信輔は全然母の乳を吸ったことのない子だった。粉ミルクを水で溶かして哺乳瓶で飲んで育った。彼は只、頭ばかり大きく、痩せていて、すぐに動悸の高まる小心者で、牛馬の如く悠然とした父とは似ても似つかぬことを、彼はどう言う論理からか母乳の味を知らぬ為と信じていた。また彼は酒もタバコもオンナも必要ない質で、インスタントコーヒーやカルピスが好きなのも粉ミルクの為ではないかと疑っていた。そんな彼が一大決心で結婚した動機とは、人間の乳の味を知りたいという単純明快なものだった。そんな不純な動機を知るはずもない若妻は幸せに赤ん坊を出産した。退院した夜、待ってましたとばかりに妻のパンパンに張って堅くなった乳房を愛撫すると見せかけて、信輔は何気なく乳を盗み飲もうとした。新婚初夜のことは忘れても、初めて吸った乳の味は忘れまいと思いきや、それが母の乳でないせいか、あるいは自分が大人になったせいか、味も素っ気もなかった。長い間、信じたり疑っていたことがこんな空虚な真実だとは!夢から覚める思いだった。しかし翌朝、同じ乳を夢中で吸う我が子が何故か恨めしい彼だった。(参考文献:芥川龍之介『大導寺信輔の半生』二 牛乳)2005年3月24日
円満な家庭に育ったはずの彼が恐怖の映画監督になったのも、父の秘密を知ったからだった。父の神のごとき善良さは、戦争中に人肉を食った罪悪感に耐えるためだった。「君の映画は今、全米で大人気だそうだけど、一体何人の人間が死ぬんですか」雑誌のインタビュアーが皮肉まじりにきいた。彼は表情一つ変えず答えた。「前回のは恋愛モノだったから、そうねぇ…二十人くらいだったかな」「人が死なない作品ってないんですか」「ない。だってみんなそれを見たいんだから。CGだって一番駆使し甲斐のあるのが惨殺の場面だし」「だからって可愛らしい女の子とか赤ん坊まで血まみれにするのは良心に反しませんか」「下手に犬猫とか殺したほうが動物愛好家から非難の嵐だし、この方が明らかに興行成績がいいから、それでメシ食ってる以上仕方ないよ」「最近、児童の殺傷事件が多発してますが」「きっと理性の極限では、みんな人を殺すんだよ」父の実体験を話したところで理解されるわけがないから、彼は皮肉でいった。「誰だって旨い肉を食ったり、綺麗な花を生けるみたいに、キレイな人ほど残酷に殺して、その死骸を味わいたいものなんじゃない?」「キレイな人…じゃあ、それがもし自分だったら?」「絶世の美女が、世の男を食い物にして、贅沢三昧の挙げ句に狂乱自殺するなんて話は昔からあるけど、今はとにかく他人なら誰でもバッタバッタ殺せばいいなんて状況だからね」「そういえば最近『サバイバル』ってゲームあるの知ってます?」「ロールプレイング?」「そう。ガダルカナルとか、ノルマンディとかオケハザマなんて歴史上の戦場が疑似体験できるんだって」「そんなゲームじゃあ、何回死んだって…」「それは君の映画も同じだろう?」「…生き残った人の苦しみはわかりゃしないんだよ!」(参考文献:『おろち 3巻「戦闘」』楳図かずお) |
2005年3月25日
大正末期の山口で、中哉少年はチョコレートを頬張っていた。「おい、おまえ!そんなとこで菓子食ってると朝鮮人に襲われるゾ!」自警団の男がそう注意した。中哉は屋敷に帰って医者の父にきいた。「父さん、朝鮮人ってホントに恐いの?こないだの大震災も朝鮮人が三原山に爆弾を投げ入れて起こしたっていうし」父は旅順や朝鮮の竜山(現ソウル)で連隊軍医を務めたことがあった。「日本はいまや世界の一等国なんだから中国や朝鮮とは仲良くしなきゃ」「だって棍棒持ったおじさんが恐い顔で襲われるゾ!って」「こっちが悪いことしなけりゃ何もしないよ」「ボクはただ母さんが家庭教師までつけて勉強!勉強!