いまどうしてる?

           

mishima yukichi  切腹も自己否定を通じて、現実の全てを肯定するという道だ。RT @ yamamoto samurai 武士道といふは死ぬ事と見付けたり。

yproject_ 自分は最近、身体の奥底から出てくる音色とかリズムを重視してるんです。頭で考えて、ああしたい、こうしたいなんていうのは、何か頼り無くて…ましてや、人がどう思うかなんてさらに頼り無くて。

terayama shujin @ yproject_ それはある意味、芸術至上主義というか、君主主義だね。

yproject_ @ terayama shujin 何が君主なんですか?

terayama shujin @ yproject_ 自分を超えた主人を「音」に求めてる、という意味でね。

sakaguchi heigo 芸術家は、作品がすべてだ。作家なんて、ぬけがらみたいなものだから、太宰みたいに酔っぱらってどうでもいい女と心中自殺もやっちまう…。

kishida#shyou  人間には、そういう主人が必要なんです。赤ん坊のとき、親に依存した経験が死ぬまで残るんですよ。これは人間最大の病気ですよ。

terayama shujin  で、その主人が、母親から恋人とかカミサンとかいろいろなものに鞍替えしていって、最後に、形もない情報とかカネというものになってるのが、現代の情報社会なわけだ。絶対唯一神もなければ、偶像崇拝でもない宗教といえるかもしれない。

akutagawa_doragon それを私は小説『河童』で、近代教、生活教といったのだ。Nietzheはその価値低落に反抗して高貴な自己を維持するために「超人ツァラ」を創造したけど、発狂した。 RT @ F.Nietzhe 民主主義は政治的頽廃であり、人間の矮小化、凡庸化、動物化という価値低落を招く。

yproject_ @ akutagawa_doragon 認知症の人は一様に年齢を若く信じています。実際は85才なのに60才といったり。つまり、そこで時間が止まってるんですね。中には幼児退行してるというか、つい「かわいい」といいたくなる人もいます。

akutagawa_doragon @ yproject_ 何が言いたいのかね?私が自分のことを「或阿呆」といって自殺したのも早発性痴呆の徴候だったといいたいのか?

yproject_ @ akutagawa_doragon まあ…そうですが、しかし、それは本人、つまり「個」にとっては意外と幸福なんじゃないかと。むしろ、自己が崩壊することで、個が維持されてると思うんです。ボケていては自殺する意志さえ働きませんから。

mishima yukichi  akutagawaさんは自殺できたってことは自己は崩壊していなかった、つまり死ぬ寸前まで発狂してはいなかったというわけです。それは私と同じだ。

terayama shujin @ yproject_ しかし、それを「幸福」といっていいのかな?幸福も不幸も自己の意志があってはじめて感じられるものではないかね?欲望や願望が満たされるのが幸福で、満たされないのが不幸なら、自己がないというのは不幸ですらないのじゃないか?

yproject_ @ terayama shujin じゃあ、オルガスムスといいましょうか。幸不幸を超越した、無に近い感覚です。

kishida#shyou  幼児期には誰もが感じていた無意識な感覚だろうね。「自分」とか家族、社会という物語とか、時間とか空間、言語といった概念ができてきたあたりから、その無意識が希薄になる。それらすべての意識的束縛から解放されて、無意識になったとき、オルガスムスに至る。それを昔の人は「無我の境地」といったのじゃないかな。

mishima yukichi  大塩平八郎が中江藤樹の遺跡を訪れたときの旅日記に「自分が自分であることを忘れさえすれば、どんな逆巻く波も恐くない、後悔も消え去ってしまった」とある。この精神状態などは、一種のエクスタシーではないか?

sakaguchi heigo 島原の乱で虐殺されたキリシタンなども、処刑されるまで自分というものを意識していないから、死も恐くない。それはあの東京大空襲のとき、ビルの屋上に飛来するB29の編隊をカメラで撮影していた技術者にもいえる。そういう状態は一種の陶酔だね。覚醒剤でも得られる。

yproject_ そういえば、最近、有名芸能人とドラッグをのんでセックス中に絶命したホステスがいましたが、現代人は「自分」から逃れたいのかもしれません。ネットの匿名性にしても、変身したいというより、誰でもない誰かになりたい気がします。それは名前などついていない身体、個というものを確認したいのではないでしょうか?私にとって音楽をつくる行為も、そういうことだと思うんです。

