荒夜死記 (生)
虎馬 駅者 些事 椰子 度量 美犬 自満 狂権 貧格 心珠 本能 発狂 偽草 革鳴 霊戒 梅読 剣脚 退閤 蝨寤 怪壇 奇還 鹿驚 雲竹 犀靉 鯉鮎 鏡男 山姥 戦律 冷炎 毒語 男触 白痴 浄土 愚悶 臆病
94歳の彼女はいつも上品な人だったが、最近かなりマイってるらしく、言動がおかしい。「死にたいんです。殺して下さるんですか」二言目にはその繰り返し。あのときもそうで「またか…」と思って「じゃあ、殺してあげます」と冗談でナイフを刺すマネをしたら、急に腕にしがみついてきて、支離滅裂なことをまくしたてた。その意味不明な言葉の中に確かに聞いた、耳を疑うフレーズ。「あなたのおちんぼなめたい」こんな死にかけた老人にもスケベ心があるとは!しかし、死にたい!とは生きたい!という切実な願望なのかもしれない。そう思うと憐れみのような心が湧いてきて試しにいってみた。「じゃあ、どうぞ」ズボンの前を少しさげて、ふにゃふにゃの少し皮をかむったのを彼女の顔の前にさらすと、なんと彼女はそれにむしゃぶりついた。と、その瞬間!激痛が!「何!?」みると、彼女の口から、ち、ち、血がッ!!
駅につくと異様な人だかり。「ただいま捜査員が遺留品の回収をおこなっています」また飛び込みだ。年末はことに多い。幸いにすぐ復旧した。事故のあった駅で乗ってきた三人の中年女性、興奮ぎみで話してる。「担架で運べるってことは形がまだ残ってたってことよねー」「あの男の子なんかモロに見ちゃったみたいね、絶対トラウマになっちゃうわ」「それにしてもなんで飛び込みすんのかね、迷惑よね」「あれじゃない、自爆テロみたいにわざわざ人ごみで死にたいんじゃない?」「なんで?」「何かの本に書いてあったけど、甘えと恨みって表裏なんだって」「じゃあ、誰でもいいから甘えたくて飛び込むんだ?」「たぶん」「じゃあ街角で手相みたり人生相談にのってくれる人…」「易者?」「そう!それ駅前でやってもらったら自殺予防になるんじゃない!?」
鍋底についた焦げつきを母がタワシで懸命に洗ってる。その嫌々そうな姿をみて「これでやってみ」とスプーンを手渡す。「そんなんじゃキズがつく」とまだタワシにこだわる母。「軽くこするんだよ」やってみせると、水に細かいカスが浮かんで、流すとキレイに落ちてる。「ね?楽しいでしょ」「楽しくない…」そういいつつ自分でやりはじめる母。「…ずいぶん細くなってたわよ」昨日、久しぶりに会った孫の話をしだした。単純作業は頭にとって休息というか散歩をもたらす。「この前までまるまるとしてたのに」「そのうち言葉をいっぱいしゃべりだしたら憎たらしくもなるよ」散歩は発見をもたらす。子は鏡。見る人は自分自身の理想をその姿にうつしている。母は「ほっそりした自分」を、私は「小憎ら坊主の自分」を。そうこう話してるうちに鍋底もキレイになった。
おサルのたーちゃんは木登りが大好き。毎日、木の上でお空の雲を眺めてはいろんな夢を描いていました。ある日、隣の木にメスのちーちゃんが登ってきて仲良くおしゃべりをしました。たーちゃんは大好きなバナナをちーちゃんに投げてあげました。すると、ちーちゃんはでっかい椰子の実をくれようとします。ですが、こればかりは投げるわけにはいきません。たーちゃんは一所懸命に手を伸ばしましたが届きません。枝のはしっこまで移って手を伸ばそうとしたその瞬間…ドスン!と高い木から落ちてしまいました。幸い命は助かりましたが二度と木に登れなくなってしまいました。その日から、たーちゃんはちーちゃんと地べたで暮らすことになりました。あの椰子の実が空っぽだったとは知らず。
