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| 在るもののおわり |
「もし天皇制をなくするとしたら(中略)自己は完全に何の跡かたも残さずいつかは消滅するという事実を認め、死を直視してその恐怖に耐えることができるようにならなければならない。」(『死はなぜこわいか』岸田秀 '76) 欲望とは過去という、既に<在りもしないもの>を追い求めているから追いつくわけがない。<在るもの>には終わりがあるが、<在りもしないもの>には終わりもない。天皇制というのも、それが<在るもの>ならば終わるが、<在りもしないもの>なら終わりもないのだろう。皇室典範改正などと騒げば騒ぐほど<在るもの>になって終わってしまうのではないか?それならば政教分離に則って、在るような、ないような存在にしておいた方が都合がいいではないか。 資本主義はキリのない欲望を秩序に利用することに成功はしたが、人間も動物である以上、終わりがあるという秩序は越えられない。欲望に果てがないと知ったら、人間は何を求めるか? 「まじめで良心的なのも思想だが、不まじめで良心的という思想もあれば、又、一番たちのわるいのに、まじめで非良心的という思想もある。私はこの第三の思想にだけは陥りたくないと、日頃自戒している者である。」(『行動学入門』あとがきより 三島由紀夫 '70) そういいつつ、その「第三の思想」を語ったのが彼が自決の直前に刊行した『おわりの美学』ではなかったか?「何かによってしか証明されないものを言語手段によって証明しようとした」ということは、いくら書いても「終わり」などみつからなかったようだ。言葉も<在りもしないもの>だから終わりもない。そうと悟って自殺に「終わり」を求めたのだろうが、死んでは何も解らない。自由の女神を信奉するアメリカが「テロとの戦い」に攻撃欲を燃やすのも「欲望のおわり」を求めて足掻いてるのだろう。 「自由で飢えている、というのは、君が二十二歳ならば、ロマンティックですばらしい。しかし四十歳なら、ルンペンと同じことだし、五十歳なら、もはやきちがいじみて見える。」(『結婚のおわり』三島由紀夫 '70) 自由というのも<在りもしないもの>でしか生命を感じられないという、一種の病気ではないか? 「すなわち、他の人間を殺し、死を他の人間へと移すことによって、自分は死を免れようとするのであろう。」(『死はなぜこわいか』岸田秀 '76) <在るもの>を忘れると<在るもの>を殺すことでしか、終わりを発見できないらしいが、それを発見したとき<在るもの>もなくなるのでは意味がない。そこで別の<在るもの>を人身御供のように殺し続けることで<在るもの>の終わりを発見し続ける。それがアメリカ建国以来の自由原理主義らしい。 「私は長い間さまようていた。(中略)在るべきものに苦しみ、在らずにはいないものに悩まされていた。そしてようやくにして、在るものにおちつくことができた。そこに私自身を見出したのである。」(種田山頭火 '34) 俳句の自由律は捨てないかわりに自殺未遂と死生をさまよう旅によって、五十半ばにして山頭火はやっと自分自身が自由律の利かない存在であることを見出せたようだ。 「生きているわれわれは、死んでいく人たちに対して「他人」でいることができます。週刊誌は「他人」の目を代表する「他人」の雑誌です。(中略)私たちは「他人」の一人として、笑い、歌い、泣き、怒っていられるのです。自分があらゆる他人に見捨てられて死んでゆくときまでは」(『世界のおわり』三島由紀夫 '70) 「他人」の目を代表する小説家だった三島にとって「見捨てられる自分」など在ったのだろうか?ないのなら自決も「他決」に過ぎなかったろう。アメリカも「他国」の死ではなく、自国の死を見つめない限り、無数に人身御供を必要とするだろう。テロとの戦いは永久に終わらない。 「小平某という奴があの最中(空襲)に女の子を強姦しては殺していたという。あの最中に人を殺すとは妙な奴だ。つまり人を殺すという良心――人を殺して自分の生きのびる手段にしようという尋常な良心が、まだ麻痺しないでノルマルに動いていたらしいや。」(『もう軍備はいらない』坂口安吾 '52) 戦争はそれ自体、尋常ではない状態だから、強姦の証拠隠滅でなくとも大義のために人を殺すことも「尋常な良心」になってしまう。他人を殺して何が何でも自分の思想を守るというのも、三島が「一番たちが悪い」といった非良心的な思想に違いない。 |
