| ゴールドブレンド |
貧困が問題になっているが、それに取り組む人々の中に自分の肩書きや財産を捨てて、彼らとともに生き、死のうという人には滅多にお目にかかれない。 「私は第四階級以外の階級に生まれ、育ち、教育を受けた。だから私は第四階級に対しては無縁の衆生のひとりである。(中略)第四階級のために弁解し、立論し、運動する、そんな馬鹿げきった虚偽もできない。今後私の生活が如何ように変わろうとも、私は結局在来の支配階級者の所産であるに相違ないことは、黒人種がいくら石鹸で洗い立てられても、黒人種たるを失わないのと同様であるだろう。」(『宣言一つ』有島武郎 大正11) そういいつつ有島は、財産放棄や所有する農場まで解放したが、翌年、女性記者と心中してしまう。それも彼流の女性解放だったのかもしれない。 「有島はクロポトキンやマルクスのような思想家すら労働者は必要とはしていない、彼らの主な功績は、第四階級以外の者にたいし、ある観念と覚悟を与えた点にあるだけだとさえ言いきっている。」(旺文社文庫『惜しみなく愛は奪う』有島武郎著 解説 安川定男 昭和42) 貧困がこの世からなくなって一番困るのは、「貧困を救おう!」と叫んでる人々の方ではないか? 「氏素姓(アイデンティティ)をさがす、あるいはさぐることすなわち、衰弱にすぎない。安吾の小説そして場所では、不問である。問題にならない。男は、いまここに男として現存すればよい。男が、非人であっても、穢多であっても、山窩であってもよい。いや、非人であり、穢多であり、山窩であることこそ、男は、自由であり、なにものにもとらわれぬ人間の生存の形そのものとなる。」(『坂口安吾(ファルスの光線)』中上健次 昭和51) その安吾の小説『白痴』の中で、戦時中のある日、防空演習があり、そこに「隣人の気違い」が登場する。 「着流し姿でゲタゲタ笑いながら見物していたのがこの男で、そのうち俄に防空服装に着かえて現れて一人のバケツをひったくったかと思うと、エイとか、ヤーとか、ホーホーという数種類の奇妙な声をかけて水を汲み水を投げ、梯子をかけて塀に登り、屋根の上から号令をかけ、やがて一場の演説(訓辞)を始めた。伊沢はこのときに至って始めて気違いであることに気付いた(中略)だが、気違いと常人とどこが違っているというのだ。違っているといえば、気違いの方が常人よりも本質的に慎み深いぐらいのもので(中略)彼等は本質的にはるかに人目を怖れており、私生活の主要な部分は特別細心の注意を払って他人から絶縁しようと腐心している。」(『白痴』坂口安吾 昭和22) 新聞記者である伊沢はそこで「気付いた」が、他の「常人」たちはどうだったのか?気違いと常人が反対だとすれば、常人とは「人目を怖れず、私生活に細心の注意を払わず、ただ他人に付和雷同する」だけの人種ではないか?戦時中は時代そのものが気違いじみていたから、その「隣人の気違い」が目立たなかっただけではないのか? 「その成員に神経症者や精神病者が少ない集団ほど、集団そのものが神経症的、精神病的である。(中略)また、集団内で言えば、共同幻想の正当化から生ずる毒素の皺寄せをいちばん受けるのは、その集団のなかのいちばん弱い層、つまり被支配階級で、従来の共同幻想の幻想性に最初に気づき、新たな共同幻想の必要を痛感するのは彼らである。彼らが、新たな共同幻想を築き、それが従来の共同幻想よりも多く、広く、成員の私的幻想を吸収し、共同化し得たとき、革命は成功するであろう。」(『国家論』岸田秀 昭和50) さすれば、昨今目立ちはじめた貧困層も、その「皺寄せ」を受けているのであり、彼らが目立たなかったのは時代そのものが気違いじみていたからではないか?すなわち、巨大な輸出産業で国際競争に勝ち、国を経済成長させる、という現代そのものが幻想で、すでに現状は階級も性別も国籍も問わない、スーパーフラットというかユニバーサルな共存社会になっており、国家ビジョンもそのトレンドというか、ブレンドに即したものに刷新しなければなるまい。貧困問題に取り組む人々の功績があり得るとすれば、そういう「観念と覚悟」を貧困層以外に与えた点になるであろう。 |
2009年6月28日 (日)
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| 死をもって神に捧ぐ |