ってうるさいからダダイストみたいに反抗してただけなのに」「そのおじさん、ホントはチョコレートが羨ましかったんじゃないかな」「でも、わけて上げようとしたら急に怒って行っちゃったよ」「そんなやせ我慢したり復讐を恐れるのも、不自由を押しつけて申し訳ないからだよ」「だったらそんな押しつけなんか止めちゃえば、お互いに楽なのに!」「父さんが赴任してた戦地では自分の身は自分で守らなきゃならないんだ。根も葉もないことを信じ込むのは温々してるからだよ。そんな駄々っ子ほど偉そうにしてるから困りものだね」「それって、まるでうちのオニババみたい!」父は六人の子供の世話を全部妻に押しつけて、自分も復讐を恐れていたから何も言えなかった。(参考文献:中原中也 年譜) |
2005年4月3日
その易者は、死に様を言い当てるので「死神」といわれていた。ある日サラリーマン風の中年男性客が訪れた。「わたしウツ病なんです。仕事をいくら変えてもダメで、自殺することばかり考えています」「自殺願望は自分が世に最も気になる存在だから起きるので、自分を忘れることです」「自分を忘れる…それが難しいんです」「夢とかこだわりなんて持ってませんか?そういう見つからないモノを探し続ける人は、脳死とか意識不明で死にますよ。貧乏暇無しが一番です」次に一見悩みなんてなさそうな若い女性客が来た。「あたしってすっごくオッチョコチョイっていわれるの」「その割にはきちんとしてますよ」「たぶん外ではそうなの。でもプライベートになると時間とかルーズだし」「そういう不始末な人は、残された人に迷惑をかけて死にますね。借金とか訴訟とか」次にタクシーの中から着物姿の役者が現れた。「あっしはガキの頃から葉巻を吸ってるんで、肺ガンで苦しんで死ぬんでしょうか?」「いいえ、あなたのようなアマノジャクはそんな流行病では死ねません。才能で生きてる人はもうすでに半死状態なので意外とサッパリ死にますよ。心不全とか脳出血とか一瞬で」今度は、異臭漂う浮浪者が河原で拾ったエロ本を代金代わりに差し出して言った。「コレで占ってくれ」「あなたは落雷とかで自然死しますね」「オレは宇宙で死にたいんだ」「生まれたときの記憶まで遡れますか?」「そんなの無理だい。じゃあ好きな女と心中してぇ」「それはもっと無理ですね」「何でだい!」「お産で母子共に命を落とすなんて今どきありませんからね」 |
2005年4月4日
若干十五歳にして「棋聖」と呼ばれた彼は自宅の九百ギガバイトのホストコンピュータに過去の名人戦を記録保持し、対局時も十ギガのモバイル端末を持ち歩いて大活用していた。彼は物心ついた頃から日常の出来事や入手したメディアを、日時まで正確にコンピュータにデータ化していたから、思い出アルバムや字引を持ち歩いているようなものだった。そんなアーカイブ人間の彼が恋をしたのが、そもそも間違いだった。愛する彼女は音楽好きだったから、彼は自分の膨大なアーカイブから最高の楽曲を検索して、自信満々に贈った。「え?何、これ…だっさ」しかし彼女はデートしてくれなかった。「何が気に入らなかったんだろう?」彼はやはり自分のアーカイブを検索して、我が敬愛する音楽家スティーブに関する、こんな語録を発見した。「私はカントリーを聞いて育ったし、今でも家では弾く。でもそれ以上にあらゆる音楽をコピーする。そして惜しみなく使い、惜しみなく忘れる…」これを見て彼はハッとした。「いままで自分の過去に閉じこもって生きてきたけど、未来へのドアはきっと彼女の過去にある!」彼は大切なアーカイブをすべて消去した。 |
2005年4月6日
二人の大工が道端で立ち小便していた。泡が立った、その湯気で虹が出来てきらきら光っていた。「何てキレイなんだろ」ひとりがうっとりと呟いた。「そんなのも、どっかのセンセイがナントカ酸のナントカ現象とかで片付けんだろ」「あ〜ぁ、何でも名前が付いてる、この世はつまらねぇなぁ」「じゃあ、あの世にでもいっちまえ」「アノとかコノより、ソノ世がいいなぁ」「何だそりゃ?」「七色の虹みたいな楽しい世界」「そんなら、おめぇ今さっき行ってたじゃねぇか!」 |
