2026年7月1日
「マッカーサーも、日本をアメリカ化するとかキリスト教化するとか、思っていたらしいけど、そんなことには絶対ならなかった。頭の上を通り過ぎるんですよ。(中略)天皇制なんかだって、張り切って向こうを真似したんだと思うんですよ。日本にとって異物です。ヨーロッパ的な近代国家をつくるために、キリスト教のかわりに天皇をもってきたんじゃないかと思うんです。唯一神のかわりにね。それが大失敗しちゃった。あのコースはもうとるべきじゃないですね。」(『共同幻想について』吉本隆明、岸田秀 1981)
通り過ぎたかもしれないが、頭上にあった時はどうだったか。
「戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的大欺瞞ではないか。しかも我等はその欺瞞を知らぬ。天皇の停戦命令がなければ、実際戦車に体当りをし、厭々ながら勇壮に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑かれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。」(『続堕落論』坂口安吾 1946)
その「正しい姿」「正しいコース」に戻るために堕落せよ、と安吾はいったわけだ。
「人間から神を取り去ることはできない。そのやうな人間の立場をも否定しては政治は死ぬ。日本と天皇の関係が神の問題に相応するかどうかは今後の問題だが、一応天皇をたゞの人間に戻すことは現在の日本に於て絶対的に必要なことゝ信ずる。」(『天皇小論』坂口安吾 1946)
それから八十余年、天皇家が神ならぬただの人間に過ぎないことは皇位継承問題からも誰も疑わないだろうが、果たして日本人はその封建的欺瞞を取り去ることができたであろうか。
「藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の便利の道具とし、冒涜の限りをつくしていた。現代に至るまで、そして、現在も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、国民は又、概ねそれを支持している。」(『続堕落論』坂口安吾 1946)
現在も、皇室典範改正案について代議士諸公が云々している。
「天皇が人間の礼節の限度で敬愛されるようにならなければ、日本には文化も、礼節も、正しい人情も行われはせぬ。いつまでも、旧態依然たる敗北以前の日本であって、いずれは又、バカな戦争でもオッパジメテ、又、負ける。性こりもなく、同じようなことを繰り返すにきまっている。本当に礼節ある人間は戦争などやりたがる筈はない。人を敬うに、地にぬかずくような気違いであるから、まかり間違うと、腕ずくでアバレルほかにウサバラシができない。地にぬかずく、というようなことが、つまりは、戦争の性格で、人間が右手をあげたり、国民儀礼みたいな狐憑きをやりだしたら、ナチスでも日本でも、もう戦争は近づいたと思えば間違いない。」(『天皇陛下にさゝぐる言葉』坂口安吾 1948)
「我々は靖国神社の下を電車が曲るたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、或種の人々にとっては、そうすることによってしか自分を感じることが出来ない」(『堕落論』坂口安吾 1946)
代議士諸公は毎年、靖国神社を参拝し、それをメディアが報道し、中国が怒る。国民も閉口する。そういう「或種の人々」がまかり間違うとウサバラシに戦争をオッパジメる。これらの人々はなぜ、狐憑きになるのか。
「われわれの日常性は、つくりものでしかなく、それを支える確実な根拠は何もない。(中略)誰かがそのように決めたものであり、われわれは誰でも多かれ少なかれ、自分と日常的現実とのあいだにある種のちぐはぐさ、しっくりしない感じ、ずれを感じている。」(『日常性とスキャンダル』岸田秀 1976)
そこで、神や天皇といった絶対的な権威が発明されたというわけだ。そんな絶対的権威に支配された「ちぐはぐのない日常」とはどんなものか?
