| 百姓と企業 |
「今度の戦争では、民百姓が苦しむどころか多年の借金を払って有りあまる金を握っている。この不思議さに気付かねばならぬ。之が当然なる反動混乱の真因で、敗けぶとりなどということの有るべきではない。」(『聖なる無頼』村上護 p.190) これは終戦直後に坂口安吾が兄に宛てた手紙の一文だという。昨今も多くの中小企業が倒産し、労働者が失業している中で大企業の内部留保は「敗けぶとり」しているという。 「百姓が地主になって一町ぐらい土地を手に入れたって、貧乏は救われません。灌漑やなんか集団が計画的にやるべきもの、大きな組織でないとできないでしょう。大地主がまとめて土地を持っていたという利点や良さはあったでしょう。だから小作人をなくするには、彼らを地主にすることよりも、農業会社の社員のようにすることを考えなくちゃならん。」(『聖なる無頼』村上護 p.192) これは昭和27年、中野重治との対談の中での坂口安吾の発言だという。 「農村は淳朴であるということが過去の常識であったけれども、近頃では農民ぐらい我利我利なものはないと云って都会の連中は恨んでいる。(中略)全く農村には生活感情や損得の計算はあるけれども思想だの文化というものは殆どない。(中略)農村の排他性は私はむしろ悪徳であると考えている。(中略)政治の改革によって搾取は一朝にして取り除くことができるけれど人間の殻はそうはいかぬ。」(『地方文化の確立について』坂口安吾 昭和21) そういう「百姓性悪説」に立って、農地解放より組織化、企業化を提言しているわけだ。翻って現代も「一朝にして」政治の改革はできるが、企業の「我利我利な」体質はそうは変わらない。この際、「企業性悪説」に立つべき、と安吾もいうだろう。 「職業軍人のだらしなさは敗戦日本の肺腑を抉る悲惨事である。軍人精神には文化の根柢がないから、崩れると惨めである。浮足立って逃げ始めると大将も足軽も人格の区別がなくなり一様に精神的に匪賊化して教養の欠如を暴露する。死生の覚悟などというものは常に白刃の下にある武芸者だの軍人などには却って縁の遠いもので、文化的教養の高いところに自ら結実する。」(『咢堂小論』坂口安吾 昭和20) 今回の金融危機や労働者の混乱も、企業精神の貧困、つまり文化と教養の低さが真因ではないか?だとすれば、その「人間の殻」も一朝にして改革はできまい。一方、元旦の読売新聞の社説によれば、個人金融資産やタンス預金、当座や普通預金などをあわせると日本には300兆円以上の「眠れる資金」があるという。まさにこれも個人の内部留保であろうが、これを「敗けぶとり」といってよいものか? 「攻めこんでくるキ印がみんな自然に居候になって隅ッこへひっこむような文明文化の生活を確立するに限るのである。(中略)有り余るお金や耕しきれない広大な土地は財産じゃない、それを羨む必要はないのである。」(『もう軍備はいらない』坂口安吾 昭和27) そういう「文明文化の生活を確立」した結果、「眠れる資金」も膨れ上がっているのだろうし、羨むべきは財産ではなく、文化教養…といいたいところだが、昔から「百姓の去年物語」といって、苦しい苦しいといいつつ貯えるのが民百姓の性分で、為政者は「百姓と油は絞るほど出る」と搾取するばかりだからしょうがない。 |
2009年1月5日 (月)
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| 大道亜戦争 |
脳梗塞は血管が詰まることで起きるが、時代閉塞とは一体、何が詰まるのか? 「ただ出来るだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うより外に仕方がない。」(『現代日本の開化』夏目漱石 明治44) 漱石は執筆の傍ら講演をよくやっていた。書斎に引きこもっていたら脳梗塞になって「体裁の好いこと」すら言えなくなっていたかもしれない。 「日本にペリー・ショックという精神外傷を与えて日本を精神分裂病質者にしたのも、日本を発狂に追いつめたのもアメリカであった。(中略)日米戦争によって、百年来はじめてこの憎悪の自由な発現が許された。