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なので、展開は天のみぞ知る…激論番組

能と桜
「世阿弥が佐渡へ流刑のあいだに創った謡曲に「檜垣」というものがある。(中略)北海の孤島へ流刑の身でこんな美しい物語をつくるとは、世阿弥という人の天才ぶりに降参せざるを得ない。」(『青春論』坂口安吾 昭和17)
「現代人は、どういう了簡でいるから、近頃能楽の鑑賞という様なものが流行るのか、それはどうやら解こうとしても労して益のない難問題らしく思われた。ただ、罰が当っているのは確からしい、お互に相手の顔をヂロヂロ観察し合った罰が。」(『無常といふ事(当麻)』小林秀雄 昭和17)
 戦時中、なぜか能が流行っていたらしい。能とは、いったい、どんなものか?
「私には、能の第一の特徴は、やはり人間中心主義ではないということであるように思われる。主人公シテは、人間ばかりか、鬼や鵺や桜や杜若ですらある。いったい、人間以外の動物や植物の霊がドラマの主人公である場合が、世界の劇にあるであろうか。」(『地獄の思想』梅原猛 昭和42)
 しかし、幽霊や妖怪の話なら古今東西いろいろある。
「それはシテの心の中に積もり積もった怨念の暴発であるが、この怨念は語ることによって鎮められ、やがて夜の闇の中に怨霊は姿を消すのである。この話は真実なのか、それともワキの見た夢なのか定かではない。その虚か実か定かでないところが幽玄といわれる所以であろう。」(『百人一語』梅原猛 平成5)
 そういう「幽玄」が戦時中に流行ったのは、どういう所以か?
「仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚(わめ)き乍ら、何処に行くのかも知らず、近代文明というものは駈け出したらしい。(中略)肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遥かに微妙で深淵だから、彼はそう言っているのだ。不安定な観念の動きを直ぐ模倣する顔の表情の様なやくざなものは、お面で隠して了うがよい、彼が、もし今日生きていたなら、そう言いたいかも知れぬ。」(『無常といふ事(当麻)』小林秀雄 昭和17)
 現代の様々な疾病難病というのも「不安定な観念の動き」に則って肉体も動かすから「微妙で深淵」な苦痛に悩まされるのかもしれぬ。ということは、現代人も能を演じているのだ。無意識に舞台の下で。あるいは、桜の下でも。
「能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。」(『桜の森の満開の下』坂口安吾 昭和22)
 この「能」とは謡曲「桜川」のことで、その物語で桜は「怖しい」ものとしては扱われていないという。では、安吾の桜のモチーフはどこからきたのか?
「戦争の真ッ最中にも桜の花が咲いていた。当り前の話であるが、私はとても異様な気がしたことが忘れられないのである。(中略)私の住んでるあたりではちょうど桜の咲いてるときに空襲があって、一晩で焼け野原になったあと、三十軒ばかり焼け残ったところに桜の木が二本、咲いた花をつけたままやっぱり焼け残っていたのが異様であった。」(『明日は天気になれ(桜の花ざかり)』坂口安吾 昭和28)
 生きる希望すら失ったとき、桜の狂い咲きが異様に見えたのも、彼自身の生命力が狂い咲きしていたからではないか?それが中世の風景、心境で、世阿弥の「美しい物語」も、そういう絶望のどん底に狂い咲いた桜ではなかったか?
