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What's Happening? ― I don't know. Anyway,he
said ...
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| 掌説「宇野浩二と芥川賞」(上) |
「小説というのは作者が何かを偏愛するものだが、5作品全部で、どうしてもという愛が感じられなかった」(池澤夏樹 2010) 「小説のマーケットとは本来そういうもので、そのおかげで純文学が圧倒されたというのは、菓子屋の繁昌のおかげで酒屋が衰えた、というような変な議論である。」(『「純文学とは?」その他』三島由紀夫 1962) 「菊池寛は正直な人である。文芸春秋社の派手好みは、両賞の設定が芥川龍之介、直木三十五の名前をつかって、雑誌を賑わすにあり、亡友を記念するのは二の次であることを計画中から洩らしている。(中略)賞がShow化する要因は初めからあり、それだからこそ文学賞の繁栄がもたらされたと、今ならいえる。」(『「芥川賞」設定の由来』瀬沼茂樹 1977) 「昭和十年代の後半にみられる芥川賞の戦時色の問題は、前半にみられる左翼作家の敬遠という問題ともあわせて、賞の存在理由を根本から問うものであったことがあらためて銘記されるべきであろう。」(『芥川賞作家と非芥川賞作家』高野斗志美 1977) 「当時隆盛な左翼文学に就ては、芸術的に極めて低俗なものであったから全く魅力を覚えなかった。もしあの当時左翼芸術に高度の芸術性があったら、私の今日もよほど違ったものになっていたと思う。」(『処女作前後の想い出』坂口安吾 1946) 「とにかく点がからく、新人なで切りの張本人であって、他の評者が甘い評点をつけても、一切それにおかまいなしに候補者なしとか、授賞作品に悪罵を投げかけている(中略)誠に稀有なる存在であった。文学にそもそも本質としてノイエス(著者註:目新しさ)を求める精神からすれば、新人賞に文句抜きに絶賛できるような作品は、そう多く現れるはずはないからである。」(『芥川没後五十年と「芥川賞」の風雪』長谷川泉 1977) 「現代文学がおち込んでいる繁栄の中の貧困というきびしい状況に対して、出版ジャーナリズムの年中行事化した、ショウとしての芥川賞ということでは、良質かもしれないが小粒な作家たち、時代の平均的函数としての優秀生しか送りだせないだろうという、そういう問題を指摘しているにすぎない。」(『芥川賞作家と非芥川賞作家』高野斗志美 1977) 「じゃあ、五回にいっぺんくらいは「なし」にした方が宣伝効果もあるかもな」(菊池寛 2010) 「もうやめたがいい」(芥川龍之介 2010) 「選評の方だけ公開したらどうかね?」(宇野浩二 2010) 「そう、それ自体をショウにするのさ」(坂口安吾 2010) 「例えば、こんな感じ…」(宇野浩二 2010) 「『うまさ』といふ点だけみれば、づぬけてゐた。大衆小説ふうの興味があり芸術味にかけてゐるのが『いや』であつた。いはゆる大衆小説になりきつてゐないところはよい、と思った」(井上靖『闘牛』について 宇野浩二 1949) 「不可解な小説。物ありげに見えて、何もない、バカげたところさへある小説」(安部公房『壁』について 宇野浩二 1951) 「うまい工合に、今の時世にむくやうな事を書き、それにふさはしい理窟を述べてゐる。そのかはり、読ませるところもあるが、ウスッペラで、作り事が、作り事になつて、真実の感じがしない、つまり、読者の心にせまるものが殆んどない」(堀田善衛『広場の孤独』について 宇野浩二 1951) 「今度の候補作品が一般に低調であった中では、(『中では、』である、)私には、まづ、面白かつた」(小島信夫『吃音学院』について 宇野浩二 1953) 「こんども、(『こんども』である、)芥川賞に該当する作品が、皆無であった、その皆無の中から、一篇を生みだすのであるからそれで、ずいぶん難儀難渋した、という意味である」(『皆無難』宇野浩二 1953) 「この小説だけでは推薦しにくいけれど、この前に何度か候補になった幾つかの作品より、いくらか上手になつてゐる上に、作品としても増しなものである」(吉行淳之介『驟雨』について 宇野浩二 1954) 「委員会の翌日にこの作品を二度も読んでみたけれど、その結果、この小説は芥川賞に該当しないと、ここで、言明する」(遠藤周作『白い人』について 宇野浩二 1955) 「しひて意地わるく云へば、一種の下らぬ通俗小説」(石原慎太郎『太陽の季節』について 宇野浩二 1955) 「やはり大江の『飼育』が一ばん増しである、という事になり…但し、私はあくまで「反対」である。