開戦は内的自己を解放した。」(『日本近代を精神分析する』岸田秀 昭和50) この「内的自己」が「内発的に変化して行く」のに行き詰まったのが日米戦争だという。 「この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。」(『堕落論』坂口安吾 昭和21) 武士道や天皇制を「政治的作品」と安吾は言うが、その生みの親である「巨大な生物」が日米戦争も起こさねばならなかったとすると、その「ぬきさしならぬ意志」とは何か?それがつねに政治の大問題だろう。 「「自然主義とは何ぞや?その中心はどこにありや?」かく我々が問を発する時、彼らのうち一人でも起ってそれに答えうる者があるか。否、彼らはいちように起って答えるに違いない、まったくべつべつな答を。」(『時代閉塞の現状』石川啄木 明治43) 「今の日本はバラバラではないか。政治は利権に走り、統帥はお上の名を借り勝手に戦をし、貧しい庶民が道端にあふれている…」先日、TBSの「シリーズ激動の昭和」で東条英機がいったセリフだが、この日米開戦前夜の状況も、啄木や漱石の明治末期の状況も、「時代閉塞」とはそういう風景らしい。中心がなくてバラバラで、それが「自然主義」なら、アメリカに負けてさらに日本は「超自然」、つまり「新自由主義」になったらしい。 「純粋自然主義にあってはたんに見、そして承認するだけの事を、その同棲者が無遠慮にも、行い、かつ主張せんとするようになって、そこにこの不思議なる夫婦は最初の、そして最終の夫婦喧嘩を始めたのである。実行と観照との問題がそれである。」(『時代閉塞の現状』石川啄木 明治43) 実行しなきゃいい、見るだけなら何でもありだ、というのが、今日もそうだから、無遠慮な者が無差別に通り魔したり、幼女や親を殺し、それを見境ある人も承認せずにおれない状況なのではないか? 「自然主義発生当時と同じく、今なお理想を失い、方向を失い、出口を失った状態において、長い間鬱積してきたその自身の力を独りで持余しているのである。」(『時代閉塞の現状』石川啄木 明治43) 脳梗塞も血栓ができるような生活習慣になる以前に「力を独りで持余して」「鬱積して」いるのではないか?とすると、それは何がそうさせるのか? 「現代社会組織はその隅々まで発達している。――そうしてその発達がもはや完成に近い程度まで進んでいることは、その制度の有する欠陥の日一日明白になっていることによって知ることができる。 戦争とか豊作とか饑饉とか、すべてある偶然の出来事の発生するでなければ振興する見込のない一般経済界の状態は何を語るか。」(『時代閉塞の現状』石川啄木 明治43) 制度の欠陥は戦争で打開できるかもしれぬが、人間の血管は一度切れたらお終いか、あるいは死人同然になるしかない。最初から死人同然で、何も実行せず、ただ観照だけで満足できれば、こんなに新自由主義に適した人間もあるまいが…。 「現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだ」(『道楽と職業』夏目漱石 明治44) そして、時代も日に日に閉塞しつつ進むのだ、と見た啄木はどのように「明日の考察」をしたか? 「「必要」! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである。(中略)必要は最も確実なる理想である。」(『時代閉塞の現状』石川啄木 明治43) しかし、何が「必要」かが難しい。いつしか「理想」と「侵略」を履き違える。そういう状況に日本を追い込んだのも、挫いたのもアメリカであったとすれば、日本は百年来、「猿回し」を演じて、それを放り出したとき大東亜戦争が起きたので、いかなる時代閉塞であれ、それも演目の一つとして演じきれる器でないと、一国のマツリゴト、否、大道芸は勤まらない。それは近衛や東条のような実直な人物より、サルが似合う。 「日本はバラバラでよいのではありませんか」先のTBSのドラマで石井秋穂がいうセリフだが、「巨大な生物」はそれでよいが、大道芸がそれでは困る。 |
2008年12月26日 (金)