2005年4月8日
「学生紛争思い出すナァ」反日デモの報道を見て父(57)が呟いた。息子(23)がそこへ食いついた。「こんな熱い人だったんだ?」「…」「こんな団結力と反抗心があるなんて元気だなぁ…ねぇ、ボクにもこういう反抗期ってあった?」そこへ母(53)が割り込んだ。「幼稚園に上がる前が一番手焼いたわ。モノとか投げたり、近所のおっきな子に悪口言ったり…」「けっこう勇敢じゃん!で、そんなとき親としてはどんな破防法で対処したの?」「もちろん叱ったわよ」回想しながら父が言った。「ペコペコ謝ってばかりいたじゃないか」黙り込む母に息子が肩を持った。「昔から冷めたオトナだね」「反抗しながらみんな大人になって行くんだ」「元気ない民主主義にね!?そういう父さんは反抗期なんてあったの?」「…」「あ、そっか、一生、反抗して家にも帰らない不孝者だったんだっけ!?」「反抗は自分にすればたくさんだ。お前みたいに誰にでも悪口言えるのが一番幸せだと思え!」 |
2005年4月17日
ブルーズを愛するスローハンドの彼は本音でしかギターを弾いたことがなかった。そんな彼が業界通の旧友の義理で、良く知らない大御所ロカビリーのショウに共演することになったときのこと。リハーサルで彼はいつものようにスローに見えるほど速い指遣いでまくし立てたら、後で旧友にいわれた。「あれじゃ主役の面子が丸つぶれじゃないか!紹介したオレのことも考えてくれよ」そして本番。テレビカメラや観客の前で彼ははじめて手を抜いた。スローハンドではなくストップハンドだった。演奏が終わって大御所ロカビリーは謙遜と彼への讃辞を込めてこういった。「ダメじゃないか!こんな老いぼれの前でそんな弾き方は失礼だぞ。すっかりやられたよ!」「…最低だよ」収録中だというのに彼はつい本音を口に出してしまった。 |
2005年4月17日
官房長官が首相官邸を訪れたとき首相は風呂から上がったばかりだった。「あれ?首相、頭…」「あ、いっけね…」首相は急いでカツラをつけた。「知らなかったですねぇ、それヅラだったなんて」「政権発足当初から数えて十代目だよ」「何でそんなに頻繁に作り直してるんです?」「支持率維持のためだよ。全部見せてやろうか」長官が案内された部屋には歴代のカツラが並べてあった。「うわー!きれい…」長官が驚いたのも当然、それは全く同じ髪型でグレーから白にグラデーションを成していた。 |
2005年4月20日
世に不眠症ほど地獄はないといいますが、「眠り病」の地獄は未だ誰も説明できない。というのも罹ったら最後、二度と目が覚めないからだ。「バカヤロー!」とある脳病院の病室から突然、怒号が聞こえた。この春から勤務している新米看護師の彼は思わず部屋をのぞき込んだ。見ると老人男性が椅子に座って若い女性の介助で昼の食事をしていた。「あれが眠り病だよ。昔はスピロヘータといった一種の梅毒だ。あの人も戦地で朝鮮人なんかの慰安婦と遊んだ口だろうな」傍にいた年配の医師がいった。よく見るとその患者はずっと目を閉じたままだった。「一体、何が見えてあんな声出してるんでしょう」「そりゃまッ暗闇だろ。あるいは介助人が慰安婦に見えるのかもな。眠り病は脳の感覚麻痺だけど、古い記憶は消えないから、朧気な現在と過去が織り重なってああなるんだろう」「あそっか、正常な人は現在が過去を押しやってるから目覚めるのか」「それもそうだし、不安で眠れないこともない」「ああ、そういえばボク最近、眠れないんですよ」「春眠暁を覚えず…なのに?何か悩みでもあるのか」「珠子ちゃんに逢いたくて!」「誰?」「幼なじみの子」「ははは、会いに行きゃいいじゃん」「もう立派なお母さんになってますよ。ボクが遭いたい珠子ちゃんはずっと五歳のままなんです。毎日毎日猫みたいにじゃれて遊んだ…」「初恋ってやつか」「わかんない。好きになる女がみんな珠子ちゃんに見えて、どこか少年っぽくて、踏みつけられたタンポポみたいに哀れな強さで。ボクは夢遊病みたいに珠子ちゃんを探してるだけかもって…」病室で介助する女性が老人の口に食事を運ぶと、彼は手をジタバタして奇声を発した。「あの人を悪夢から目覚ましてやれる方法はないかなぁ」「お前が白昼夢から目覚める方法もな!」 |