…結局、私には、芥川賞をきめる事は、いつも「厄介な重荷」である。…私も『飼育』はみとめるが、この作者が、今までの幾つかの作品に見える、気どりと、無理に見える病的なところがなくなれば、よいのではないか、と思うけれど、それらがなくなれば、この作者の小説の特徴がなくなるかもしれない。」(大江健三郎『飼育』について 宇野浩二 1958) |
2010年1月27日 (水)
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| 掌説「宇野浩二と芥川賞」(下) |
「もういいよ…なんだ、ケチばかりじゃないか。そんなので景気のいいショウになるかよ」(菊池寛 2010) 「じゃあ、褒め言葉も…」(宇野浩二 2010) 「一口に云ふと、構想も手法も、大胆不敵の如く見えて、実は可なり小心で細かい気配りの行きとどいてゐる小説。一種の奇妙なユウモア」(火野葦平『糞尿譚』について 宇野浩二 1937) 「一種独得の風格と味のある文章で、或ひは写実的に、或ひは抒情的に或ひは象徴的に、簡潔でありながら、可なり重厚に且つ克明に書いてゐる」(中山義秀『厚物咲』について 宇野浩二 1937) 「戦前に比べると、戦後は投げやりな感じだなア」(坂口安吾 2010) 「戦争がいけないんだよ。戦時中なんか最悪だったな。国策に都合のいいやつばかり無理に選んでたから、いやになって選考委員投げ出しちゃったよ」(宇野浩二 2010) 「だけど、君の判定基準で選んでたら五回にいっぺんに「なし」どころか、授賞が十回にいっぺんになってしまうなア」(菊池寛 2010) 「宇野さんは言葉に憑かれすぎてるよ。一緒に喋ってると、聞いてる方が疲れてしまうね。人に会うより手紙で済ましたいというのもわかる気がするよ」(『お喋り競争』より 坂口安吾 1936) 「宇野さんは翻訳本の活字に憑かれたように見えたな。甘いものがなくては我慢できない人が駄菓子屋の飴玉までしゃぶるように西欧文学を読みあさってた。酒もたしなまないから、もちろんシラフで、いつでもどこでも文学について語ってた。しかも、論客が論じるように唾なんかとばさない。恋をささやくように、ひそひそと、綿々と語るんだね。戦後になってカッコの多い文章が増えたけど、僕はそこだけ拾い読みしてた。そっちの方が宇野さんのささやきを聞いている感じがしたから」(『宇野浩二』より 石川淳 1961) 「気に入ったものを書いたからほめてやる、つまりは文学一途の、余事、私情にこだわらない鷹揚さだった。再三新聞小説を書いているが、どれも成功せず、つまりもともと通俗小説は書けない作家で、それがかえって文学の純潔を保った。私小説以外は認めないと頑固に口外したほどで、代表作もおおむね私小説。斬れば血の出るていのものだった」(『宇野浩二さん』より 川崎長太郎 1961) 「しかしなんだ、僕ら小説家っていうのは、他人の事を書いても自分の事しか書けない質だね。よくいえば正直だけど、悪くいやア、芸がない」(坂口安吾 2010) 「森鴎外の後期以降の伝統だろうね」(菊池寛 2010) 「それだよ、それ。反対に、自分の事を書いているのだろうけど、他人事のような小説ばかり出てくるようになったから、こッちも投げやりになったんだ。真実の感じがなくなったのはなぜだろう」(宇野浩二 2010) 「基地を他国に提供することで国の防衛を自らの手でなすのではなく、事実は物質的にも、精神的にも被占領民族としてあるいは被占領国家としての高価な犠牲において、文学をも含めての文化の段賑を極めているということなのである。」(『「芥川賞」と時代状況―戦後―』長谷川泉 1977) 「もっとも大岡氏自身「堕落」を免れていたわけではない。氏はシナリオを書き、春本を書いて文士商売をする。それが「堕落」であるのは作品が春本だったからではなく、意志と労働が欠如しているからである。