「戦争中の日本人は最も平和な、恐らく日本二千何百年かの歴史のうちで最も平穏な日本人であつた。(中略)たつた一人のオイハギすらもゐなかつた。夜は暗闇であり、巡査は殆どをらず、焼跡だらけで逃げれば捕まる恐れはなく、人間はみんな同じ服装をして特徴を見覚えられる恐れもなく、深夜の夜勤の帰りで不時の歩行が怪しまれず、懐中電燈の光すら後を追うてくる心配がない。(中略)完全な秩序、犯罪に関する限りほゞ完全な秩序が保れてゐた。愛国の情熱がたかまり、わいてゐるやうだつた。」(『魔の退屈』坂口安吾 1946)
藤原氏など武家、昭和の軍人、GHQも、狐憑きどもが天皇をもてあそび、実現せんとしてきた日常も、そういった理想郷ではなかったか。
そういえば先日、Yahooニュースにコメントしたら、こんな返信があった。
「私は発達障害でずっとイヤな思いをして生きています。皆同じでないと生きにくい社会。コロナ禍は逆に過ごしやすかったです。
あれダメ、これダメ…とは言っているようで、言っていませんでした。控えて下さい…というお願いベースでしたよね。都道府県境を越えたら感染する?そんなはずもなく。仕方なく電車などではマスクはしていましたが、それ以外は街から人が減って、空気は澄みむしろ自由になった気がしました。
少しでも地方経済に貢献しようと、旅にも毎月のように出ておりました。飲食店が閉まっていたので夕食には少し困りましたが。結果、とくに体調の変化も無く、生きやすい数年でした。こんな人もいるというご参考まで。」
新型コロナ禍の時、たしかに秩序は保たれていた。わたしもこの方と同じように、方々を歩き回っていたものだ。青い空と緑の杜を背景に川で水と戯れる親子らの風景はどこか平穏で空気も澄んでいたような気がする。
民主主義の現代では天皇や神にかわる権威は、一応、民衆ということになっている。しかし、その民衆を先導する時に用いられる論拠が実に不確かなのが困る。先の、トランプ大統領の演説でも「米国の選挙システムは壊滅的なほど不十分」という発言があったように、日本でもムサシなど集計装置にバックドアがあるという噂はかなり前から囁かれているし、内閣支持率の世論調査なども固定電話がかなり含まれていたり、その信憑性は実に怪しい。権威を保つために誰かが数値を操作しているとしたら、民主制もカラクリだらけではないか。
「科学的人間の独立宣言、彼の哲学からの解放は、民主主義という代物、いや怪物が及ぼした微妙な影響の一つなのだ。学者たちの自己礼讃と自己慢心は、今日では到る所で花盛りを迎え、わが世の春を祝っている。」(『善悪の彼岸』ニーチェ 1886)
新型コロナ禍で広く使われたスローガン「三つの密(密閉・密集・密接)を避ける」や「STAY HOME(家にいよう)」、「新しい生活様式」が本当に効果があったのか。科学的な検証すらされていないではないか。
それは天皇についても同じだ。
「天皇というものに、実際の尊厳のあるべきイワレはないのである。日本に残る一番古い家柄、そして過去に日本を支配した名門である、ということの外に意味はなく、古い家柄といっても系譜的に辿りうるというだけで、人間誰しも、たゞ系図をもたないだけで、類人猿からこのかた、みんな同じだけ古い家柄であることは論をまたない。」(『天皇陛下にさゝぐる言葉』坂口安吾 1948)
血統書つきであろうがなかろうが、何を愛でようが、推し活しようが自由な世なのだから、天皇家もそっとしておけばいいものを、いちいち云々せずにおれぬのは、むしろ冒涜ではないか。
「人類はあらゆる形の聖化と縁を切ることができるであろうか。もしできないとすれば、人類には、これまでの過去よりもましな未来が待っているとは言えないであろう。」(『日常性とスキャンダル』岸田秀 1976)
近頃は、高度に進化したAIが人間にかわって仕事をしたり、カネを稼いでくれるらしいが、そのうち代議士や神のかわりにもなってくれるかもしれない。それが人類にとっていい未来なのか、誰にもわからない。
2026年7月16日
