| 憂いの玉箒 |
来年度にはタバコ税が引き上げされ、現在の2倍の値段になるという。その理由は「タバコは健康に問題がある」からだという。 「どんな接吻だってこのおしゃぶりとは比べものになりません。いえ、いえ、とうていかないはしません!しゃぶる時の全身にしみわたる快さはなんともいい現わせません。ただもうわけもなくこの世を離れて、ひたすら満ちたりた思いにひたり、このうえの望みなどなに一つないほどに幸福なのです。(中略)痛みも苦しみも感じません、本当に別の世界につれてゆかれた気持です」(『おしゃぶり』ガラント博士 1919) これは、おしゃぶり癖がなおらない、ある成長した少女の告白だという。誰もがこうでは人類は絶滅してしまうから「おしゃぶり」は禁じられるわけだが、そういうタブーを必要とする人間の本能の不完全さとは、何ゆえか? 「人類がなぜそうなったかについては、本来ならあともう一年間母胎内にいるべきなのに人間は九ヵ月の未熟児で生まれてくるのだとするA・ポルトマンの生理的早産説と、人類は猿(より正確に言えば、まだ人類ではない人類の祖先)が胎児化したものである、すなわち、猿の胎児がそのままの形でおとなになったのが人類である(いわゆる幼形成熟)とするL・ボルクの胎児化説とがある」(『国家論』岸田秀 1975) 弁慶は胎内に三年もいて、生まれたとき髪はふさふさ、歯も生えそろって、「こんにちは」と挨拶までしたという…それは伝説だが、人類の胎児化説はついに生殖にまで及んで、深刻な状況らしい。 「幼児はものを吸うのにほかの対象物を使わないで、むしろ自分の皮膚の一部を吸うことを好むものであるが、それは皮膚のほうが幼児には快適だからであり、またこうすることによって、自分ではまだ自由にすることのできない外界から独立していられる」(『性に関する三つの論文』フロイト 1905) そこで皮膚の代わりに、覚せい剤を吸う人もいる。とにかく、吸う行為によって「外界から独立していられる」ことが快いらしい。 「麻薬には、直接肉体に作用する快感があるばかりでなく、外部の現実からの完全独立という、わたしたちにとって願ってもない状態を得させてくれる働きさえある(中略)「酒は憂いの玉箒。」といいますが、好きなときに現実の圧迫からのがれて、肉体的な快感とともに、自分だけの世界に閉じこもることができるのです」(『快楽主義の哲学』澁澤龍彦 1965) おしゃぶりを禁じた結果、その代償行為である酒やタバコに高い税金をとるようになったのなら、麻薬もべらぼうな税金をとって合法化すればよいではないか? 「この徴候がそのまま保持されると、これらの小児たちは成人して接吻の通人になったり、倒錯的な接吻を好んだり、また男子の場合には飲酒や喫煙に対する強い誘因をともなったりするようになるだろう。」(『性に関する三つの論文』フロイト 1905) 酒タバコのみならず、キスもその他の口を使った変態プレイも、みんな「おしゃぶり」の名残りであるならば、それらの行為が一切禁じられたり、妨げられると人間は一体、どうなるのか? 「人間の全生涯にあてはまることであるが、性的満足は最良の睡眠薬である(中略)神経性不眠症の症例はたいてい性的不満が原因である。ひどい子守女が泣きやまぬ小児の性器をこすって眠らせることは、周知のことである。」(『性に関する三つの論文』フロイト 1905) それは初耳だが…。性的興奮のときにいう、あのセリフ、一体、どこへイクのか?と考えれば、確かに「眠りの世界」なのかもしれない。タバコ税が上がるというのは、ますますイキにくくなる、ということらしい。その前に、憂いのない世にしてもらいたいものだが。 |
2009年11月1日 (日)
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| 馬鹿の馬鹿飲み |