「日本の古代は律令的理性の時代であった。そこで、鬼は歴史の背後に隠れていた。また近世は、儒教によって鬼を追い払った時代である。この二つの理性の時代の谷間にあったのが「室町時代」なのである。そこでは、神と鬼が、人間の世界に入り、人間を脅かし、かつ楽しませた。」(『百人一語』梅原猛 平成5)
 乱世といわれる昨今も「時代の谷間」だとすれば、満開の桜の下に神か鬼が見えるかもしれない。その鬼は泣きべそをかいている気がしてならない。政治献金疑惑で進退を問われているどこかの党首のように。或はその神はホッと安堵している気がする。長いスランプを引っくり返した侍ジャパンの頭首のように。
2009年3月28日 (土)
掌説『東電OL殺人事件』
殺された泰子は、たとえ千円の客でも相手にし、ホテル代がなければ、その人の部屋でも売春した。誰でもいいし、どこでもいい。ただし、タダではダメなのだ。そして不思議な奇行の数々…バーバリーのコートの裾をたくし上げて路上で放尿!道端に落ちているビール瓶を拾って酒屋で換金。たった五円。しかしチリも積もればなんとやらで、それを集めて百円に、それを集めて千円に、それを集めて一万円に!“逆両替”していた。別に貧しいわけではない。何せ、東京電力の管理職だ。しかし、壁にぶち当たって、チリとなってしまった夢をかき集めていたのかもしれない。父も東電。同じ道をたどり、父の果たせなかった夢を代わりに追いかけようとしたのか?父は50代の若さ、というか、途半ばにして死去している。そのとき泰子は19歳。慶応大学に入学し、経済の道を志した頃であった。彼女は会社では地味で、人付き合いもなく、これといった男性の噂もなく、孤立した存在だったという。よほど父への忠誠心がそれを阻んでいたのだろうか。仕事の鬼というのは、そういうものだ。しかし、そんな泰子にとって「女であること」は人生最大の障害であった。女である、というだけで出世に壁があった。バブル崩壊後の経済状況もあろうが、会社の旧弊な、お役所体質も不幸であった。出世の夢を断たれたとき、彼女は何を呪ったか?父か?いや、「女であること」ではなかったか?その「女であること」を汚して、汚して、汚しまくってやろうと、彼女は徹底的に不良になろうとしたのではないか?そうでないとホテルでの奇行のナゾは解けない。シーツを小便や大便!で汚してホテルから出入り禁止になっていたという。どんなスカトロジーなプレイをしていたのか?またSMクラブにも出入りしていたという。そういう倒錯的な性行為に彼女は何を求めていたのか?そこまで自分を汚して、一体、何を捨てたかったのか?彼女はどこでもセックスした。駐車場や路地の物陰、ビルの非常階段…人が見ていようがお構いなし。放尿もセックスもまさにどこでもOK。なぜ、そこまで壊れてしまったのか?彼女は死んだ時、身長169cmで、体重が44kgしかなかったという。加害者とされる男性も「骨と皮だけのような肉体だった」と証言している。コンビニの店員は彼女がコンニャクばかりのおでんを購入するのを何度も目撃している。ここまで低体重だと摂食障害が疑える。拒食症にセックス依存。何が彼女をそこまで追い詰めたのか?「神様、わたしやっていない!」被告のネパール人男性が公判でそう叫んだという。じゃあ、彼女は一体、誰に殺されたのか?…ホントに神様が殺したのかもしれない。亡き父という。

【参考文献】
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/touden.htm
2009年3月13日 (金)
どさくさ人間時代
「虚無というものは、思想ではないのである。人間そのものに附属した生理的な精神内容で、思想というものは、もっとバカな、オッチョコチョイなものだ。(中略)人間性(虚無は人間性の附属品だ)は永遠不変のものであり、人間一般のものであるが、個人というものは、五十年しか生きられない人間で、その点で、唯一の特別な人間であり、人間一般と違う。思想とは、この個人に属するもので、だから、生き、又、亡びるものである。」(『不良少年とキリスト』坂口安吾 昭和23)
 「おくりびと」という映画が好評だそうだが、死に近き人というのも「人間一般」に属するもので、こういう映画がアカデミー賞をとるというのもニヒルな時代である。しかし、そうなったのも「オッチョコチョイな」思想が破綻したからだろう。