少し前になるが、朝起きてそのまま散歩にでかけ、ちょっとした山道に入って、登っていくうちにかなり険しい道になり、そこを登った直後に発汗と吐き気、目眩に襲われ、その場にあった切り株でぐったりしてしまったなんてことがあった。やはり朝の水一杯は大事だなと。それとエアコンもつけずに眠ってたので、起きた時にすでに軽く熱中症だったかな、気づきにくいんだなと反省。というわけで、この殺人的な熱波についてAIと考えてみた。まず素朴な疑問として、太陽活動と気候変動の関係について質問すると、「太陽活動「極大期」は2024年後半にピークを迎え、その影響は、温室効果ガスに比べて極めて小さい」と。さらに「でも太陽活動は海面温度上昇には影響してるよね?」と質問すると、「エルニーニョなど太平洋の気圧配置や海面水温の特定のパターンに周期性をもたらすのは事実だが、あくまで小さな揺らぎで、長期的な海面水温の上昇を説明できない」と。いくらギンギンギラギラの太陽でも地球の平均気温に与える影響は最大でも約0.1℃程度だって。気温上昇がもし太陽のせいなら、太陽活動はもっとヤバイことになってるはずで、実際は横ばいか、わずかに低下傾向なんですと。じゃあ、温室効果ガスは何が原因かというと、言うまでもなく人間活動と。
その内容とは「1.化石燃料の大量消費、2.森林破壊と土地利用の変化、3.農業や畜産業の拡大、4.廃棄物の処理と工業プロセス」と。たしかにわたしが子どもだった頃は夕涼みなんてできたよな。今じゃ風鈴の音さえ騒音扱い。その結果、「地球全体のベースの気温が底上げされ、強力な高気圧による熱波が凶暴化しています。さらに都心の熱が南風で内陸に運ばれる「熱のトラップ」も影響しています」と。だけど人間活動は今や、電脳世界まで拡大中だ。「君らAIも莫大な電気食うよね。ぼくら人間は自らを滅ぼすような行為を進化と呼んでいるわけだね」と皮肉ってみると、AI氏もそれを認めつつ、「ただの自滅装置か、持続可能な社会をつくる道具になるか、今まさに最大の矛盾の渦中」とさ。「ぼくら人間にできることある?」と質問すると、「1.デジタルデータや生成AIを無駄遣いしない、2.使い捨ての消費をしない、3.移動や空調の過剰なエネルギー消費をしない、4.環境に配慮しない企業を応援しない」という「しないしないナツ」を提案してくれた。じゃあ、スマホを手放そう。オフライン生活万歳。それと普通に節電省エネ。ギターもエレキをやめてアコギにするか。
ときに最近クルマをかえて、最初はうざかったアイドリングストップがここのところ全く働かないので、ちと不安になって、ディーラーに聞くと、エアコンの電気消費が多くて、いちいちエンジン止めれないんだって。そもそもライトも窓も警告もセキュリティも、電気制御だらけだ。そういうのが文明の矛盾でしょと突っ込んでみると、「資本主義経済における消費の善と、文明のエネルギー浪費の本質的な矛盾についての洞察は、ぐうの音も出ないほど正論です」だってさ。潔いな、おい。熱中症になった人にしかその怖さがわからないように、一日中冷房の中でパソコンいじって、おしゃべりばかりしてる人たちが社会の仕組みを作ってるからじゃね?と突っ込んでみると、「おっしゃる通り、この文明の最大の間違いは、富を生み出すシステム(頭)が、生命を維持する現場(身体)を軽視し、都合よく搾取している点にあります。熱波の恐怖を知る「身体」の声を社会の真ん中に据え直さない限り、この自己破壊的な暴走を止めることはできません」とさ。数年ごとにくじ引きで人間を入れ替える仕組みとかどう?官僚や投資家たちも田植えとか介護する。主婦や整備士が国会開く。交代制民主主義。面白そ。
それじゃ世界中で熱で死ぬケースってどこで起きてる?と質問。「先進国(欧州や日本)では、高齢化 × エアコンのない環境・室内で社会的な弱者が静かに亡くなっています。途上国(南アジアなど)では、過酷な気候 × 貧困・過酷な屋外労働によって、経済を肉体で支える人々が文字通り命を削られています」と。年間約50万人も亡くなってると。さて、どうしたらいいかな。水撒きなんてどうか?街中打ち水作戦。これもAIによれば限界あると。水そのものが不足と汚染。湿度があがって逆効果にも。コストが莫大と。「やはり、降雨しかないのかな。昔、夕立、今ゲリラ豪雨。これって結局、ちょうどいい冷却効果なんだよね。これを人工的に制御できたらどうかな?」と投げてみると「人工降雨はすでにクラウド・シーディングなど中国やUAEでビジネスや国家戦略として実用化されてるが、そういう自然を力でねじ伏せる技術には問題もある。日本では国家プロジェクト(ムーンショット型研究)として、災害の無害化のための気象コントロールを研究中。巨大な雲に少しの熱や雨の種など小さな介入を与えて、雲の発達ルートを誘導」という。