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| 健全なる乱世 |
「世捨て人とは世を捨てた人でない、世が捨てた人だ」と小林秀雄はいったそうだが、それはどういう心境だったのだろう? 「いわゆる文芸時評的な批評の仕事に対して、小林氏は文壇出発以来から、たえず嫌悪の情をもち、これを率直に表明してきた。」(『小林秀雄の世界』篠田一士 昭和42) それは彼自身の言葉を借りれば「乱脈を極めた架空の国」が文壇に出来上がっていたからだったらしい。 「イデオロギイに対する嫌悪が、僕の批評文の殆どただ一つの原理だとさえ言える」(『シイザアの『ガリア戦記』について』小林秀雄 昭17) 戦争によって国家そのものも「架空の国」であることに気づいた時、彼は古典や骨董、美術鑑賞に没頭したが、それも彼に言わせれば「世が自分を捨てた」のだろう。だが、昔から世とはそんなものだったらしい。 「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。」(『草枕』夏目漱石 明治39) ときに昨日の朝日新聞の書評によれば、昨今は美術館も美術品を売り払わねば経営が困難らしく、その経済的価値は「芸術崇拝」によって支えられている、という。ならば、そこにも「芸術の国」が出来上がっているのだろう。 「芸術は自在奔放なものだ。それ自体が力の権化で、解説ぬきで、横行闊歩しているものだ。芸術は「通俗」であってはならぬが、いかほど「俗悪」であってもよい。(中略)そこには人の全心全霊のあらゆる力が賭けられることを必要とする。その道は自爆以外にないのである。」(『通俗と変貌と』坂口安吾 昭和22) 後年、小林秀雄はニュルンベルク裁判のドキュメント映画を鑑賞してこう記している。 「あの世にも不快な光景に見入る為に、この人達は、貴重な土曜日の楽しみを犠牲にしようとしている。(中略)人々の長蛇の列は、何か異様な姿で映じ、私はただその意識で一杯であった。」(『考へるヒント(ヒットラーと悪魔)』小林秀雄 昭和35) その「異様な姿」こそ「俗悪」ではないか?それが「芸術の国」からきれいさっぱり消えて、人々はニュースに「自爆」の衝撃を求めるようになったのではないか?「派遣切り」や「内定取り消し」で世に放り出される人々も、この際だから徹底的に「世に捨てられ」て「自爆」したら、芸術も俗悪を取り戻せるかもしれぬ。 「現世の無常と信仰の永遠とを聊かも疑わなかったあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心している。」(『無常という事(当麻)』小林秀雄 昭和17) こういった頃の小林の方が後年の彼よりはるかに「健全」に見える。現代は乱世だといわれるが、だとすれば、芸術にとっては「健全な時代」にちがいない。 |
2008年12月15日 (月)
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| 掌説『斎藤十一』 |
「君たち、人殺しの顔を見たくはないのか」写真週刊誌『FOCUS』の創刊に際して彼は部下にそう発言した。「彼」とは新潮社で「天皇」と呼ばれたカリスマ編集者、斎藤十一のこと。「斎藤さんは天才だ。自分の思ったことをとことん通してしまう」小林秀雄をしてこう言わしめた彼は自分の気に入らない原稿はどんな人気作家のものであろうとボツにした。ときは昭和22年。斎藤は雑誌『新潮』の編集長だったが、すでに前年に『堕落論』『白痴』で飛ぶ鳥落とす勢いであった坂口安吾が『桜の森の満開の下』の原稿を持ち込んだら「これは小説じゃない」といって原稿を突き返したという。じゃあ、何なんだ?「うちは俗物主義だ。いくら聖人ぶったって一枚めくればカネと女。それが人間だ」斎藤は若い時、とある教団に入信していたが、そこの教祖が少女強姦事件で逮捕されてから、そういう人間観を持つようになった。それで『桜の森〜』のように真に神憑りな芸術作品に出会うとアレルギーが走るのだった。「だからそういう人間を扱った週刊誌を作ろう、ただそれだけ」彼はひたすら大衆小説の発展に尽くした。『週刊新潮』『新潮45』もその業績の一つだ。そんな出版界の「天皇」が一度だけテレビに出演した。ときは平成12年の暮れ。85歳の彼はテレビに映る自分自身の姿を見て、「老醜だ。生きているべきではない」といい、翌朝ソファに座ったまま意識不明、4日後に心不全で死去した。人はそんな思い通りに死ねるものだろうか?いや、いつでも死ねた彼はすでに屍として生きていたのかもしれない。そういうのを聖人というならば、聖人とは神や人間は知り尽くしていても、唯一、自分を知らないから聖人なのにちがいない。