「認識至上主義はニュートラルである。(中略)そこには認識と行動の乖離がはじめから予定されているのであるから、知行合一のような哲学は、はじめから無意識裡に忌避されているのは当然であろう。」(『革命哲学としての陽明学』三島由紀夫 昭和45) 「すべてが幻想であると知った上でのわれわれの行動規範は何なのだろうか。」(『ものぐさ精神分析』解説 伊丹十三 昭和57) そこで三島由紀夫がとった行動は「陛下万歳」の三唱と自決であった。そして伊丹十三の場合は、不倫疑惑に対して「死をもって潔白を証明する」と遺書を残した投身自殺であった。二人のとった行動の一致は偶然であろうか? 「人生とはエスを自己化する過程であり、つまり平たくいうなら自分が自分になってゆく過程である」(『ものぐさ精神分析』解説 伊丹十三 昭和57) ここで「エス」とは三島のいう「無意識裡」のことであろう。三島の場合は、その「エスを自己化する過程」で、どうしても自己化できないエス、つまり彼が少年期に受けた軍国教育において絶対的な神であった天皇にぶち当り、それを抹殺すべく自殺したのではなかったか?つまり平たくいうなら自分が天皇になるために死んだのであろう。ではアベコベに「自己をエス化する過程」というのを仮定すると、それは如何なる「生人」か? 「自分が自分であることを忘れさえすれば、どうしてこの逆巻く波さえも心にかかることがあろう。そう思ったときに恐れや後悔の念はたちまち湯に溶けた雪のように消え去って、跡方もなくなった。」(『革命哲学としての陽明学』三島由紀夫 昭和45) この大塩平八郎の「神秘的体験」こそ、それではないか? 「われわれは心の死にやすい時代に生きている。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると日本には、平八郎とは反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」という人が無数にふえていくことが想像される。」(『革命哲学としての陽明学』三島由紀夫 昭和45) ここで三島のいう「心の死」というのも「自分が自分であることを忘れ」ること、つまり「自己をエス化する過程」ではないか?それが平均年齢を延ばすのなら、心は死んだ方が、自分など忘れた方がよいのだろう。そういう「無我無心」を古来、賢人たちも心掛けていたらしく、その極意はこうだという。 「その絶対のものがあり得ないという立場から、中途半端を排撃し、無きに如かざるの清潔を選んだのだ。」(『日本文化私観』坂口安吾 昭和17) それは今日においても同じであろう。 「並外れた意識家でありながら、果敢な実行家でもある様な人、実行とは意識を殺す事である事を、はつきり知つた実行家、さういふ人は、まことに稀だし、一番魅力のある実行家と思へる。」(『無私の精神』小林秀雄 昭和35) そうして三島も、伊丹も「果敢に実行」してきた結果、どうしても殺す事のできない意識に身を捧げてしまったのかもしれない。だとすれば、伊丹十三も投身自殺の直前にビルの屋上で万歳三唱したにちがいない。「女たちよ!」と叫んで。 |
2009年6月4日 (木)
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| 現実の味と真実の味 |
「一昨年の夏のことである。私と安吾と二人、上杉謙信の春日山城から川中島をうろつきまわって、松本に十日余り滞留した。実は文芸春秋新社の発案で、安吾が謙信、私が信玄のつもりになり、現地踏査をやった訳である。いやはや、大変な旅であった。折からの炎暑のせいでもあったろう。安吾の欝気が爆発して全く酸鼻と言いたい程の荒れ模様を呈し、殆ど収拾がつかなかった。」(『安吾・川中島決戦録』檀一雄 昭和30) それはひょんなことからあっけなく収拾がついたという。 「いや、今朝がたね、息子が生まれたそうだ。赤ん坊は親父がブタ箱に入ったことをチャーンと知ってやがる。それで、親父がブタ箱から出たところを見はからって、オギャーと生まれてきたらしいや」(『安吾・川中島決戦録』檀一雄 昭和30) しかし安吾は、その後も地元の酒場で大暴れしてブタ箱に入れられ、今度はそこから出ないと言い出したという。 「安吾はなぜこれほどまでに乱れたのか。彼はこれまで仮構の夢に生きてきた。ことに心的混乱の体験を通すことで、かえって文学的真実を構築してきた。そんなところに、自分の子供が生まれてくるというのは、あまりに現実すぎるのであった。」(『聖なる無頼』村上護 昭和51) そんな彼も、いつしか「現実」を受け入れるに至ったが… 「できないつもりの子供ができた戸惑いであろう。