2020年6月24日
「本日のコロナ注意報をお伝えします。東京地方は感染者数220名で、今期最高を記録しておりますので、夜の街に出かける際などは最大限のご注意をお願いします。」熱中症注意報とか花粉注意報より、こんなコロナ注意報がテレビで毎日出されるようになった。そこで思うのは、またこれで都知事の支持率が爆上がりでニンマリだろうなとか、当選した途端、気合い入れてきたなとか、ハチマキしめて「明日は渋谷でネズミ捕り、いや、PCR検査よ!陽性だったらボーナス、いやお見舞金10万出すのよ!」なんてハッスル姿が目に浮かぶ。まことにゴキブリホイホイのようである。あるいは切符きり。「止まって止まって、こっちこっち。はい、20キロオーバーね」取締りという名の得点稼ぎゲーム。きっと都のPCR検査チームにも得点制が敷かれているのだろう。「Aチームは歌舞伎町で30人だって。うちも負けてらんねぇから、明日は池袋で50人めざすぞ!みんな気合入れろ!」「ハイ!」みたいな絵が浮かぶ。切符きられて罰金どこか賞金くれるんだからみんな喜んで検査受ける。都はコロナ感染者を爆上げして、国にまた緊急事態宣言をさせたいらしい。その狙いは?経済爆下がり→内閣解散→総選挙→→→初の女性総理誕生!?まさか。でも今回の都知事選でもわかったように、世の中に不安や恐怖が広がると、なぜか目立つ指導者への支持が篤くなる。何のための東京アラート?その基準は?とか冷静に考える少数の人と違って、大半の大衆は不安と恐怖からまともな判断ができなくなるのである。昔からヒトラーとかスターリン、ムッソリーニがやってきた恐怖政治の情報化時代バージョンである。昔のように手荒なことはしなくてもいいからラク。例えば、延期されているオリンピックが来年に行われたら外国からホンマもんのコロナが爆輸入されて、日本は大パニックになることは間違いない。冷静に考えたら、その責任は強行開催した都知事ってことになるはずだが、すでに日本中がパニックになってるから、真逆に、神様、仏様、都知事サマってことになってしまいかねない。すでにそうなってるから、あの余裕の当選だったわけで、つまり、オリンピックは強引にでも開催してしまうことで、都知事の威信はさらに安泰というわけ。いっそコロナが諸外国並みに大蔓延して全国民に抗体ができた方がよさげ、といいたいところだが、ウィルスってやつは進化する。今年初頭にダイアモンドプリンセス号で蔓延した「初版」からアップデを重ねて、すでに欧米諸国あたりじゃver.3くらいで、もっとひどいブラジルあたりはver.5まで行ってしまっていて、そんな凶暴なのが日本(やっとver.2くらい?)に入ってきた日にゃ、ブラックバスが繁殖して在来種を絶滅させまくった沼みたいな状態になるかも。「そんならお先にブラジル行って最新のにバージョンアップしてくらぁ」なんて勇者が出てくるかも。で、帰国して友人に会ったら「え、お前まだver.2なの?そんな古い抗体でオリンピック観に行って感染したらおしまいじゃん。オレなんか天下無敵のver.7だぜ!ちょっくら歌舞伎町行脚して自慢してくらぁ」
2020年7月9日
YouTube動画の「命の選別」発言で、れいわ新選組を除籍になった大西つねきです。本当は記者会見の場でお話すべきだったんですが、質問に答えているうちに疲れ切ってしまい、ついに言えませんでしたので、この場を借りて全部、お話ししようと思います。みなさんはロズウェル事件をご存じでしょうか?今から70年以上前のこのUFO墜落事件が事の発端なのです、といっても信じてもらえるでしょうか。アイゼンハワー大統領が交わした密約というのがあります。反重力や時空間移動、テレパシーといった異星人の進んだ文明を軍事技術として応用させてもらう代償に、彼らが人類を含む地球上の生物を捕獲、研究することを許可し、それを隠匿するというものです。