「いま円高ドル安?」「なんで?株でもやってんの?」「ハワイ行こうかと思って」「サブプライムなんとかの影響でドル安なんじゃない?ところで、ハワイは初めて?」「三回目」「へー!そんなにいいとこなんだ?」「うん」「外人ってかっこいいもんね?」「別にそんなんじゃ…」「やっぱ、つき合うなら外人だよね」「言葉わかんないじゃん」「わかんないほうが愛は通じるもんだよ。ズケズケ言えちゃうからケンカになるんだし、それに日本人って…小せーじゃん」「何が?」「君の可愛がってる患者さんのなんか天然記念物もんだし」「だから何が?」「君みたいな女は外人くらいデカくなきゃ釣り合わないんだよ」「…じゃあ、外人のソレってどーやって見分けんの?」「うちの婆ちゃんは鼻の下の長さでわかるって言ってた。だから福田首相はすごいデカそうって」「わかった!それって、フトコロの大きさでしょ!?でしょ?」
我が輩は犬である。名はない…が、野良クロとでもいっておこう。名の通り飼い主はいない。街から街へと渡り歩いてる流れ者さ。俺はあのマーキングとかナワバリてえもんに生まれつき馴染めねえ。奴らはつねに飼い主の首輪につながれることを好む。そしておしっこの臭いで仲間かどうか確かめ合ってる。俺みてえなナラズ者が現れるとクンクン物珍しそうに嗅ぎやがる。そのウザってえたらありゃしねえ。そんなクズどもだらけのこの街にも一人だけ気になる奴がいる。そいつにマーキングしてからでないと俺はここを立ち去る気がしねえ。問題はその方法だ。しょんべんの臭いなんかすぐ消えちまう。一生消えねえマーキングをしてえんだ。そいつが何ともいえねえ美人でな…栗色の毛でつんと立ったシッポなんか最高なんだ。後ろから馬乗りにして、その下辺りの奥の奥まで差し込んでしっかりマークしねえとな…オッといけねえ、ついムラムラしちまった。
うちは一風変わったブログをゃってる。スキャンティとかぃろんなランジェリーを着て、その画像にコメントつけたり、着衣動画をYouTubeにあっぷして消されたり。もちろんうちがモデルだけどぉ顔出しはなし。ほとんど下半身が主役。ってぃっても別にうちはスレンダーボディぢゃなぃ。ぃかにも日本人っぽぃ幼児体形。ラブホでの撮影とかパソコン作業はすべて彼氏がゃってる。ランジェリーを選ぶのはうちの趣味♪買ぅのも自腹。こーゅぅのは自己責任ぢゃなぃとまぢ楽しめなぃから、そこはこだゎる。こなぃだ初めてネットでwickedweaselのショップからマイクロミニを買ってみたら、これがちょーセクスィー!ムダ毛がヤバぃってくらぃ。で、彼氏に剃ってもらった。ぁれは自分ぢゃできなぃね。せっかくだからぱぃぱんまで載せちゃったら反響がすごぃのなんの…ゎが身ながらすげぇって。これで稼ぎまくるコの気持ちもわかるなぁ…。でもうちはぉ金なんて目的ぢゃないし、彼氏以外誰にも撮らせたくない。それでもうちへの注目が集まれば集まるほど、それを独占さしてる彼氏が誇らしかったりする。ぁ、自慢になっちゃぃました?