あるいは「偉大であった明治の先人達の仕事」につながっているという自覚が持ち得ないからである。」(大岡昇平著『俘虜記』解説 吉田熈生 1967) 「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。(中略)人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人のごとくに日本もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。」(『堕落論』坂口安吾 1946) 「文学もまた堕落したんだ。だから経済的繁栄という国策に都合のいいやつばかりだろう」(宇野浩二 2010) 「そろそろ堕ちきって、自分自身を救うべき時期にきてるのかもな」(坂口安吾 2010) 「テロも起きて戦時みたいなもンだし、金融危機もあったし…こんな不況じゃ宣伝もあったもンじゃないから、しばらく中止でいいか」(菊池寛 2010) 「同感」(一同 2010) |
2010年1月27日 (水)
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| 大人になるということ |
「他人の虚偽がみえるのは容易なことだし、それを見つけて騒ぎたてるのも容易なことだ。しかし、その瞬間にひとは裸の王様になっているのである。僕はこの世が子供にわかるような正論ではどうにもならぬといいたいのではない。真実をいうためにはいつも虚偽の意識に耐えなければならないということが、思想上の子供にはわからないのである。」(『鮎川信夫「歴史におけるイロニー」』柄谷行人 昭和46) 「政治とカネ」の問題で、「他人の虚偽」を見つけては騒ぎたてている検察もマスコミも「裸の王様」であろう。まず、カネがかかりすぎる政治をどうにかすべきではないのか? 「私も、何となく「ウソ」というドス黒いような言葉より、「正直」というクリーニング屋からかえって来たてのワイシャツみたいな白く光った言葉が好きだし、ウヌボレと虚栄心から、自分を相当な正直者だと思っている。」(『不道徳教育講座』三島由紀夫 昭和34) 「裸の王様」たちも「ウヌボレと虚栄心」から、正論で真実をいおうとするのではないか? 「ウソをつき得る小児は感受性の比較的鋭い、しかも余裕があって外に働きかけるだけの活力をもった者に限るらしいから、一つの学級でも一人有ったり無かったりするほどに稀である。」(『不幸なる芸術』柳田国男 昭和28) こういう「小児」が長じて政治家になるのではないか? 「子供は大人と同じように、ずるい。牛乳屋の落第生なども、とてもずるいにはずるいけれども、同時に人のために甘んじて犠牲になるような正しい勇気も一緒に住んでいるので、つまり大人と違うのは、正しい勇気の分量が多いという点だけだ。」(『風と光と二十の私と』坂口安吾 昭和22) 安吾は二十の頃、代用教員をしていた。四十の彼は小説という「虚偽の意識」の中で「二十の私」をこう評す。 「この時期の青年は、四十五十の大人よりも、むしろ老成している。(中略)私は臆面もなく老成しきって、そういう老成の実際の空虚というものを、さとらずにいた。さとらずに、いられたのである。」(『風と光と二十の私と』坂口安吾 昭和22) こういう老成した青年が「正しい勇気」で「人のため」の政治をやっても、正論だらけで行き詰まるだろう。「人のため」より自分の「ウヌボレと虚栄心」のためにウソが必要となったら、もう大人であろう。政治もそういう「大人のウソ」の一つである。永遠の子供でいたかったら、特攻隊員のように人のために甘んじて犠牲になることだ。 「第一、子供としての子供はルソー以前はいなかったのですね。実は、子供たちは「遊び」もしていないが、「労働」もしていない。それは子供だけではない。人間はごく最近になって「労働」しはじめたのです。」(『フェティシズムについて』柄谷行人、岸田秀 昭和53) 「なんだか、西洋人の観念には、神という絶対の存在――つまり比類を絶した唯一のウソ――があるように思いますね。」(『日本人の二十世紀』司馬遼太郎 平成5) その「比類を絶した唯一のウソ」が廃れて、近代思想が広まったせいで、「ごく最近になって」「大人は労働、子供は遊び」という「小さなウソ」がまかり通るようになったのではないか?どこかの成人式で今年も一騒動あったそうだが、大卒の就職内定率が6割、高卒ともなると4割をきるという「働けない」状況で、どう大人になれというのか?と、子供からお叱りを受けても仕方がない。正論が通らぬことを身にしみて知る彼等の方が「裸の王様」よりよほど大人かもしれぬ。 |