以来、相当数の人類が彼らによって捕獲され、交配まで進んでいるのです。つまり異星人と人類の雑種がすでに生まれ、我々の社会に溶け込んでいるわけです。かくいう私もアメリカにいた頃に何度か、誘拐された経験があります。あいにくその記憶はきれいに消されているので催眠術によらなければ詳細は思い出せないのですが、そういったUFOの中には地球製のものもあり、最近目撃されているものの半数はアメリカ製かロシア製だったりします。こんな話を唐突にすると日本ではオカルトとか言って怪訝な顔をするか、一笑に付する人が多くいますが、アメリカではかつての機密情報を政府や軍が隠匿するよりも公開する方向にあって、すでにたくさんの映画も公開されています。「インディペンデンス・デイ」などはご存じの方も多いと思いますが、ああいった作品はあくまでフィクションではありますが、機密情報が自然に受け入れられるように事実も少しずつ織り交ぜてあるのです。やっと前置きが終わって、ここからが本題ですが、今、世界中を席巻しているコロナウィルスですが、実はこれも異星人が関連しています。まさに彼らは人類を選別しようとしているのです。先ほどお話ししたロズウェル事件から始まった異星人との協同プロジェクトに異種交配というものがあります。彼らの進んだ技術を使って地球上のあらゆる生物の交配実験が進められているのです。その目的は温暖化や放射能汚染といった、これから来る地球環境の激変に耐えうる種を生み出すことです。今回のウィルスもその製造過程でできた遺伝子が偶然に中国で漏れてしまったのです。すでに彼ら異星人によって人類の選別は始まっているのですから、私の発言なども撤回する必要がないのです。我々よりはるかに高い文明を持つ彼らは私以上に倫理観に希薄で、それは我々の地球よりも過酷な月の環境で生存してきた当然の結果なのです。彼らに言わせれば、ダメなものは滅びる運命ということで、それは選別というより「淘汰」なのだと言えます。ついでにいえば、会見で質問があった「なぜ公の場でもマスクをしないのか」についてですが、私自身が異星人に選ばれたニュータイプだからです。
2020年7月21日
暑中、如何お過ごし?こちとら相変わらず、のらりくらり。この夏やったことといえば、パソコンを買ったこと。暑さのせいか、ある朝、電源アダプタが死んでた。11年前のMacBookを最新OSで酷使してたのもある。中の冷却ファンが追いつかなかったんだろうな。で、一週間悩んで3年落ちのAirを購入。例のコロナ定額給付金の半分で買えた。でもやはり過熱するので扇風機で空冷してる。主な使い道は音楽。写真みたいに楽器演奏をアーカイブする。家にある数本のギターと数台のアンプ、あるいはアコギで気の赴くままに演奏。それを24ビット録音、無編集で録り貯めるだけ。非圧縮のままで保存。これをスマホでも聴きたいと思ってSDカードを購入。アマゾンだと並行輸入でめちゃ安だった。それでスマホにハイレゾアプリを入れて再生したら、ちっこいスピーカーですら全然違う。そりゃデータ量10倍だもんな。圧縮されて余韻とか臨場感とかカットされてたんだとわかる。Airの内蔵スピーカーでMartinの音を聴くと、さらさらして柔らかい。ちなみにエレキはもうマイク録りしてない。押入れ爆音録りは卒業。OXという魔法の箱を通してライン録りすればMarshallのヘッドもフルで鳴らせる、無音で。JTM45と64年ストラト、これにヘンドリクスが惚れたのもわかる。自分の音楽を自分の演奏で自分だけで愉しむ、なんて、このSNS時代になんて内向き!いやいや、コロナ時代らしいでしょ。あと安眠効果がある。何千という自分の音楽ライブラリの中でもなぜか自分の演奏が一番よく眠れる。夜勤の仮眠中もスマホで流してると、アッという間に眠ってることに起きた時に気づく。最初の方しか覚えてないから。たぶん何も考えずに弾いてる肉体の所作が肉体に虚無、つまり安眠を呼びかけるのかな、と勝手に解釈してる。