我が輩は狂犬である。名はブロンディ。飼い主はかの有名なヒトラー総統。犬好きをみると、最近じゃみんな独裁者か認知症にみえる。「世界を支配できなきゃ滅びるまでよ」そういう極端に潔癖な支配者は昔からいたが、敗戦色濃くなってからの総統も狂犬のようだった。焦土命令なんて出したり、長年の愛人と突然結婚したり。彼がそれまでの56年間、結婚しなかったのは独身のほうが政治家として都合がよかったからで、ついにその必要もなくなったわけだ。だが人間のメスほど強権を愛する独裁者もいまい。エヴァ(総統のカノジョ)が昨日、挙式でいってたっけ。「可哀想なアドルフ、彼は世界中に裏切られたけど、私だけはずっとそばにいてあげる」あれは勝利宣言だ。ついにこの男を支配した!という。彼女にとっちゃ世界征服なんて二の次だったんだ。恐ろしや。二人はわしを殺して遠い国に逃げるんだとさ。
僕は永井荷風。今だから打ち明けよう。世に出てる『墨東綺譚』には『僕と雪たん』という春本があるのだ。みんなの読みたい真実は全部そっちに書いてある。だけど真実なんて知ってみりゃつまらんもんだ。知れば知るほど慎ましくなるのが通人というものだ。終戦後すぐ、僕のことを「通俗安直な懐古家」とこき下ろした奴がいたが、さては僕の春本を読んでなかったな。『僕と雪たん』にせよ『ぬれずろ草紙』や『四畳半襖の下張』にせよ、春本こそフランスでの武者修業の賜物だ。現代小説なんて暇つぶしのために書いたにすぎない。今でも文学の真髄は虚偽と遊戯だと確信している。そういうシャレが通じない読書家の品格を恨むなら恨め。
俺は特攻隊員。明日真珠湾を攻撃する。それが何を意味するかわかるか?戦争の始まりだ。あとは野となれ山となれだ。俺は知らねえ。日本が勝とうが負けようが。とにかくやるなら今しかねえ。「死ぬのは恐くないのか?」と問うものはいない。当たり前だ。自分等の身代わりでゆくんだ。もはや俺には死なんてねえ。志があるだけだ。我が民族の宿命に殉じることが何より誇らしい。「万が一、生き残ったら?」そんなことも考えねえ。とにかく前へ、前へ突き進むのみよ。それが俺等の生きる道なんだ。もはやそこまで行き詰まっちまった宿命を恨め。「しかし、なんで広いアメリカの真珠湾なのか?」って…そりゃ心中するにゃちょうどだからさ。
俺は織田信長。本能寺で自害したとき、俺は自ら火を放った。それは亡き骸をさらしものにされるくらいなら、キレイさっぱり消えてやると考えたからだ。俺の愛した小唄にこんなのがある。「死のうは一定 しのび草に何をしよぞ 一定語りおこすよの」天才はつねに死を想い、死んだ後も語り種にされるような死に方をしなければならない。天下統一できずに死んだのは無念ではないかと思うのは凡人の考えだ。無常なる世、天下などいずれどうなるかわかりゃしない。俺の好きな小唄にこんなのもある。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」自害したとき俺の齢もちょうど五十の寸前だった。「一時の天下人になって記憶されたところで夢幻には変わりない。ここで謎を残して死んだ方が後々まで語り種ではないか?」悪魔がそう囁いたか?我知らず。しかし明智は知っておったようだ。「敵は本能にあり」と。
私が人間だった頃の俗名はニーチェ。私は44歳で発狂した。それは社会的な死を意味するが、生命としては第二の誕生だった。愚かな人間から解放されて超人に生まれ変わったのだ。そこには天国も地獄もなく、神だの悪魔もいない。意識も無意識もなく一切の分別がない混沌だ。時間や空間も断片的にしか存在せず、したがって老いや死もない。あらゆる人間的な煩悩がない。仏教でいう阿頼耶識のような無限の宇宙に漂っていた。それは私の55年の生涯の中でもっとも健康で充実した日々だった。我を忘れて、言葉すら失っていたが、キリストの生誕の年だけは忘れていなかったようだ。偶然、目に入った暦に「1900」と書いてあったのを発見して思い出したのだ。「第二のキリストになるにはちょうどいい年だ」それでちょっと惜しいが逝くことにしたのだ。
私は太宰治。来年は没後60周年。今年の漢字は「偽」だそうだけど、昔から人間はウソつきだ。特に女はその自覚がないから始末に負えない。ない胸をあるように見せたり、大根足やらシミソバカスを隠したり、親切なフリをしたり…そのウソにまんまとだまされて子供は育ち、やがて家庭を守るために働かされ、国を守るために戦場にまで行かされる。まことに罪深いウソだ。おとなたちは何も疑わずにそのウソに加担している。その点、私は死ぬ気でものを書きとばしているから、ついたウソは全部ホントになる。だから自殺未遂は何度もした。最期のグッドバイは玉川上水だった。「また小説のネタにしようってんじゃないか?」と世間は疑ったらしいが、私は一緒に死んだ女が「妊娠した」と脅したのも信じちゃいなかった。とにかく人間は信用できない。「じゃあ、お前は何なんだ?」と問われれば、富士を背に咲く、月見草みたいなもんです。
俺はアシッドテクノを愛するドイツの音楽家だ。俺らが90年代に発表した音楽があの911テロを起こした。俺の祖父はユダヤ人ではなかったがナチスに殺された。だから俺は帝国主義を憎む。それを引き起こした西欧近代主義とキリスト教文化を徹底的に憎む。00年代に入っても世界は相変わらずだ。何がラブ&ピースだ!くたばっちまえ、アメリカ!世界を「我ら」といわんばかりの「US」は消え失せろ。それにつるんでるクソジャップもな。お前らが昔、中国大陸でやったレイプ、それがラブ&ピースの正体だ。俺の音楽は無政府主義のプロパガンダだ。革命を起こせ!暴動だ!お前らは死んでいる。魂を売るな。何がインテリジェンスだ!俺のウィルスでも食らえ!大統領を殺せ!首相官邸を爆破せよ!立ち上がれ若者よ!人生を数字で片付ける政府に税金など払うな!お前らに成功などない。マスコミの甘い言葉にだまされるな!お前らを食い物にする白豚どもをワイプせよ!