【参考文献】 『坂口安吾』奥野健男 昭和47 p.180 『太宰と安吾』檀一雄 昭和43 p.278 斎藤十一 ― Wikipedia |
2008年11月27日 (木)
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| 『西方の人々』 |
「クリストも亦あらゆるクリストたちのやうにいつも未来を夢みてゐた超阿呆の一人だつた。若し超人と云ふ言葉に対して超阿呆と云ふ言葉を造るとすれば。」(『続西方の人』芥川龍之介 昭和2年7月23日) 自殺の前日に書いたという遺稿によると、どうやら芥川も「あらゆるクリスト」の一人になろうとしたらしい。彼にとって「クリスト」とは一体、何だったのか? 「クリストは「万人の鏡」である。(中略)たつた一人のクリストの中に万人の彼等自身を発見するからである。」(『続西方の人』芥川龍之介 昭和2) この万能ぶりは現代のケータイとかネットのようなものかもしれない。 「もともと自己投影とは《ことば》の構造そのものなのですから。」(『シャーマンは祖国を歌う』安部公房 昭和61) しかし自己でないものまで投影されると、自己には都合が悪い。 「彼の天才は飛躍をつづけ、彼の生活は一時代の社会的約束を踏みにじつた。彼を理解しない弟子たちの中に時々ヒステリイを起こしながら。」(『西方の人』芥川龍之介 昭和2) ケータイやネットが「社会的約束を踏みにじ」り、それに対しメディアが「時々ヒステリイを起こし」ているようなものか。 「ジャアナリズムを過信しますまい。ジャアナリズムは、屡々現実の文化に巧まれた一種の戯画である。」(『私の人生観』小林秀雄 昭和23) 特に戦争中はそれが露骨だったらしい。 「一流のジャアナリズムの論説は何を語つたか。封建主義的思想を語つたか。飛んでもない事です。それは、如何なる事態を説明するにも近代的ディアレクティックは万能であるといふ事を語つたのである。彼等は時局便乗派であつた、と誰が本当に笑へるでせうか。」(『私の人生観』小林秀雄 昭和23) ライブドア事件のときも最初はメディアが担ぎ上げ、多くの人がライブドア株を買い、時の政権まで便乗したが、それが脅威とわかるや抹殺にかかった。キリストと当時の既存勢力の関係も似たようなものではなかったか? 昭和2年の芥川はどちらの立場だったか?彼の遺稿をよむとキリスト側に見えるが、時代背景を考えると、プロレタリア文学や私小説といった新興勢力に脅威を感じていた既存勢力の側であったはずだが… 「徳田秋声氏が逝くなられる前に、自分も今に至つてはじめてリアリズムの荘厳さといふものを悟つた、と人に語つたといふ話を聞きましたが(中略)今日、徳田氏の作の様な所謂私小説といふものに対して、非難の声が高い。」(『私の人生観』小林秀雄 昭和23) その「非難の声」を20年も前に死の荘厳さで訴えようとした、とすれば、芥川は予言者だったことになるが… 「クリストの最も愛したのは目ざましい彼のジヤアナリズムである。若し他のものを愛したとすれば、彼は大きい無花果のかげに年とつた予言者になつてゐたであらう。」(『続西方の人』芥川龍之介 昭和2) 芥川も自分のジヤアナリズムを最も愛した結果、ヒステリイで死んだのではないか?その点、ニーチェは自著が誰からも理解されない現実を当然としたために自殺はしなかったが… 「その聖徒は聖徒自身の造つた超人に救ひを求めました。が、やはり救はれずに気違ひになつてしまつたのです。」(『河童』芥川龍之介 昭和2) かくいう芥川こそ自身の造った「超阿呆」に救いを求めて「気違ひになつてしまつた」のではないか?