酩酊会見で失脚した元財務大臣が自宅で亡くなっていたという。自殺か?ともささやかれたが、その死因の詳細はいまだ不明という。 「異常な飲みっぷりだ。酒に酔うというような生易しいものではない。泥酔酩酊の状態を、際限もなく持続しなければ気が済まぬふうである。(中略)私はハッキリと安吾の酒量を目撃したが、朝から正午迄に、一人で完全にサントリーの角瓶一本をあけていた。「驚いた……。そんなに飲んでいいのかしら?」(中略)最後の一滴をほしあげると、今度は掌一杯、サクロフィール、パンビタン、バンサインを肴のようにあおり」(『坂口安吾の死』檀一雄 昭和30) サクロフィールは口臭を消す薬。パンビタンは総合ビタミン剤。バンサインは胃潰瘍や胃炎の痛みをやわらげる薬。「そんなに飲んでいいのかしら?」とは、その薬の量もであったにちがいない。なぜ、安吾はそこまで飲まねばならなかったのか? 「意外にも男の子が生れたので、その瞬間からいかなる怪物に育つかとそれが不安でこまったのである。(中略)私には財産が全くないので、今頃になって子供が生れると、何よりもその行末を案じることが先に立つ。(中略)否応なく生きて働かなければならないのかということが甚だ負担に思われて、ややステバチのような気持にもならざるを得なかった。」(『人の子の親となりて』坂口安吾 昭和29) その「ステバチ」の裏にある真意は、むしろ、小説の中にありありと描かれている。 「皆々はオレをタワケと思うだろう。それほど兵隊のことが心配ならなぜ今すぐに命令をだしてひきあげるようにさせないのか、と。そこがオレの恥さらしのところだ。虚勢と見栄。むやみに威勢を見せたいバカ。そのためにこの無慙なことになったのだが、せめてオレの息あるうちはこのバカを続けさせてくれ。オレの一生の見栄と虚勢を通させてくれ。」(『狂人遺書』坂口安吾 昭和30) 完全に秀吉になりきっているが、安吾はもともと秀吉に共感するものがあったようだ。 「事実に於て、彼の精神は「天下者」であったと言うことが出来る。(中略)あらゆる駄々をこねることが出来た。そうして、実際、あらゆる駄々をこねた。そうして、駄々っ子のもつ不逞な安定感というものが、天下者のスケールに於て、彼の残した多くのものに一貫して開花している。(中略)しかも全てを意のままにすることは出来なかったという天下者のニヒリズムをうかがうことも出来るのである。」(『日本文化私観』坂口安吾 昭和17) その「天下者の精神」を安吾流に開花させたものが彼の文学であり、その「ニヒリズム」が、かの泥酔酩酊であったらしい。 「真実の文学と真実の人生をもとめての斬死にであり、ある意味では自殺と言ってもよい。安吾は、高血圧になやまされながらも、血圧をはからず、ウィスキイを痛飲し、生命の限り書いた。いいものを書くために、文学のためならば、どんな薬でも飲んだ。その頃愛用していたアドレナリン系の薬が、血圧を上げ、生命とりになった、と医者は語っている。」(『坂口安吾』奥野健男 昭和47) その真実の追求、いや、自殺行為は、死の直前まで続けられたようだ。 「昭和二十九年十二月の中旬には、その『安吾新日本風土記』を書くために、九州の宮崎まで出かけている。そのとき、親友で宮崎在住の中村地平がなにかと取材の便宜をはかったが、彼は安吾のことを強行スケジュールをこなし、常人以上に健康だった、と伝えている。」(『聖なる無頼』村上護 昭和51) 「バカにつける薬はない」というが、その「常人以上の健康」が「バカ」なのだろう。かの酩酊大臣の死も「政治バカの慙死」としておくのが当人の名誉のためではないか。天下者ほど、実はひどいニヒリストであることも肝に銘じて。 |
2009年10月9日 (金)
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| 健康という病 |