私は三島由紀夫。霊界からひとこと戒めを言いにきた。私は死ぬずっと前から心は死んでいた。その死んだ心が最後に生きたいと願って起こした行動が、あの割腹だった。肉体が死んで心が生きる?それを人は狂気というかもしれないが、それが心の死というものだ。なぜ、心は死ぬか?他者や世界への関心を失うからだ。私も民主主義を捨てて、武士の世界に還ることにした。心が死んだまま生き長らえるよりも滅びるほうが潔いと考えた。思えば私は自由という病いにかかっていた。それは知識ばかりで行動と真実の何一つないユートピアだった。もはや何を書いても空しかった。せめて最期に永遠の「?」を残してやれば、それがすべてだと考えた。だがそれは間違いだった。ここ霊界には言葉はない。時代も土地もちがう霊たちと意思疎通できる。つまり「心」とは言葉にすぎない。もとより「死」も言葉に過ぎない。言葉を捨てて言葉と付き合え、それをいっておきたい。
私は坂口安吾。霊界は酒がいらないからすぐに気焔が上がる。さっきも太宰とこんな激論をしていた。「何が思いやり予算だ!軍備なんかいらねえよ。日本は文化大国になりゃいいんだ。夫婦だってもっと生活を楽しまなきゃダメだ」すると太宰が「じゃあ、子供の世話は誰がするんだ?」「アイノコだろうと育つ子はみんなで育ててやれ。日本に生まれたからにゃ歴とした日本人だ」「あんたには子供がいないからそんなことが言える」太宰は私に子供ができる前に死んでるから知らないのも無理はないが、正直、痛いとこを突かれた。「お前は恐くなかったか?」「何が?」「遺伝するんだろ?梅毒って」太宰は大笑いした。「遺伝すりゃいいじゃないか」「見たんだぜ、入院してたときに。キチガイになった梅毒患者を」「そりゃ梅毒のせいかね?だったら妾とかパンパンはどうなる?」「じゃあ、何のせいだ?」「もともと頭が悪いんだろ」「やっぱり文化が低いせいか」「うむ。家庭の幸福こそ諸悪の根源だ」結局はおなじ意見におさまる我らであった。
わしは宮本武蔵。今年は五輪の年ときくが、わしの五輪書に書き忘れたことがあるのでいいにきた。わしは30歳を前に勝負の世界から身を退いた。14歳から60回以上した勝負は全戦全勝。そんな無敵のわしがなぜ剣を捨てたか?そのわけを話そう。ときにわしは風呂に入ったことがない。衣も洗わない。鬼に衣はいらないのだ。いつの世も人は魂にまで衣を着せるから、鬼は金棒を振り回さねばならない。わしは達磨様のような鬼にはなりたいが、金棒を振り回すような鬼にはなりたくなかった。それより人の心に棲む鬼の衣を脱がせてやりたかった。だから剣を捨てて筆を奮ったわけだ。後年のわしは剣客というより健脚だった。60過ぎて絵筆を握って方々歩き回るのは並大抵のことではない。家なんてものを構えてはとてもできない。人はいくつになってもそんな鬼であってほしい。
わしは豊臣秀吉。晩年のわしは太閤というより退行だった。二度の朝鮮出兵で何が何でも手に入れたかったのは、虎肉の精力剤だった。猿といわれたほどのわしの獣欲も天下人になった頃から衰えていた。その腹いせに気に食わない奴は千利休であろうと甥の秀次であろうと皆殺しにしてやった。権力を握ると人間は子供に戻る。どこの親を見たってそうだろう?子供に威張りくさって子供よりクソ餓鬼じゃないか。心理学じゃ、そういうのを「退行的ナルシズム」というそうな。百姓あがりのわしが子供に恵まれなかったように、近頃の少子化とオタク化の傾向も「一億総太閤化」のせいかもしれぬぞ。よく銘じておけ。