2006年09月14日 23時36分59秒
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| 混線さす、世論 |
コンセンサスとは意見・感情の一致、合意。それが多数意見となり、世論を形成する。最近、やたら世論調査を目にする。世論調査といえば、誰もが薄々気づいている事をわざわざ大々的に調べて「やっぱり、そうか」と合点するものだと思っていたが、あまり軽々しく頻繁にやられると、付和雷同する大衆性ばかり露呈されて、世論なるものが一体、存在するのだろうか?と疑いたくなる。 「在りもしないものと闘うことはそれを存在させることになる。」(『マクベス論』柄谷行人) 「テロとの闘い」と称してテロを煽り、民衆を不安に陥れておきながら、「テロを未然に防いだ」という我田引水なリクツで支持率を維持する政権とは、いったい、誰のための政権なのか?また「心の問題」や「経済制裁」と称して近隣諸国を牽制し、民衆の心配を助長することで高支持率を維持した某政権も同じではないか。しかし、こういう在るかわからぬ不安が世論を形成するという状態は、自由平等を標榜する民主政治の行き着く必然かもしれぬ。結局、何でも「平らに」するから、タイラニー(圧政)になるらしい。どうりで次の政権は早くも独走態勢になっている。 独裁政治を支えるのも一応、コンセンサスであり、それは「多数意見の一致」というより、情報の偏りに起因する「不安・恐怖の一致」なのだろう。しかし、テロや中韓北という仮想敵を恐れる感情の一致が、いったい、世論だろうか?人間誰しもビックリすると心拍があがるような反応ではないか?最近の頻繁な世論調査を見ていると、ワッ!と驚かして脈を計って「不整脈ですね」と脅しているようで、いつかホントに失神しなければいいが。 ときに最近は「何故、あの人が?」というような二十代の人が心不全で急死したりするらしい。不整脈なども心臓にある「洞結節」という電気系統の故障が原因というから、電気製品の使いすぎが体内の電気系統を混線させているに違いない。…などとコンセンサスを混線させたくなるのも「在りもしない世論と闘ってる」せいだろうが、「在るものと闘う」よりは平和かもしれぬ。 |
2006年09月09日 17時40分46秒
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| 欲望と媚び |
「私は空襲のころ『二流の人』を書いた。(中略)また切支丹の歴史を調べ、島原の乱を書きはじめていた。(中略)書き終ると直ちに出版の予定であったが、書き終らぬうち戦争が終ったので、この小説は書かないことにした。」(『世に出るまで』坂口安吾 S30.4) 死の直前、彼はその理由を「負けて占領されている時に外国に媚びるようでイヤだったから」と書いている。何故、それが「媚びるよう」だったのだろう?彼はその後も『火(にっぽん物語)』という長篇を未完にしている。 「私は人間を書きたいのだ。私のあとう限りの能力によって。そのために、戦争が見たかった。他人の録した戦争ではなく、私自身の目で戦争を見て、私自身の知りうる人間の限界まで究めたかった。」(『火(第一部)』作者の言葉 坂口安吾 S25) そこまで気負って書き始めたのに、またしても放り出してしまったのもわからない。 「想像をたくましくすれば長篇『火』は、薬品中毒や鬱病を克服するための対症療法として遮二無二書かれたものであり、中毒や鬱病が一応治癒した後は再び執筆する情熱を失ったのではないかと考えられる。」