terayama shujin @ yproject_ 君も病気をすればイヤでもわかるよ、個とか身体というのも束縛なんだと。

yproject_ @ terayama shujin 風邪をひいた時は、つらいですが、そういう時こそ、音楽に身が入るんです。

dr.yoro 個人とは、身体の上にしか成立しない。しかし、この国ではふつう、個人とは身体であるという思考をしない。この国に個人も肉体もなくなったのは、江戸以降の泰平、唯心思想のせいだ。 RT @ yan zainichi 日本人には身体がない。

terayama shujin @ dr.yoro 日本人の個が崩壊しているのは、情報社会になったせいだと思っていたけど、江戸以降の伝統というか、封建制というわけですか。

mishima yukichi そのとおり。「葉隠」はそういう泰平の世相に、死という劇薬の調合を試みたものだ。yamamotoさんは、その劇薬の中に人間の精神を病いから癒す有効な薬効を見い出した。私が戦後になって「葉隠」を愛読するようになったのもそのためだった。

dr.yoro @ mishima yukichi それで君はボディビルとか「肉体いじり」をやってたのか。しかし、今さら、ない身体を取り返すのは容易じゃないだろう。

yproject_ @ dr.yoro @ mishima yukichi よく芸能人がスポーツジムに通ったり、肉体改造したり、一般の人でもダイエットブームだったり、プチ整形したりするのも、もしかすると、mishimaさんと同じく、ないか、あるいは、なくなりそうな身体性を取り返そうという必死の試みなのかもしれませんね。

kishida#shyou @ yproject_ いってみれば、それは自分の身体を偶像崇拝しているようなものだ。あらゆる偶像が破壊された民主主義において、唯一偶像となり得るのは、自分の身体というわけか。一種のオナニズムだな。

doit#takeo 予言してもいいが、21世紀はきっとまた宗教の時代になる。

kishida#shyou @ doit#takeo でも、またキリスト教とか、天皇制とかが復活するとはとうてい思えない。大物語はもうつくれないんじゃないですか?

yproject_ @ kishida#shyou @ doit#takeo おそれながら、でも医学書はどんどん分厚く、きめ細かく充実していませんか?どんな無神論者でも医者のご厄介にならずに死ねますか?もしかしたら、科学とか医学そのものが大物語、大宗教といえませんか。kishidaさんだって、医者に「癌です」と宣告されたらビビるでしょう?無視できますか?

kishida#shyou @ yproject_ 君は無視できるのか?

yproject_ @ kishida#shyou わかりません。が、認知症の人は少なくとも自分の病気にも無関心です。「余命一ヵ月」と宣告されても、ビビるのはその時だけでしょう。

doit#takeo @ yproject_ 医学の立場からいうと、いかに医学が充実しても超えられない壁がある。認知症にしても、まだ解明できない部分が多い。ましてや、死なんかまったく未知の領域だ。

yproject_ @ doit#takeo そこが、前にdoitさんがおっしゃった「聖となるもの」じゃないですか?わからないものを「神」といって満足していた時代ではなくなって、わからないものをわかろうとして、またわからないものに遭遇するという永遠の追いかけっこというか、そういう「神なき」時代が現代なのでしょう。

sakaguchi heigo 永遠に人間はわからんよ。そして何も変わらない。生まれては死ぬだけさ。変わってるのは時代の上皮だけ。芸術家はつねにこの大地に立たなきゃダメだよ。カミサマなんか拝んじゃダメだし、死を祭り上げてもダメだ。何としても生きなきゃ!一瞬たりとも、そのオルガスムスを逃すな。フツカヨイになっても心中なんかしちゃダメだぜ。

yproject_ @ sakaguchi heigo はい…がんばります。みなさん、ありがとうございました。



fri. 9 july, 2010

<主な参考文献>

『物語としての宗教』寺山修司、岸田秀 昭和58

『性・家族・演劇』寺山修司、岸田秀 昭和55

『葉隠入門』三島由紀夫 昭和42

『革命哲学としての陽明学』三島由紀夫 昭和45

『東洋「哲学」について』鈴木大拙 昭和36

『日本的霊性』鈴木大拙 昭和19

『続「甘え」の構造』土居健郎 平成12

『涼しい脳味噌』養老孟司 平成3

『この人を見よ』ニーチェ 手塚富雄訳 昭和44

『寺山さんとの短いつきあい』岸田秀 昭和58

『第二芸術論について』坂口安吾 昭和22

『私は誰?』坂口安吾 昭和22

『肉体自体が思考する』坂口安吾 昭和21

『安吾新日本地理 宝塚女子占領軍』坂口安吾 昭和26

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