「自分らは明治になってから生まれたので、維新前の風光は全く知らぬ。(中略)今日敗戦後の不安さには比すべくもないが、維新後のどさくさの余波は何かにつけ収まっていなかったものと思う。(中略)語学の勉強からどんな新鮮なものを取り得たかといま考えて見ると、「自由」ということであったらしい。当時には何も意識してはいなかったのであるが、どうもその頃から何かにつけ、社会的に政治的に慣習的に加えられていた各種各様の圧迫に対して、無意識に反抗の念が押えられなかったようである。それから生活の方面においても余裕がなかったので、金持などに対する反感もあった。下らぬと思う人間がやたらに時を得顔に跳梁するのにも不平はあった。そのようなところから、セルフ・ヘルプ〔自助自立〕の精神が強く、自由へのあこがれが深くなって行ったのは自然であろう。」(『明治の精神と自由』鈴木大拙 昭和22)
 大拙が回想する維新後の世も、これが書かれた敗戦後の世も、ともに「どさくさの」時代であるがゆえに「自由へのあこがれ」も深まるのだろう。こういう不安な時代に花開くのがニヒリズムであるが、それは人間性に還る好機でもあり、無政府状態がずっと続くソマリアなどは「人間時代」の最先端かもしれぬ。相変わらず我が国の政府は隣国の問題で恐怖を煽り、各メディアもメタボだの健康番組で不安を煽り、「コワイズム」花盛りである。そうして「慣習的な圧迫」を加えるのが為政者、否、「威勢者」であり、政治不信やテレビ不振の根幹はここにあるのではないか?
 ときに川崎の医師が講演会で「禁煙が進むと医療費がかさむので、どんどん吸って早く死ぬ方がよい」と発言したそうだが、こういう「自己責任」が「セルフ・ヘルプ」でなく「セルフ・キル」になってしまうのも、自由の弊害である。
「孔子は「七十にして心の欲する所に従うて、矩を踰えず」といった。自分は七十を越ゆること二十年以上になったから、何でも自由自在に、好きなことを、やってのけてよいのだが、(中略)児供のように小便でも大便でもたれ流しという風に、その欲するがままに、どこでも、場所の分別なしに、やってしまうべきであろうか。(中略)否、否、それは大いに然るべからざるは、弁ずるまでもあるまい。(中略)「赤子」にはまだ「他」が含まれていない。「自」だけである。「他を入れた自」が自主的に働かなくてはならぬ。」(『老人と小児性』鈴木大拙 遺稿 昭和41)
 安吾が「人間一般」といったものが、大拙がここでいう「他を入れた自」ということであろう。個人であっても、ひとりの人間として考え、行動すれば、ときに「虚無」「反抗」「反感」「不平」に襲われるが、それが真の自由への道で、医師が自分のストレス軽減のために吸うならセルフ・ヘルプにもなろうが、それが医療費削減のためとなった途端、「セルフ・キル」となる。そういうオッチョコチョイな思想のために今年も三万人の自殺者が出ているという。
2009年3月12日 (木)
不能なる性慾
「私はかつてこれほど反人間主義の作品を読んだことがない。」(川端康成著『眠れる美女』解説より 三島由紀夫 昭和42)
 すでに不能の老人が眠らされた処女と秘密の館で同衾するという話のどこが「反人間主義」なのか?
「それは「愛」からもっとも遠い性慾の形だからである。(中略)眠れる美女の世界は、無力感によって悪から隔てられている、と考えるとき、川端氏の考える「悪」がどのようなものであるかが朧ろげに泛ぶであろう。それは活力が対象を愛するあまり滅ぼし殺すような悪であり、すべての人間的なるものの別名なのである。」(川端康成著『眠れる美女』解説より 三島由紀夫 昭和42)
 確かに、そういう「人間的なるもの」の邪悪さが露呈したのが戦争であろうし、また性犯罪であろう。
「私は女が肉体の満足を知らないということの中に、私自身のふるさとを見出していた。満ち足ることの影だにない虚しさは、私の心をいつも洗ってくれるのだ。私は安んじて、私自身の淫慾に狂うことができた。何物も私の淫慾に答えるものがないからだった。その清潔と孤独さが、女の脚や腕や腰を一そう美しく見せるのだった。」(『私は海をだきしめていたい』坂口安吾 昭和22)
 この不感症の「女」も「眠れる美女」のようなものではないか?「無力感によって悪から隔てられている」という意味で。
「自分の存在が相手に通じないことによって、性慾が純粋性慾に止って、相互の感応を前提とする「愛」の浸潤を防ぐことができる。」(川端康成著『眠れる美女』解説より 三島由紀夫 昭和42)
 親というのも子を「愛するあまり滅ぼし殺す」存在であり、川端がそれを「悪」と考えたのも、彼が親を知らない孤児だったからではないか?安吾のいう「ふるさと」も、そういう愛からもっとも遠い海の彼方にあったのではないか?