(『坂口安吾』奥野健男) ということは、切支丹研究への情熱も、「想像をたくましくすれば」戦争という社会の鬱病を克服するための対症療法であり、終戦によって失った情熱で執筆し続けることが「媚びるようでイヤだった」のではないか? 「われわれは不満であるがゆえに、満足されなかった欲望というものをつねにひきずって生きているというわけです。だから、満足されなかった欲望をもっているがゆえに、われわれは過去という時間をもっている。(中略)時間をもったがゆえに、われわれは歴史をもったわけですね。」(『幻想としての文化』岸田秀) ということは、過去や歴史を忘れているということは、人間らしい欲望への情熱も失っていることらしい。安吾は『火』を執筆しながら、もう一度、忘れかけた戦争を思い出し、人間の限界を究めたいと願っていたのかもしれない。 「私の貧乏すらも及ばぬという現実を見出したときに、私はあべこべに文学への迸しるような情熱を感じた。戦後の一時期はそんな風に何かに押しまくられた感じで書いたものであった。」(『世に出るまで』坂口安吾 S30.4) そう書いた死に近き頃の安吾は、戦争をすっかり忘れた戦後の状況を見て、「外国に媚びてるようでイヤだった」に違いない。戦争や貧困はむろん肯定すべからざるものだが、カネで買えるような欲望ばかりでも世は治まらない。 |
2006年08月22日 23時23分04秒
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| 現代其儘と現代離れ |
「小説には、事実を自由に取捨して、纏まりを附けた迹がある習であるに、あの類の作品にはそれがないからである。」(『歴史其儘と歴史離れ』森鴎外 '15) 「あの類の作品」とは「山椒太夫」や「大塩平八郎」あたりの、いわゆる「歴史離れ」の歴史小説のことだろう。鴎外が守ったのは歴史の「筋」であって、多少、史実を曲げても彼の中の「自然」を尊重することが、彼にとって「ありの儘に書く」ということだったらしい。 これを現代小説で行なった元祖が、夏目漱石ではないか?鴎外も漱石も共に、事実に基づいて、それを離れることに自然を見出していたように思われる。「現代離れの現代小説」などと定義するのは容易いが、これが意外と見当たらない。「現代其儘」と「非現代」なら、いくらでもあるが。 「元来、日本の文学ではレアリズムということを、ひどく狭義に解していないかと私は思う。いったい、空想ということを現実に対立させて考えるのは間違いである。」(『ドストエフスキーとバルザック』坂口安吾 '33) 空想は空想。現実は現実。その虚実の分離が起こるのは何故だろう? 「すなわち、大塩があれほど主張した太虚は、一挙寸前の空しさのうちでは、仏教のいわゆる空を指す空に似てきてしまった、とからかっているのだ。」(『革命哲学としての陽明学』三島由紀夫 '70) ここで大塩平八郎を「からかっている」鴎外に対し、三島は言葉では理解しているが、行動としては結局、大塩のように「精神による抵抗」の為に死んだということは、三島も空想は空想、という虚実分離派だったのではないか? 「彼の精巧な建築物の内部が奇妙に稀薄で抽象的に感じられるのは、芥川と同じように彼が直接的な生から本質的に乖離していたことを意味している。」(『歴史と自然』柄谷行人 '74) ここで「直接的な生」があるなら、間接的な生とは何か? 「身体というきわめて一般的なもの、これをきわめて一般的な人間がどう見ているか、それが判然としない。」(『身体論は花盛り』養老孟司 '90) きわめて一般的でしかない人間が、きわめて特殊な人間に見えるというのも、頭の中にしか生がないからではないか?そんな間接的な「生」を生み出しているモノとは何か? 例えば、ニュース報道というのは、歴史教科書と同じように、星の数ほどあった事件の中から取捨された事実にすぎない。「最近、こういう事件が多い」という錯覚も、鴎外の云う「纏まりを附けた迹」のせいであるなら、歴史をありの儘に書くときに歴史離れしなければ自然でないように、現代もありの儘に現代離れしなければ、「あれは一部の人間が勝手にやった…」などと未来の人々に言われかねないのではないか。 |
