2007年1月22日
ぼくは中学三年生。もうすぐ受験シーズンだけど、ぼくには関係ない。造園業やってる親の仕事を継ぐつもり。みんなにそう言ったら「高校くらい行っとけばいいのに」なんて言われた。みんなホントに勉強したくて高校に行くのかなあ?何もしてないのが不安なだけじゃない?そういえば、こないだ「将来、どんな暮らしがしたいか?」っていうアンケートがあって、別に趣味とか好きな事もないし、お金持ちとか有名になりたいわけでもないし、しいて選ぶなら…ってんで「その日その日をのんびり過ごす」にマルした。仕事で出世…っていうのも、父さん見てれば、あんな風でいいやって感じだし。あれで案外、器用だから「防犯用のセンサーライト取り付けて下さい」なんて雑用までこなしちゃう。ほとんど家にいることないくらい飛び回ってるけど、別に苦じゃないみたい。遊びとか旅行に出かけたりなんて全然しない。仕事はだいたい独り作業で、他人に気い使うこともないからストレスなんかないみたい。一年中、外で肉体労働だから、真っ黒に日焼けしちゃって、まるでケニアのマラソン選手みたい。そんな父さんはいう。「オレら戦後世代は花とか実ばかりに目を奪われてあくせく働いてきたせいで、根も葉もないものに疑心暗鬼になってる」って。ぼくの生まれたのはいわゆる「バブル崩壊」の頃。目に見える発展はもう止まって、その反動なのか?ソフトとかデジタル技術とか目に見えにくい世界の発展が著しい。ぼくの周りもITとかSEなんて根っこか葉っぱみたいな職業が花形。その点、ぼくのやる庭師の仕事は、目に見えるか見えないかのスレスレが大事。木って生き物だから、目に見えないところで息をしてたり、脈を打ってたり、栄養分を吸ってたりしてて、それを無視して伐ったりするわけにはいかない。それを体で覚えるのがぼくにとって勉強なんだと思う。で、そういうのは教科書には書いてないし、合格とか卒業もない。「どうしたら早く覚えられる?」って父さんに聞いたら「木とネンゴロになるしかない」だって。
2007年1月28日
僕は先日、妹を殺した歯医者のセガレ。こんな独房にいても世の中の反響は耳に入ってくる。同じ頃に妻が夫をバラバラ殺害した事件も重なって、それと関連づけられて「家庭内の人間関係の歪み」とか「個人主義偏重社会の…」とか言われてる。確かに妹を殺したキッカケは「夢がないね」って一言ではあったし、個人が夢を持って、その実現の為に競い合う社会の中で僕んちは「勝ち組」だったと思う。うちは代々歯科医の家系で、両親も兄貴も歯科医。僕も妹もその恩恵を受けて裕福に暮らしてきた。だけどモノに恵まれた環境というのはココロは不自由なもので、歯科医になる人生しか僕には開かれていなかった。その点、妹は女の子であり、末っ子でもあるから自由に好きな事をやっていた。僕はそんな妹が羨ましかった。もし、僕がもっと早く歯科医になれていたら、喜んで妹の夢を応援したと思う。だけど、小さい頃から双児のように育ったのが、かえってこんな悲劇を生んだのかもしれない。「何回試験受けたって…」妹がいった通り、僕は歯科医になる腕はあっても学力が足りなかった。誰よりも妹はそれを知っていた。まるで自分の事のように。「気が置けない」というのは遠慮がないから、ときに恐い。真実は致命的だ。彼女が嫁さんだったら少しは歯にきぬ着せてモノを言っただろう。もっとも、歯にきぬ着せた代わりにノコギリにモノ言わす妻もいるが…。妹は僕のパンドラの箱を開けてしまったから、その災いによって命を落とした。それが僕の頭の中での整理。だけど、もっと奇妙な、得体の知れない力が僕をその後の行動に及ばせたと思う。小さい頃に読んだミステリー本の中に、恋人を殺して、その死体を切り刻んで食べてしまった男の話があった。そのスウェーデンの男もちょっとしたことで恋人とケンカになり、逆上して風呂場で恋人を殺してる。