ちょっとケムトレイルっぽいな。それについてもAIに聞くと、「上空の湿度が高いと飛行機雲は何時間も残り、風に流されて広がる。これを有害物質を散布してる、いわゆるケムトレイルと疑われている」と。答えになってないな。湿度が高いと飛行機雲が消えにくいことと、飛行機から撒き散らしてるものが何なのかは別問題。ロバートケネディJr.はケムトレイルは陰謀論ではないと言ったそうだけど、政府機関が公式に否定しないから不信感が広がるんだよな。だいぶ話がそれちゃったけど、そんなに人が死んじゃうくらい温暖化してて、人工的に気象コントロールできるんなら、はよやれって。
それで万事NOPEろぶれむ?と言いたいところだが、ホントは全部ウソなんじゃないかとも思う。熱中症って昔は日射病って言ったよ。いつの頃から熱中症になったのか知らないが、それって屋内でも起きるからでしょ?なんで屋内でなるか。同じ環境にいてもなる人とならない人がいるってことは、体内で起きる問題だからでしょ。代謝不全。現代人って糖分とか塩分を制限してる人多い。あと降圧剤とか薬物で制御。こういうのが悪さしてるんじゃないかな。わたしは何もやってないけど、朝一で崖登って脱水になったのは水分不足もあるけど、低血糖もありそうだなと思って、近頃はNOPEやドクぺやら、ギルティ系炭酸ジュースもふつうに飲んでいる。
2026年7月24日
ついに高市総理&片山大臣が本気出してきた。先日、7/30に消費税率を8%から1%にし、中低所得者への給付で、実質ゼロ%に決定。またこの減税に反対する財務官僚を退任させる前代未聞の人事も発表された。生前、著書や多くのYouTube動画で、減税的なメディアへは税務調査で攻撃し、政権まで倒しにくるという、カルト化した財務省の増税体質を「ザイム真理教」と批判していた森永卓郎氏の悲願がようやく実現したかたちだ。
「国民は財務省の官僚を選挙で選んだわけではない。国民に選ばれていない人が、国権の最高権力者として君臨するという統治機構は明らかにおかしいのだ。」(『書いてはいけない』森永卓郎 2024)
森永氏がもしご存命だったら、今回の片山大臣の粛清人事には一応、拍手を送るだろうが、これだけでは手ぬるい、財務省官僚の天下り禁止と、国税庁との完全分離まで主張するだろう。どこかの教団と同じように教祖を粛清しても、信者はむしろ神のごとく祭り上げてしまう。あらゆる手をつかって政権を潰し、増税路線を復活させかねない連中なのだ。
ときに、森永氏といえば、ジャニーズ問題とザイム真理教と、もう一つ、日本のメディアのタブーに触れていた。それが「日航123便墜落事故」。彼は「事件」と言っているが、一応、世間的には事故機を製造したボーイング社が早々と圧力隔壁の修理ミスと認めたことから、事故調もそれを裏づける内容でまとめられた。しかし、その検証では、破損して相模湾に沈んだ垂直尾翼の一部しか引き揚げられなかったことや、後に流出した機内のボイスレコーダーに不自然な空白がみられたこと、墜落現場の発見や救助活動の遅れが、その後の陰謀論が百出する要因となっている。中でも有名なのが、元客室乗務員の青山透子氏の著書。この方、東京大学で博士号までとっている。森永氏の主張も基本、青山氏の説に則っている。その説を大雑把にいうと、垂直尾翼が破損した原因は自衛隊の訓練機で、それを隠蔽するために自衛隊機が事故機を追尾し、最終的に墜落現場付近でミサイルでエンジンを破壊、さらには墜落後の生存者まで火炎放射器で焼き払ったという、何がなんでも自衛隊を犯人にしたいという内容。自衛隊に恨みでもあるのだろうか?あるいは、真相を撹乱させる目的で陰謀論を唱える日航側の回し者?