2010年1月11日 (月)
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| 時間を抹殺する |
「二年来、死は人間達の最上の真実な友だという考えにすっかり慣れております。―僕は未だ若いが、恐らく明日はもうこの世にはいまいと考えずに床に這入った事はありませぬ。」(中略)これは、「ドン・ジョヴァンニ」を構想する前に、父親に送った手紙の一節である。」(『モオツァルト』小林秀雄 昭和21) こんな手紙を出すモーツァルトは三十路にして立派な鬱病であろうが、それが病気でもなさそうなのはどういうわけか? 「そういう音楽世界は、彼には、少年の日から親しかった筈である。彼は、この音楽に固有な時間のうちに、強く迅速に夢み、僕等の日常の時間が、これと逆に進行する様を眺める。(中略)それは、又、無心の力によって支えられた巨きな不安の様にも見える。」(『モオツァルト』小林秀雄 昭和21) 「レヴィ=ストロースに言わせれば、音楽と神話は時間を否定するために時間を必要とする、どちらも時間を抹殺するための手段なのである。」(『レヴィ=ストロース』吉田禎吾ほか 清水書院 平成3) 「時間はわれわれの重荷である。満足されなかった欲望に刻み込まれた悔恨に引きずられて時間を発明したために、われわれはますます泥沼にはまり込むことになった。」(『時間と空間の起源』岸田秀 昭和50) 「少年の日」から音楽によって「時間を抹殺」し、悔恨の「泥沼にはまり込むこと」から逃れていたモーツァルトにとって、人生は「無心」と「不安」の連続であったろう。 「死は、多年、彼の最上の友であった。彼は、毎晩、床につく度に死んでいた筈である。彼の作品は、その都度、彼の鎮魂曲であり、彼は、その都度、決意を新たにして来た。」(『モオツァルト』小林秀雄 昭和21) 天才は、その「無心」と「不安」を音楽で埋めることで、「死は最上の友」になるのかもしれぬが、凡人は、それを欲望で埋めなければならぬから、「悔恨に引きずられて」ウツになり、ときに死にたくもなる。今年も自殺者が三万人を軽く越えるという日本に必要なのは「音楽と神話」と、百歳まで生きたレヴィ=ストロースなら言うだろう。 「神話は過去形で語られていても、実は、いわば神話的現在という時制で語っていると考えられる。過去、現在、未来はすべて一まとめにされ、同じ論理の型に入れられる。彼はこれを神話の時間統合機能とよんでいる。」(『レヴィ=ストロース』吉田禎吾ほか 清水書院 平成3) 今年の流行語に「歴女」が入り、『1Q84』が大ヒットし、歴史・時代ものがブームであったというのも、その「時間統合機能」が求められた現象か。 「僕等の人生は過ぎて行く。だが、何に対して過ぎて行くと言うのか。」(『モオツァルト』小林秀雄 昭和21) 「ベルグソンは、普通世間でいう「時間」とは例えば時計の針の動きで計るような、実のところ空間化された時間であって、人間が精神の裡で経験する時間、いわば「生きられる時間」ではないということを明らかにしたのである。(中略)「空間化された時間」とは「流れた時間」なのである。そして、いわゆる近代とは、この「空間化された時間」の時代であって、ベルグソンの哲学が根本的に反近代であった理由もそこにあるのである。」(中原中也著『汚れっちまった悲しみに……』解説 新保祐司 平成3) モーツァルトの音楽も彼が「生きられた時間」の産物であり、その無心は「反近代であった」はず。近頃、若い人の間で「リア充」なる言葉が流行っているそうだが、その「リアル」というのも、「空間化された」現実にすぎず、「精神の裡で経験する」充実に比べたら、さほどでもないらしい。 「われわれの大部分は、事物や情報を右から左へ動かすことで生計をたてている。そういう生活が何ら実質的なものに触れられないのは当然のことで、人間があいまいにぼやけてきたのは、われわれの生活様式そのものからくる現象である。」(『生きた時間の回復』柄谷行人 昭和48) しかし、時計もカレンダーもない反近代的な生活様式(認知症はほぼそうだ)になったとしても、絶えず音楽と神話で埋めていなければならぬのなら、ほどほどに時間に拘束され、欲望にはまり込んだ方が幸福であろう。 |