「ところが私は、不幸とか苦しみとかが、どんなものだか、その実、知っていないのだ。おまけに、幸福がどんなものだか、それも知らない。」(『私は海をだきしめていたい』坂口安吾 昭和22)
 バラバラ殺人や幼児性愛に走る人というのも、そういう「ふるさと」に生きていながら、「幸福」を求めようとするから「不幸」にも出会うのだろう。安吾のいうように最初から不幸を求めれば、海のように「純粋性慾」は際限なき対象となり、それはちょうど「萌え」文化のような他愛なさであろうが、これほど悪から隔てられているものもなく、日本が世界で生き延びる道はそれくらいかもしれぬ。
2009年3月1日 (日)
焼かず徘徊
「「レジャーを楽しもう。」と大衆に呼びかけて、このムードを盛りあげようとしている張本人は、マス・コミと娯楽、観光などの余暇産業です。ムードとは、要するにだれかが作り出したムードであって、そこには快楽があるとしても、規格品の快楽があるだけです。」(『快楽主義の哲学』澁澤龍彦 光文社カッパ・ブックス 昭和40)
 「買い物をしよう。」と大衆に呼びかけて、不景気ムードを盛りあげようとしている張本人を、澁澤なら何と皮肉るだろう?しかし、澁澤ともあろう人が、なぜ、こんな通俗な本を書かねばならなかったのか?
「矢川澄子編の年譜には、カッパ・ブックスの書き下ろしを引き受けたのは、半ば、北鎌倉に新居を建築する資金の必要からであったという記述も見える。」(『澁澤兄貴の愉快にしてざっくばらんな談論』浅羽通明)
 これも前夫人の勝手な言い分かもしれず納得がいかない。
「やれやれ、ようやく五十枚だ。あと二百枚書かなきゃならんのかい!書いている本人がうんざりするのだから、読まされるほうは、もっとうんざりするかもしれない。」(『快楽主義の哲学』澁澤龍彦 昭和40)
 もっと刺激を!もっと迫ってくるように!と編集者に脅迫されながら澁々、書いていたらしい。なぜ、そこまで?あくまで推測だが、誰かがそそのかしたのではないか?例えばこの人とか…。
「もし現代日本に渋沢竜彦氏がいなかったと仮定したら、どんなに日本はつまらなくなるだろう(中略)これほど正直な著者というものを人々は今まで想像することもできなかった。」(『現代偏奇館』三島由紀夫 昭和37)
 その三島が「カッパ・ブックス」ではないが「週刊明星」に連載したのが『不道徳教育講座』で、その冒頭にこうある。
「十八世紀の大小説家井原西鶴の小説に「本朝二十不孝」というものがあります。(中略)私が流行の道徳教育をもじって、「不道徳教育講座」を開講するのも、西鶴のためしにならったからである。」(『不道徳教育講座』三島由紀夫 昭和33)
 その「ためし」に澁澤もならって、泰平ムードやレジャーブームをもじって『快楽主義の哲学』を開講したのかもしれない。そうだとしても、一体、何のために?