「並木先生の見解によれば、人間は全て病人なのだ。病気をもたない人間は存在しない。彼らはただ自分の病気を知らないだけだ。」(『影のない犯人』坂口安吾 昭和28) そういう病気を「健康」というのではないか? 「私は東大神経科へ入院しているとき、散歩を許されて、ほかに行く場所もないので、再三後楽園へ野球を見物に行った。私は長蛇の列にまじって行列しながら、オレが精神病者であることはハッキリしているが、ほかの連中もそうなんじゃないかな、この連中はその自覚がないのだから何をするか見当がつかないし、薄気味わるくて困った。」(『麻薬・自殺・宗教』坂口安吾 昭和25) そんな彼もかなりの健康オタクで、それは「自覚」があればこそであったかもしれぬが… 「催眠薬はねむるためだと思うとそうでなく、酩酊のためだ。そして、このことは、案外一般には気付かれずに、しかし多くの人々が、その酩酊状態を愛することによって、催眠薬中毒となっているようである。私自身も、自分では眠るためだと思っていたが、いつからか、その酩酊状態を愛するようになっていた。」(『麻薬・自殺・宗教』坂口安吾 昭和25) そのクスリは精力増強の効能もあったという。よくスポーツ新聞などで美女が宣伝している強壮剤なども一種の麻薬といえようか。 「葛巻はカリエスだった。胸のレントゲン写真を私に見せ、自分も頬杖をついて眺めており、どう? ちょっと、いやね、と言う。クスリと大人のような笑い方をする。そして、君は健康だねえ、と言う。私はまったく健康だった。しかし健康な肉体、健康な魂ほど、より大きな度合いをもって、死にあやつられているものだ。」(『暗い青春』坂口安吾 昭和22) 今夏の芸能人の薬物騒動の中でも、ドラッグを飲んで性交し、そのまま帰らぬ人となった「健康な」ホステスがいた。あの戦争中も、健康な者ほど死に駆り立てられ、徴兵検査で引っかかった者や死を恐れた非国民は助かった。 「しかし、精神の健康とは、何を指すのであろうか。たとえば、「仕事がすべて」という考え方が、すでに、あるいは不健康であるかも知れない。」(『わが精神の周囲』坂口安吾 昭和24) とある発毛会社の調査によれば、今もっとも不安なことは「仕事」「老後」「生活」ときて、第4位に「健康」だという。そんな「仕事がすべて」だから失業すると自殺するのではないか?それよりは、自分の持病に「クスリと」笑える方が、たしかに「大人」かもしれない。 「葛巻という人は、こういう時に、たった一夜で百何十枚という小説を書く、破りすてて結局一作も発表しなかったが、実際一夜に百枚二百枚という信じられない書き方をする。」(『青い絨毯』坂口安吾 昭和30) ちなみに、その葛巻義敏は、安吾より30年も後に死んだ。しかも、カリエスではなく、急性心不全で。一夜で書いた小説を破りすてた時にも、きっと「どう? ちょっと、いやね」と言ってクスリと笑ったにちがいない。 |
2009年9月21日 (月)
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| 文学純粋派 |
「小倉日記の追跡だからこのように静寂で感傷的だけれども、この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり、その時はまたこれと趣きが変りながらも同じように達者巧者に行き届いた仕上げのできる作者」(『芥川賞事典』国文学 解釈と鑑賞 昭和52) これは昭和27年、松本清張が『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞した際の選考委員、坂口安吾の評だという。 「文学は人間のものであるだけだ。(中略)だから、文学の専門家になろうとせずに人間の専門家、つまり自ら生くるための真実の努力が第一で、文学的サークルなどは二の次に、各々他に職業をもち、なるべく文学の専門家にならない方がいい。(中略)今の文壇は出来損いの名人カタギの専門家とその取りまきで出来上っている遊園地みたいなところである。」(『新人へ』坂口安吾 昭和23) その半年後に太宰治は自殺し、その死に寄せて安吾がこう書いている。 「彼は最後まで、M・Cではあった。彼をとりまく最もせまいサークルを相手に。」(『不良少年とキリスト』坂口安吾 昭和23) かくいう安吾は一体、どのような人を相手に「M・C」であったか? 「立身出世して世の俗人ばらをみかえしてやりたい、と歯をくいしばるときもあったかもしれぬ作者があたら才能をいだきながら、轗軻不遇のうちに敗れさる人々の運命に、あつい作家的共感を示したとしても不自然ではない。