2009年12月25日 (金)
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| 不景気歓迎論 |
「'28〜'31年の4年間はジュニア・カレッジ(今でいう高校)にいて、まあ、その頃はひどい不景気でしてね、卒業しても行く所がなかったし。その頃いろいろな事情からいわゆる増幅器というものに需要が出て来てね。一番最初にアンプを売ったのは'31年だったかな?どこかのダンス・バンドだと思います。」(プレイヤー誌別冊『ウィ・ラブ・フェンダー・ギターズ』掲載 レオ・フェンダーへのインタビューより 1982) この「不景気」とは1929年に始まった世界恐慌のこと。20歳のレオ・フェンダーは当時、会計士で飯を食うつもりだったらしい。ということは、この不景気が「ソリッドギターの父」を生んだともいえよう。 「遷移には革命がつきものである。優占種はその時代の環境に最も適合しているからこそ優占種でありうるのであって、環境が変化すれば、凋落せざるをえない。たとえ、社会主義の次の段階が共産主義であるという予測が正しいとしても、その移行をになう主役は、社会主義社会の中でいま醸成されつつあるまだ知られていない種であって、現在の体制をになっている優占種ではないだろう。」(『エコロジー的思考のすすめ』立花隆 1971) レオは第二次大戦中、会計係をしながらラジオ修理業を営み、戦争終結後、40歳近くでフェンダー社を起す。そこで彼は新時代への「移行」の主役をになったといえるが、ベトナム戦争の時代となるや、経営の行き詰まりや自身の健康問題から会社を手放し、仲間と小規模なメーカーを設立した。結局、彼は「優占種」になることもなく、晩年まで「遷移」いや、「革命」し続けた。取得したパテントの数々がその勲章であろう。 「時代と全然かけ離れた独創的な個性は珍しくないかも知れぬが、それが時代に圧しつぶされずに、時代の方を圧しつぶした例は珍しいようだ。理解せられざるままに時代を征服した。」(『「信長」作者のことば』坂口安吾 1952) 織田信長も鉄砲によって戦に革命を起した人物だが、周囲の人間には「戯け者」としか映らなかったという。レオも創業者でありながら会社を去るとは、周りの人間には「戯け者」と映ったであろう。しかし、革命家とはそういうものなのかもしれぬ。 「最初にストラトキャスターを見たときの印象を表現するのは難しい。今じゃ、知らない人はいないほど、ごくあたりまえの存在になってしまったからな。でも、当時は別の惑星からやってきた楽器のようで、とてもギターには見えなかったよ。外観があまりに突飛だったから、弾いてみたいって気にはならなかった。」(『フェンダー・ストラトキャスター・ストーリー』東亜音楽社 1997) こう述懐するのは、シャドウズのハンク・マーヴィン。そんな「突飛」な楽器を世に知らしめたのが彼だとすれば、さらにそれを「ごくあたりまえの存在」にしたのが、この人であろう… 「テレビの『トップ・オブ・ザ・ポップス』で、ヘンドリックスの<Hey Joe>を見たときは面食らったよ。彼が弾いていたのがストラトで、そこからすごいサウンドが飛び出してきたんだからなおさらだった。そういうプレイを聴いて、自分の進むべき道はこれだ!と思ったこともあったが、すでに方向転換が不可能な状況に陥ってた。一度、スタイルが定着してしまうと、そこから抜け出すことは非常に難しい。」(『フェンダー・ストラトキャスター・ストーリー』東亜音楽社 1997) シャドウズといえばベンチャーズと並ぶロック黎明期の革命的バンド。それが時代に合わせてコロコロとスタイルを変えたのでは、バンドの名も文字どおり「影」になってしまう。 「危機の時代、変動の時代には、専門家よりも環境変化に臨機応変に対応できるなんでも屋のほうが強いのである。現代の生活環境、経済環境はあまりに急テンポに変化しつつある。うっかりスペシャリストをめざして、一つのジャンルの中に自分の機能を固定してしまうと、そのジャンル全体が消滅して、いきどころがないといった悲劇的な事態さえ起こりかねない。」(『エコロジー的思考のすすめ』立花隆 1971) 「フェンダー」という大看板を捨てたから、レオは80歳を越えて初心を貫くことができたのであろう。『成功は一日で捨て去れ』というユニクロ社長の経営論が成功する昨今も「危機の時代、変動の時代」にちがいない。今も世界の片隅で未来の革命家が「戯け者」といわれながら会計係でもしているかもしれない。 |