お前は失語したことがあるか?本当に怒り心頭に発すると言葉を失うものだ。当たり前だ。感情は理屈ではない。円周率3.141592653589793…のようにどこまでも割り切れない。それをπなどと言い切れる者が脳梗塞で失語症になるのだ。俺は失語しながら思索することでそれを免れているだけだ。何に今、そんなに怒っているかって?俺は1/11という日を忘れないぜ。この国の民主主義がやっぱり嘘だとハッキリした日だからな。そんなの薄々気づいていたことだが、いまさら切腹したり世を捨てるわけにもいかない。ちょうど母親のオムツ交換に辟易しながら抵抗できない赤ん坊のように失語しながら思索に耽るだけだ。死ぬまでそうするだろう…いや、死ぬ直前に母親の顔に射精してやろうか。真実の白さはいつだって少し濁ってる、骨や灰のように。
霊界にも文壇というのがあって対談したりする。「安部くん、君は自殺したいと思ったことはないか?」「ないね。大岡さんは?」「しょっちゅう」「そりゃまたなぜ?」「戦争のせいさ」「ぼくも核シェルターに何を持ち込むかとかは考えた」「君の小説って失踪するの多いね」「でも結局逃げられないんだ」「どうしてかな?」「さあ、それはあなたが自殺できなかったのと同じだろ」「私は小説の中でなら何度も自殺したけど、結局自殺には欲望以外の意味を見出せなかった」「欲望?」「そう。自分の物語を完結させたいという、一種の傲慢さだね」「それは終末感を喪失してるせいだろ。どの宗教でも世界の終わりを想定して、その前に死ぬのを防ぐんだ」「すると今は地球温暖化がそうか?」「核戦争が流行らなくなったからな」「だけど近頃は自殺者や殉教者も多いじゃないか」「まあ、方舟で脱出…なんて、ちょっとロマンチックなノスタルジーだよな…」「それも君の小説にあったじゃないか」
お前は首のない死体が血を噴きながら歩くのを見たことがあるか?戦争は悲惨だという。不本意ながら死なねばならぬからだと。だが病死とて同じではないか。誰が不本意でなく死ねるか?この社会で。何万年という長い目でみれば戦死も病死も変わりない。死に方など問題でない。さりとて、生き方が問題か?といえば…俺が今生きてるかも、さっぱりわからん。俺は戦争で捕虜になった。prisonerに生活などない。無益な労働があるだけだ。そして帰還を待つことのみが希望だ。だが帰還してみてもやはり待つのみだった。待つ。それがわれわれ人間の病気だ。動物はそんな浪費はすまい。生きたいだけ生きて、あっさり死ぬだけだ。待たねばならぬ人間はすべからく悲惨だ。戦争は露骨だが、waitがwasteだとわかるだけ労働より有益ですらある。
あれは小六の冬だった。その頃、中学受験に失敗したばかりの私は挫折の悲しみを誰かにぶつけていた。「日ごろの恨み!」雪合戦で集中攻撃していたらみごと顔面に命中して大泣きされた。先生に叱られ放課後に女子から報復された。ベトナム戦争で銃殺されたゲリラ少年のようにカカシになってぶつけられ、顔面に当たって鼻血がでた。白い雪が真っ赤な血で染まった。ときにダルマに手足がないのは、壁に面して何年も座しているうちに手足が腐ったとか。確かに挫折しないためには何も目指さぬことだ。しかし悲しいのは誰も同じ。家に安住する母も、学校に通わされる子供も先生も、会社につながれた父も、米国のいいなりの日本も、囚人は互いに傷つけあい、慰めあうしかない。挫折しすぎた私は囚人にもダルマにもなれずカカシになった。風に吹かれて、突っ立って、悲しみも恨みも全部受け止める。雪玉も銃弾も突き抜けて行く、その姿に鳥さえ近づかない。
