「自業自得」ということを教えてやるべきだ。
「アメリカの自動車産業と日本の自動車産業は、まったく違うんですから、アメリカ人の消費者が外車を買わなくてすむくらいにアメリカの自動車を改良するというような努力はしないということですね。努力しないで、アメリカは自分のマーケットだから、制限するのは自分の権利だと思っているんですね。」(『黒船幻想』岸田秀、K・D・バトラー 昭和61)
 それを日本語では「殿様商売」というのであって、そもそも自由化やグローバル化を進めてきたのはアメリカではないか。
「自分が譲ったのだから、それを評価してもらいたいという日本人の心理は、(中略)日本人が勝手に主観的に譲ったと思い込んでいるだけであって、アメリカ人には日本人が譲ったということは理解できない」(『黒船幻想』岸田秀、K・D・バトラー 昭和61)
 トヨタの低姿勢も、それが「評価してもらいたい」という譲歩なら、そんな心理はアメリカ人には理解されないと思うべきであろう。
「前に、デトロイトの自動車産業の労働者が、ハンマーを持って日本の車を壊したんですね。それはたしか日本のテレビに出て、日本人がそれを見たときにどう思ったんでしょうか。(中略)僕が見るところでは、面白がったと思うんですよ。日本人は。言わないけど。日本人の“内的自己”は面白がったと思うんです。“外的自己”のほうは、アメリカ人にこんなに憎まれて大変だ、何とかしなければ、と心配になったでしょうね。」(『黒船幻想』岸田秀、K・D・バトラー 昭和61)
 今回も「トヨタショック」などと心配するメディアは“外的自己”にすぎず、“内的自己”は面白がっているのか?
「日本人自身がその気持ちをあまり自覚してない、自分でも知らない。けれど行動には出るわけですよ。」(『黒船幻想』岸田秀、K・D・バトラー 昭和61)
 あまり無自覚でいると、よかれとした行動がかえって裏目に出るだろう。ここは、大いに面白がってみたら、真の友情が生まれるかもしれぬ。
「だからアメリカが、ペリー以来の日本人の屈折した気持ちを理解する必要があると思うんです。」(『黒船幻想』岸田秀、K・D・バトラー 昭和61)
 ペリーショックで日本人は屈折したというが、リーマンショックやトヨタショックでみせるアメリカ人の「屈折した」行動についても日本は理解する必要があるのではないか?(つづく)
2010年2月16日 (火)

『トヨタにリコールの問題はない』(下)
「要するにアメリカは、個人にたとえれば強迫的な性格神経症者であると言うことができよう。精神分裂病と同じく、性格神経症も経験の欺瞞に発する。(中略)経験の欺瞞は、自我がある程度発達したのちに行なわれ、より能動的、主体的である。つまり、経験は当人の都合のいいように偽られている。(中略)当人としても、経験の欺瞞を心の隅のどこかで薄々と、あるいは無意識的には知っており、知っているがゆえに、経験の欺瞞が欺瞞ではなく、正しいのだということをいやが上にも証明しなければならず、そして、そのような証明が成功するはずはないので、いつまでも繰り返し証明を企てざるを得ない(中略)自分は「正義」のために、「正義」を守るために「悪人」を罰しているつもりであった。」(『アメリカを精神分析する』岸田秀 昭和52)
 日本でも政権交代以降、正義や品格を楯にして、悪人を罰しては自己の権威を保とうという「黄門様」があふれている。
「『白樺』創刊前後のわれわれの間では、極度に、反省のある・なしが問題にされた。(中略)次第にそれは、仲間に共通の「神経」となり、それのもち合せのない人間を、「あいつは『いい子病』だから駄目だ」などと一蹴してしまった。(中略)志賀にとっては、「正義」というようなものも、決して「道徳」ではなくて、「感情」であり、「神経」だった。そして、肉体には、人並以上といってもいいほどの「悪魔」が潜んでいるのだから、矛盾や不調和で、よそ目にもわかる苦しみをしていた。それだけに、(中略)「いい子」病など、この「名医」にとっては、鼻ッ風邪にもあたらないほど診易い症状だった。」(『二、三の神経』里見とん 昭和13)
 だが、その「名医」も、実は欺瞞だらけだという…
「志賀直哉の一生には、生死を賭したアガキや脱出などはない。(中略)神も哲学も、言葉を弄ぶだけであった。(中略)神父に告白して安定する苦悩ならば、まことの人間の苦悩ではない。志賀流の日本の私小説も、それと同じニセ苦悩であった。(中略)最も苦悩的、神聖敬虔な外貌によって、全然苦悩にふれないという、新発明の健全玩具であった。」(『志賀直哉に文学の問題はない』坂口安吾 昭和23)
 これは太宰治が自殺した後に読売新聞に掲載された文章だが、読売といえば、『検証 戦争責任』の中で、自らのメディアとしての戦争責任は検証しているのだろうか?だが、安吾はこうも言う…
「告白は次の告白を必要とし、どこまで行ってもきりがなく、徒に真相を離れてただ破綻するのみである。問題は破局に身を沈めることが大切なので、告白を行うことではない。(中略)我々は常住破局に身を沈め、告白に代えるに、芸術による自我と知性の古典的な復活を以て魂の告白をなすべきではないか。」(『文芸時評』坂口安吾 昭和21)
 その破綻が太宰の自殺であって、告白や検証などで安定するより「生むが易し」ということなのだろう。アメリカも徒に攻撃しても「破綻するのみ」と悟るべきだ。
「しかし国家というものは、そういう不正というか暴力をもって成り立っているわけですよね。」(『黒船幻想』岸田秀、K・D・バトラー 昭和61)
 そもそも「家」というものが、女は男に性的に支配され、子は親に道徳的に支配されて成り立っている。五輪代表のスノボー選手が公式服を自分のセンスで着こなしたのを「服装の乱れ」として謝罪させられた事件を見ても、正義の暴力が競技センスまで妨害しないことを祈るばかりである。
2010年2月16日 (火)

『キャッチャー・イン・ザ・LIE』
 『ライ麦畑でつかまえて』の作者が老衰で亡くなったという。累計発行部数は6千万部で、いまだに売れているという。その秘密は何か?