2006年08月09日 01時39分46秒
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| 亀田松陰 |
「僕は忠義をする積り、諸友は功業をなす積り」(吉田松陰) ボクシングが「功業」より「忠義」を見せつける興行とは知らなかった。先日、横浜で行われた世界ライトフライ級王座決定戦のことだ。亀田選手の父親への忠義心を見ていると、あれが国家や天皇に対する忠義だったら…と思わずにおれない。敗れたベネズエラの選手は「カメダは他人に敬意を払うことから学ばなくてはならない」と言ったそうだが、虚勢が勝因に結びつかない点でもカメダは松陰に似ている。 「これは自閉的自己満足以外の何ものでもなく、実際的効果を眼中におかないのは、おのれの無能、無力を暗々裡に知っているので、その面で自分を評価してもらいたくないからにほかならない。」(『吉田松陰と日本近代』岸田秀) 42%という視聴率もさる事ながら、微妙な判定に五万件もの苦情が殺到したのも前代未聞。多くの人が関心を示すのは、いまだに明治維新に始まった松陰コンプレクスを引きずっているからではないか?世界を「国際社会」に言い替えて、相変わらず空虚な現実に付き合わされている鬱屈が「大和魂」などと力ませるのではないか。 「然し、日本は負けた、日本はなくなった、実際なくなることが大切なのだ。古い島国根性の箱庭細工みたいな日本はなくなり、世界というものの中の日本が生れてこなければならない。」(『天皇陛下にささぐる言葉』坂口安吾) ときに、世界でもっとも省エネの国は、バヌアツだという。そこに住む人々の頭には「世界」や「省エネ」という言葉すらいらないのだろう。心地よいか、よくないかの感覚だけで、すべての興行も功業のみで事足るはずだ。 |
2006年08月04日 19時21分16秒
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| 太宰止観 |
「行動が真実を語っているのであって、本人の主観は信用しないというのが精神分析ですから。(中略)行動で嘘をつくことはできません。嘘をつくのは主観です。」(『心はなぜ苦しむのか』p62、64 岸田秀) 「太宰は、たしかに、ある種の人々にとっては、つきあいにくい人間であったろう。」(『不良少年とキリスト』坂口安吾) 太宰治には、わざとショゲて見せては人の反応を伺うという一面があったと安吾はいう。それは、あくまで相手の行動に真実を見ようとしていたのかもしれない。そうまでしないとホンネを見せない「ある種の人々」の欺瞞があったのだろうが、その欺瞞は太宰自身にはなかったのか?太宰は『人間失格』で他者との埋められぬ溝を発見したとしたら、自分の言葉は疑わなかったらしい。 「私には思想なんてものはありませんよ。すき、きらいだけですよ。 」(『苦悩の年鑑』太宰治) 「太宰君は善悪の観念という魔に憑かれた生活者であった。」(『太宰治昇天』石川淳) 何でも二分するのも思想ではないか。他人の言葉は疑っても、自分の言葉は疑わない、というのも自惚れではないか。だから自分を「きらい」になったりもする。 「彼は、非凡に憑かれた類の少ない見栄坊でもあった。」(『不良少年とキリスト』坂口安吾) 例えば『桜桃』に、妻との関係が仮面夫婦であることや、知恵遅れの長男への悲観が述べられているが、そんな現実を受け止めるには見栄を捨てるしかなかったのではないか? 「オレの一生の見栄と虚勢を通させてくれ。身動きもめんどうな死病の床ではなおさら虚勢と見栄が通したい。」(『狂人遺書』坂口安吾) しかし、死を覚悟した人にとって、それは最後の情熱でもあるようだ。彼が何度も自殺未遂するまで死に憑かれた人になったのは何故か? 「太宰は父母の愛情と思いやりには恵まれなかったと言って間違いないであろう。