あれは小二の頃だった。近所に越して来た男の子と親しくなって、よく河原で遊んだ。彼と私はそこで日が暮れるまで「化石さがし」をした。私がちょっと変わった形の石を発見すると、彼は神妙な表情で「それはナウマン象の糞」とか「ステゴサウルスの卵」とかいって、無知な私を興奮させた。いつしか私はそんな物知りの彼を大尊敬していた。いまから思えば、私らは近所でずいぶんたくさんの大発見をしたことになる…。ときどきニュースで考古学者の大発見が実は偽装につぐ偽装だったときくと、彼のあの神妙な顔と、その冷静な口からすらすら出てくる難解な知識を思い出す。彼が与えてくれたのは星の数ほどの石に秘めた夢と、蘊蓄を疑う心だった。
矢田津世子です。坂口安吾がうちに初めて遊びにきたときのこと。「こないだ僕んちに大事な本忘れてったの気がついた?」「ええ」「几帳面なあなたが忘れ物とは珍しいね。わざと?」「…」「さんざん悩んだよ。これ届けるついでに遊びに来いってことかなとかね」「だって、あなたってちっともきてくださらないんですもの」「じゃあ、やっぱり誘いのつもりであの本を?」「そんなんじゃないわ」「じゃあどんなつもり?」「ただ、私のこと忘れないでねって…置き手紙のかわりよ」「忘れるわけない!だけどわからない。大事にしたいから離れていたいのかもしれない」後日、彼からこんな手紙がきた。「僕の存在を僕の仕事の中にだけ見て下さい。僕たちには肉体があってはいけない」彼とはそれきりだった。おかげで私は彼の最愛の人として本の中に置き去りにされてしまった。本を置き去りにしたがために。
あれは小一の頃。クラスになじめず孤立していた私は、人気者だった守屋くんに憧れていた。彼が親しい人と挨拶代わりに決めるポーズがあった。私も彼とそんな仲になりたいと思って、彼を家に招待した。いろいろ考えてポーズが決まり、次の日から二人はオリラジかタカトシみたいなクラスの人気コンビになった。だが、やがてクラスがかわると、あの人気はいずこへ?またもとのように孤立していた…。何事にもランキングがつく現代。誰もが孤立に恐怖していて、その焦りが人気者への熱狂的な憧れを抱かせる。それが異性だと、しばしば恋と間違われる。その人が好きなのではなく、人気にあやかって孤立を免れたいだけなので、環境が変わると恋も冷める。もとより恋ではない。阿諛なのだ。鯉と鮎は大違い。
ハイ!マイケルジャクソンです。近ごろはサンプリングやらコンピューターのおかげで誰でもミュージシャンになれるけど、エルビスやビートルズがそうであったように、誰でもギター一本で大金持ちになれる時代があった。彼らは大豪邸に住んでるくせにステージでは破れたジーンズなんかはいてた。そんな偽善者とちがって、わがマイケルは何もかもゴージャスだ。儲けたカネはすべて仕事につぎ込む。それがファンに還元することだから。それでも余るから、そこで彼が私生活で何かやるとすぐに目立ってしまい、そこをマスコミに付けねらわれる。整形だとか少年愛だとかで彼を醜聞で汚す。そんな彼はキングオブポップではない。しいていえば、マンインザミラー。すでにボク自身にも触れられぬ鏡の中の男。せめて大人たちはボクのスキャンダルに自分らのダルさを写し見るがいい。
夜中にヤマンバが話しかけてきた。「嫁さんもらわんのかね?」初対面なのに何でそんなこと知ってるのか?「嫁さんいますよ」ウソつくと残念な顔をした。「ウソです。いくつに見えます?」ヤマンバは鋭い目つきで「三十」といった。当たらずとも遠からず。「もらった方がいいですか?」ヤマンバはニヤニヤして「そりゃ変わりもんに思われるからねぇ」「今はそんなことないですよ」ヤマンバは人の話なんか聞いちゃいない。「けど難しいよねえ、縛られてきついだろうし」別にヤマンバを嫁にもらうわけではない。「やっぱりもらった方がいいですか?」念を押すとヤマンバはまたニヤニヤして「そんな責任の重いこと言えないねぇ」おいおい、どっちなんだよ!わけのわからんヤマンバだった。単に寂しくて色気をもよおしたらしい。おかげでこちらは眠気をもよおした。