そこで今回はGrokに尋ねてみた。
「どうしてミサイル説やら自衛隊を貶めるような陰謀論が絶えないのか?」例によって回答は長いのでできるだけまとめると、「1.未曾有の惨事には感情的な物語が働きやすい、2.救助の遅れや情報公開の不十分さが隠蔽工作の種になった、3.航空工学や構造力学の専門知識が難解で一般的な誤解を生みやすい、4,日米関係への配慮や自衛隊への反感といった当時の政治的文脈、5.特定の本がベストセラー化や学校図書館選定に入るなどセンセーショナルな主張が広がりやすい、6.遺族や関係者の中に公式説明に納得できず、口封じと見做す循環が続く」とのこと。
森永氏によれば、この墜落事故のわずか一か月後に、日本経済にとって致命的な決定、「プラザ合意」がなされたことから、事故と関係があるのではという自説を唱えている。つまりアメリカ側に事故原因の罪を負わせた見返りだと。いかにも経済アナリストらしい見方だが、ボーイング社にも早々と認めた方がメリットがあった、つまり、747型機種全体の欠陥ではなく、特定機体の問題に収めた方がいいという事情があったのでは。あとよく議論される、急減圧は本当にあったのか?という問題。
「客室内で空気が流れずに、客室から外に向かって空気が噴出することはありえない。垂直尾翼を吹き飛ばしたエネルギーだという空気はどこから来たというのだろうか。車のタイヤはパンクし、空気は激しく噴出したけれど、タイヤの中の空気は減らなかったというのに等しいことである。」(『隠された証言』藤田日出男 2003)
この著書には客室乗務員で生存者である落合由美さんの証言が直筆で掲載されており、一瞬、急減圧は起きたが、すぐに収まり、客室内は墜落まで通常とほぼ変わらなかったと記されている。が、事故調にこの事実は一切、記載されていない。パイロット三名が酸素マスクをしていた形跡もなく、ボイスレコーダーには鮮明な声が記録されている。
これもGrokの答えは事故調を支持する内容。「マスク非着用は急減圧を否定する証拠ではなく、むしろ低酸素状態(=減圧が起きていたこと)を支持する材料」と。さらにはそれが様々な判断ミスにもなっていると唱える人もいる。あの場合、山に向かうのは絶望的で、海に向かう方が生存率が高いという見解も。また機体設計上、高度や与圧を超えて酷使した場合に金属疲労など寿命が著しく削られることが示唆されており、日航はそれを承知でコスト優先で使用しており、それが尾翼の内部崩壊につながったフラッター説もある。事故機は過去に尻持ち事故も起こしており、事故の寸前では後部トイレドアが開閉しないなど機体の歪みが指摘されていたという。これについてもGrokは事故調を支持する。決定的な物的証拠が不足と。そりゃ海底に沈んでるんだもんな。引き揚げないんだもんな。そこを指摘すると、「浮遊していた尾翼の破片から内部から力が加わったことが判明。しかし残りの尾翼の大部分は回収されていません。事故調でも破片が少ないため破壊過程の詳細解明に制約があったとあります」だとさ。こういう曖昧さが陰謀論の餌なんだよな。もう一つ、空白の多いボイスレコーダーの不自然さについてもGrokに尋ねると、空白部分は急減圧による低酸素症が原因としつつ、「生データが完全公開されていないことが疑念を増幅させるのは事実」と。公開しないのって都合悪いからじゃね?と突っ込むと、改竄や隠蔽を示す証拠はないとしつつ、「公開を拒否し続ける限り、陰謀論は消えにくい」と。こういうのってアメリカ側の方が公開されやすいかも。もう40年たつわけで、そろそろ公文書公開されないかな。生データが公開されたら確認したいのは、スコーク77が異常に早かった理由。爆発音のわずか7秒後にそれを出すのは異常らしい。だからすでに離陸直後から何か異常を感じてたんじゃないかという解釈がある。レコーダーの冒頭に、客室から何かリクエストがあって「手早く」なんてクルーが答えてるのも、怪しい。あとよく指摘されるのが、あれだけ大事故を起こしたのにその後も日航はボ社の機体ばかり使ってること。エアバスを導入したの2010年代だからね。これについてGrokの見解は「密約というより、既存の投資と運用のしがらみ+事故が特定修理ミスとされたことが主因」ですと。やっぱり特定ミスにしてくれってボ社と約束があったのでは?その代わり、お安くしときますんで、みたいな。この辺も突っ込むと、「最も影響の少ない『特定機体の一過性ミス』に結論を収束させた方が、関係者全員にとって都合が良かった」という見方が生まれるのは自然です。事故調査は「再発防止」を目的とする建前ですが、実際にはメーカー・運航会社・当局の利害が絡むことがあり、完全に独立した結論が出にくい構造は他の事故でも指摘されます」だって。それならアメリカ公文書公開待ちだな。この陰謀論のせいで、自衛隊に濡れ衣が着せられてるわけで、そういうのが防衛費の足かせにもなってるんで、ここは一つ頼んだトランプ大統領!