2005年4月26日
瀬戸内海の小島で、彼の家は代々漁師だった。「大学、受けるの?」同じ高校に通う彼女が、分厚い入試問題集をひろげて勉強する彼にそう言った。「仕方ないさ」「死ねる?」「そんな、赤紙じゃないんだよ、この赤本は」朱色の問題集をさして彼はそう言った。「死にに行くようなもんじゃない」「なぜさ?」「わたしの前からあなたがいなくなるなんて…」「別に死ぬわけじゃないよ。帰ってきたら、また会えるよ」彼女は唇を噛んだ。「私も東京について行く!」「何しに?」「…」めでたく試験に合格した彼は、彼女を島に残して東京に行った。四年がたった。東京の会社に就職が決まっていた彼は久しぶりに故郷に帰省した。海辺で一緒に遊んだ頃の彼を愛していた彼女は、スーツ姿ですっかり垢抜けた彼に「おかえりなさい」とは言えなかった。「いつまでこっちに?」「明日帰るんだ」帰る場所がこの島ではなくなってることを彼女は悟った。「就職、おめでとう…」「うん。オレは、ここの平和な海じゃなくて、数字だらけで何もかも緩みきった世の海で漁師になるんだ!」「立派になって、お父さんもきっと喜んでるでしょう…(やっぱり死んだんだ。私の愛した海坊主は、もうこの世にはいないんだ)」その帰京の途で、彼は不運にも列車の脱線事故に巻き込まれて死んだ。グチャグチャになった青い車両を片付けるクレーン車や消防車も、蒼白い死体を運ぶ救急車も、日の丸もみんな赤かった。青春を奪うのは、いつだって赤神だった。 |
2005年4月28日
バグダッド上空の空軍ヘリの中で若い米軍兵が話している。「しかし、何で戦争は終結したってのに、まだ空爆を続けろと言うんだ?」「え?お前知らないのか?このミッションの裏の目的」「何だよ、それ」「民衆の治安と生活を壊すことさ。だから関係ない民間施設もワザと誤爆して、テロを煽ってんじゃないか」「いったい何のために?」「避難生活や復興期間に生まれた世代は団塊を成すだろ?」「ああ、ベビーブームみたいにか。いったい何でだ?」「他にやることがないからさ」「(笑)それじゃダンカイっつうより男根じゃねぇか!?」「親がな。ついでにそのジュニアも団塊になるから細胞分裂と同じ、復興が長引くほど増殖する法則だ」「団塊が増殖して何になる?」「疎開で引き回された子や、親が共働きの子は、親に十分に甘えられないで育つだろ?その渇望が生涯、底なしの欲望になるんだ」「そうかなぁ」「お前だって、すぐ女に目移りして焦点定まってないのも、母親のスキンシップが足りなかったせいなんだぜ」「いーじゃねぇか。最高のモノを手に入れるまで後ろなんか振り向かねぇ、前進あるのみさ!」「それだよ、我らが民主世界を支える原理は。自ら足ることを知らず、次から次へと手を広げていくのが聖なるミッションの使命だ」「じゃあ、こんなつまらねぇ空爆はいつまで続くんだ?あんまり早く復興させてもマズイんだろ?」「その為にマスコミを巻き込んで、いやしない武装グループに聖戦なんていわせたり、女兵士を英雄に仕立てたり、オトリを墜落させて苦戦してるように見せたり、たくさんの同胞を犠牲にしてまで国内世論を煽ってきたんじゃないか」そのとき、後方から一機の戦闘機がこちらを砲撃してきた。星条旗のマークだった。「おい、ふざけんな!オレらまでオトリかよ!」気が付くと弾痕はヘリの機体を貫いていた…。 |
2005年4月30日