ホテルの着なれぬガウンより自分の匂いのついたパジャマの方がよく眠れるみたいな。これで残暑の熱帯夜も乗り切れそうです。もう一つ、ここ半年やってる事といえば、散歩。ステイホームと言われるとかえって外に出たくなる天邪鬼。思いつくままにGoogleマップで調べて勝手にルートを決めて毎回、5kmから長い時は15km歩いた時もある。夜勤明けにいつも歩くので、よく疲れないですね、と言われるが、むしろそれがいい。夜勤で睡眠不足と栄養不足で追い詰められた肉体が脳内でエンドルフィンを大量に分泌させて、もはや疲れすら感じない。毎月Googleからメールで一ヶ月間に歩いた距離が送られてくるのがちょっと楽しみ。その散歩でわかったのは、街はけっこう起伏だらけだってこと。その起伏は川がつくる。昭島に鯨がいたってことはそこまで太古は海だったわけで、それが隆起して、雨が降って川となり、水が砂や石を運んで、扇状地をつくった。さらに台風や洪水で川が氾濫して流域は移動する。その時、川が削ったところが崖となる。この気の遠くなる歳月によってできた大自然の営みを歩きながら身体で読み取ると、水害ってのは人災だなと。戦時中に中国での治水事業について脚本を頼まれた坂口安吾が自著にこう書いてる。「大黄河にもみまくられて育ったシナの歴史や文化に比べれば、飛鳥川に有為転変の感懐を託していた日本文化の源流というものは、温室育ちも極端であり、あまりにも小さすぎて、いじらしく、悲しく、おかしく、異様ですらある。」コロナに関しても中国は黄河の如くダイナミックに治めていくのだろう。それに比べて日本のコロナ対応は…まあ、言わないでおこう。
2020年9月8日
ケツバットされたことある?ビンタされたことは?今の学校じゃ暴力はご法度だけど、昔の教育現場じゃ日常茶飯事だった。あの痛さは忘れられない。しかし、それで一体、何を叩き込まれたのか。俺にケツバットした先生が、七十を越えた今も先生をやっていることを最近、知った。このご時世、相変わらず、教え子にケツバットしてるわけはないだろうが、卒業生たちの中には、大人になっても恩師を慕ってわざわざ会いに来るそうだ。ちなみに俺は卒業以来、二度とその先生とは会っていない。もう一人、俺にビンタをくれた先生がいる。たぶんテストの点数が悪かったんだろう。その痛みを糧に俺は志望校に合格できたわけだが、あれは二十歳になってからだと思うが、一度、その先生を囲んで同窓会みたいなことをやった。五年ぶりに会って一緒に酒を酌み交わした先生はなんだか妙に萎縮していた。「教え子たちがこんな立派に育っていくのに、俺はずっとおなじ場所で何も変わらない…」あの先生は教え子にビンタしながら、心の中では自分にもビンタしてたのかもしれない。「苦労は買ってでもしろ」と世間ではいうが、苦労なら金でも買える。ところが、挫折というやつは望みもしないのに突然やってきて、悪魔のように何もかも奪っていく。俺にもそんな危ない時期があった。今思えば、当時の俺はよく前科者にならなかったものだ。暴力によって自他を傷つける代わりに、自らの受けた教育に傷をつけていた。それでよかったのだ。その後に出会い、別れてきた人々が、その人生の中で遭遇したであろう、挫折に比べたら、まだ五体満足の自分には何もその傷が肉体に刻まれていないのだから。夢を追い続けて、一生、その夢の中で生をまっとうする幸せな人もいる。ケツバット先生のように。でも、現実(それは自然とか運命といってもいいが)は思い通りにはならない。津波とかコロナみたいなもんだ。こういうものに出会った時、ある人は視力を失い、手足の自由を失い、言葉や記憶を失う。そうして挫折を肉体に刻んで生きていく。仮にその挫折を無事に生き延びても、心が折れて自ら命を断つ人もいる。最近、どうも俳優の自死が多いのもそういう塩梅か。挫折した時、人は自分の方を変えるべきだ。これは不幸な人生であろう。自分の望むような人生ができなくなることに、耐えなければならないからだ。ケツバット先生もいつか自分の心にケツバットする日がくるかもしれない。そう思えば、教育の暴力もあながち否定的にとらえる必要はないのかもしれない。
