唯愛的セルフダイアローグ 「愛は無力?」





― 今日はいつもと趣向をかえて、二人の先生をゲストにお招きして昨今のいろいろな現象について一緒に考えていきたいと思います。

☆ ねーねー、あたしは何なの?

― あ、ごめんごめん。みずきちゃん、久しぶり。何年ぶりだろうね?

☆ 3年半!

― ずいぶんご無沙汰だったねえ。今日はコメンテーターってことで。素人感覚で気ままに発言してね。で、二人の先生をご紹介します。岸田先生と土居先生です。

■ 土居です。

● 岸田です。

― お二人の共通点はともに精神分析がご専門で、前の戦争を体験なさってることです。土居先生は終戦の時、おいくつだったんですか?

■ 25です。医学部を出たのが昭和17年ですから。

― じゃあ、戦地にはいかれたんですか?

■ 赤紙が舞い込んだ日の衝撃は忘れられない。終戦から二、三年はその悪夢に悩まされたものだ。戦争は我等の世代にとって外傷体験といえる。

― 岸田先生はその辺りはどうなんですか?

● ぼくは終戦のとき小六でしたが、戦争の体験ってほとんどないんです。そのころは田舎の善通寺町にいたんですけど、空襲も受けず、家族や親戚に戦死者も戦傷者すらいなかった。ですから焼跡も闇市も知りません。

― その割には戦争についてたくさん書かれていますよね?

● 中学生のころから神経症になって、いろんな強迫症状や幻覚、抑鬱に悩まされたんです。最初の抑鬱の発作もやはり中学生のときで、本屋で『硫黄島』というアメリカ人記者の本を見ていて、その中にタコツボでうつ伏せに死んでいる日本兵の写真を見て、そのショックで家に帰って寝込んでしまったんです。それ以来、ときどき戦争の記録を憑かれたように読みあさる癖がついてしまったんです。

― 土居先生のような戦争体験者ならわかりますが、岸田先生のように直接、体験していない人まで神経症になるというのはどういうことなんでしょうかね?

■ 外傷体験は戦時に限らず、平時でも常に起きるということです。現代はこの種の体験の起きる確率が昔に比べて格段に大きくなってるようで、大災害や大量殺害事件の現場に居合わせた人たちには、その後のメンタルケアが不可欠になっています。

― でも、岸田先生は空襲すら体験してないんですよね?

● ええ。はるか遠くの高松市街の空襲は夜空を彩る花火のような美しさでした。それにわが町にあった捕虜収容所に向けて米軍機から投下された荷物をめざとく見つけてチョコレートやタバコをせしめたのは愉快な体験でした。

― それなのに写真を見ただけで戦争神経症になったんでしょうか?こういうことは考えられませんか?外傷体験とは予期せぬ事態、もっと詳しくいえば「実は人間は孤独なんだ」というシュールな事実にさらされることだと。遠くの空襲が美しく見え、米軍機から物資をせしめて愉快だったのも、そこに家族や仲間がいて、兵隊のように死の孤独と隣り合わせでなかったからでしょう。

■ 昔に比べて今の方が外傷体験が起きやすくなっているということは、それだけ現代が孤独にさらされる機会が増えているのだろう。

● それはやはりこの日常が経済の戦争だからですよ。家族や仲間との関係も昔に比べて希薄になっているし。

― それは一体、何がそうさせるのでしょう?

■ それは近代精神の理想に「自主独立」があって、そこでは権威と依存というタテの関係を否定してるわけですから、すべて人間がヨコ並びというタテマエになるわけです。これでは社会の秩序感覚が消失、あるいは希薄になるのも当然です。家庭をタテなしにヨコだけで営むから子供は放り出されたり、虐待される。現代は甘えを基盤とした人間関係の信頼や安心が育たず、陰湿な妬みがはびこっている時代です。それを支える大きな仕組みが経済と、それから医学を含む自然科学でしょう。

― しかし、どうなのでしょう?坂口安吾が『生れなかった子供』のなかで「夫婦でも、子供でも、義理人情クサレ縁よりは物質に換算した方が清潔で各人に幸福なのだ」といってますが、彼はもともと自主独立の人だからかもしれませんが、誰もがそのような固有の幸福を求めることが許されるのが現代なのではないでしょうか?なア、みずきちゃん。

☆ は?ゆってる意味ぜんぜんわかんない。

― だから、人に甘えないでカネでガマンしろってことだよ。

☆ なにそれー!べつに甘えてないもん!