憧れは何でもない人を仏に見せる。が、もしも当人に出くわしても声をかけてはいけない。知らぬフリをして、そっとしておくのがマナーというもの。「あっ、あの人…」こんな偶然があるだろうか、みよちゃんの前を憧れの大マンガ家が歩いていた。赤いキャップ帽に赤いトレーナー、赤いバッグに赤いコンバース。(さすが芸能人は派手だなぁ。でも日曜日のこんな真ッ昼間にいったい何処に出かけるんだろう?)ミーハーな彼女は道をそれて後を付けながら声をかけようか迷っていた。その人は駅前のそば屋の前で立ち止まると考え込みはじめた。(そりゃメシも食うよなぁ。しかしそんなに悩む問題か?)立ち止まって見てるわけにもいかず、その背後を通り過ぎようとした。相手が自分を知ってるわけないのに気づかれたらどうしようとドキドキした。近くで見ると、やはり写真で知ってる、あの人だった。みよちゃんはその人の赤帽の下の首筋をなめるように見た。(確かお父さんと同い年くらいなのにずいぶん若いなぁ。でも昼から外食なんて…奥さんいないのかなぁ)いろいろ私生活を想像しながら周りをウロチョロしてるうちに、その人はそば屋に入ってしまった。店の外からカウンターに座った、その人の横に自分の姿を置いてみた。(何から話そうかなぁ…)作品の話なんかを必死にインタビューする自分が思い浮かんだ。でも、その人の迷惑そうな顔に次第に混乱し、終いには幻滅する自分が思い浮かんで、とうとう声はかけずじまい。(変わらぬ、あの人はいつもココにいればいいや)みよちゃんはそんな都合のいい想いを胸に秘めて、その場を去った。 |
2005年5月1日
小さい頃から病弱な淳之介にとって言葉は人間として最後の武器だった。そんな痴情作家の彼にとって赤線地帯は、そこで働く女給たちも女として最後の武器で食っていたから、懐かしい戦場のようなものだった。死にかけの彼はやくざに絡まれても「殴ってみな。死んじゃうから」とヘンテコリンな恐いもの無しで、惚れるときも命懸けだったから、さすがのプロの女たちも、つい心が動いてしまう。ある時、淳之介は四年も馴染みだった女が「やっぱり、あたしこの仕事合わないみたい」といいだしたので困った。「あのなぁ、プロは本気で惚れちゃダメなんだぜ。一流なら心を捨てる、二流は身を捨てる、三流以下は仕事を捨てるってのが阿修羅の掟だろう。やめるなんて三流だぜ?せめて心中しようとか言えよ」「別に惚れてなんかないわ」「なら何でやめる」「イヤになったのよ」「オレがか?」「ううん。こんな仕事してる自分が」「娑婆に出て何やるんだ?」「ふつうのお仕事」「それで恋愛ドラマの真似事でもしたいんだろ?」「忙しくって、それどころじゃないと思うけど」(ふん、コイツもやっぱり自分が可愛いのか!)さすがの淳之介もそれ以上かける言葉がなかった。彼女は初めから娼婦には向かない平凡な女だったんだと諦めた。しかし二流、三流のほうが人間として幸せなのかもしれないとも思えた。いくら阿修羅の世界で一流だって人間以下には違いない。淳之介はそんな拠るべき心のない自分が哀しくて独り泣いた。 |
2005年5月1日
四十代はお肌の曲がり角というが、彼(45)の悩みは前頭部のハゲだった。そして妻(42)は更年期障害が悩みだった。二人はいろいろホルモン療法を試みてきたが、ちっとも効果が見られず、彼の額はいっそう後退し、なぜか精力も衰えて、妻のほうも体がだるくてたまらないという。ある日、彼は雑誌の広告にこんなフレコミを発見した。「ご注意!あなたのホルモンバランスは大丈夫ですか?従来のホルモン療法は火に油を注いでるのです!」彼はダマされた気で、その店に行ってみた。「あのぉ、ホルモンバランスの広告みたんですが…」「何でお悩みで…」店員はちらっと彼の頭を見た。「とにかくまず測定してみましょう。ではこちらへ」彼は狭い暗室に連れていかれ、なぜかアダルトビデオを見せられた。20分くらいした後、店員が入ってきて「ではこの容器に精液を採取して下さい」と検尿用のコップを渡された。採取したものを渡すと少々待たされた。「結果が出ました。こちらへどうぞ」みるとコップに浸した試験紙に色の変化が現れていた。