「死の克服と同じくらいむずかしいのが、退屈の克服です。(中略)退屈は、一種の現代病だともいえましょう。」(『快楽主義の哲学』澁澤龍彦 昭和40)
 それは「矢数俳諧」などという酔狂をやった西鶴の時代からあったので、何も今に始まった病気でもない。年表によれば最初のヤカズは34歳。妻が死んだ追善に一日独吟千句を催したという。36歳には千六百句、39歳には四千句と記録を更新し、43歳のとき「二万三千五百句独吟」で大記録を樹立したという。しかし、こんな興行は詠む方も観る方も「うんざり」だろう。うんざりしながら「あと二百枚!」と書いていた澁澤も当時36歳だったというし、三島が『不道徳教育講座』を書いたのも34歳だから、退屈病とは「一種の中年病」なのかもしれぬ。
「麻薬には、直接肉体に作用する快感があるばかりでなく、外部の現実からの完全独立という、わたしたちにとって願ってもない状態を得させてくれる働きさえあるので、詩人や作家のように、つねに退屈な現実からのがれたいという夢をいだいている人たちには、それは救いのようなものになります。」(『快楽主義の哲学』澁澤龍彦 昭和40)
 三島や澁澤も矢数にならって矢継早に書いていたとすれば、それは退屈から逃れるための麻薬の代用だったかもしれない。最近は中年でもないのに大学生の間で大麻がブームらしい。そんな若年寄りに「もっと迫ってくるように!」と脅迫する教授がいないことも情けない。
2009年2月17日 (火)
掌説『小平義雄連続殺人事件』(上)
 この事件は昭和20〜21年に連続で起きた殺人事件。二十歳前後の若い女性ばかり7人が雑木林などで強姦された上、殺害された。その犯人、小平義雄(当時41歳)に聞いてみよう。
「最初の犯行?ありゃ、いままで味わったことのない快感だったね。女に馬乗りになって首をしめたら、気絶しちまってさ、こっちも思わずイッちまったよ。ちょっとタバコでも吸ってたら、あの女、目が覚めて自分からモンペ脱ぎ出したんだぜ。観念しましたから、どうぞお好きなように…ってな。だからそのままヤッて、最後に首絞めてやった。わざわざ防空壕に葬ってやったんだ。」
「二回目の犯行?あの頃はみんな食いもんがなくてな、米を安く買い出せるからって誘い出したら、まんまと付いて来やがった。で、林の中でやっと気づいたか、引っ返そうとしたから、後ろから飛びかかって投げ倒して顔面殴ってやった。昔、軍隊にいたから腕っぷしには自信があんだ。で、女ったらさ、強姦されながら気持ちよさそうなんで、そのまま朝まで3回もやっちまったよ。きっと旦那が戦争行ってて、あっちも飢えてたんだろうな。」
 彼は子供の頃から品行も粗野で乱暴であった。大正12年、18歳のとき自ら海軍に志願した。軍隊生活は彼の粗暴な性格を助長した。20歳の頃、横須賀で初めて買春し、軍艦の乗務員として海外を渡航中も先々で買春。中国では市街戦で6人の中国兵を銃剣で殺害、その戦功により勲章を授かるが、民家に押し入り女性を強姦したり、妊婦の腹を裂いて胎児を引き出すなど残虐行為もし、24歳で除隊。その後、見合い結婚するも、すぐに浮気が元で離婚を要求された。その際、妻の父を撲殺し、家族6人に暴行を働き、懲役15年となるも、恩赦により刑期が短縮される。7年半の服役後、ボイラー係など職を転々としたが、女遊びは欠かさなかったという。昭和19年、39歳で二度目の結婚するも、妻がお産で入院中に手近な女性に手当り次第に手をつけた。そして東京大空襲で妻子が疎開している最中、連続殺人事件は起こった。それまでに重ねた婦女暴行は数多しといえども、殺害には至っていなかった。これは単に証拠隠滅のためだろうか?