夢中で殺してしまってから、我に帰って死体にとりすがって泣き悲しんでも後悔先に立たず。そこで男は大きな肉切り包丁と、小さな斧で恋人をこまかく切り刻んで、それを冷蔵庫に保存しながら、毎日少しずつ料理して食べたという。フライパンで炒めたり、シチューにしたり、肉団子にしたり、サラダと和えたり…。その男と僕が違ったのは、僕にはそんな料理の腕も時間もなかったこと。すぐに予備校の冬期講習に行かなきゃならなかった。この男と似てるといえば、この男も恋人のやわらかいお尻の肉だけはナマで食べてるように、僕も妹のアソコの肉だけは食べてみた。肉っていうより、栄螺か鮑の刺身みたいな食感だった。そして、この男がどうしても食べる事ができなかったのが恋人の生首であったように、僕も妹の生首を一晩だけ抱きしめて寝た。あの行動は一体、何がさせたのだろう?やっぱり「気の置けない」仲のせいだろうか?スウェーデンの男みたいに「僕の体の中に愛する彼女が入ってる。彼女とは最期まで一心同体なんだ」なんていいながら鉄格子の中で牢死したら、僕もミステリーの主役として名を残せるかなあ。
2007年1月29日
「♪おカネも着物もいらないわ…貴方ひとりが欲しいのよ」ああ、その通りだ。オレはアイツだけが必要なんだ!結婚して十年。初めて、こんな気持ちになった。今朝はうつら、うつらしながらニ回も夢精しそうになった。その浅い夢の中でオレとアイツは逆さまになって抱き合っていた。いや、正確にはオレの手はアイツのやわらかい乳房を触っていて、オレの口はアイツの濡れたアソコを愛撫していた。そしてアイツはオレの肛門の辺りを微妙なタッチで愛撫していた。そのくすぐったい感触でオレは逝きそうになって、それを必死にケツの括約筋で抑えた。大浴場とかプールの栓を抜いたことがあるだろうか?あれは一度抜くと、すごい水圧で全部水が抜けるまで、とても栓を再びすることはできない。その代わり、栓さえ抜けていなければ、その水圧で水が漏れることもない。射精のメカニズムもそれに近い。「接して漏らさず」なんていうが、今朝のオレは「接さズ漏らす」ところだった。しかし、夢精なんてしそうになったのは何十年振りだろう?思えば、オレの欲槽は栓が外れて枯れていたんだ。それじゃあ、いくら接したって漏らすわけがない。「火のない所に煙は立たない」とはいうが、オレにいわせれば「何もない所に夢は立つ」…いや「ちんぽは立つ」だ。結婚してからというもの、オレは贅沢な暮らしばかり夢見て、せっせと稼いできた。そのおかげで、おカネも着物も有り余るほどアイツに与えた。だが、肝心のものを与えていなかった。「どうして子供ができないんでしょう?」カウンセラーに相談にいったのは半年前だった。一風変わった、その相談員はいった。「少し奥さんと距離をおいてはどうでしょう。何もかも捨てて、身軽になってみたら、お子さんが天から授かりますよ」ウソだろ?と思ったが、ちょうど異動の辞令が出たから単身赴任することにした。最初は新幹線に乗って週末に会ってたけど、いろいろ忙しくなって、ここ三ヶ月は一ヶ月に一回会えるかどうかってくらいだった。それで今朝の夢精。さっき、懐メロ番組から流れてきた唄でやっとその訳がわかった。「♪富士の高嶺に降る雪も、京都ぽんと町に降る雪も、雪に変わりはないじゃなし、溶けて流れりゃみな同じ…」おカネも着物も雪みたいなもんだ。時が流れりゃみな同じ。同じじゃないのは、今朝、夢でオレを逝きそうにさせた、あの幸せな感触だけだ。
2007年1月30日