2020年10月7日
コロナ禍だからというわけではないが、ミネラルウォーターを箱買いするようになって、それでいれるお茶や紅茶、珈琲、カルピスの美味しいこと。別に水道水でもいいじゃないと前は思っていたが、ポットの底にたまるあの白い結晶、つまり残留塩素の濃度と皮膚トラブルについて考えさせられることがあってから、やっぱカルキはいやだなと。それでも日本の水道水は最高でも1mg/LとWHOの基準5mgよりはるかに低く、将来的にはこれを0.1mgまで下げて、さらに美味しくて安全な水にする計画だとか。そんな日本の水道水も百年前はカルキが入っていなかったため、コレラや赤痢、腸チフスなど感染症が蔓延してしまったという。そもそも東京都民の命の水はどこから来るのかというと、現在では8割が利根川荒川水系で、2割が多摩川水系。昭和30年代までは多摩川水系が主だったが、高度成長による人口爆増に対応するために遠く群馬や秩父の山奥にダムを建設して、その水瓶から川を経て、朝霞と東村山二つの浄水場を介して供給されている。昭和40年代に新宿副都心ができるまで、あそこは淀橋浄水場となっていて、江戸時代に完成した玉川上水を経て多摩川の水が都民の喉を潤していたという。その玉川上水が開削されたのは1653年というから今から370年前。もともと江戸は掘っても海水の混じった塩っぱい水しか出ない土地柄で、玉川上水のほか、井の頭池に発する神田上水など一時は六つの上水が存在したが、改修費がかかるとかなんとかでほとんど廃止されてしまった。玉川上水が現在でも使われている(小平までの上流のみ)理由の一つには、江戸への飲料水だけでなく、その豊富な水量により周辺地域への灌漑用水にも利用されていたことで維持管理がなされていたことがあると思う。もともと武蔵野は川沿いを除けば水っけのない土地柄で、現在の姿からは想像もできないが人も住めない荒廃地だったとか。そこへ水を引けばうちにも利益があると見込んだ川越藩主、松平信綱が多摩川の水をあちこちに引くことを立案。お抱えの技師までいたにも関わらず、事業は羽村の若造兄弟にすべて背負わせて、二度の失敗や地元とのトラブルによる金策の苦難や奉行の死などを経て、ようやく完成。兄弟は家まで売ったという。ここら辺を創作的に仕立てた小説が杉本苑子著「玉川兄弟」で、恋愛あり友情あり武士の魂ありと、大衆小説としてよくできてるが、よくよく考えれば、発案者の松平信綱という人物、江戸の水不足という弱みにつけ込んで国費事業を発案し、それに便乗して周辺地域だけでなく自分の領地の発展をも企むのはまぁよしとして、それを一事業者にすべて背負い込ませるというやり方が汚い。民衆から搾り取れるものはすべて搾取する。そういう抜け目のなさがなくば立身出世できぬという日本の官僚機構の悪しき伝統なのだろうか。それにしても羽村から四谷まで全長43kmの掘割(深さ3.6m、幅7.2m)を夏から秋にかけてわずか四ヶ月で完成させるってすごくない?ブルトーザーもショベルカーもない、すべて人力ですよ。その工事の資料がほとんどないとか。一ヶ月で10kmとして1日で330m掘り進んだ計算。超人技としか思えない。ナスカの地上絵みたいな神秘。
2020年11月7日