■ 甘えというのは本人に自覚されないものなんですよ。「甘え」というコトバがある日本語は世界的にも珍しいんです。

● それはそれだけ甘えを言語化しなければならない状況があったからではないですか?つまり甘えを自覚し、抑圧する必要があった。キリスト教世界では「求める愛」は神にのみ向けられるべきですから、あえて言語化する必要がなかったのでしょう。それは日本が無宗教ということと同じ特異さです。

― ですが、その神の権威も否定するのが近代精神ですから、欧米社会でもヨコ並びが様々な社会秩序の混乱を招いていませんか?アルコール依存や薬物依存症、肥満などカネに甘え過ぎた結果そうなっているように思えます。

■ あからさまなセックスや暴力というのも人間関係に無理矢理つながろうとする甘えの衝動です。現代の子供たちは無邪気に親に甘えることができないから、いろいろ悪さをするわけです。

― なア?みずき、お前の性欲の世話なんてしてらんないんだよ。自立しなさい。

☆ それってどーなのかなー?あまりに人間関係を無機質化してって一体、何か実りがあんのかなー。

― あるある!文明文化はそうして発展してんじゃん。セックスと戦争ばかりしてたら子供がバンバン生まれて、人間がバシバシ殺されて…それを避けるためにエロマンガとか格闘ゲームがあったりすんじゃん。

☆ それじゃあ、ただまぎらわしてるだけじゃん!

● そうですよ。人間の本能は壊れているから常に松葉づえが必要なんですよ。

― それが松葉づえだった時代はよかったんですが、今はサイボーグの義足みたいになってませんか?

● というか、幻想の足っていうかね。君のやってるインターネットなんかまさに瞬時にどこへでも行けるわけだろう?

― ええまあ。外国のサイトでも、過去の映像でも、いつでも閲覧できます。ドラえもんの「どこでもドア」と「タイムマシン」みたいなもんです。でも実際は全然、動いてない。まったく幻想の世界を頭の中で一人旅してるようなものですね。

● 君はさっき「外傷体験は孤独にさらされること」といったが、それは幻想であれ世界とつながってるという自覚さえあれば意識されないわけだ。逆に言えば、その幻想が不意に破れた瞬間、人は孤独のどん底に突き落とされるわけだ。それこそ街の中だって、家の中だって。

― ええ、ええ。ですから自分の常識を覆されたという、一種の恐怖がそこにあると思うのです。セクハラとかパワハラとか、現代人がハラスメントに過敏になるのも、それだけ狭い自我が不安定だからだと思うのです。みずきは電車で痴漢されたことある?

☆ あるある!

― で、どーすんの?捕まえて駅員とかよぶの?

☆ しないしない。

― へえー、叫んだりしないんだ。「この人チカンでーす!」なんて。

☆ いえないよ、恥ずかしい。

― 岸田先生、こういう場合は、彼女は抑圧してるわけですか?

● まさか。ああいう反応をする女というのは自意識過剰なんだよ。「自分は痴漢されるほど魅力がある」ということを人前で誇示したい。それも女性らしさという共同幻想が劣化してる男女平等の現代だから仕方ないですが。みずきさんの場合、さっきいったようにその痴漢行為がハラスメントでなかった、つまり別に恐怖でもなんでもなく、まあ、よくあることだと観念したわけだろうね。

― セックスや暴力というのも多分に孤独にさらされる行為だと思うんです。さきほど土居先生がおっしゃいましたが、人間関係に無理矢理つながろうとするとき、やはりそこには自分だけ疎外されているという孤独感があるように思います。襲われた方もその暴力自体に恐怖するのではなく、不意に孤独に突き落とされたことが外傷体験になると思うのです。

● ただ、外傷体験というのは常に恐怖とは限らないと思うな。甘酸っぱい初体験をいつまでも忘れられないのは、そこに心地よいものもあるからじゃないか?