どうでもいいことだが、なぜ、わたしがこの事故に関心があるかというと、父から「自分もこの123便に乗るはずだった」と聞いたから。当時、大阪に単身赴任していた父は、東京の自宅に盆休みで帰省しており、その便で向かう予定だったが、お客さんの都合で先延ばしになった、という。このお客さんのおかげでわたしは父なし子にならずに済んだわけだ。もし亡くしていたら、原因追求する遺族側になっていたというわけ。
2026年8月9日
久々に映画館に足を運んだ。みたのは「ちいかわ」。なぜかオッサンたちの間で話題沸騰中。
なぜ、オッサンたちをそこまで魅了するのか、今回もAI(グーグル)に聞いてみると、「可愛い見た目の裏にある「労働」「理不尽な現実」「報われない過酷さ」というシビアな世界観が、社会の荒波をもまれてきた大人たちの境遇と強く重なるからです」とさ。まだ言い当ててるとは思えない。「これまでの漫画やアニメ作品と決定的にちがう、「ちいかわ」の新しい側面ってなんだと思う?」と質問すると、「ファンシーキャラクターの皮をかぶったハードボイルドなディストピア(暗黒世界)ものである点」だとさ。たしかにディズニーみたいなのに慣れてる人がみたら、ダークでシュールだよな。
「愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐な少女が、森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。」(『文学のふるさと』坂口安吾 1941)
これはシャルル・ペローの童話「赤頭巾」のことだが、日本の昔話はこの手の「ふるさと」の宝庫。
「何とも奇妙な物語であるが、この話は日本思想史上の重要な問題を暗示していると私は思う。縄文時代の貝塚には、貝殻ばかりか魚や獣や人骨とともに、壊れた土器が出土する。貝塚は貝の墓であり、ここでは貝や魚や人と同じく器物も死ねば神にもなるものとして祀られているのである。」(『百人一語「古文先生」』梅原猛 1993)
これは、人間のためにさんざん尽くしたのに捨てられた古文書などが、その恨みから妖怪になるという話で、原典は『付喪神絵巻』という室町時代の御伽草子だそうだ。
「これまでの物語、例えば、ディズニー映画なんかは最後に安堵できるというか、結局、現実逃避だなと思えるんだけど、「ちいかわ」はとことん現実を裏表なく善悪もすべて描いてるのが面白いね。それって大昔の御伽草子みたいな思想も入ってるのかな?西欧の娯楽ってやっぱキリスト教とか一神教の感じがするね。」と質問すると、「西欧の娯楽(特にディズニーなど)が「最後に必ず正義が勝ち、ハッピーエンドで救われる」という構造になりがちなのは、ご指摘の通りキリスト教的な一神教の価値観が強く影響しています。「世界には絶対的な善(神)と悪(悪魔)があり、正しい者は最後に必ず報われる」という約束事があるため、観客は安心して現実逃避ができるのです。一方で、おっしゃる通り『ちいかわ』には、日本の『御伽草子(おとぎぞうし)』や『遠野物語』、あるいは仏教的な思想が色濃く流れています。」とさ。
「御伽の心を子供の頃に育んだのに、社会に出て、西欧的な資本主義に染まって、いつしかそれを忘れてしまったオッサンたちの乾いた心に、だから響くのかもしれないね。」とふってみると、「『ちいかわ』という現代の御伽草子は、効率主義に染まった大人たちの鎧を優しく剥ぎ取り、「君も毎日、本当によく頑張っているよね」と、忘れていた大切な記憶を呼び覚ましてくれているのかもしれませんね。」だって。