ワシか?名乗るほどのもんじゃねえ。人呼んで、雀鬼イ原口。裏プロだ。しかしよ、例の柳沢大臣だっけ?「女は産む機械」ありゃ、その通りだよなあ。よく言った。「産む」がよけいだがな。悔しかったら産んでみろ。「機械」ってのも、もったいねえくれえだ。ハチかアリでちょうどいいんだ。女ってのはな、昔ッから家の虫と決まってら。だから女は虫が嫌いなんだろう。最近じゃあ、家から飛び出してオフィスの机にかじりついてっけど、やっぱりアリみてえにせかせか働いて、ゴキブリみてえに酒や食いもんあさってんじゃねえか。ちったあ、遊び心ってえもんがねえのかよ。三日くれえ徹マンできる博打好きの女にめぐりあってみてえもんだ。機械と言われて怒るのも図星だからだろう。しかし、あの大臣もバカだねえ。ホントのこと言っちゃあ。政治家の器じゃねえな。二枚舌ってえのが使えねえとな。これじゃあ、男も機械だな、この国は。それに美しい、美しい…なんて、よくもまあ、あの面でいうよなあ。その前にてめえの美しくねえヨコ文字あらためろ。何がホワイトカラーエグゼンプションだ。いくら残業減らしたって男も女も「エコノミックロボ」じゃあ、時間のムダだろ。だいたいてめえが手本見せろ。子供いねえくせに何が少子化対策だ。酒豪の夫人も酒のせいで子供産めなくなったんじゃねえのか?だいたい総理大臣てえもんは時代の波の一番高いとこに乗って旗振るのが仕事だろよ。これから経済発展するぞ、と睨んだら「所得倍増計画」とか「列島大改造」って銘打ちゃ、何したって功を奏したっていわれるんだ。時代が低迷してきたらどうすっかって?一番元気な奴らの波に乗りゃあいい。ヒルズ族の波にちゃっかり乗って「郵政解散総選挙」の大博打で一山当てた先の総理だって、長いもんに巻かれたから任期満了できたんだろ。だけど、あのまま続けてたら田中角栄みてえに尻尾つかまれてヤバかったかもな。ホリエモンが逮捕されたときは奴も内心ビビったろうなあ。そこはタイミングよく煙に巻く機転もギャンブルにゃ大事だ。ときに今一番元気な大臣っていやあ、アメリカ軍に吠えてる、クマ大臣だよなあ。キュウマだっけ?どっちだっていいや。九州出身だっけ?だったら熊襲の子孫だろ?だったらヤマトタケルが出てくるまで朝廷に噛みついてやれ。日本はアメリカの前線基地じゃねえってな。紙切れの約束だけで本気で守る気もねえ癖にタダで基地を使おうたってそうはいかねえ。ちゃんとカネ出せってな。エコノミックロボの意地、見せてやりな。さもなくば「高句麗の大将と手え組みまッせ」って脅してもいいんだ。場合によっちゃ、中印ロと同盟組んだっていいんだし。「お宅の戦争がいつも泥沼なのは、時代遅れのステルス戦闘機なんか使ってるからじゃないんすか?これからは中国みたいに衛星でピンポイント攻撃する時代ッすよ」って言ってやりな。そんな戦略下手の属国にされたから日本の男女も勝負のかけ引きより算盤のかけ引きばっかしてるようになっちまったんじゃねえか。いつだって手え切る覚悟なんだって大和魂あんなら見せつけてやりな。それが戦略てえもんだ。
2007年2月1日
「♪恋は短い、夢のようなものだけど 女心は夢を見るのが好きなの」なんて昔、高田恭子が歌ってたけど、恋ってしたことある?わたしは、今、恋をしてるらしい…。けど、思い描いていたような甘ったるいもんじゃない。そんな余裕さえないのだ。星の数ほど、男を知ってるつもりだったのに、わたしは恋も知らなかったのだ。男たちの夢を満たしてやって、貢ぎ物までいただいて、わたしは余裕シャクシャクだった。女王様気取りなんていうのとはちがって、男たちの母親のような、情けまで持たされていた。わたしなしじゃ、この人たちは生きていけないんだわ、かわいそうに…くらいに思いあがってた。だけど、それがプライドだったことに気づいた。与えてる、という自覚で、自尊心を、実はわたしの方が与えられていたのだ。実際、この男たちが幻のようにみんな消えてしまったら、わたしの方が路頭に迷うかもしれない。今のわたしはその瀬戸際に立たされている。たった、ひとりの男のために。これが恋なのか?だとしたら、恋は夢なんかじゃない。むしろ、夢を醒ますものだ。あの人の指がわたしの指に触れた瞬間、わたしのカラダは凍りついたようになって、全身がビクンビクンする。