2009年12月7日 (月)
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| 『無行動学入門』 |
「いつか又時を経て、「あいつはあんな形で、こういうことを言いたかったんだな」という、暗喩をさとってくれるかもしれない。もしこの三つのエッセイの共通点を、強引に取り出すとすれば、「何かによってしか証明されないものを、別の不適当な方法、すなわち言語手段によって証明しようとしたもの」と概括されるであろう。」(『行動学入門』あとがき 三島由紀夫 昭和45) このすぐ後に、三島は自決した。そんな形でどういうことを言いたかったのか?又何を証明しようとしたのか? 「三島が没年に著した『問題提起(日本國憲法)』では(中略)改憲にあたっては第9条のみならず第1章「天皇」の問題と、第20条に関する神道の問題を関連させて考えなければ日本は独立国としての体面を回復できず、アメリカの思う壺にはまるだけであると警告している。(中略)三島は檄文で「アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば…自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」とも警告した。」(三島由紀夫―Wikipedia) 「傭兵」であるから、雇い主の要請に応じてどこへでも出動せねばならず、「独立国としての体面」を失っても、雇い主に基地を明け渡し、思いやり予算まで出してきた。だが、政権が代わり、その「思う壺」にもヒビが生じて、雇い主としては焦っているらしい。 「三島由紀夫は「奇蹟」なしには人生を生きるに耐え得ない人間であった。(中略)そして戦後の啓蒙的合理主義に導かれた高度経済成長時代が来て、人々が全く奇蹟の足音を感じなくなると、彼はますます懐かしく奇蹟への強い希望に生きていた戦争の時代、特にあの純粋な「天皇信仰」に生きた特攻隊のことを想起したのである。そして彼はその奇蹟の希望を再現しようとして、まことに滑稽と思われる壮絶な死を遂げたのである。」(『百人一語』梅原猛 平成5) 「長篇『豊饒の海』が完結しても何の話題も投じることにはならないだろう、と悲観的に呟やいた。(中略)すでにこの時、一個の文学作品が文壇において評価されいかに問題にされようと、その事自体に「欠伸をして」いる三島由紀夫がいた。」(『写真集 三島由紀夫』文庫版あとがき 藤田三男 平成12) 書いても、書いても、何の奇蹟も起こらないことに焦燥と荒廃を感じ、もはや自ら行動に出るしかないと…これではオウムと同じではないか?しかし、映画『2012』が話題になる昨今も、ハルマゲドンとか奇蹟を信じたい人は多いのではないか? 「人間とは物語をつくるという病気にかかった動物である。(中略)キリスト教というのは、ヨーロッパの大きな物語であった。この大物語が崩れてヨーロッパの近代がはじまったと言うことができる。(中略)現代はそうした大物語がつくれなくなった時代ではないかという気がする。」(『小物語の時代』岸田秀 昭和58) 「つまり、神話と類似している音楽とは、ヨーロッパの、しかも一六、一七世紀に現れた音楽なのである。彼によると、その時代とは近代のはじまりであり、神話のもつさまざまな事象の起源や理由、世界の秩序などを説明する役割は近代科学に席を譲り、また文学的側面は近代小説へと変貌し、そして神話的思考の構造は音楽へ引き継がれたのだという。」(『レヴィ=ストロース』吉田禎吾ほか 清水書院 p.115) つまり、三島の育った戦前時代には「天皇信仰」という大物語、神話があったのだ。それが敗戦によって崩れたのだから、日本は二十世紀半ばになって、漸く「近代がはじまったと言うことができる」。