22世紀の東京は大変な乾燥状態。百年前から言われていた地球温暖化がもはや絶望的に進行したせいで、平均気温が百年前より三度も上昇。え、たった三度?とおっしゃるかもしれませんが、例えば、東京ではほとんどの樹種が育たなくなり、枯れてしまいました。東北あたりまで北上しないと秋の紅葉も春の桜も見られなくなったのです。雨もあまり降らなくなり、逆にゲリラ豪雨のように急に激しく降って、すぐ海に流れてしまうので、川の水量が減り、我々の飲料水だけでなく農業用水まで足りなくなっています。昔のように、しっとり降って、じっくり浸み込んで、じわーっと湧き出るというのが本来、良質な水資源なんですが、そんな贅沢は言っていられません。なので、各家庭には濾過装置つきの貯水槽が設置されて、降った雨を下水に捨てずに貯めて使うという方法が主流です。トイレや庭への散水などには中水といって高度処理した再生水を使用するビルも多いです。それは水道水が枯渇しているため、水道料金が百年前より何倍も跳ね上がってしまったからです。しかし、何より乾燥による一番の問題は感染症の流行です。室内の湿度は50%台が理想。40%をきるとウィルスにとっては活発に動き回れる環境なのです。22世紀の東京の湿度は夏場でもせいぜい60%、しかし冬場になると10%台まで下がります。いくら温暖化でも気温はばっちり零度近くまで下がりますからエアコンは必需品。空気はカラカラで極寒…というと、まるで火星のような環境といえば想像ができるでしょうか。火星には昔、海や川があったのですが、いまや乾いた砂漠ばかりです。地球の行末があの姿なのかもしれません。しかし22世紀の東京にはそんな乾燥地獄にも負けない素晴らしい文明の利器があります。まず家庭用エアコンにはスチーム機能が標準装備されています。さきほど言った貯水タンクと配管されてつねに湿度を50%に保つように運転されます。また大規模なマンションやビルではコジェネレーションによる排熱と水蒸気をともに利用して温度と湿度を制御できる設備の設置が建築基準法で義務付けられています。そして極め付けは、道路に埋設されたスプリンクラーです。これは大昔から豪雪地域にあった融雪設備を大幅にリノベーションしたもので、夏場はいわゆる打ち水として機能し温度上昇を抑制。冬場には水蒸気を出すことで湿度低下を防ぎ、緊急時には防火設備にもなるという優れものです。道路以外にも信号機や電柱、街路樹にまでスプリンクラーが設置された都市もあります。こうした空間はまるでオアシスのように快適で、自然に人も集まるようです。しかし問題は、この多量の水資源の確保でして、これらの設備の水使用量は百年前の3倍以上とも言われており、ただでさえ温暖化で渇水気味なのにこれだけの水を使えるのは、日本が海に囲まれた島国であることも大いに関係があります。海水を高度処理して大深度地下の何万トンもの貯水槽に貯めているのです。
2020年11月15日
電気自動車が中国で売れているという。昨年が2,577万台で今年も2,530万台とコロナの影響はどこへやらという好調の新車販売台数のうちEV系(NEVという)は昨年の120万台から今年は130万台というから、それでもまだ5%なんだね。そんな動向をにらんでか、米のテスラも上海工場で製造しまくって、一昨年の24万台から昨年は36万台と150%に大きく伸ばしたとか。世界市場ではどうなってるのかというと、昨年は二年前よりやや減少して9,200万台。そのうちプラグイン乗用車の市場は210万台で2%ちょい。たしかに中国はその半分以上を占めていて、その比率も高い。それでも世界一EVが普及してるノルウェーの37%には及ばない。37%っていや、三台に一台はEVってことになるが、それは様々な優遇税制、要は公的なカネが物言ってる。日本のEV系はというと、昨年の新車販売台数520万台のうちEV、PHV、FCVすべて合わせても4万台未満(ハイブリッドは143万台なのに)で、1%にも満たない。ただでさえクルマ離れと言われているのにわざわざEVなんて買うのは相当物好きって状況。ここでなぜか電圧の話をする。日本は言わずと知れた100Vだが、これが世界屈指の低電圧で、たいていは120Vか220V前後。