わたしの自尊心は警戒して、正常を保とうと必死になる。だけど、あの人が仕掛けてくる言葉の魔法にかけられてしまう。他の男たちとちがって、あの人がわたしにくれる贈り物は、例えば、天津甘栗だったりする。しかも、それを自分で勝手に頬張っている。突然、それをわたしの口の中に口移ししてくるのだ。何!?って驚く間もなく「返して」などという。そうして二人で半分ずつの甘栗を頬張ってるうちに和んでしまう。いつの間にか、快楽の渦中にはまってゆく。自尊心はガラガラと崩れてゆく。それが心地よくさえなってしまう。どんどん深みにはまり、どんどん壊されてゆく、快感…。今まで味わったことのない感覚。もう落ちはじめたら、とめることはできない。気づいたら心は裸にされて、抜け殻だけにされている。「うちね、お正月に甘栗たべるの…めったにみんなそろわないんだけど」何であんなことまで話しちゃったんだろう…と後悔する。だけど、そこにちがう自分を発見する。そうか、わたしって…流されてるんだ…とか。もしかしたら、それが本当のわたしなのかもしれない。だとしたら昨日までの強いと思ってたわたしは何だったの?ゆめ幻?もうわたしは自分を守る為には、あの人と会わない場所に逃げるしかない。だけど、わからない。きついお酒に酔ったみたいに壊れて失っていく、あの感覚がなぜ、心地よいのか?それとプライドのどっちを守るべきなのか?わたしがわたしである、ということがそんなに必死になって守るべきものなのか?全部、あの人に壊してもらった方がラクなんじゃないか?ああ、わからない。とにかく、わたしはガケっぷちに立たされてる。生まれてはじめて自分を見失いそうな危機にさらされてる。これが恋なのかしら?こんな年になって知るなんて…。とってもブルーだ。けど、それは冬の青空のように乾ききって、空漠としてる。空爆されてる、わたしも。
2007年2月4日
オレはヒップホップをこよなく愛するB-Boy。韻を踏むのに命をかける、アイム a ライマー。yeah。なぜ、オレがそうすッかって?言葉に対して生真面目でありすぎるからさ。オレは辞書片手にリリックつくる。意味を厳密に調べ、凡例まで調べ、言葉に忠実であろうとし、同時に、その生真面目さを笑わずにおれない。意味に憑かれながら、無意味さを求めざるを得ない。オーディオ用語に「SN比」なんてのがあるが、そんな分別はいらねえ。レコードをスクラッチすりゃわかるけど、すべてがSoundでありNoiseだ。そんな無分別の境地でVibesを楽しむのが粋ってもんだ。歌舞伎に女形ッてのがある。宝塚じゃ女が男役をする。こういう男女の分別を逆さに楽しむ文化が日本には昔ッからあった。だからオレも意味を無意味に、サウンドをノイズにして楽しむ。言葉もセンスである以上、どんな崇高な思想だろうが、すべてはノンセンスだ。その為に人と人が争うのは、それこそナンセンスだ。野暮ッてもんだ。オレはそんな生真面目を嘲笑したい。キマジメというのもキ印なのだと。しかし、生真面目は美しい。かの三島由紀夫も、いやというほど、生真面目を憎み、そこに陥ってしまう己を呪っていただろう。生真面目は純粋な欲望なのだ。痒いところを素手で掻くようなものだから気持ちいい。だが、やりすぎると傷にもなってしまう。オレがオレでいつづけることが時に誰かを傷つける。赤ん坊が指をしゃぶりすぎて、ただれッちまうように自分自身をも傷つける。その害も自覚しておきたくてオレはwicked everytime毒も薬も洗いざらいレペゼンする。それがオレのliveでありlifeだ。食ったり、仕事するなんてオレには口過ぎにすぎねえ。イラクで百人以上も自爆テロで死んだって、そんなニュースも耳にたこができた。死ぬか生きるかなんてのも退屈で、キリのないもんだ。キリがないという事の方がオレには恐ろしい。それに対するささやかな反抗をしたくってオレは口荒く言葉を吐く。それも「オレ」という意味の無意味さを求めてなのかもしれないが。