「小平某という奴があの最中に女の子を強姦しては殺していたという。あの最中に人を殺すとは妙な奴だ。つまり、人を殺すという良心―人を殺して自分の生きのびる手段にしようという尋常な良心が、まだ麻痺しないでノルマルに動いていたらしいや。」(『もう軍備はいらない』坂口安吾 昭和27)
 空襲で誰もが生きのびるのに必死なときに証拠隠滅などまるで意味がなかったらしい。というか、明日死ぬかもしれない、という恐怖が犯行に走らせたのではないか?最初の犯行は5月。終戦までの3ヶ月間に4人も殺害している。戦争が終わっても彼の戦争は終わらなかったらしく、その後、3人を殺したところで逮捕された。
「女を誘い出す手口?そりゃあ、いろいろ研究したさ。まずは着物だね。君ってスタイルがいいから、紺色のブラウスに白いスカートでもはいたら曲線美だろうね、なんてね。僕は大映にいてスタイリストやってたんだ、なんてデマカセいえば完璧だよ。でも、終戦前後は何といっても食い物だよ。米が安く買い出しできる、なんていえばイチコロだったね。」
「犯行の手口?そんなの聞いてどうすんだい?真似すんのかい?いいよ、教えてやるよ。まず殴って首を絞めるんだ。そんとき両手で少し上に持ち上げるんだ。2、3分すると鼻水垂らして手がぶらんぶらんになる。で、すぐにはやらないで30分くらい待つんだね。で、目が覚めかかったとき、わざと揺り起こすんだ。あたし、どうしちゃったの?なんてだいたいボケかましてるから、ズッこけて気絶したんだなんて、うそぶいて、おしっこ漏れてるぞ、なんていやぁ、自分から脱ぐ奴もいるぜ。そんときゃ、だいたいグッタリしてっから、やさしく介抱してやる感じでそのままやっちまう。意識朦朧としてる時にされンのって最高らしいよ。全然、抵抗しないもん。宙を見つめて手足は全開。俺は顔なんか見ないね。あそこばかり見るよ。そんときもし後ろから日本刀で首を切られてもいいってくらい最高の眺めだね。入れたら夢中で腰を動かす。終わったらさっさと始末する。」(つづく)
2009年2月3日 (火)
掌説『小平義雄連続殺人事件』(下)
 しかし、こんな男の妻はさぞかし迷惑だろうと思いきや…。
「毎晩のように要求はありましたけど、別に首を絞めたり変な趣味はなくて、行為自体もあっさりしてました。愛妻家って彼のような人のことじゃないかしら。ふだんからイヤらしい会話もありませんでしたから、まさか浮気なんて思いもしませんでした。逮捕されたのがいまだに信じられないです。」
 小平が賢いのか、妻が愚鈍なのか?精神鑑定した松沢病院院長の証言によると小平はこんな人格だという。
「彼は精神病質あるいは生来性性格異常者であるが、意識的計画的犯行から十分に責任能力がある人格と判定できる。」
 しかし、こういう性格異常を生み出したのは軍国時代そのものではなかったか?戦地を経験した作家の小説にも似たような武勇伝がでてくる。
「人妻であろうと、娘であろうと、見つけ次第に、片っぱしから太田安次は住民の女たちを犯した。相手を見つけると、太田はたちまちゴボウ剣をひきぬいて、ふりかざした。陽に灼けて、錆びた鉄色になった顔に、血走った眼が光る。(中略)太田安次は相手を押し倒し、その上に乗りかかる。それはいつも、まったく、渋滞を見せぬ、みごとな凌辱ぶりといえた。」(『失われた男』田村泰次郎 昭和41)
 「凌辱」とは「あなどった態度で人をはずかしめること」だが、戦争そのものが敵国をやらなければ自国が辱められるという状況であり、「太田安次」も、小平も、そんな危機的状況の極端な表現者ではなかったか?