「ええと、真っ赤ですから、かなり酸性ですね」「え?ふつうはアルカリなんですか?」「いえ中性です。ですからアルカリ性であるクーペル腺液の成分が少ないわけです」「それってガマン汁のこと?」「まぁそうですね」「じゃあもっと我慢しなきゃ…ってこと?」「それもそうですが、クーペル腺の分泌は黄体ホルモンが司ってまして、加齢とともに減少するものですよ」「黄体ホルモンって女性ホルモンの?」「いえいえ、黄体ホルモンは男女とも思春期に多量に分泌されるものです。最近、物忘れとかありませんか?」「それはないけど…時間経つのが早くなったかも」「それも同じです。女性ホルモンが記憶力も司ってるんです。それに若い男性タレントさんとか見ると、どこか女性っぽいでしょ?」「ああ、確かにヘタな女よりキレイだ」「ですからハゲにも物忘れにも、とにかく若返りにはこの薬がよく効きます」家に帰って彼は購入した黄体ホルモン剤の錠剤を妻に見せた。「毛ってのは男性ホルモンで生えんだけど、前頭部だけは女性ホルモンなんだってよ」「そういえば、おいら、あんたと反対にココの毛が濃くなったかも…わけてやりてぇくらいだ」妻は自分の股間を指した。「おまえもあの店行って見ろよ。更年期治るかもよ」「やだよ、医者でもない人に検査されんの」夫は一人でまたその店に行って妻の悩みをそれとなく相談してみた。「でしたら、お家で検査してみて下さい」試験紙を持ち帰ったはいいが、いざ検査しようにも肝心の液体が妻の体内から出ない。「じゃあ、しかたねぇ」夫はあの店と同じようにアダルトビデオの力を借りることにした。だが、やっぱりダメだった。「おめぇも枯れてんなぁ」「てめぇのせいだろ!」妻に怒鳴られた彼は仕方なく店員に事情を話した。「そうですか(笑)寝る子は育つっていいますけど、最近は不規則な夜型生活や睡眠不足、ダイエットや飲酒のせいか女性の方でメラトニンやプロラクチンなど性ホルモンの分泌が少ない結果、バランスとして男性ホルモン過多の人が多いみたいですね。そういう人は声が低くて太かったり、恥毛が濃かったりしますが、奥さんはいかがですか?」「ああ、昔はつんつるてんだったのに、今じゃタワシみたい(笑)、それに声っていうか言葉づかいがもうオヤジ化してる…」「でしたら検査するまでもないですね。男性ホルモン過多が問題です」「どう男性ホルモンを減らすんだ?」「分泌を抑えるには薬では無理なんです。女性の場合も性欲を左右するのは男性ホルモンですから、その性欲を発散してやるしかないですねぇ…」「ってことはオレが頑張るしかないじゃないか!」「ええ、まぁ…」「こないだの女性ホルモン、もういっちょくれ!」脂ぎった額が妖しく輝いていた。「精力剤じゃないんですから…下の方は我慢で鍛えてくださいよ!?」結局、すべてを生むのは女と、そして欠乏なのである。 |
2005年5月2日
TVプロデューサーである彼は、自分の政治討論番組を妻と一緒に見ていた。「この女、さっきから機械みたい。きっと男いないよ」妻の毒舌も一応、視聴者の意見なので夫は耳を傾けていた。「じゃあ、誰が一番モテそう?」夫は職業上の関心で聞いてみた。「やっぱ、この司会者かな?」「どうして?」「顔と声がデカイからアソコもでかそう」「じゃあ、この地味な人はダメ?」「うーん、でも絶妙なタイミングで斬り込むあたり、ムード重視のテクニシャンタイプかも」「それじゃあ、さっきから何も言わない、この人は?」それは彼が良く知る与党の政治家だった。「ああいうのが一番、信用できない腹グロタイプだ」妻の眼力も案外鋭いと思えてきた。「しかし、おまえさっきから話の中身、全然聞いてないだろ?」「うん」「何が楽しくて見てんだ?」「人のケンカは単純に見てて面白い。収集つかないほうが」翌日、彼は番組収録前に司会者にいった。「正論なんか言う出演者がいたら、揚げ足取ってやれ」するとベテランの彼はニヤッとしていった。「それが楽しくて人一倍、勉強してんだけどね!?」 |