ここに松本清張の作家的出発の原衝動があった。」(『芥川賞事典』国文学 解釈と鑑賞 昭和52) こう評したのは平野謙であったという。ところで、昭和39年に中央公論から「日本の文学」全集が企画された際、編集委員の三島由紀夫は「清張には文体がない。文学じゃない」と収録に強く反対したという。 「純文学には、作者が何か危険なものを扱っている(中略)という感じがなければならない(中略)小説の中に、ピストルやドスや機関銃があらわれても、何十人の連続殺人事件が起こっても、作者自身が何ら身の危険を冒して『危険物』を扱っていないという感じの作品は、純文学ではないのでしょう」(『「純文学とは?」その他』三島由紀夫 昭和37) 彼がそう信じたのも無理もない… 「昭和一〇年ごろまで、私小説は芸術の神髄・文芸の基本形態(久米正雄)とされ、「純文学」と呼ばれて小説の主流をなした。」(『新修国語総覧』 京都書房 昭和61) それは今でいう週刊誌のゴシップ記事を本人が書いているようなもので、有名人の私生活を知りたい大衆は大いに喜ぶであろうが… 「いわゆる自然派というヨーロッパ近代文学思想の移入(あやまれる)以来、日本文学はわが人生をふりかえって、過去の生活をいつわりなく紙上に再現することを文学と信じ、未来のために、人生を、理想を、つくりだすために意慾する文学の正しい宿命を忘れた。」(『理想の女』坂口安吾 昭和22) そのうちに生きる意慾すら失って自殺してしまった「超自然派」が、太宰治ではなかったか?だが、その頃、彼本人はこういっていた。 「十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。」(『苦悩の年鑑』太宰治 昭和21) 三十代半ばの太宰は、周りが戦争に殉じる中、自分も文学に殉じようと「純粋派」だったかもしれない。文豪森鴎外の散逸した日記を「追跡」していた実在人物を我が身のごとく取材していた頃の松本清張も、ひとりの不遇な純文学者であったにちがいなく、そこに安吾が作家的共感を示したとしても不自然ではなかろう。が、専門家になると純粋派でいられないのも、人の常かもしれぬ。 |
2009年9月8日 (火)
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| 歴史の終わり |
「私は長い間さまようてゐた。(中略)在るべきものに苦しみ、在らざるにはゐないものに悩まされてゐた。そしてやうやくにして、在るものにおちつくことができた。(中略)私は在るべきものを捨てようとするのではない、在らずにはゐないものから逃れようとするのではない。」(『山行水行』種田山頭火 昭和9) この「在るべきもの」を仮に「理想」とすると、「在らずにはゐないもの」とは「現実」ではないか? 「此の一年間に於て私は十年老いたことを感じる(十年間に一年しか老いなかつたこともあつたやうに)。」(『雑草風景』種田山頭火 昭和10) ふつうの人は「十年間に十年老いる」ものだが… 「無能無力の私は、時代錯誤的性情の持主である私は、巷に立ってラッパを吹くほどの意力も持っていない。私は私に籠る、時代錯誤的生活に沈潜する。『空』の世界、『遊化』の寂光土に精進するより外ないのである。」(『私を語る』種田山頭火 昭和6) 「老い」とは何だろう?「在るべきもの」と「在らずにはゐないもの」を知れば、そこに何かが生ずるはずだ。理想しか持たない人も、現実しか持たない人も、その何かが欠けている。 「僕等は過去を惜しむのだ。歴史は人類の巨大な恨みに似てゐる。」(『ドストエフスキイの生活(序)』小林秀雄 昭和14) 「老い」というのも「人間の巨大な恨み」に似ているのではないか?それは過去を惜しむときに生じるのであって、理想は未来、現実も現在しかない。「一年間に十年老いた」という53歳の山頭火は、よほど帰らぬ過去を惜しんだのであろう。過去はなぜ、惜しいのか? 「原初の黄金時代も、未来のユートピアも、時間の停止した、歴史の外にある、永遠の現在ともいうべきパラダイス(楽園)である。