小林秀雄です。霊界でもモオツァルトを聞いてゐる。レコオドの調子がおかしくて、ストロボスコオプで回転数を微調整した。そこに浮かび上がつた縞模様を見てゐたら妙な想ひが浮かんだ。「これは、我々の歴史に似てゐる」と。批評家はつねに「人間」といふレコオドの回転運動に正確な縞模様をスコオプしなければならない。モオツァルトの音楽のやうに人間の歴史も二度と同じ旋律は繰り返さないが、同じ戦慄なら何度も繰り返す。戦時中、骨董や古典に没頭してゐたのは、生きてゐる人間は鑑賞に堪へなかつたからだ。今思へば、あの頃の僕の批評眼は狂つてゐた。人間といふレコオドに浮かび上がる醜悪な縞模様に辟易して、わざと回転数を遅らせてゐたのだ。そこで見た人間世界は今さつき聞いたモオツァルトのやうに鈍重だつたはずだ。
紫式部です。ここ霊界でも相変わらず派手なうわさ話に耳をそばだてている。百聞は一見にしかずというが、物書きにとっては反対。小耳に挟んだネタで一日中萌えられる。真実なんて知らぬが花。そんな豊かな想像力を授けてくれたのは父だった。ファザコンの私は28のとき50近い人と結婚した。その人は娘が生まれてすぐ死んじゃった。30過ぎでシングルマザーになった私は仕方なく宮仕えした。宮廷というところは芸能界みたいに美男美女の社交の場。私なんか誰も相手にしてくれないから人の色恋話で欲望の炎を消すのにやっとだった。そのうち氷より冷たい心を持ってしまった。炎は放っておけば勝手に消えるけど、冷たい炎は永遠に消えない。
「それ、ひとりごと?」そばで寝ていた姪が突然ムクと起き上がった。私は今書いている小説の台詞を呟いていたらしい。「ああ、独語だよ」「ねぇ、叔父さんの小説読ませてよ」姪は八つの頃から寝たきりで十九の今日でも十三、四の発育状態だった。「読まない方がいいよ」「なぜ?子供だから?」「読む必要がない」「べつに『少女倶楽部』は必要があって読んでるんじゃないわ」私は困った。なぜなら私の小説は心に病ある人の睡眠薬にはなっても、そうでない人にはただの毒薬にすぎない。「今みたいなのを延々と聞きたい?」「…」姪は長い闘病生活のために感情というものが死んでいた。見舞いの人が来てもニコリともしない。決して喜ばないし、怒りも、泣きもしない。不満ひとつもらさない。そりゃそうだ。病気に文句言ったって仕方がない。そうだ、この仏頂面をドキッとさせてやろう!そんな衝動にかられて、またさっきの小説に没頭しだした。「叔父さん、今のもひとりごと?」「いいや、今度のは……ふたりごとだね」「小説、やっぱり読ませてよ」「毒に中っても知らないよ」「もう、あたってるもの」
石川淳です。太宰治と最後に会った酒の席でのこと。私はつい調子に乗って「石川ワールド全開」で出任せをいっていた。横に座っていた太宰も笑いながら、たしなめるつもりか、私の腿を軽くつねった。それが一度ならともかく、宴席中、いくどとなくだったので、家に帰ると内股にかけて青痣になっていた。おかげで女に怪しまれたほど。霊界で再会したときに、あのときつねった理由を聞いてみたら「死ぬ前に君のに触れてみたかった」という。こいつは男色のケがあったとはしらなんだ!「いつも抱いてる感触と何か違ったかい?」と皮肉ってやると「思ったより硬くて、それにデカかった」だとさ。そこまで触られていたとは酔っていて気づかなんだ…。女と心中したのも、ありゃ全部、ウソだったんだとさ。みんなだまされたわけだ、この「道化の華」に。