「主人公には何気ない様々なものが、「インチキ」(偽物)に見えたり、逆に取り留めのないことが(良い意味で)「まいった」などという主張を独断的に展開してく姿に、現代的な孤高のヒーローを感じる読者が多い。」(「ライ麦畑でつかまえて」Wikipediaより)
 作者は20代に太平洋戦争の勃発を機に自ら米軍に志願し、激戦地ノルマンディー作戦も経験し、ドイツとの戦闘で精神的に追い込まれ、降伏後に神経衰弱で入院したという。
「この作品の主人公、ホールデンは、ひと昔前なら、ドイツの精神医学者、K・シュナイダーの精神病質人格の分類法に従って、「自己不確実型精神病質者」にでも分類されかねないような人物だからである。」(『サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』について』岸田秀 昭和54)
 ドイツで神経衰弱になったのは、彼がユダヤ人だったからではないか?ユダヤであるというだけで虐殺される、という状況に遭遇すれば、誰でも「自己不確実」になるだろう。
「ホールデンには、この暗さがない。たしかに自己不確実ではあるのだが、そのことについて劣等感がなく、それを自分の恥ずべき欠点としてとらえて何か確実な規範をもとうとする努力が見られない。」(『サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』について』岸田秀 昭和54)
 それは「ユダヤ人で何がわるいんだ」という作者のことでもあったろう。だが世間はそうは読まなかったらしい。
「欺瞞に満ちた大人たちを非難し、制度社会を揶揄する主人公に共感する若者も多い。しかし攻撃的な言動、アルコールやタバコの乱用、セックスに対する多数の言及、売春の描写などのため、まだピューリタン的道徳感の根強い発表当時は一部で発禁処分を受けている。若者の熱狂的な支持と体制側の規制は、アメリカの「暗部」の象徴としての役割を負うことになった。」(「ライ麦畑でつかまえて」Wikipediaより)
 こういう状況から察すると「自己不確実」なのはアメリカや、この本が売れる近代社会そのものであって、「自分が何者かを知りたくて」近代人は犯罪や戦争、あるいは労働や消費など社会的活動に走るのではないか?
「彼の言葉が「誇張にみちて」いるのは、おとなの価値に対する彼の憤激の表現であるというよりはむしろ、彼の自己不確実感、稀薄な現実感の表現であろう。」(『サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』について』岸田秀 昭和54)
 誇張にみちているのは「ONE PIECE」も「はなさかじじい」も同じで、空想をありのままに表現すれば現実感が稀薄になるのは当然ではないか。
「自らの原作(『コネティカットのひょこひょこおじさん』)に基づくハリウッド映画『愚かなり我が心』の出来映えに失望した事から映画嫌いになった。そのため、『ライ麦畑でつかまえて』の映画化を許さなかった。村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳者解説を付けることも許可しなかった(中略)『フラニーとゾーイー』頃から作品の中には東洋思想、禅の影響が色濃く、またジェローム自身もホメオパシーに傾倒するなど全体的に神秘主義的傾向が強まった。」(「J・D・サリンジャー」Wikipediaより)
 さらに続編と自称する出版を訴えたほどの人である。誰もが自分の都合のいいように読んで、誰も作者の真意がわからない、というのがこの作品の最大の特徴ではないか?