2007年2月5日
あたしは近頃、テレビのチャンネルをパッパと切り替える癖があることに気づいた。リモコンがまるでケータイのように手放せないのはテレビだけじゃない。ビデオも早送りなしに見ることができない。チンタラして同じ画面なんか見ていられないのだ。二時間モノなら、ものの二十分くらいで見終わってしまう。本なんかさらに読んでられない。断片的になら読む。だからストーリーなんかない方がいい。どこから読んでもいいし、どこでやめたっていいような本しか手元に置かなくなった。ヒマがないわけじゃない。じーっと見てる根気が続かないのだ。そんなに日常に飽き飽きしてるなら、どこか見知らぬ国にでも旅行に出かければいいのだが、そんな気力もおカネもなく、毎日のルーチンワークをこなしていたほうがラクちんだと思うだけだ。あたしはじっと見てられないくせにルーチンワークは大好きなのだ。お皿を洗ったり、掃除をしたり、洗濯物を干したり、布団を干したり、シーツを交換したり、植木に水を上げたり…同じことを機械的に繰り返す作業をしてると、手足は自動的に動いて、頭だけは全然ちがう世界に行ってる。鼻歌なんか歌いながら、何で、こんな事思い出したんだろう?なんて下らないことばっかり次から次へと考えてる時間が幸せなのだ。例えば、今朝、週刊誌の広告に元光ゲンジの大沢くんがヌードになったって記事が出てたのを思い出す。ほんの小さな見出しと、何だかハッキリしない写真しか見てないのに、それについてあれこれ考え出したり。アソコは写ってるんだろうか?ボカシ入れんのかな?もし写ってるとしたら、でっかくなってんのかな?それともしわくちゃなのかな?だけどかっこいい顔で、アソコがしわくちゃじゃアなあ…だけどビンビン!ってゆうのもピーッ!って感じだろうし、じゃあビンビンを彷佛させるようなもん手に持たせるか?それだったら、いつかギリシアの博物館でみた、巨大なペニスの銅像のレプリカなんかちょうどいいなあ…それよか、皮むいたバナナのほうがかわいっかア!?なんて、いつの間にかカメラマンの気持ちになったりしてる。そんなに興味があるなら、その週刊誌を立ち読みしにいけばいいんだけど、たぶん全部見たら、なーんだ、ってなるのもわかってる。まともに見なけりゃ、すべてが戯画なんだって。赤ちゃんが大人を見て笑うのも案外そういう理由なんじゃないかって。
2007年2月6日
思えば、あの頃私は若くして「窓際族」だった。「何でお前はやめないんだ。何もできないくせに…」そう言われているようだったし、事実、私は何もできなかった。議事録だけは「素直すぎる」と皮肉られるほど丹念だった。「だってそう言ってたんだもん…」耳をすませば業界の不協和音はありありとわかるのに、それに抗する手段がない。ゼネコンやテレビ局と同じく、すべて下請けに丸投げするよりない無能。私は帰るに帰れず終電近くまで何もせず残業。それも何ら解決の手段にはならぬ。それが解決すべきなのかもわからない。考えるのもイヤになって会社をやめた。考えなくてすむ奴隷になった。あれから三年。石の上にも三年とはいうが、せめて「汝、己を知れ」という格言の重みくらいは悟ったか?いや、知らぬが仏見ぬが秘事。自分探ししたところで見出せるのは虚無と肉体だけだ。それにうんざりして空想に耽ると、ますます己は霞むばかり。肉体労働者になってハッキリしたのは一日1400キロカロリーもいらないこと。何であの頃はあんなにバクバク食っていたんだろう?それは豚だったからだ。所詮、われわれは鬼に飼われた豚だ。男は女に飼われる豚。鬼にも女にも捕って食われぬようにできるだけ不味そうな豚でいようと心掛けるだけだ。人間は食わぬことよりも、むしろ食う事によって死ぬ。また食わなくとも太るのは、体がかえって脂肪を貯えようとするからだ。そもそも食わねばならぬという妄執そのものが病なのだ。