坂口安吾です。今回は霊界から恋愛論を説く。男はことごとく女に負ける。やすやすと社会にも負ける。女は男を喰って生きのびる。女には娼婦型と家庭型があるが、ともにカネや男に従属している以上、社会には負ける。最近は不倫や事実婚、未婚の母も多いらしいが、これらは娼婦型と家庭型の中間にすぎない。彼女らにとって一番厄介なのは「タダでやらせる女」だ。ただより高いものはない。この妖婦型は社会にすら勝っている。妖怪の如く最強だ。戦時中に同棲していた女がそうだった。生きる希望を失って、遊ぶことがすべての化け物だった。だが戦争が終わってもしつこくつきまとってくるので、仕方なく別の人と結婚した。だが、理想の女は?と問われれば、『白痴』に書いたとおりだ。泣く子と地頭には勝てても、馬鹿と病気には勝たれない。その心まで犯すことは誰にもできまい。だが、そんな妖精にはまだめぐり遭ったことがない。
「いろんなものをみてきたのね…」妻が見たのは私が撮った大空襲の写真だった。そこには焼け焦げた人間がブロンズ像のように転がっていた。最近、私は涙もろくて困る。昔の私はあくせくした人間共の中でうす汚れ、虚影を追い、25の私は今より疲れきっていた。阿呆みたいになった今は、言葉も知性もカメラと同じ、おもちゃにすぎない。だから口説いたり、言い訳などする必要のない女と結婚した。その知的障害のある妻もすぐ泣く。結婚して私は酒を絶った。なぜなら酒などもう役に立たない。あの惨劇を目の当たりにしたら誰だってそうなる。飲むヒマがあったら昼でも妻を抱く。赤子のように寝かせ、髪をなでてやると、ボンヤリと身を委ねる。私は空襲の中を逃げまどうように必死に妻を抱きしめる。喜びは全身の汗となって背中や腰からしみ出し、股間からは熱い涙が溢れ出る。ここが、浄土だ。あらゆる穢れが清められていく聖地。ここの光景だけは誰にも写真に撮れまい。
なんと霊界からクレームがきた。坂口安吾からだ。「僕ばかりタダ働きさせやがって」「すみません。父みたいな気がして」「君にも父親いるだろ?」「ええ…近くて遠い存在ですが」「なるほど。実は僕も父が嫌いだった」「いつ頃までですか?」「死ぬまでダメだったね。どこの家でもそんなものだったよ」「安吾さんは家庭を憎んでましたけど結婚してもそうでしたか?」「女房のこと愛人ってことにしてたからね。子供ができてさすがに観念したけど」「お子さんできたの亡くなるちょい前でしたよね」「息子と入れ違いだね。だけど育児なんて砂をかむようなものだよ。だいたい親はなくとも…じゃなく、親があっても子は育つんだ。焼跡の闇市でみた孤児のたくましさが忘れられないね」「奥さんと遅いお子さん残して心配じゃなかったですか?」「死ぬとき息子の名だけは呼ぶまいと思ったね。タワケた一生を最後まで許せと本にも書いたし」「最後に愚問ですが、奥さんはどうでした?」「僕の稼ぎのほとんどを浪費されたけど、いい女ってそんなもんさ」
芥川龍之介です。霊界でも眠れない。なぜか生前のことばかり思い出される。泣く子は育つというなら、泣かぬ子は育たぬか?私は母に抱かれたことも乳を与えられたこともなく育った。そのせいか妻子もあり立派な文名もあったのにタバコ屋の小娘同然に臆病だった。その娘に好意を持ったのは32の頃だった。毎日のようにそのタバコ屋に通っていた。あるとき娘はいなくなって、しばらくすると赤ん坊を抱えていた…。「あばばばば、ばあ!」すでにあの娘ではなくなっていた。ひとりの度胸ある母になっていた。私はひどく寂しかった。結局、死ぬまで心の落ちつく場所はどこにもなかった。本の中以外は。それがいつしかそこまで地獄になってしまった。それでここに逃げてきたのに今日もボンヤリした不安で眠れない。
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