「ひとり座敷にすわっていた三四郎は、虫の音の向こうの遠い所で誰か女の声が、「あゝあゝ、もう少しの間だ」というのを聞く。三四郎にはそれは「凡てに捨てられた人の、凡てから返事を予期しない、真実の独白と聞えた」のである。間もなく、ひときわ高い音をたてて列車が過ぎ、あたりに静寂が戻ったとき、三四郎はたしかに人の死を感じとった。表へ出て闇の中を線路際をつたい歩き、彼は夜の中に女の死骸の半分を見た。」(『漱石の二十世紀』関川夏央 平成5)
 サリンジャーが自殺しなかったのは「凡てに返事を予期しな」かったからではないか?なぜ、凡ての人はそれができないか?
「古代希臘(著者註:ギリシア)人にとつて、今日に残るあらゆる伝説は現実であつた。人々は夢想し、逃避する必要もなく、現実に享楽があり。その浪漫的精神は現実凝視によつて充足された。神と悪魔と人とは非常な近距離に、或は共存した。ルネッサンスの運動も、宗教改革も、近代の苦悩も、実はこの三者の余りの乖離によるのである。」(『文芸時評(坂口安吾著『霓博士の廃頽』について)』今日出海 昭和6)
 サリンジャーは神秘的生活の中でその「三者」と共存していたであろう。何を書いたって、禅では「色即是空」なんだから「LIE麦畑」で沈黙を守ればよかったにちがいない。
2010年2月1日 (月)

神憑かりの現代人
「我々の祖先の無限の空想力といえども、その魔法、神通力、忍術のすべてをあげて、八月六日のバクダンを夢みてはいないのである。夢みることができなかったのだ。このバクダンに至って、そのエネルギーは、ついに空想をハミダシ、空想の限界を超えてしまったのである。」(『戦争論』坂口安吾 昭和23)
 現実に勝る革命力はない。ルイ16世のギロチンのように、キノコ雲を見て、日本帝国の神憑かりな人々も夢から覚めることができた。以来、人類は、そのバクダンの使用を控えてきたが、いつの間にか、また神憑かりな人々がはびこっている。
「ユートピアとは、贋物の一つもない社会をいう。あるいは真実の一つとない社会でもいい。」(『ユートピア』トマス・モア)
 広島長崎も知らず、実験の破壊力をかけ算して「地球を吹っ飛ばせる」と考えるのも「空想」ではないか。「温暖化」にしてもノアの方舟や「2012」にしても、神憑かり人は不安を煽るのが好きだ。「その痛み、放っておくと危ないですよ」という医学番組もオウム真理教と同じ手口ではないか。しかし、それがユートピアの光景かもしれぬ。
「先ず石川島に焼夷弾の雨がふり、次の編隊が真上へくる。私は足の力が抜け去ることを意識した。煙草をくわえてカメラを編隊に向けている憎々しいほど落着いたカメラマンの姿に驚嘆したのであった。」(『堕落論』坂口安吾 昭和21)
 アキバ事件のとき、惨劇のあった路上でケータイ片手にピースする一般人が目についた。彼らも「カメラマン」と同じく、現実に迫る死が怖くないのは、ある種の神憑かりだからではないか?
「そのとき、自分は唯物論者だ、と語っておられました。神がかりじゃないという程度の意味だったと思うんです。」(『聖なる無頼』村上護 昭和51)
 その坂口安吾は戦争迫る時期、島原の乱に取材した小説を書いている。
「マグダレナは第一の突きが外れて頭巾が落ち、両眼を覆うてしまったので、その時までキリシトの御名を呼んでいたが、このとき、天が見えませぬ、と言った。」(『イノチガケ』坂口安吾 昭和15)
 この小説で安吾は、周りがどんどん出征していくなか、自分は戦争に行きたくない、死にたくないという、今日なら当然の理由からキリシタンの欺瞞を暴こうとしたのではないか?国粋主義者にせよ、カメラマンやアキバ族にせよ、神憑かりの人間は死の直前まで何の恐れもない。それはユートピアに住んでいるからだ。
「戦争の目的とか意義とか、もとより戦争の中心となる題目はそれであっても、国民一般というものが、個人として戦争とつながる最大関心事はただ「死」というこの恐るべき平凡な一字に尽きるに相違ない。」(『死と鼻唄』坂口安吾 昭和16)
 それが神憑かり人、ユートピア人にはそうでない。
「明治三十八年秋の日露講和以来、新聞は国民的関心事であり報道の宝庫だった「戦争という事件」を失った。」(『漱石の二十世紀』関川夏央 平成5)
 明治の国民はインテリに至るまで天皇崇拝、つまり神憑かりであったから、戦争が個人の死とはつながらず、今でいう野球中継のような「関心事」であったに違いない。神憑かりになると人間はどうもヤジ馬的になるのは、真実も贋物も一つもないからであろうか?現実は、大きな贋物と小さな真実が入り交じったものである。
2010年1月30日 (土)