生物である以上、いつ死ぬかわからぬ代わりに生きている限り、うまいエサを探すだけ。探しても手に入らぬなら、何も食わずに生きてやろうぞ。シャカみたいにガリガリになって、そのとき何を欲するか?衰えたシャカがスジャーターという娘からもらって黄金色の肌を取り戻したという汁。その味を知るためなら体をはってもいい気すらする。しかし、それは豚に真珠、鬼に金棒どころかタブーだろう。ブタのタブーとは語呂がいい。そのエサも見逃さずに狙っていたいだけ。そんな窓際族よりも窓際に棲む私からみたら「格差社会」には希望がありすぎる。いや、我執のエサだらけ。それが絶望の原因だ。
2007年2月10日
最近、歯間ブラシが楽しい。左奥歯を治療してから、そこにカスがたまりやすくなってしまった。下手な歯医者め…と呪ってみても虫歯になったのが悪いと舌を出されるだけだ。で、最初は爪楊枝でかき出していたのだが、毎回使い捨てるのももったいないと、百均ショップで見つけた歯間ブラシを使い始めた。生まれてこの方、そんな隙間まで洗ったこともないような細い歯間にも入ってしまう。さぞや、積年のカスが発酵して出てくるか?と思いきや、何も出てこない。血なら出てくる。しかし、何となく気持ちいい。いや、血が出るのが、ではなく、穿つということが気持ちいい。例の奥歯からはネギやらホウレン草やら、肉の繊維だのが釣れるのだ。さらにゴリゴリ、ガリガリしていると、積年の?発酵した臭いまで噴出する。その悪臭たるや、卒倒するほど…いや、意外とこれが癖になる。耳垢とかヘソの垢をほじってク−ンと嗅いで唸るような、不思議な麻薬性すらある。ブラシの芯が針金であるから、歯の凹みにこびり着いた堅いカスも削り取れてしまう。こうなると歯ブラシって、ありゃ何だったのか?と疑われてくる。ちゃんと磨いていても虫歯になったということは、磨いても取れないカスが実は虫歯の原因だったのではないか?何となく歯磨きするとスーッとミント味で気持ちいいが、あの香料と泡にだまされてはいけない。それは食事の後味の悪さを濁しているにすぎない。「歯磨きさえしていれば虫歯になるまい」という気やすめにすぎない。どこかの民族は木の切れッ端で歯磨きして、それでも抜けもせず黄ばんだ歯をのぞかせる老人がいたりする。それに比べて日本人は清潔好きといわれるが上下総入れ歯でない老人に出会う方が少ない。よく「歯医者さんが開発した歯ブラシ…」などと最もらしく宣伝しているが、実は歯ブラシなどに頼るから虫歯になって歯医者が儲かるのだ。うかつだった。「うかつ」と「うがつ」とは近くて遠い。
2007年2月10日
私はアナウンサー。しかし、近頃の女子アナにはブッたまげる。先だって「団塊世代の…」というところを何の臆面もなく「ダンコン」と読んだのにはむしろ吹き出しそうになった。あまり「ダンコン、ダンコン」と読むから、私は面白がって「団塊な眼、鯛」と書いて「これ読んでみて」と言うと「何です?ダンコンナメ、タイって?意味がわかんない」と真顔で聞くから「鯛なんだから、もっと旨そうに読まなきゃ」と促すと、今度は元気よく「ダンコンナメ、ターイ!」と黄色い声で叫んだ。面白くなって「もっとうっとりするような声でささやきながら、最後に、うふっ!とかつけてよ」と注文すると、さすがに怪訝な顔はしたが、今度はやっと「男根なめッた〜い!うふっ?」という感じに聞こえるようになった。「いいねえ、いいねえ」私が拍手喝采してる姿を不思議そうに眺める彼女。この女性は自分がセクハラされてることに気づいていないらしい。「あのさぁ、これで調べてごらん。そのダンコンっての」私は彼女に国語辞書を渡した。「…あれ?載ってない。変だなあ」国語辞書には「弾痕」しか載ってなかった。「それダンカイって読むんだけど」と種明かしすると「あ、そーなんです?じゃあ、何です?ダンカイな眼が鯛って?」「…」それ以上は言葉が出なかった。昔だったら即、ひっぱたかれたんだがなあ。それを期待したんだが…とほほ。最近は一人部屋を与えられて育つせいか、自分のファッションがイケてるかどうかは気にしても、男の視線や耳は気にしない女性が多い。昔、宮中や貴族の家にいた局という女官も、こういう茶化し甲斐のある女性だったのかもしれないなあ。