一生つづくものと覚悟はしているが、砂をかむような味である。」(『砂をかむ』(絶筆)坂口安吾 昭和30) 例えば謙信でも信玄でもいいが、昔の武士は筋を通すことを最優先し、受け入れ難い現実を拒否して、ときに自害も選んだ。文士もその性格を受け継いでいる部分がある。 「僕はもう、この十年来、たいがい一人で住んでいる。(中略)ところが、家というものは(部屋でもいいが)たった一人で住んでいても、いつも悔いがつきまとう。」(『日本文化私観』坂口安吾 昭和17) そういう「おひとり主義」の彼だから、結婚当初は妻を「愛人」とか「パンパン」と公言していた。が、いつしか「女房」と認めるようになり、「できないつもりの子供」も「砂をかむようだ」といいつつ受け入れる覚悟であったはずだが、その矢先に急逝してしまった。彼はもともと多量の薬や酒と一緒に「現実」を飲み下していたわけで、これも文士流の自害というか、自滅ではなかったか? 先日、ロック歌手の忌野清志郎が亡くなったが、癌の摘出手術をして声を失うのを拒否していたという。また韓国前大統領が不正資金疑惑の捜査に追い込まれて自殺したという。彼らも筋を通して自滅したようなものだが、病気や犯罪というのも受け入れ難い「現実」であり、それを克服するには筋を曲げねばならないのだろう。だが、砂をかむような「現実」の味に比べたら、「真実」の味は甘美すぎてやめられないのもわかる。 |
2009年5月24日 (日)
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| 「現代」の終わり |
『潮』という雑誌に「近代の終わりと日本の進むべき道」という対談があったが、それをいうなら「現代の終わりと…」ではないか? 「“戦後”という意識は私にはない。“戦後”を知らないといってもよい。なぜなら私はそこに育ったのだし、それと比較すべき何ものをももたなかった以上、それがすべてだったからである。」(『ものと観念』柄谷行人 昭和48) ところが、戦前から戦後と生きた人には「比較すべきもの」があるわけで、「それがすべて」でないどころか… 「読者諸君、銘記したまえ、戦争以来、日本は目下、中世なのである。(中略)窮すれば中世になるということは、察しなければならないということで、だから目下、ヤミ屋は中世ではなく、常にブルジョアには中世の精神は分らない。(中略)私も中世を好まない。中世よりも古代、原人の倫理を好み、中世に復帰するなら古代に、まず原人に復帰したいと考える。」(『現代の詐術』坂口安吾 昭和22) はて?「中世」とか「古代」とは歴史年表にある時代区分のはずだが、終戦直後には人種区分のように見えていたらしい。その「原人」が現代についてこう語る。 「人間は永遠に在るが、自分は今だけしかない。そこに現代というものの特性があり、生活というものが歴史的な観方と別に現実だけのイノチによって支えられているヌキサシならぬ切実性があるのである。」(『現代とは?』坂口安吾 昭和23) しかし、それをいったらヤミ屋も、ブルジョアも、彼らなりに切実な生活をするなら、みな「現代人」ではないか? 「学問は何のためにするのか、××博士などは、おそらく真理のため、世界文化のため、あるいは国学のためなどといふだらうが、それらは要するに「もの」ではなく、宙にういた観念にすぎない。(中略)平穏無事な時勢は、それでも間に合ふやうに見えるけれども、一たび嵐が吹きあれると、そんなハイカラな観念など吹きとばされてしまふ。」(『ものと観念』柄谷行人 昭和48) 柳田国男の言葉だという。我々がふつうにいう「現代」とは、こういう「宙にういた観念」ばかり工業製品のように生産、消費して、永遠に「現代」であるかのような虚妄が蔓延した時代ではなかったか? 「いまの若者は、目的志向に欠けるという。それは、すべてが現在だからである。なぜすべてが現在になったのか。それは、情報を集め、予測し、管理するからである。それが情報社会、管理社会である。」(『若い人たち』養老孟司 平成3) GDPが戦後最悪のマイナス成長という。これも要するに「経済成長」という「宙にういた観念」が吹きとばされているだけのことで、それが消えた先、つまり「現代」が終わった先には如何なる時代がくるべきか? 「この世は無常とは決して仏説といふ様なものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常といふ事がわかつてゐない。常なるものを見失つたからである。」(『無常といふ事』小林秀雄 昭和17) その「なま女房」たちに「現代の終わりと日本の進むべき道」と題して、是非とも対談をやってほしいものだ。つねに現代の彼女らにとって「現代」の次は、やはり現代、イヤ「原代」かもしれない。 |