現代人が「奇蹟の足音を感じなくな」ったのも、近代化のせいであり、奇蹟を信じながら近代小説を書いている滑稽さに気づいたとき、三島はどんな気持ちであったか? 「青年たちは、自分らがかつて少年雑誌の劇画から学んだ英雄類型が、やがて自分が置かれるべき未来の社会の中でむざんな敗北と腐敗にさらされていくのを、焦燥を持って見守らなければならない。そして、英雄類型を滅ぼす社会全体に向かって否定を叫び、彼ら自身の小さな神を必死に守ろうとするのである。」(『行動学入門』三島由紀夫 昭和45) そういう愚直というか神話的思考の人物ほど、犯罪者や自殺者、テロリストになるのではないか? 「「人生の艱難辛苦から逃れる道はふたつある。音楽と猫だ」これはドイツの偉人アルベルト・シュバイツァーの言葉。彼は神学の人であり、音楽家であり、哲学家にして医学の人。」(『運命の力』フジ子・へミング 平成13) ヘタに行動しないためには、天皇や国家はおろか、奇蹟も英雄も科学も恋愛小説すら信じないで、ひたすら「音楽と猫」を愛すに限る。 |
2009年11月21日 (土)
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| 才子才に倒れる |
「道鏡という題名はよくなかった。(中略)それを私が「道鏡」と題したのは、ジャーナリズムに媚びたので、いわば商品としての題名、私はいささかサモしい魂胆であったに相違ない。」(『道鏡』後記 坂口安吾 昭和22) といいつつ、彼はこの5年後にも同様の題名で書いている。 「たとえば、「道鏡童子」のなかで、孝謙天皇を「ミダラ千万な女帝」とする通説に対立して、安吾は「この女帝は終生童貞ではなかったか」と推測し」(坂口安吾著『安吾史譚』解説 川嶋至 昭和48) 道鏡についても「怪僧」とする通説に対して「甚しく純心無垢、童心の主」と推測している。安吾がここまで通説に対立した理由とは何か? 「これまで私などが教わってきた天皇中心の日本史のギマンを説き、権力者が作った歴史のカラクリを、特に古代史を中心に語って聞かせられました」(『聖なる無頼』村上護 p.198 昭和51) これは戦後間もない頃、安吾の秘書をしていた人物の話だというが、孝謙天皇とその寵愛を受けた道鏡はなぜ、ミダラ千万とか怪僧と教えられたのか? 「この説は女帝である孝謙天皇を蔑む儒教的風潮と相まって戦前まで言われることもあった」(道鏡―Wikipediaより) というか、天皇中心の軍事国家を作る上でのギマンではなかったか? 「俗書や俗説は道鏡の心理を作為して皇位をねらったと言うが、史料の語る事実に於て彼が自発的に皇位を狙ったと目すべきものは一ツもない。藤原氏の手先たる習宣アソマロが、道鏡を天皇にたてると天下が平らになろうと計画的な神託を奏上し、同じ一味の清麻呂がそれをくつがえして、すみやかに道鏡をのぞくべし、という筋書通りの芝居を運んだだけである。」(『安吾史譚(道鏡童子)』坂口安吾 昭和27) 道鏡の心理も、女帝との姦通も、歴史上の謎であろう。とにかく孝謙天皇には夫も子もなかったことが道鏡を寵愛というか、溺愛、偏愛させた原因ではなかったか?また、この人の母、光明子も異様に仏教に熱心だったという。 「才媛というタイプがある。数学ができるのだか、語学ができるのだか、物理ができるのだか知らないが、人間性というものへの省察についてはゼロなのだ。」(『悪妻論』坂口安吾 昭和22) 感情を理性で支配するのはいいが、現実のすべてまで理性で支配しようとする人は、何も女性に限らない。 「―いかにして女を治療すべきか―「救済」すべきか、この問いに対するわたしの答えを読者は知っているだろうか?子供を生ませることだ。」(『この人を見よ』ニーチェ p.89) 生涯独身だった孝謙天皇も、後世まで悪名を轟かす羽目になった道鏡も、結局、仏教に救済されることもなく、「才子才に倒れ」たのではないか? ときに民放各社は視聴率低迷で赤字続出だという。安吾が『後記』で省察するように、媚びたり、サモしい魂胆は捨てて、通説やギマンに対立するのが、倒れない道ではないか? |
2009年11月5日 (木)
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