その理由は百年前は木造家屋が多く高電圧は危険だったからとか、120Vだと電球が切れやすいからとか言われてるが、実は「100」という数字が好きだったからではないかと勝手に思ってる。で、何で電圧の話をしてるかというと、川口にできたテスラの最新充電器の電圧が500Vと聞いて、てことは5倍に昇圧しないといけないんだなと。これが中国だったら2.3倍で済むのかと。そのスーパーチャージャーは空冷装置のついた変電設備で、これじゃ家庭には無理って大きさ。ここらも日本のEV普及を阻んでる理由かも。我が家にも400Vトランスの入ったマーシャルアンプがあるが、せいぜい50Wで、テスラときたら250kWhですと。えーっと5000倍。マーシャルの壁どこじゃないビルだ。バッテリー容量が75kWhだそうで、なるほど250÷75で、約1/3時間てことは20分くらいで充電できるわけだ。その10倍の充電器がもしあったら、その電流量は100Vでも25kAhとなり、カミナリの如き(ちなみに雷の電流は1kA〜200kA)ものになり、かなり危険。バッテリーの重さは250〜500kgだそうで、これもネックだよな。それが今の車のバッテリーくらいの10kgとかならチャージするより、交換式でリサイクルできるのに。スタンドいって、ハイ交換、終わり!ものの数分で満タン。500km走れるってんなら全然いい。技術革新でそんな時代がきたら税制優遇なんてしなくても、自然とガソリンなんて廃れる。そんなこと言うと、今、エンジン部品つくってる人々の雇用はどうなるんだ?と言われそうだが、蒸気機関車の工員はどうなった?ブラウン管は?真空管は?百年後の未来にガソリン車はかえって贅沢かもしれない。
2020年12月16日
年明けだからというわけでもないが、いろいろ締め括って考えた。きっかけはテレビか何かでイタリアあたりの街の風景が流れてて、ああなんて不自由な風景、みんな同じ色で同じ形で、唯一、教会だけ屋根が目立ってて、ああいやらしい、と。あれ?いつからこういう感性になったのか?20代の頃はそういう西洋の完成された都市景観の美しさを日本のバラッバラな都市にも、と意気込んでいたのに。今思うのは、江戸の町にタイムトリップしたらたぶんイタリアのように「美しい」はず。そして不自由だ。建材の種類が少ないだけでなく、人の思想にも頑なな縛りがあるだろう。男はかくあるべしとか、女は…とか。それがあの美しさなわけ。寒くても下駄はいて着物しかなくて、人の寿命も50年くらい。そら15くらいで人生のこと考え、40にもなりゃ終活始める。そういう人生設計で百年先のことなんか夢幻だ。家なんか30年持ちゃいい。雪国は大雪に耐えなきゃならないから丈夫な家を造ったら百年持っちゃったってだけ。西洋も石ばかりで地震がないからアパートも百年持っちゃう。若い頃はそういうウラを考えないからいろいろ勘違いしてる。度ストレートに考える。思えば、30代までノスタル人だったね、私は。古いものが優れていると勘違いしてた。40の頃にそれまでの総括みたいなことをせっせとやってた。新しいものと古いものを混ぜながら新生するみたいな。リボーンと呼んでたけど、それってリベンジでもあった。プラモデルなんかせっせと作っては子供の頃の自分に勝ち誇ったり。来年は50だけど、どんな年代になるのか。少し想像してみると、例えば「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」でいう「悪人」になっていくのかなとか。利他的な部分は親鸞が弟子を捨てていったようにどんどん捨てて、つまり本来の姿である悪人へ近づいて、それが往生を遂げる道かなと。ちょい話はそれるが、ニーチェがいった君主道徳を取り戻す方向でもある。前世紀までの民主社会は、民を君主として権力がその奴隷になることで機能してたと思うが、今世紀は民が奴隷で権力が君主というアンバランスで、もはや民主社会とはいいがたい。だから弱き民は精一杯、わがままに、できるだけ図々しく生きよ。