「私は小平先生は、イヤらしく、汚らしく、にくらしくて、たまりませんが、帝銀先生は、今でも、そう、悪者だと思っていません。たぶん、このトンマ先生は、非常に知性が低いのだと思います。もし、知性が高ければ、こんなことはやらなかった。知性はある種のことには実行力を、ある種のことには抑制力を与えてくれるものです。」(『哀れなトンマ先生』坂口安吾 昭和23)
 「帝銀先生」とは、やはり当時起きた銀行強盗事件の犯人で、役人を装って毒物を使うという同じ手口で何度か失敗を繰り返した後に成功したが、安吾はそれをマグレだという。
「それに比べると、小平某はあの最中に良心もタシナミも失わず、はるかにデカダンではなかったのさ。あの野郎はフテエ野郎だというのは戦争がすんでからの話さ。」(『もう軍備はいらない』坂口安吾 昭和27)
 安吾が小平を「悪者」や「フテエ野郎」といったのは、戦争で誰もが理性や感情まで失い、自分も「抑制」するしかなかった「ある種のこと」をヌケヌケと「実行」していたからかもしれない。
 小平義雄は昭和22年に死刑確定。昭和24年10月5日に死刑執行。享年44歳。安らかな死であったという。というのも、同年4月頃に妻が面会し、「自分が疎開していたばかりにこんなことになり、自分にも罪の責任がある」と泣き崩れたことが荒んだ彼を改心させたという。この妻こそ、トンマではないか?しかし「非常に知性が低い」というのは、ある種の救いを与えてくれるものだ。空襲さえなかったら、この妻とうまくやっていけたかもしれないのに…その意味では小平という男も「哀れな先生」だ。

<参考文献>
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kodaira.htm
2009年2月3日 (火)
『苦悶のすすめ』
「愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。(中略)法の苛きと寛やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。」(『学問のすすめ』福沢諭吉 明治5)
 その政府が選挙前にアメをばらまくのでは「愚民の上に寛やかなる政府あり」ではないか。しかし、愚民で何が悪いのか?
「それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。」(『刺青』谷崎潤一郎 明治43)
 愚民政策の反対を何というか知らないが、明治の啓蒙家たちは「良民政策」のつもりで自由を受け入れたらしい。
「近代とは個々の人間の尊厳を認めた時代、すなわち個人主義・自由主義の時代である。」(『新修国語総覧』京都書房 昭和52初版)
 ということは、現在も「近代」であるし、言論の自由がなかった軍国時代は、実は近代ではなかったらしい。
「しかし、日本の近代化は欧米の圧力による外発的、政府の指導による速成的なもので、「文明開化」「富国強兵」のモットーは機械的・物質的方面に向けられ、近代的思想の基盤をなす、国民の自我の覚醒は遅れた。」(『新修国語総覧』京都書房 昭和52初版)
 その「国民の自我の覚醒」が明治後期に自然主義として花開き、その不徳にキレた「苛き政府」が国粋主義を掲げて自由主義と戦って敗れたのが昭和の戦争ではなかったか?
「アメリカ文化はスポーツ、スリル、セックスの三Sだと云われるが(中略)要するに、スポーツ、スリル、セックス、品は変れども同趣味で、執拗なる根気と、術策と手管、之が彼等の日常の人生であり趣味であり信条だ。」(『予告殺人事件』坂口安吾 昭和20)
 そして戦後は占領軍の指導による「三S政策」により高度成長、バブル経済を経て、今、その自由にも陰りが見えている。それはなぜか?
「人の天然生まれつきは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。(中略)人の一身も一国も、天の道理に基づきて不羈自由なるものなれば、もしこの一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るるに足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず。」(『学問のすすめ』福沢諭吉 明治5)
 「一国の自由を妨げんとする者」とはテロリストのことだろうが、一国が「わがまま放蕩に陥る」なら、それも「世界万国を敵とする」のではないか?ちなみに「不羈」とは「物事に縛られず自由気ままなようす」という意味。
「女が私の属性の中で最も憎んでいたものは不羈独立の魂であった。偉い芸術家になどなってくれるなと言うのである。」(『いずこへ』坂口安吾 昭和22)
 その「女」はなぜ、不羈を憎んだのか?
「古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。」(『学問のすすめ』福沢諭吉 明治5)
 だから福沢は実学をすすめたが、今や猫も杓子も大学に入り、「愚と云う貴い徳」を捨てた結果、「世の中が激しく軋み合」っているわけだ。自由といっても「分限」や「天の道理」「不羈」を知らなければ良民政策も愚民政策になる。それらは誰も教えてくれまい。むしろ誰からも放っておかれることによって自ら悟るものだ。
2009年1月29日 (木)