だから、そこには性がない。性(つまり二元的対立)がなければ、発展もないし、進歩も文明もない。仏教のニルヴァーナ(涅槃)の理想も、このユートピアに近いものと言えるかもしれない。このユートピアに到達するまでは(つまり歴史が終わらない限りは)、わたしたちの肉体から性の痕跡が完全に消滅するというようなことは、あり得ないにちがいない。」(『エロティシズム』澁澤龍彦 昭和42) 今回の総選挙も「民主か自民か」という「二元的対立」になっているが、それも「発展」や「進歩」だらけの、「歴史の内」にあるせいであろう。「歴史が終わった」世界とは、政治の痕跡すら消滅した、ある意味、戦争に近い状態にちがいない。逆に言えば、物事は二元的対立であればあるほど歴史的なのであろう。 |
2009年8月25日 (火)
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| 平和のふるさと |
「私は近頃死んだ母が生き返ってきたので恐縮している。私がだんだん母に似てきたのだ。」(『青鬼の褌を洗う女』坂口安吾 昭和22) 安吾の母アサが死んだのは昭和17年。幽霊が生き返るにも五年くらいかかるらしい。そして一度生き返ると何度も会いに来るらしい。例えばそれは七年後のことだった。 「昭和二十四年一月七日、すべての努力を放棄し、東京へ帰ってくる。やがてはげしい幻聴が聞こえ、薬品服用の禁断症状の最初の徴候が現われてくる。その日のことが『陳情書』に「母の命日の二月十六日に至ってそれまで現れなかった幻視が現れるに至った」と書いている。」(『風と光と二十の私と』坂口安吾 講談社文芸文庫 作家案内より) そして十三年後の昭和30年の母の命日に彼は急死してしまう。とうとう幽霊に連れて行かれてしまった、というか、自分も幽霊になってしまったわけだ。 「フロイドの同一化(identification)の概念が実は全く「甘え」に該当することを悟った次第である。(中略)すなわち「甘え」が依存欲求を満足している時に起きる感情であるとすれば、同一化はそれが満たされない時に起きるのであろうと考えたのである。」(『「甘え」の構造』土居健郎 昭和46) 母に同一化してしまった安吾は、生前、母を憎んでいた節もあるが、それは愛の裏返しであったという。 「八ツぐらいの時であったが、母は私に手を焼き、お前は私の子供ではない、貰い子だと言った。そのときの私の嬉しかったこと。(中略)母と私はやがて二十年をすぎてのち、家族のうちで最も親しい母と子に変ったのだ。(中略)私ほど母を愛していた子供はなかったのである。母のためには命をすてるほど母を愛していた。」(『石の思い』坂口安吾 昭和21) 後年、安吾の「命をすてるほど」のモーレツな仕事ぶりも、その母を愛していたがためではなかったか? 最近、芸能人の薬物事件が相次いで報道されているが、薬品中毒というのも、母の幽霊がさせるのではないか? だとしたら、母も仕事も愛さぬのが命のためだ。 「彼(フロイト)は、超自我を、父や社会という外的なものの内面化としてではなく、死の欲動―外的には攻撃欲動としてあらわれる―の内攻化としてみた。つまり、良心(超自我)を形成するのは(中略)自らの攻撃欲動の断念―その心的エネルギーが超自我に引きつがれ自我に振り向けられる―である。」(『坂口安吾とフロイト』柄谷行人 平成12) 先日、放映されたNHKの『兵士たちの戦争』という番組の中で、元特攻隊員の老人が当時を回想して「カーッとなってますから…」と証言していた。なぜ、怒っているのか? 戦後の経済成長とバブル崩壊にしても、モーレツの根底には怒り、つまり攻撃欲動があり、その「心的エネルギー」の陰にも母の幽霊が潜んでいるのではないか? 「つまり、農民作家が突き放したのではなく、突き放されたという事柄のうちに芥川のすぐれた生活があったのであります。(中略)モラルがないこと、突き放すこと、私はこれを文学の否定的な態度だとは思いません。むしろ、文学の建設的なもの、モラルとか社会性というようなものは、この「ふるさと」の上に立たなければならないものだと思うものです。」(『文学のふるさと』坂口安吾 昭和16) 核廃絶という平和の建設も、この「ふるさと」の上に立って、被爆者と同一化しなければならないのであろう。しかし、国や故郷、親、家族、友…あらゆるものに突き放されて、それでも生きるには人間はあまりに弱い。「平和のふるさと」は密林のごとく過酷である。 |