他方、太宰は叔母や子守りにはかわいがられたそうであるが、一般に父母以外の者(とくに祖母など)の愛情は(中略)子どもの自我の発達を妨げがちである」(『太宰治論序説』岸田秀) 彼の偏った人格は自我の未発達が原因らしいが、それは彼の優れた文才の要因でもあろう。ときに、彼の情死の真相については、世間はいつもの酔狂とすんなり受け止めたらしいが、盟友たちはかえって不可解だったという。 「私はむしろこう思う、不朽の勲功と同様の赫々たる名声とのためには人はすべてどんな事でも敢行する、しかも優れた人ほどいっそうそうである、と。それは彼らが不死を愛求するからなのです。」(『饗宴』プラトン) 彼の情死が盟友にも不可解だったのは、それが功名のためだったからではないか?ならば、それは一体何に「不死を愛求」したのか? 「天皇の悪口を言うものが激増して来た。しかし、そうなって見ると私は、これまでどんなに深く天皇を愛して来たのかを知った。私は、保守派を友人たちに宣言した。」(『苦悩の年鑑』太宰治 S21.3) 無条件降伏で天皇の威信が傷ついた今こそ、自殺を敢行する絶好の時期と判断したのではないか? 「天皇を現人神とし、その祖先神のアマテラスの光芒に身を焦して、夥しい人々が死に走った。(中略)桜は、死の表象として彼らを包みこんだ。」(『坂口安吾全集05』解説 篠田正浩著) 桜の名所であった玉川上水に身を投げたのも「夥しい人々」の輪に入るための見栄ではなかったか?ならば、教訓。「優れた人」は、名声の為に行動でも嘘をつけるので、そういう人物を国や家の代表にしてはならない。 |
2006年07月23日 22時40分43秒
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| 西鶴他見 |
「十八世紀の大小説家井原西鶴の小説に『本朝二十不孝』というものがあります。(中略)私が流行の道徳教育をもじって『不道徳教育講座』を開講するのも、西鶴のためしにならったからである。」(『不道徳教育講座』三島由紀夫 S34) そんな西鶴の文章とは、どういうものだったのか? 「よく言う『あたまのいい文章』というやつで、それを受取る立場の、つまり読者のあたままでが、いつか先方の明晰さに影響されて、はっきり澄んで来る。(中略)一見『性急な文章』で、間隙や飛躍の如きものが、たんまりと、裏側の含蓄を暗示してくれる、…十のものを五つ六つしか言わないために、一層はっきりわかる、といった質の、面白味の深い文章なのです。」(『西鶴私見』里見とん S25) 「転合書」とは、ふざけて書いた物、遊び半分に書いた物という意味で、西鶴は『好色一代男』のあとがきにそう書いているという。若き日の三島も、そんな「例し」に習ったのだろうが、それが単なる「試し」に終わってしまったのは何故か? 「しかし氏は、そんな機智や逆説を中心とする気の利いた作品を書こうとしません。もっと雄大で切実な厳しい長篇に力を注いでいるのです。」(『不道徳教育講座』解説より 奥野健男 S42) 近代芸術が等しく「雄大で切実で厳し」くなければならぬのは、近代文明が死を曖昧にしていたからではないか?近世芸術が滑稽や暗示に溢れているのも、それだけ死が日常に明瞭だったからではないか?三島は長篇を書きながら死を見つめようとして、かえって五里霧中に迷って、自殺せねばならなくなったとしたら、単なる試しでしか「不孝」になれなかったことが不幸でならない。 「自分の本音を雑音なしに聞きだすことさえ、今日の我々には甚だ至難の業だと思う。日本の先輩でこの苦難な道を歩き通した人を、西鶴のほかに私は知らない。」(『枯淡の風格を排す』坂口安吾 S10) 有史以来初めての人口減少期に向かう現代日本の作家が、近世文学に匹敵する死生観を描ききるには、西鶴の如く一時間に千句、それを二十四時間、詠み続ける体力がまずは必要だろう。その前に、若くして最愛の妻と死別する不幸が必要かもしれぬ。 |
2006年07月21日 14時41分47秒