善人なんぞになるな、悪人たれ。その親鸞という人は若い頃は法然の弟子として流罪になっても布教に専念し、60過ぎて何を思ったか、弟子を捨てて布教もせず隠者のように90まで暮らしたとか。90といや、当時の常人の2倍の寿命。梅原猛によればそれは「二種廻向」という思想だとか。人は信心をもって念仏すれば死後、極楽浄土に往生し、しばらくそこにいて、またこの世に帰ってくるのだとか。つまり60からの親鸞は二度目の廻向、還相廻向だったのではないか、という。弟子とかこの世とか、自分すらもすべて夢幻というのはたしかに理想の生き方かも。ときに最近、歩いてると冬だから木々が常緑樹と落葉樹にわかれてる。調べると、葉が分厚くて小さいから常緑のまま冬を越せる種類と、それを維持できないからわざと枯らして落として、土の中の微生物に分解させてその養分を根っこから吸収するサイクルにしてる種類なんだとか。落葉樹賢いな。この世とあの世を循環してるみたいで、人間もそれでいいじゃん。
2021年1月13日
たまには音楽論。前に演歌歌手の藤あや子さんがエアロスミスが好きでロックばかり聴いてると語っていて意外だった。あと古いロックファンならご存じ、スティーヴハウが雑誌のインタビューで家ではブルースは弾かないようにしていて、その他はいろいろ弾いては忘れることにしている、みたいなことを語っていた。彼は筋金入りのプログレギタリストだし、藤さんも芸に生きてる人だなと。かたやコロナ禍で仕事がないのもわかるが、求められもしないのに、自分はこんなこともできるとやたら動画で見せつけるプロらしからぬプロも散見される。かたやインドネシアのジャングルで育ったヒジャブの女性がアメリカでヒットしたナンバーを日本語の歌詞を勝手につけて歌ったカバーが1600万回再生、みたいな面白い時代でもある。芸術というのは人々の心の壁を壊すために存在していると思う。それがホモサピエンスとか、いつの時代からなのかは知らないが、ヒトが言葉を持ったときからその壁は生じていて、集団の中、あるいは集団同士の諍いに発展したはず。20世紀の戦争も同じ言語の国家同士ではさほどの諍いは起きてない。言葉の交流が限界にきたから暴力がモノ言ったわけで、資本主義はその代わりにカネがモノ言ってる感じ。ときに、よく遺跡から出土される勾玉とか剣、土器、土偶なんてものも、ありゃ単に装飾品ではなく、もっと深い意味があったと思う。集団の秩序を守るのにそれらの神聖なものが不可欠で、それがある種、心の壁を壊す、芸術の元祖じゃないかと。話がとっ散らかっているが、本題に戻ると、自分が楽器を弾く時、自作曲とか好きな曲を選ぶのが自然と思ってきたのを、最近は別でいいんじゃねと思うようになった。要するに「聴くと弾く」は別でいいと。ふだんSpotifyで聴いてるものなんか弾かなくていいから、せっかく楽器を弾くのならその楽器が最も魅力的に聴こえる曲や演奏をすべきじゃないかと。クラシックの人なら当たり前かな?エリッククラプトンがギターなんてオワコンだみたいなことを言ってたのもわかる。それでも彼は業界の期待に応えてギターを弾いて歌ってる。泣けるね。これがプロだよ。ギターを知れば知るほどギターが何にでも合う楽器じゃないとわかる。それも知らず、バッハでもアニソンでも「弾いてみた」的な器用貧乏がゴミのようにあふれてる。すごいギター弾いてる、その曲がジミヘンとかど定番じゃなく、よく聴いてみたら美空ひばりの曲だった、みたいなのがガチなんで、気まぐれに、わがままに、人々の心の壁を心地いいくらいに壊しまくってくれる、そんな人に自分もなりたかった、けど「聴くと弾く」の壁ができてきた自分には無理そうだという話でした。
2021年2月5日