2005年5月10日
「人身事故の為、当駅で七分間停車しま〜す」オレはいつものように車内で車掌のアナウンスを真似した。オレは昔から車掌になりたかった。あの宇宙人みたいな拡声器の声を真似するには、ちょっとしたコツがいる。オレの自慢の声に、乗客はいつも黙り込んでしまう。中には別の車両に逃げる奴もいて、快感だ。オレは可笑しくなって「コレがオレの手帳だ。どうだ、見たいだろ!」と叫んでみる。ただの「愛の手帳」だが水戸黄門のように見せびらかしてやる。雑誌の隙間からチラッとオレを睨む中年。視線を合わさぬように広告に見入る青年。ケータイと睨めっこの女。奴らが動揺を隠すのが楽しくて、オレ様は胸を張って車内を闊歩する。しかし一大事だというのに暢気な奴らだ。自分の身に不運が降りかかるまでは他人事なのだ。オレはガキの頃から知的障害のせいで特殊学級に入れられて世間から除け者扱いだから、安穏としてる奴らが急にパニックに陥るのが可笑しくてたまらない。世間には六つの道があって、慾や情念にまみれた人間道と修羅道ばかり目立つが、食い過ぎの果てに病苦にまみれた餓鬼道と地獄道ばかりオレの眼には映る。オレの好きな道は畜生道。「3P」と書かれた劇画雑誌を鞄から出して堂々と車内で読みだすと、背後の男がチラチラとこっちを伺ってやがる。(てめぇも覗きたいんだろ?)見たいくせに澄ましてやがる。さぁオレの降りる駅についた。オレはグレーの背広にジャンパーと八百屋帽という出で立ちで、これからキレイなおねぇちゃんがわんさか待ってる店に乗り込む。白痴のオレをまともに扱ってくれる天国に。なぜ天国かって?マネキンみたいにみんな死んでるからさ。 |
2005年5月12日
ベッドで逆さまのカップル。「毛、剃ったでしょ?」と彼。「え?どうしてわかった?」と彼女。「青いもん。毛って剃るとよけい濃くなるっていうよ」「じゃあ抜けばいいのかぁ…それもイテぇしなぁ」「剃ったって抜いたって毛穴が広がるんだから、どんどん太くなるにきまってるよ」「そんなことないよ。レーザー使えば毛根から永久脱毛できるもん」「そんなのウソだよ。生まれつき毛穴は煩悩の数だけ八万四千もあるんだから。坊さんの剃髪みたく自然に有るモノを無いフリしたって減りはしないよ。だったらワキ毛なんかも外人みたいに生やしちゃえば楽チンなのに」「そんなの恥ずかしいよ」「反対に伸ばして染めたりパーマかけちゃえば意外とカワイイかもよ!?」「変だよ、どっかの原住民みたい」「香水もいい感じにフェロモン混じってモテモテかもよ」「ばーかみたい…そういう君こそ変な空想ばっかしてないで男らしく髪切れば?」「みてみて、このキューティクル。天使の輪みたいでしょ?」「天使の輪っていうか…単にアブラっぽいんじゃないの?ちゃんと洗ってる?」「もちろん。髪の角皮が健康ってことは若いって証拠じゃん!」「単に子供っぽいんじゃない?」「君だってムダ毛剃ったりヘアマニキュアしたり子供のフリしてんじゃん」「…じゃあ、君は天使でいいけど、だったら死んじゃってるワケだ!?」「ああ、それでかぁ…どおりで寝ても醒めても夢いっぱいだ!」 |
2005年5月16日
「昔はここにも桜並木があったんだけど、防災だかなんだかで全部伐られてしまったんだ。惜しいことをしたねぇ…」そんな古い住民の声を商店街再生事業に活かそうと、市職員の彼は意気揚々と商工会議所との会合に臨んだ。「でもねぇ、桜の木には毛虫がウヨウヨいるんだよ…」そんなつれない声で、せっかくの再生計画は意気消沈した。「桜の森って、天皇の象徴だったから、縁起悪いっていうか、古い商人にはいい思い出がないんだよねぇ…」年配の助役は会合の後で、若い彼をそう慰めてくれた。けれど戦争を知らない彼にはどうしても解せなかった。そんなある日、彼は恋人と抱き合った後、ひとりこう考えた。「彼女の毛虫に噛みつかれた生暖かさは、桃色の花吹雪の下で呑みかわす酒みたいだったな…女陰にも毛虫が棲んでるんだなぁ」すると、桜を嫌った商人たちのつれない声がまた聞こえてきた。「何故って?女陰に勝る商品も、この世にないからさ」 |