2009年5月21日 (木)
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| 掌説『川崎長太郎』 |
| 明治末期、左翼運動はアナーキーとか危険思想よばわりされて、運動家が憲兵にリンチされて死ぬ事件もあった。大正の頃から労働者運動が盛んになって、彼もダダイズムに傾倒して、ただ虚無を愛していた。要するに家業の魚屋を継ぎたくなかったのだ。それが昭和に入って、いつの間にやら軍事政権となり、日中戦争、日米戦争となり、何が何やらわからぬうちに、彼も徴用工として小笠原島で働かされた。そこではすべて自分の事は自分で世話しなければならなかったから、もう何もかも吹っ飛んでしまった。所詮、社会になど期待しないで人間は独りで生きればたくさんだ。そう悟って、小田原の実家のすぐ近くにあった物置小屋でまた文筆生活を再開した。乞食同然の貧乏暮らしであったが、それは小笠原での戦争生活の延長みたいなものであった。敵が飛行機から売春婦になっただけで、その「戦記」を小説に書いたら思わぬヒットとなり、いつしか印税と貯金の利子で食えるようになっていた。しかし昭和33年は転機だった。二十年暮らした物置小屋が台風で吹っ飛び、売春防止法の施行により、彼の戦場「抹香町」もみごとに吹っ飛んでしまった。彼も還暦となり、そろそろ亡き母が中風を発病した年齢に近づきつつあった。晩年の母のみじめな暮しを思うと、さすがの彼も老後が不安になってきた。その頃、彼の元へ通ってくる物好きな三十女がいて、嫁に来たいというので、子は作らない約束で籍を入れた。敗戦の混乱もとっくに落ち着き、世は民主主義などといって、よく見れば、戦前の左翼思想そっくりであった。ブルジョアも憲兵も威張っていなく、労働者もいじめられない。文筆業で何とか食えるし、銀行に預けておけば勝手に利子まで増える。これぞ資本主義という名の社会主義ではないか。危険思想と呼ばれた左翼運動とは実は民主運動のことだったのだ。それを危険、危険と警戒しているうちに保守主義は天皇まで担ぎだしアメリカ相手に戦争吹っかけて自爆したのだ。フタを開けてみれば危険思想とはこんなに平和であった。しかし、もっと民主主義が進んだら、本当に無政府主義になるかもしれない。そしたらみんなアナーキー、毎日が戦争生活にちがいない。そんな時代に彼が生まれていたら、魚屋でなく、きっと海賊になっているだろう。 |
2009年5月13日 (水)
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| 『ニッポン文化私観』 |
「家へ帰る、という時には、いつも変な悲しさと、うしろめたさから逃げることができない。(中略)帰るということの中には、必ず、ふりかえる魔物がいる。」(『日本文化私観』坂口安吾 昭和17) なぜ、家へ帰るのが後ろめたいのか?この「魔物」とは一体、何だろう? 「強迫観念は自我に敵対し、自我にとっては邪魔でうるさいだけの障害物だけど、強迫観念のほうが本人の存在を表しているんですよ。(中略)本人はわけのわからない観念に襲われて、やりたいことができないし、やりたくないことをやらなければならないし、振り回されるんですよ。」(『心はなぜ苦しむのか』岸田秀 p.123) それで岸田氏は借りてもいない借金を返そうとし、必死にフロイドを勉強して、その強迫観念の正体が「母への恩の負い目」であるとわかったという。それはどういう内容か? 「僕自身は無価値だ、自分の人生を自分で決める権利はない、何ごとも自分では判断できない、相手の言う通りするしかない、といった自己否定的な考え方が僕の人格構造の根底に組み込まれているわけです。」(『心はなぜ苦しむのか』岸田秀 p.89) この母が否定したものとは「基本的人権」であろう。戦前の日本社会には個人の権利も自由もなかったわけだから、それを否定するのは仕方ないことだったかもしれない。しかし、民主主義になって60年以上たつのに、母の介護疲れで娘が自殺したり、相変わらず「自己否定病」が親から子に遺伝しているということは、いまだに「魔物」がいるのではないか?安吾がはじめてその「魔物」に襲われたのは21歳のときであったという。 