ここで芥川のいう「救ひ」とは何だったのか? 「わたしたちが現実の桎梏からの解放を願うならば、いずれにせよ共同幻想からの解放なしには不可能である。芥川竜之介に悲劇があるとすれば(中略)都市下層庶民の共同幻想への回帰の願望を、自死によって拒絶し、拒絶することによって一切の幻想からの解放をもとめた点であるのだ。」(『共同幻想論』吉本隆明 昭和43) さすれば、ニーチェに悲劇があるとすれば、彼が独力で共同幻想から解放された点にあり、キリストに悲劇があるとすれば、彼は最初から共同幻想から解放されており、人々も解放しようとしたために、為政者に迫害された点だろう。では、為政者ごとみんなで解放されたら?その喜劇を戦争というのだろう。 |
2008年10月28日 (火)
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| 自意識の十字架 |
「戦前の芥川賞事件として、いささか世間の話題を呼んだのは、一高(現在の東大教養学部)のドイツ語の教授高木卓(本名安藤煕、母は幸田露伴の妹で、音楽家の安藤幸)が大伴家持の生涯をえがいた「歌と門の盾」で、十五年上半期の受賞が決定したのに、それを辞退したことであった。」(『国文学 解釈と観賞 芥川賞事典』昭和52) この反逆児の出現に対して、文壇の大御所、菊池寛は、文藝春秋の『話の屑籠』で「けしからぬ」と憤懣をふるったという。 「先日、現代文学の座談会で高木卓をめぐって歴史文学の議論百出であったが、僕は一度も喋ることができなかった。考えたこともないからだ。(中略)高木卓の「小野小町」が、どの小野小町に似る必要があるというのだ。」(『ただの文学』坂口安吾 昭和17) 「僕の書く天草四郎がどの天草四郎に似る必要もないのである。」(『文芸時評』坂口安吾 昭和17) こんな真っ当なことを力説しなければならなかったり、文壇の大御所が受賞を蹴られて怒ったりという状況が、当時の異常さを物語る。その異常さとは何か? 「私は中村君の「長耳国漂流記」に、この「嘘」に対する比類ない潔癖からでたひとつの完成された形式を見出すけれども、私は然し、この潔癖からぬけだし、嘘の泥沼へ真向から飛び込むことが、我々の小説に必要ではないかと思っている。」(『中村地平著「長耳国漂流記」』坂口安吾 昭和16) そういう「嘘に対する比類ない潔癖」が、当時の異常さの表れだとすれば、それが生じた背景とは何か? 「文学に、自意識というものが加わってこのかた、小説にも「事実らしさ」というものが甚しく要求されるようになり(中略)近代文学の負うた十字架の如きものであった。」(『中村地平著「長耳国漂流記」』坂口安吾 昭和16) 嘘と事実だけでなく、現代と歴史を区別するのも「十字架」の作用らしい。 「文学の内容がブランクの時代、文学の情熱が最も衰えた時期に行われるのが歴史小説だと僕は思う。」(『文芸時評』坂口安吾 昭和17) 〈過去の現在への相応〉を提唱していた高木卓の歴史小説が芥川賞に選ばれたのも、それだけ「ブランクの時代」だったのだろう。その背景には、むろん戦時下体制の言論弾圧があったが、それ以前に、自国と他国を区別する、ここにも「十字架」が作用していたのではないか? 「たしか小林秀雄だったかが、戦争は思想上の無駄なものを一挙にしてなくしてくれた、と書いていた。無駄なものがいろいろあればこそ無駄な口をきかねばならず、それがやりきれなくなったときに、戦争がはじまった、という発言は逆説的には貴重だと思う。」(『聖なる無頼』村上護 p.178) ジャーナリズムにとって「事実らしさ」の最たるものはニュースである。それが視聴率の上位になり、民放各社はバラエティを削って、報道番組に力を入れるという。この動きも「無駄なものへのやりきれなさ」と「嘘に対する比類ない潔癖」が作用しているようだ。 『篤姫』など歴史モノも人気が高いが、その「事実らしさ」に議論百出しないところをみると、戦時下ほど現代がブランクではないのだろうが、他国の「無駄なもの」にやりきれなくなって、テロとの戦いや金融戦争に飛び込んでいるわけだから、その泥沼を回避するには「嘘の泥沼へ真向から飛び込む」しかあるまい。 |