2005年5月21日
「♪ボクの脳味噌のランキング、その一番上から今日も君はまるで動かない」ロケットみたいに和田君が今日も唱っていた。そこへ別の男がやってきた。「オレの脳味噌のランキングで一番上にいるのはブッダ、2番目はブルームハルト、3番目に良寛だ。ずっと下の方に三島由紀夫もいるけど、この人は自殺さえしなかったら結構いいランキングだったのになぁ」和田君は怪訝そうな顔でいった。「みんな男じゃないかよ。おまえオカマか?」すると男はいった。「女にランキングはいらない」「不感症だろ、おまえ」和田君はせせら笑うと、男は最後にこういった。「あんなのは平凡で常識的で適度であればいいもんだからさ」 |
2005年5月22日
アヤは今をときめく新人タレントだった。でも彼女はプリクラに写る自分の顔が左右対称でないのがいつも気になっていた。「ホラ、こっち側、目つきが悪人っぽくない?」友達のミキにそういうと「そんなことないよ。カワイイよ」と言ってくれたが「じゃあ、こっち側は、何だか寝ぼけた顔してない?」「そう言われると…ちょっと悲しそうかも」という同情をされたりした。「何でこんな二重人格のわたしをみんな見てくれるんだろう?」タレント業に疑問を抱きつつ、人気が上がっていくのが不思議でたまらないアヤだった。そんなある日、写真週刊誌に「多重人格」の記事を発見した。どんなスゴイ人だろうと覗いてみたら、何と言うことはない平凡なオバサンだった。「そっか、二重だから左右対称じゃないんだ。ならこの人みたく多重で行こうっと!」数年後、もはや顔の悩みは消えて、ますます名実共に脂がのったアヤだったが、久々に再会したミキはプリクラの中のアヤと実物のアヤの顔を見比べて慄然とした。(今やアヤは他の誰でもないアヤだけど、どこでも売ってるアヤでしかない)ミキは、そんなシールみたいなアヤの顔を悲しく歪ませるような事を言いたくなってしまった。 |
2005年5月22日
「実は朕は人間であるヨ」昭和21年、現人神であられた昭和天皇が、そう人間宣言された。「なぁんだ、神様じゃなかったんだ」人々はそんな思いに駆られる暇もなく食うことに精一杯だった。それから30年経って世の中が安定すると「もう、そんなことやめてよ。正直、しんどいわヨ!」結婚して数年経って育児に追われると、かつての女神様も人間宣言したくなる。腹の出っ張りがそれを物語るようになると夫は別の女神を胸に宿すようになる。さらに30年も経って世の中が荒廃すると「神なんていないんだよ」と風来坊は気づく。するとまた天皇陛下が神々しく見えたりする。現人神ならぬ、現神人に。J.レノンを撃った男の如く、バカも死神には嫉妬しないが生神には嫉妬するらしい。「皇居を爆破してオレも死ぬ!!」一人のキチガイがネット上のブログにそう宣言すると多数のトラックバックがあった。「天皇は退位なされるべきだった。人間宣言なされるべきでなかった」「ヒトラーの如く戦犯者として裁かれるべきだった」「天皇を悪用した政治家が悪い。天皇に罪はない」「天皇を神格化した国民も同罪だ。天皇制自体の罪だ」「国民にとって宗教は必要だ。当時、天皇制以外にそれに相応しいものはなかったのだ」「今は何を拝もうが自由な世だ。お前が天皇を殺せばかえって神格化するぞ」そんな不穏な盛り上がりを政府も無視できず、シングルマザーや私生児を手厚く処遇する制度や風営法・売買春規制の緩和をせざるを得なかった。つまり、たとえ風紀が乱れても、現神人は無数にいたほうがまだ安全だと悟ったのだ。そして皇室の報道は完全に隠蔽されるようになった。つまり現人神は何があっても物言わぬから真の象徴なのだ、と今更ながら悟ったらしい。 |
| 2005年5月24日 |