― ええ、ええ。ですから、忘れられない思い出というのは多かれ少なかれ外傷体験だと思うんです。それまでの狭い常識が覆されたという意味で。心地よい痛みというのもあると思うんです。芸術活動の衝動なんてまさにそれを求めてやってるわけで。

● ははは、じゃあ、芸術家はみんなマゾだな。

― と同時にサドですよ。過去の常識を刷新してきたいんです。自分の世界をバージョンアップしていきたいわけです。覆されたことを否定するから恐怖になるのであって、変わった自分を肯定した方がいいと思うのです。

● じゃあ、テロ法が急ピッチに可決されそうな現状の日本はいまだに恐怖してるのじゃないか?国際社会に対して、アメリカに対して。

■ 私も同感です。日本が明治以降やってきたことは何もかも悪かったようにいう自虐史観はアメリカや西洋に対する迎合で、それは戦争に対する恐怖と世界の孤児にされるという恐怖が根底にあると思います。何も恐怖をなくせというのではなくて、むしろその恐怖を自覚せよといいたいのです。恐怖を一時的に回避するだけでは根本的な解決にならないというのです。真の安全は恐怖の生き生きとした感覚から生じると思うのです。

― じゃあ、民主党の代表みたいに、もっと積極的に国際社会のテロとの戦いに参戦せよ、と?

● だからテロっていうのもセクハラと同じなんだよ。モラルハラスメントなわけ。国際社会の常識に反するものはすべてテロになっちゃう。だからミャンマーや北朝鮮のような軍政は国際社会にとって脅威なわけ。もし私が「グローバリズムだア?普遍主義だア?あんなのくだらねえよ」といったら私も立派なテロリストになっちゃうけれど、言論の自由があるから殺されはしない。

■ イスラム社会ではいまだに宗教を重んじる国が多いですから、あらゆる権威を認めない近代精神とは摩擦や衝突が起こるわけです。以前、アメリカに留学していた時に感じたことですが、あちらはポリティカル・コレクトといって人権や差別問題に対して現代において正統であるか、異端であるかという区別をするわけです。そして正統は常に異端を排斥、糾弾するのです。その図式はキリスト教の歴史の中で顕著なんですね。ですから、国際社会を正統とすれば、それに対する異端はみんなテロ支援国家という図式になってしまう。全世界が正統一色に染まるまで「テロとの戦い」も終わりませんよ。

― とてもつき合ってられませんね。やりたい人だけやっていればいいですが。

● まあ、人間は戦争が大好きなんですよ。その事実を認めることからしか回避する手段は生まれないと思いますね。狭く固まった自我を突き崩すことを日常的にやって、つねに自我を広く柔軟に保っておくことです。だから私みたいにふまじめに生きて、異常だとか変なことに慣れっこになればいいんです。君の書いてるものなんか全部、異常な世界じゃないか。

― ははは、ありがとうございます。お褒めの言葉をいただき。ボクはもともと酒もタバコもやらないし、ケータイも使わないし、友達づきあいもない、大した責任感で会社勤めもしてないわけです。まるで風来坊ですが、そうやってどんどん関係を断ち切っていくと、最後に見えてくるのはコトバなんですね。土居先生が「甘え」というコトバにこだわり続けるのも、ボクが「唯愛論」にこだわるようなものじゃないかと思うのです。で、さらにコトバも突き放しちゃうと、何が見えてくるか?と今、探してるわけです。

■ そんなことできるのかね?

● 彼はね、痴呆の老人の世話をしてるんだよ。ウンコ、シッコまみれの生活してるの。

■ へえ、それはえらいなア…。

― いえ、べつに。半分、趣味ですから。岸田先生がさきほどボクの書いてるものが「異常な世界」とおっしゃいましたが、痴呆老人は日常がああだと思います。徘徊、弄便、作話…彼らの行動は奇妙ですが、ものすごく素直とも見えます。心地いいくらい世間の常識を破ってくれるわけです。

● ははは、モラルハラスメントなわけだ。無力なテロリストだな。

― 昔は「女子供」といいましたが、それにも権利を与えて社会に追い立てた結果、そういう無力で全能な存在、つまり常識が通じない他者が社会にいなくなったんだと思います。