2008年10月16日 (木)
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| 落伍者と倫理 |
「彼は初めて越後に流されたとき、どんな生活を送っていたろうか。天台や真言のお寺にいたものではあるまい。別に一小庵というほどのものさえもっていなかったであろう。彼は一個の俗人として、在家的生活を送ったものと推測してよかろう。彼は生活の業として何をやったであろうか。農業に従事するよりほかなかったではないかと思われる。」(『日本的霊性』鈴木大拙 昭和19) 「彼」とは親鸞のこと。藤原家の血筋ともいわれる彼が俗人として農業に従事していたという。そうであるなら、親鸞こそ、日本初の「落伍者」であったろう。 「自らの罪深き心を自覚することなくして、我々が中世人から脱することはできやしない。私も亦親鸞にならって言うことを辞せぬ、敗戦後の日本に於て、タイハイしているのは善人どもだ。パンパンガールよりも日本の役人の性格、善人の性格の方がタイハイしている。日本一国のモラルや秩序そのものがタイハイしている。」(『現代の詐術』坂口安吾 昭和20) 安吾もまた政治家の血筋でありながら、俗人として文学に従事した人だ。二世議員ばかりの昨今とは大違いだが、彼らはなぜ、かくも落伍を愛したか? 「オレよりも大衆がエライという事実を知ることが大事だろう。古代の農民が税や使役と戦い、悪戦苦闘、浪流逃亡、戸籍をごまかし、それが結局に於て権力を左右する結果となっている。貴族が栄え、やがて衰え、武士が起った。農民の脱税行為が実は日本の歴史を動かしていた。(中略)大衆とは、そういうものだ。大衆とは何であるか。政治も知らぬ。文学も知らぬ。国の悲劇的な運命も知らぬ。然し、大衆は生活している。」(『現代の詐術』坂口安吾 昭和20) こういう思想を「民主主義」というのなら、安吾が文学に従事したのも、その道義を守るためではなかったか?しかし、それなら父を継いで政治家になればよかったではないか? 「政治の敵であることによって、政治の真実の友となるのであって、政治は文学によってその欠点を内省すべきものである。なぜなら社会制度によって割りきれない人間性を文学はみつめ、いわば制度の穴の中に文学の問題があるからだ。政治が民衆を扱うとすれば文学が人間を扱う。」(『咢堂小論』坂口安吾 昭和20) では、親鸞にとって「人間を扱う」ものとは、一体、何であったか? 「法然や親鸞系は「普遍的な倫理の方がいい」と考えたわけです。普遍的な倫理の規模は浄土の規模であって、市民社会で通用する倫理では、せまい倫理しか成り立たない。眼前に戦いで荒れ果てて飢えて死にそうな人がいたとき、助けようとしても助けおおせるものではない、と親鸞はいっています。そんなことをするよりは念仏を唱えて浄土に行って、そこから帰ってきて、然るのちに大きな慈悲で助けるべきだと明瞭にいい切っています。」(『フーコーの考え方』吉本隆明 平成7) この「浄土思想」こそ、舶来のデモクラシイとは別の、日本独自の民主主義ではなかったか?だとすれば、その原点に戻って現代の「格差社会」を見つめ直したら、そこに欠けているものが何かわかるかもしれない。 「浄土とは、あの世、死後の世界ではなくて、生きている世界にある場所なんです。その場所に行って、普遍的な倫理を身につけた上で、具体的な社会で飢えている人や困っている人を助けようと考えたら助けられるといっているわけです。」(『フーコーの考え方』吉本隆明 平成7) この「普遍的な倫理」を、安吾は「人間性」といい、鈴木大拙は「日本的霊性」といっており、それは彼ら落伍者が自らの世界観を通じて市民社会の「せまい倫理」を見るときに初めて自覚される。 「彼が、具体的事実としての大地の上に大地と共に生きている越後のいわゆる辺鄙の人々のあいだに起臥して、彼らの大地的霊性に触れたとき、自分の個己を通して超個己的なるものを経験したのである。」(『日本的霊性』鈴木大拙 昭和19) 官僚が企業や法人に天下るのも、落伍者としてであるなら「敵」または「真実の友」にもなりうるが、単なる「親友」でしかないから「癒着の温床」と批判されるのだろう。例えば、事故米やメラミンなど汚染食品の問題で商人のモラルが問われているが、「タイハイしているのは役人どもだ。日本一国のモラルや秩序そのものがタイハイしている」と、落伍者ならいうはずだ。 |