2009年8月7日 (金)
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| 我儘と呪い |
「知性の極北まで追いつめられたものではない自殺、つまり漠然とした敗北感や失意、また失恋や貧乏も同断ですが、それらのものは単に偶然の仕業によって死ぬものであります。」(『女占師の前にて』坂口安吾 昭和13) 昨今、自殺は多いが、芥川龍之介ほど「追いつめられたもの」はどれくらいあるのだろう? 「彼は祖国の伝統からもまた自らの生活からもはぐれてしまった孤独の思いや敗北感と戦って改めて起き直るためにあらゆる努力をしたようです。」(『女占師の前にて』坂口安吾 昭和13) その「敗北感」とは、例えばこんな感じか? 「僕自身の経験によれば、最も甚しい自己嫌悪の特色はあらゆるものに嘘を見つけることである。しかもその又発見に少しも満足を感じないことである。」(『僕は』芥川龍之介 大正15) これに「少しは満足を感じ」ようとして「あらゆる努力をした」としたら、それが成功しなかったのは何故か? 「現実とは、発見し、認識するものではなく、子どもが親(または親代理)との関係のなかで、まずはじめは親から一方的に押しつけられるものである。子どもは、親から押しつけられた現実を、まず容認し、それを基盤としてあとからいろいろ修正や追加を施し、自分なりの現実を構築してゆく。」(『シニシズムの破綻』岸田秀 昭和52) 芥川はその過程で基盤そのものを懐疑し、その漠然とした不安から「起き直る」ことができなかったらしい。ではなぜ、それを「嘘」とわかったのか? 「僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである。しかしその中でも大事件だつたのは僕が二十九歳の時に秀夫人と罪を犯したことである。(中略)唯相手を選ばなかつた為に(秀夫人の利己主義や動物的本能は実に甚しいものである。)僕の生存に不利を生じたことを少からず後悔してゐる。」(芥川龍之介の遺書より) むしろ「秀夫人」を選んだ為に、彼の「生存に不利を生じた」のだとすると、この「大事件」によって、彼は「嘘」を発見していったにちがいない。例えば、32歳の彼はこう書いている。 「一たび子の為になつたが最後、古来如何なる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。」(『あばばばば』芥川龍之介 大正12) また晩年、36歳の彼はこう書いている。 「一番正直な雌の河童は遮二無二雄の河童を追ひかけるのです。現に僕は気違ひのやうに雄の河童を追ひかけてゐる雌の河童を見かけました。(中略)雄の河童こそ見じめです。何しろさんざん逃げまはつた揚句、運好くつかまらずにすんだとしても、二三箇月は床についてしまふのですから。」(『河童』芥川龍之介 昭和2) 「母」への敵意は、「雌」つまり女性への恐怖にまで広がっている。 「物のあわれでは(中略)自己の源底を尽くしていない。いわば病気にかかっていない、自己否定の経験がない。病気というは、この経験のことである。普通にいう病気は肉体の否定である。この否定で肉体の実在に逢着する。」(『日本的霊性』鈴木大拙 昭和47) この仏教者に言わせれば「自己嫌悪」など序の口、女性恐怖症など「肉体の門」くらいであろう。 「まず食わねばならないのである。そのためには、まず呪うことだと思っている。なんでもかんでも、自分たち以外のものは、みんな呪うのだ。浮浪児も、ルンペンも、赤ん坊も、労働者も、人妻も、みんな呪うのだ。親も、もっと偉いひとも呪うのだ。」