● まあ、昔から「地震雷火事オヤジ」なんて恐いものをちゃんと畏れていたわけだけど、最近はオヤジも恐くないし、お化けもでないし…科学のおかげで恐いものがなくなったせいで、何でもないものが恐いのかもな。

■ 現代の宗教が宗教としての活力を喪失しているのも、科学や経済によって人々の無力感が喪失しているためではないかと思います。またイスラム原理主義や非民主国家がやたら武装化するのも、その反動ではないかと思います。ですが、宗教が権力を志向するということは、オウム事件をみてもそうですが、宗教としての破産を意味すると思います。

― さっき、コトバを突き放した先に何があるか?といいましたが、漠然とですが、死とか、神とか、どうも宗教臭いんで困ってるのです。

■ 何で困るんですか?人間には人間を超えた永遠への思いがないと人心は荒廃すると思いますよ。物質的に豊かになって、人生八十年になっても、こんなに精神を病む者が多いんじゃ、結局はこのイデオロギーも破産してるんじゃないか?

― じゃあ、宗教がインチキ臭くもなく、生き生きと人々の心を癒してくれる時代というのがこれから求められるのでしょうか?

■ 日本人はもともとそれが得意だと思います。葬式は仏教、結婚式はキリスト教、七五三は神道という風にうまく使い分けていますし、食べ物や製品にしても世界中のものを自分流にうまく加工している。こういう才能こそ「甘え」のなせるわざだといったら我田引水すぎでしょうか。絶対的な物差しが欠けているから「いいものはいいじゃないか」と、こだわりがないと思うんです。

― ボクの唯愛論も、何でも愛して、よけりゃ使えばいいという考えなんです。ただ、最後には捨てなきゃならないという原則があるんですが。

● それがどうもよくわからないんだよ。

― たぶん、そこが甘えと愛の違いだと思うのですが。愛は破壊的で、支配的なんです。そして憎しみと同居するのです。甘えはせいぜい恨みや妬みに変わるだけでしょうが。仏教が「愛別離苦」と説くように愛が苦悩の原因にもなるから我執を捨てるのです。日本に甘えの文化が発達したのも、もしかすると、かつて愛の破壊性に辟易した時代があったからではないでしょうか?親子で敵討ちをしたりとか…。家康が幕府を立てたときも愛を封じることを政治の基本においたように思います。諸法度とか禁教令とか、鎖国なども海外からの愛を封じる手だったんじゃないでしょうか?

● そんなに愛が苦しみなら、君も甘えていればいいじゃないか。

― これがどういうわけか人に甘えられない性格でして。たぶん、親が心ここにあらずという抑鬱状態のときに三つ子の魂が育ったせいかもしれません。岸田先生は生みの親ではないとは知らず甘えられた時代があったから、いまだに育ての親を恨めるんじゃないですか?

● じゃあ、君も母を憎んで、捨てればいいじゃないか。

― べつにそこまで愛を感じないというか。捨てなくともいつか死別しますし。そういえば、最近、母が料理をしないんですが、それが「自分は糖尿ぎみだから食べてはいけない」という恐怖ゆえだと、さっき、土居先生のお話をきいてわかったんです。

■ それも戦後日本と同じく、一時的に回避するだけで根本的な解決を求めないのは、本人が恐怖を自覚しないでいるからです。糖尿病に対する正しい認識さえ持てば、びくびくしなくとも、いくらでも対処法はあるんですから。医療に携わっていると、つくづく日本には自助の理想がないと思わざるを得ません。それも甘えの病理だと思いますが。

― それは日本でなくとも、例えばアメリカのアルコール依存症の更正施設でも同じなんじゃないでしょうか?患者自身が「治したい」という意志を持たなければ、医師がそれを持ったって…。

● それは「白衣の先生」に対する絶大な盲信があるんですよ。医者なんてキリスト教時代の宣教師みたいなものでしょう。それはそうと、つい先日ですが、自民と民主の大連立構想が破綻しましたが、ああいう密室談合こそ、日本中にはびこる甘えの構造なんじゃないですか、土居先生?