2007年2月11日
僕らは1965年生まれのイージーライダー。だけど暴走族じゃない。年代物のクルマと、年代物のジーンズと、年代物のギターで突っ走る。高速道路を制限速度ギリギリの時速50キロで凱旋する。周りのクルマはどんどん追い越していくけど気にしません。僕らは急ぎません。何せ、目的地もありません。僕らの先祖は船乗りだったかもしれません。はたまた、馬にまたがる将軍かも。とにかく、ちまちましたことが大ッきらいなんです。そんな僕らからすると、お父さんたちの世代は横断歩道を一緒になって渡って歩いてる感じ。みんな仲良し、歌なんか歌ったり、本なんか読んだりして。僕らも歌はつくるけど、本は読まない。だって読んでる間って何もできないじゃない。世の中にはブ厚い本ばっかりでしょ?そうゆうの書いてる人も、書いてる間は何もできないんだろうな。ああ、もったいない。テレビ見てる人も、本読んでる人も、そん中に吸い込まれて微動だにしてない自分に気づいてない。それに、何もそんな難しい事引き合いに出されても…ってな内容だし。ひと事で言えば、な〜んだってなことを何万、何億語も使って言われたってねえ…。そんならお経でも読んでた方がよっぽどトリップできる。何せ、僕らはイージーライダー。とにかく進むのだ。前へ前へ。振り返らず。そこで流す汗も、涙も全部、教えてくれる。何が正しいかを。ことばなんか何一つ教えてくれやしない。
2007年2月12日
ぼくはハケン。言われたことをハイ、ハイとやる。うまくできなかったようならスイマセン、スイマセンとひたすら謝る。それでクレームがきたら会社から異動を命じられる。行けと言われたらどこへでも行く。きっと三宅島でも。そこでまた言われたことを忠実にハイハイとやる。できなかったらスイマセン。ハイ、スイマセン、ハイ…ぼくはそうやって今までもやってきたから、これからもやっていく。ぼくはテストが嫌いだった。とくに、あの解答欄が広くて自由に書くやつ。まだ五択とかマルバツとかマークシートならよかった。だって答えが一つに決まってるから、わかるかわからないかで済んじゃう。わからなきゃ、すぐ次に行けばいい。よく国語とかで「…について述べよ」なんて問題はお手上げ。考えてもわからないから即飛ばす。こないだテレビで「子供の学力低下が問題」とか言ってた。今の子はマルバツ問題ですらハチャメチャらしい。もう「答えが一つ」なんてやめちゃった方がいいんじゃない?だってそういうテストばっかだとぼくみたいに人生がハイかスイマセンになっちゃう。ぼくはイヤだけど全部作文にしちゃったらいいと思う。「今の総理をどう思うか?」とか。放っといても勉強したい人はガリガリやってホリエモンみたいになるだろうから。別にみんなそれを目指さなくてもいいし。逆にそうなってるから危ないんだし。日本って死刑とか自殺が多いっていうのも、ぼくみたいなのが大勉強して偉くなってるからじゃないかなあ。その点、ぼくは一生ハケンのつもりだから、理解できないからといって人を切り捨てたりすることだけはしないだろうけど。だけど、クレームで切り捨てられるのも案外楽しい。だって、いろんな現場に行けるから。今の現場にもデビルマンとかウルトラマンのフィギュアをたくさんロッカーの上に飾ってる人がいる。懐かしくて、つい見入っちゃう。そういう小さな宝物がハイとスイマセンの間に見つかればぼくの人生は、うららかにはっぴいえんど。
2007年2月12日
ホームページへ
| | | | | | | | | | | | |