2008年9月24日 (水)
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| 「私」という独魔 |
「禁止っていうのはイデオロギーだという考えですよ。(中略)結局、人間が歴史というものをもち、過去によって現在も説明しようとすること、そのこと自体がなぜなのかと問わなければならないということですね。」(『フェティシズムについて』柄谷行人、岸田秀 昭和53) 「否定的態度というものが実はそれ自体強力な思想でありモラルであるのに比べて、肯定的態度というものは決して自ら思想を構成するものではない。」(『思想なき眼』坂口安吾 昭和22) 「小説には、事実を自由に取捨して、纏まりを附けた迹がある習であるに、あの類の作品にはそれがないからである。(中略)わたくしは史料を調べて見て、其中に窺はれる「自然」を尊重する念を発した。そしてそれを猥に変更するのが厭になつた。」(『歴史其儘と歴史離れ』森鴎外 大正4) 晩年の鴎外が史伝を書いたのも、否定や禁止が「厭になつた」、つまり思想やモラルを捨てたのではないか?それが「自然を尊重する」ことではなかったか? 「歴史のホンモノという物はどこにも在りはしないのだ。我々は歴史を知らぬかも知れぬが、同様に現代だって知らない。家庭とか勤め先とか、知っているのは生活の場だけで、あとは読んだり聞いたりするだけ、歴史も現代もない。」(『文芸時評』坂口安吾 昭和17) 「我々は史料によって歴史を知る。けれども、史料の記載を外れた部分は全てこれ屋久島の神代杉で、神ならぬ身の知る由もない。(中略)現代も亦歴史の一つで我々は現代に就て決して万能の鏡ではなく、我々の周辺には屋久島の神代杉が無数にあり、詮ずれば、一個のドグマを信ずる外に法がない。」(『歴史と現実』坂口安吾 昭和19) だから歴史も現代も如何様にも文学は創造できるという。歴史も現代も虚像だとすれば、何が実像なのか? 「現代は歴史ではなく、生活それ自体だからだ。生活自身は歴史的に観察整理され得ざるところに本領があり、どこの地獄へ流れつくのか見当のつかない曠野の遍歴と自ら何者たるかを知らないバカ者、つまり生活しつつある人間一匹がいるのみなのである。」(『現代とは?』坂口安吾 昭和23) しかし、人は「バカ者」や「人間一匹」でいられないから、「歴史的に観察整理」したり、「過去によって現在を説明し」ようとして、「事実を取捨して纏まりを附け」、そうして「自ら何者たるか」という「一個のドグマ(信条)を信ずる外に法がない」のであろう。 「さまざまな位相や関係性のなかで存在することを強いられながら、それでいて「私」がつねに同一的でありうるというのは驚くべきことだ。」(『歴史と自然』柄谷行人 昭和49) 歴史に纏まりをつけるように、「私」にも纏まりをつけると、そこには否定され、禁じられた「私」が生じる。晩年の鴎外はそれを排したのであろう。「私」というドグマを捨てるというのも、彼流の「諦め」だったかもしれぬ。どんな自分も歴史其儘に認めようとしたとき、「猥に変更できない」方が適していただけだ。 「自分の観点が確立し、スタイルが確立していれば、とにかく、小説的な実在となりうるだけだ、文学は各人各説で、理窟はどうでも構わないのだ。」(『ただの文学』坂口安吾 昭和17) ひとりのバカ者が無頼の生活をしていて、彼自身の現在を説明しようとするならば、単に事実を書き並べただけでも、そのうちに彼の「自然」が実在し得るものだ。そういうバカ者、つまり「私」というドグマを信じない者でなければ、ジャーナリズムが「万能の鏡」でないことは知り得ない。 |
2008年9月18日 (木)
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