■ というより迎合でしょうな。それが和や協調としてプラスに働いていた時代もあったのでしょうが、現代の自主独立のイデオロギーの下では単なる迎合としか認められないのでしょう。私自身は大連立を否定するわけじゃないですが、時代の空気にあわなかったんでしょうな。

● じゃあ、反対した民主党の議員たちの方が時代の空気を読んでると?

■ まあ、うさん臭さにうんざりしてるんでしょう。無党派層の国民も。

● そもそも国民がお上に対して批判的な目を向けられるというのも、それだけ客観的に現実を見られるような民主社会になったのでしょう。ま、その「現実」というのも疑似現実でしかないんですけども。

― 岸田先生はそれが「疑似現実でしかない」と、どのようにわかったのですか?それが甘えを排した、愛の認識力だと思うんです。

● さっきもいったように中学生の頃から強迫神経症だったので、フロイドを読みあさる変な少年だったわけです。話せば長くなりますから省きますが、ニーチェにしても、反キリスト教の思想家たちに学んだわけです、「この世に絶対なんてものはないんだ」と。

― ああ、それです、それです。愛も気まぐれな反面、いいと思えば何でもいいんです。むしろ、まったくどうなるかわからないから愛したくなるんであって、タカが知れてるものなんか愛せないんです。だから母親なんか憎めないのです。

■ じゃあ、我々はタカが知れてるものに甘えたり恨んだりしてるってわけだ。

― そうです、つまりそれはそれぞれの母とか、相対的な神ですよ。

● だけどタカが知れないものなんてあるのかね?それこそキリストみたいな絶対神だろう?

― 土居先生は新生児が出生後一年の後半くらいまでは親に甘えないと書いておられましたよね?

■ 母子関係が確立する時期は決まっているわけではなくて、その前段階で甘えは静かに潜行しているとも書いたと思う。

― それですよ。その前段階の甘えこそ、愛です。つまり生後まもなくの赤ちゃんは愛と憎悪でいっぱいなんです。全宇宙を支配し、破壊したいくらいの小悪魔なんです。でも、無力でできない。

■ 確かにある種の精神病理を説明する際、フロイドが「一次ナルシシズム」と名付けたように、滑稽にも見える思考の全能は本人がひどく無力な状態にあることが知られています。

● まあ、それもキリストが七日間で世界を創ったという神話みたいなもので、精神分析理論からすると原始的な状態にリビドーが完全な状態を設定することで、すべての病理に説明がつくわけです。その全能で無力な胎児が成長する過程で、だんだんいろんなことができるようになるとともに、できないことにも多く出くわし、それが自我を形成するというわけだ。

― ですから何もできない無力を受け入れることが全能への近道だと思うのです。唯愛論の前提は無力主義なんです。

☆ おいおい、それがまとめかよー。

■ いや、きわめて基本的なメンタルケアの鉄則かもしれん。甘えも、恐怖も、無力も、まずそれをあるがままに受け入れることから、それを断ち切る解決策もみつかる。

― だから、ここにいる四人の中では、みずきが一番えらい。

☆ え、なんでー?無力ってことー!?

― インテリじゃないから。

☆ それって、あたしがバカってことじゃん!ムカーッ!

― 知性への過度な信頼こそ、知性の奴隷となって、権力への屈従を余儀なくさせるのです。それも無力に対する恐怖のせいです。知性なんかで人間は強くはなれません。いくら考えても人間は葦にしかすぎないとパスカルも言ってるじゃないですか。

■ そうか、あれは人間の無力を否定しようとパスカルは言ったのだろうけど、否定しなくていいということか。確かに我々の世代はみんな西洋コンプレックスだよ。もっと無力を受け入れればいいんだ。私も九十ちかくになってようやくそれがわかったよ。

● ま、仏教だって、知性や意志、感情をすべて煩悩として放棄してるわけだし、結局、愛しても捨てるならすべては「空」と同じだ。なーんだ、結局、私の唯幻論と同じじゃないか。

― いいえ、ボクは先生たちみたいに持論でカネ儲けしたりしないですし、それを批判されても全然責任持ちません。愛は無責任主義でもあります。ですから、どうぞ、みなさんご勝手にお帰りください。今日はひまつぶしにつきあって下さり、ありがとうございました。では、さよーなら。



(おわり)