木の芽時で周りにも狂ってる人がいる。それはさておき「サピエンス全史」が発刊されて十年。その学説はどれだけ世に浸透したのだろう?教科書の絵はいまだにサルから原人、ヒトへと描いているのか?しかし神への信仰があったらあの内容は書けない。「『プリンキピア』は「考へる人々を、神への信仰に導く為の諸原理」という、はっきりした目的で書かれたものだ。」(『考へるヒント』小林秀雄1963)ニュートンにせよ、アインシュタインにせよ、科学はこれまで外へ外へ世界認識を広げてきた。それは人類自身の過去に向き合うことを避けていたかのように。それは創造主への冒涜だから?子供の頃、人類はマンモスのいた太古の昔から地球上にいたのに、数千年前のことすらわからないのが不思議だった。短期記憶障害の老人を嗤えない。150年前のダーウィンの進化論にもあった「淘汰」という概念は対環境だったが、サピエンス全史では弱肉強食の淘汰、つまり皆殺しだという。ナチスがやった優生思想はそのままサピエンス思考。ニーチェ哲学の永劫回帰や超人ツァラトゥストラなんかもサピエンス的な理想像ではないか?その高みから見下ろすと民主社会はおろか、農耕民もすでに賎民なのだろうか。「人間とは、彼にとっては、ひとつの畸形物であり、素材であり、彫刻家を求めている一個の醜い石なのだ。」(『ECCE HOMO』Nietzsche 1908)ということはナチスのようにダメなやつは皆殺しを何万年も続けた結果、今日の我々の祖先がわずか1万年前くらいに出来上がったわけか。そんな黒歴史はたしかに封印せねばならない。そういや、アメリカの建国なども…おっと言っちゃマズイか。今日の日本人だって戦争でだいぶ淘汰されて、アメリカ好みの人間ばかりが殖えた結果なのでは?気の遠くなるサピエンス全史のほとんどの時間は狩猟、食事、消化に費やされていたという。火もまだないので生食で消化に時間がかかるわけ。その代わり食事は多品種なので栄養バランスはめちゃいい。筋骨たくましい化石がそれを証明する。農耕を覚えた人類は栄養も偏り、土地に定住するので運動量も減り、急速に弱体化。そんな弱者でも殺されなくなり、人口が増加。しかし本来、繁殖力の強くないイネや麦からしたら、えらく都合がいい。この変化を種を主体に考えると、イネや麦という種にヒトが利用されていると。そうして互いに共存共栄しつつ、変異してヒトは文明文化を創造し、肉体生物としては退化し、厳しい環境の変化には耐えられなくなった。「人類は生物進化の畸型児である。」(『国家論ー史的唯幻論の試み』岸田秀1975)ニーチェも「人間とは畸形物」と言っていたが、我々の一体、どこが畸形なのか?岸田理論にも前提があって、それはL.ボルクの「胎児化説」とA.ポルトマンの「生理的早産説」だという。岸田先生は前者のようにサルの胎児がそのまま大人になったのが人類という説に基いてるらしいが、サピエンス全史的にはむしろ「早産説」が都合いいのではないか。脳が発達しすぎて頭部が産道を通らないから、早めに産んでしまえと。だからみんな未熟児(生物的に)という。ん万年前の人は一年くらい胎内でまるまる育って、産まれてすぐ「こんにちは!」なんて挨拶したのは弁慶だったかな…少なくともよちよちではなく、トコトコ歩けたのでは?岸田先生が生涯かけて研究された精神疾患だって根底には狩猟本能の持て余しがあるのじゃないか。ギラギラした目で獲物をみつけて、捕まえて、殺して、食う。そんな本能は文明社会では邪魔でしかないから病ませる。だからナスDみたいな無人島でサメ獲って食うみたいなのに憧れる。それが無理だからゲームとか株、ギャンブルにはまる。みんな何十万年かけてできた本能の悪戯。芸能人や政治家、投資家、YouTuberなんかは擬似的に狩猟やってるような人たちなので精神疾患の治療に最適なのでは。もっともさらに深みにハマってふつうに戻れなくなるリスクもあるけど、一か八か賭けてみる価値はありそう。
2021年3月3日
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