「夜の二時にねて、朝の六時に起きる。完全にスポーツとは手をきった。ただもう坊主の勉強に入りあげたのである。確実に日課をまもり、睡眠四時間を厳格に実行し、ねむくなると真冬でも水を頭からあびて、そのとき髪の毛とタオルがすぐジャリジャリと凍りついたものであわてたこともあったが、徹底的にがんばった。そして神経衰弱になってしまったのである。」(『世に出るまで』坂口安吾 昭和30) 彼はただひたすら辞書をひいて語学の勉強をすることで神経衰弱を克服したという。この「日課」こそ、彼の自己否定であったとすれば、何が彼にとって自己肯定であったか? 「僕は文学万能だ。なぜなら、文学というものは、叱る母がなく、怒る女房がいなくとも、帰ってくると叱られる。そういう所から出発しているからである。だから、文学を信用することができなくなったら、人間を信用することができないという考えでもある。」(『日本文化私観』坂口安吾 昭和17) こう書いた戦時中は、言論の自由のない「人間を信用」できない時代であったろう。ちなみに手元に四つある『日本文化私観』のうち、角川文庫版のだけ次の箇所がない。 「ヒットラーは、一度も退却したことがない」 平成の世にも伏せ字とは、これを安吾が見たら「角川文庫は信用することができない」と言うのではないか?ヒットラーも自己肯定から出発して「我が闘争」を追求したにすぎない。皮肉なことに、彼が「一度も退却しなかった」から、その挫折によって今日の世界が生まれたといえよう。 ときに、米国は景気対策に7.4兆円の資本増強が必要だとしながら、国防予算は昨年より4%増の53兆円を計上したという。相変わらずアフガンでは米軍の「誤爆」によって多数の民間人が犠牲になっている。一歩も退却しない彼らの「我が闘争」が挫折した先には、一体どんな世界があるのだろう?GWも終わったことだし、ニッポンはそろそろ家へ帰るべきではないか?負い目という「魔物」に振り回されるのはやめて。 |
2009年5月8日 (金)
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| 昂然わいせつ |
「中也は口惜しがって一枚ずつ、洋服、ズボン、シャツ、みんなぬぎ、サルマタ一枚になって、ねてしまった。彼は酔っ払うと、ハダカになって寝てしまう悪癖がある」(『二十七歳』坂口安吾 昭和22) この「中也」とは「国民的愛誦詩人」といわれた中原中也のこと。彼らが交流した昭和8年頃も昨今のように世界恐慌による「不況のドン底時代」だったらしいが、街をハダカで歩いても逮捕されはしなかったようだ。雑誌が売れないのは昨今もそうだが、原稿料もでないほどであったというから、仮に家宅捜索などしても借金明細くらいしか出てこなかったろう。 「オイ、お前は一週に何度女にありつくか。オレは二度しかありつけない。二日に一度はありつきたい。貧乏は切ない、と言って中也は(中略)常に嘆いていた。」(『二十七歳』坂口安吾 昭和22) ついに嘆き疲れたのか?中也はその年の暮れに身を固めている。翌年には長男が生まれ、処女詩集も刊行しているが、そのわずか4年後に急逝してしまう。死因は結核性脳膜炎。その前に神経衰弱で精神病院に一ヵ月入院している。長男の急死がショックだったらしいが、女にありつき過ぎて脳梅毒にやられたのではないか? 「斎藤:しかし、ニーチェなんか、脳梅ですね。モーパッサンも。(中略)吉行:モーパッサンの作品では、発病する直前が一番いいですね。斎藤:どういうんでしょうね、あれ。ある種の刺激があるんでしょうかね、脳細胞への刺激が。」(『恐怖・恐怖対談』吉行淳之介、斎藤茂太 昭和53) ちなみに医学書によれば「変性梅毒」の場合、「裸になって往来にとびだす」という行動が見られるという…。そして長男に次いで次男も乳児で亡くなっている…ということは二人とも先天性梅毒?とにかく中也が発病する直前に書いていた『在りし日の歌』の中には、すでに死を予感していたかのような詩もある。 「思へば遠く来たもんだ/此の先まだまだ何時までか/生きてゆくのであらうけど/生きてゆくのであらうけど/遠く経て来た日や夜の/あんまりこんなにこひしゆては/なんだか自信が持てないよ」(「頑是ない歌」中原中也) 詩集の題名にある「在りし日」とは「生から離脱した地点で、もう一度生をふりかえってみる」ということで、それが「ある種の刺激」に満ちた行為であったとすれば、それは「公然わいせつ」ならぬ「昂然わいせつ」であったろう。また、未刊詩篇にはこんな詩もある。 「諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。/しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。/ほがらかとは、恐らくは、/悲しい時には悲しいだけ/悲しんでられることでせう?」(「酒場にて」中原中也) いつも「ほがらか」な人が、酒場でも、悲しい時にも「ほがらか」だから、酔ってハダカになるしかなかったのではないか?それを酔わずに心だけハダカにしたのが彼の詩だとすれば、それが多くの曲がつけられるほど愛誦された理由とは何か? 「人間の生命の内部にあるもの、これが近代においては外部的なものの拡大によって、埋もれがちになるのだが、この生命の深所から詩を汲み取ったからである。」(『汚れつちまつた悲しみに……中原中也詩集』解説 新保祐司) 例えば、秒刻みでぎっちり囲まれた番組の中で「ほがらか」を売るタレントの埋もれがちな悲しみやタメ息も、深夜の公園とか夜空ノムコウの心のやらかい場所から汲み取れるかもしれない…。ときに、JR福知山線脱線事故から今日で4年となるが、あれも「定規」のような過密ダイヤと日勤教育が多数の生命に詩、ではなく、死をもたらした近代的事件であった。 |
2009年4月25日 (土)
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| 青人 |
「第一、その頃の方が今の私よりも大人であった。私は今では世間なみの挨拶すらろくにできない人間になったが、その頃は節度もあり、たしなみもあり、父兄などともったいぶって教育家然と話をしていたものだ。」(『風と光と二十の私と』坂口安吾 昭和22) 40歳の今の方が20歳の「その頃」より大人でないとはどういうことか? 「この時期の青年は、四十五十の大人よりも、むしろ老成している。彼等の節度は自然のもので、大人達の節度のように強いて歪められ、つくりあげられたものではない。あらゆる人間がある期間はカンジダなのだと私は思う。それから堕ちるのだ。ところが、肉体の堕ちると共に、魂の純潔まで多くは失うのではないか。」(『風と光と二十の私と』坂口安吾 昭和22) ここで「カンジダ」とはヴォルテールの風刺小説の題名であり、フランス語の「candide」とは「無邪気な、純真な」という意味。 「それは、純一無垢、多感極まりない少年にのみ許された唯一の至高な場合であって、あの頃、菱山はその至高な少年であった。」(『宿命のCANDIDE』坂口安吾 昭和8) 「菱山」とは、現代詩の同人雑誌『歴程』を創刊した中心人物の一人である、菱山修三のこと。 「至高な少年は、その独特の方法で、その独特の生き方で、彼なりに今成人した。彼の近頃の詩は私を打つこと甚しい。我々の精神史の中では、絶対の拒否の中にも宇宙が育ち、現実を、生を、虚無と死へ還元したときに、生の最頂点を一線にひた走る自我の歴史が初まる。宿命の宇宙が初まる。」(『宿命のCANDIDE』坂口安吾 昭和8) 40歳の安吾が大人でなくなったのも、やっと彼も「彼なりに成人」したからではなかったか? 「友よ、詩の終るところに小説がある。併し、小説の終るところにも詩があるのだ」(『宿命のCANDIDE』坂口安吾 昭和8) 菱山修三の言葉だという。これは「青年の終るところに大人があり、大人が終るところにも青年がある」といっているようだ。その「大人が終るところの青年」、いわば「青人」は、彼の宇宙の中で、何を「絶対拒否」して「魂の純潔」を守るのか? 「数年前、菱山修三が外国へ出帆する一週間ぐらい前に階段から落ちて喀血し、生存を絶望とされたことがあった。僕も、もう菱山は死ぬものとばかり思っていたのに、一年半ぐらいで恢復してしまった。菱山の話によると、肺病というものは、病気を治すことを人生の目的とする覚悟ができさえすれば必ず治るものだ、と言うのであった。他の人生の目的を、いっさい断念して、病気を治すことだけを人生の目的とするのである、そうして、絶対安静を守るのだそうだ。」(『青春論』坂口安吾 昭和17) その菱山は多数の詩集を残して昭和42年に58歳で亡くなっている。死因は脳溢血。肺炎ですらなかったわけだ。詩を書くことも断念していたら「青人」はもっと長生きしたであろう。 |
2009年4月1日 (水)
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