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| 第二の人生 |
作家、川崎長太郎('01〜'85)にとって、私小説とは何だったのか? 「時代遅れの代物とも見なされている『私小説』に対する信仰は世間がどうであろうと、私には変りない。今後共、努力して『人生の典範』たり得ると自負出来そうな作品を一つでもと心掛ける次第であった。(中略)いろいろな点から分別して、異性と結婚、同棲のことは断念してい、既に手遅れの至りと観念したつもりであった。」(『師走の風』'59) そういった三年後、彼は六十一歳で結婚した。三十歳も若い妻との思いがけない生活だったが、子は作らぬ合意の上だったという。彼の『人生の典範』とは、そんなに戒律の厳しいオキテだったのか? 「起きて半畳寝て一畳と禅では云っているが、そんな宗旨なんかに縁のない生臭坊主だしね。」(『漂流』'72) まんざら禅思想と無縁でもなかったようだが、自らをホトケにするしかない「三つ子の魂」とは、如何にして具わると彼は考えたか? 「いちがいに、祖父母のせいにするつもりはないが、私は人並みの世渡りや生活が出来なかった。(中略)昔から爺さん婆さん育ちは、三百安いと相場がきまっている。私如きケッタイな人間が出来上ったのもムベなるかな。」(『過保護』) 団塊世代のリタイヤ後が問題になったりしているが、川崎に云わせれば、孫を溺愛するのは孫にとって大毒ということになろうか。しかし近年のブログブームや晩婚化などを鑑みると、川崎の「如きケッタイな人間」は既に増加中らしい。ブログにせよ、私小説にせよ、人は何故、自分について書くのか?そうして自分をホトケの如く、愛撫せねばならぬか? 「書くということは作るということと、どうやらちがう」 晩年の川崎が、吉行淳之介に打ち明けた言葉だという。作らずに書いていないと、何かを実感できない切迫感がそこにはあるのではないか?それが川崎の云うように「爺さん婆さん育ち」の安さのせいだとすれば、「父さん母さん育ち」の高さへの劣等感が、その原動力だったらしい。そういう「人並みの生活」を実感したくて、ブログなども書くのかもしれない。 ということは、団塊の「父さん母さん育ち」も、「人並みの生活」を無理矢理に奪われた後は、川崎のように『人生の典範』でも書いてみたら、若い異性との思いがけない第二の人生が開けたりするのだろう。 |
2006年07月15日 23時13分29秒
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| 健忘賞 |
昭和二十四年、戦時中に中断していた芥川賞が再開されたとき、選考委員になったのが坂口安吾だった。 「芥川賞の選者をひきうけてから責任を感じているので、なるべく同人雑誌に目を通すだけの殊勝な心を起すようになった。私が人のためにしてあげられることは、それだけだ、と、なさけない限度を心得ているからである。」(『我が人生観(三)私の役割』坂口安吾 S25.8) ときに、安吾の書く現代小説の長編は、『吹雪物語』や『にっぽん物語』にしろ、その他の戯曲や映画の脚本にしろ、ことごとく未完で終わっている。 「こういうと、私がいかにも物臭さで、なんにもやりたがらない人間のようにきこえるが、案外そうでもない。(中略)時々、やりはじめるが、完成しないだけなのだ。」(『我が人生観(三)私の役割』坂口安吾 S25.8) 選考委員の彼としては、実は立派な仕事がないなどと認めたくなかったのかもしれぬが、そういう欺瞞こそ精神に有害であると、彼は入院体験から肝に銘じていたはず。 「精神病の原因の一つは、抑圧された意識などのためよりもむしろ多く、自我の理想的な構成、その劇烈な祈念に対する現実のアムバランスから起こるのではないか」(『精神病覚え書』坂口安吾 S24.10) 「なさけない限度を心得ている」彼が、それでも「殊勝な心」を起こしたのは |
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