(『肉体の門』田村泰次郎 昭和22) 大拙も二十までに両親を失い、経済的困窮のために学校中退せねばならなかった不遇をさぞや呪ったにちがいない。しかし、芥川にとっては、そんな呪う自己もなかったようだ。 「僕は養家に人となり、我儘らしい我儘を言つたことはなかつた。(と云ふよりも寧ろ言ひ得なかつたのである。僕はこの養父母に対する「孝行に似たもの」も後悔してゐる。 しかしこれも僕にとつてはどうすることも出来なかつたのである。)今僕が自殺するのは一生に一度の我儘かも知れない。」(芥川龍之介の遺書より) ならば、教訓。親不孝してでも我儘はすべし。 |
2009年7月31日 (金)
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| 憂鬱礼讃 |
都議選の結果やら解散総選挙の行方より、そのどさくさにまぎれて改正臓器移植法が早期可決されたことが憂鬱だ。 「メランコリイの訳語は鬱病というそうである。けだし悪訳である。(中略)メランコリイならば、わたしはかつてそれが晴天のもとにおこなわれて、当時の青春のたのしくもてあそぶに適したものであったことを知っている。当時というのは、東京の市中ところどころに、ポプラがしげり、コスモスが咲いていたころのことである。」(『安吾のいる風景』石川淳 昭和31) その同じ風景を悩ましく見た人たちもいる。 「恐らく世界じゅうで電燈を贅沢に使っている国は、亜米利加と日本であろう。日本は何でも亜米利加の真似をしたがる国だということであった。」(『陰翳礼讃』谷崎潤一郎 昭和8) それは武林無想庵の言葉だという。その人は如何なる人物であったか? 「日程は一生空白のままで、時間はありあまっていたと見えるのに、この人物は一刻もぽかんとしていないという意味である。それではなにをしていたかといえば、当人のべつに考えている。なにを考えていたかといえば、じつにムダな考がぎっしりつまっている。」(『武林無想庵』石川淳 昭和37) その「ムダ」は「人間と現実の世の中との関係にひそんでいる不条理」のせいだという。それを合理的に解決するのが今日の流儀だからなのか、それとも亜米利加の真似をしたのか、「脳死は人の死」とあっさり結論したらしい。 「生きているか、死んでいるかくらいは、個人に判断させてもらいたい。(中略)脳死は死だとか、死でないとか、そんなことを一般に決める必要はない。そもそも決められるはずがない。」(『だれが脳死を決めるか』養老孟司 平成2) それを無理に決めねばならぬほど生死を曖昧にしているのは何か? 「私は物その物が物その物であるような、動物的な真実の世界を信じることができないのである。肉慾の上にも、精神と交錯した虚妄の影に絢どられていなければ、私はそれを憎まずにいられない。」(『私は海をだきしめていたい』坂口安吾 昭和22) それが「動物的な真実の世界」なら、安吾の愛する「虚妄の影」も、無想庵の「ムダな考」も、「人間的な現実の世界」であろう。 「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。」(『陰翳礼讃』谷崎潤一郎 昭和8) ならば、メランコリイこそ「人間と現実の世の中」との作り出す陰翳のあや、明暗ではないか?その不条理を否認することが病気なのだ。不条理とは死がそうではないか。 「暫くの間、病人はハッキリ意識を回復して、左右の人々にぽつりぽつりと言葉をかけた。(中略)その言葉こそ、今肉体から離れて行こうとする霊魂の、断末魔の声であった。それが終ると、次第に病人は息を引き取った。」(『異端者の悲しみ』谷崎潤一郎 大正6) こういう死に方が小説の中にしか存在せず、人工呼吸器で成長し続ける命や臓器移植しなければ一年と持たない命が存在し、ヤミの臓器売買やそのための幼児虐待が横行する現実とは、人間にとって幸福であるのか?世に不条理が存在する以上、憂鬱は礼讃せねばなるまい。 |
2009年7月14日 (火)
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