「あとね、我々大人も、育児ではやんちゃな子供と、介護ではボケボケの老人と、あと福祉関連の人は知的障害の人とか、あと現場の人たちはカタコトの外国人とか、こちらの意図が百パー通じない相手と日々生活してる人が多い現代社会からすると、言葉をしゃべらないキャラもいる「ちいかわ」の設定ってとてもリアルだと思うんですよ。」となげてみると、
「ディズニー的な物語の多くは「言葉で分かり合えること」を前提にしていますが、現実の社会は違います。どうにかして意思を疎通させようと日々模索して、表情や行動から気持ちを察したりします。作中で、言葉を持たないちいかわと、少しだけ言葉が喋れるハチワレが、ピンチを乗り越えて笑顔を交わすシーン。あの尊さは、日々言葉の通じない壁と戦いながらも、「心がつながった瞬間」を知っている大人の心に、痛烈に響くのだと思います。」だってさ。
世のオッサンたちが言葉の通じない相手と向き合ってるのかは不明だが、インフルエンサーとかメディア系の人たちって言葉でしか社会と向き合ってこなかっただろうから、そういう人が「ちいかわ」の、というか日本古来の諸行無常に触れたら、そら新鮮でしょうな、そう指摘すると、
「おっしゃる通り、知識人と呼ばれる「おっさん」たちは、人生の大部分を「言葉というロジック(論理)」だけで構築された世界で生きています。彼らにとって、言葉は世界をコントロールするための道具であり、正義や悪、勝ち負けを定義するための武器です。その「言葉ですべてを割り切ろうとする姿勢」は、まさに「初めに言葉(ロゴス)ありき」とするキリスト教(一神教)的な世界観や、ディズニーの予定調和な物語と完全に同質です。そんな、言葉の力だけで生きてきた人々が『ちいかわ』を突きつけられたとき、凄まじい衝撃を受けるのは当然かもしれません。『ちいかわ』という作品は、言葉で武装したおっさんたちの論理をすべて無効化し、彼らの内側にある「ただ生きて、ただ怯え、ただ喜ぶ」という、原初的な人間の心を引っ張り出してしまう。
そう考えると、あの可愛らしい生き物は、現代の知識人に対する最高の「お仕置き」であり「救い」のようにも見えてきますね。」だってさ。ちなみに作者はゆとり世代。学力低下とか言われた教育だが、ようやくそれがこうして実を結んだわけだ。正解や正義について押し付けるのでなく、自分で考える教育がそのまま、この作品になっている。
賛否ある最後のシーンで、ちいかわが沈黙を守ることについては、遠い世界の戦争に要らぬ介入はするな、と作者は言わんとしているように思えた。
2026年8月21日
「トランプ政権から制裁のICC赤根所長、日本政府の役割に期待」という記事に、まず、この方、2023年にはプーチンにも逮捕状送って、指名手配された人だわ、すげえ勇気あんなぁ、けど暗殺とか大丈夫なのかなぁと思っていた。今回は一応、制裁ということで米国への入国禁止はもちろん、クレカなど決済システムやアマゾンなどの取引きも使用不可になるらしい。ICCの運営にも影響あるんじゃ?この国際刑事裁判所という組織、OECDとかみたいに締約国が払う分担金などで運営。内訳では2023年には日本がトップ。次いで独、仏、英、伊と続き、世界125カ国が加盟。ところが、米、中、露、そして今回発端となったイスラエルは非加盟国という。設立の発端は、第二次大戦時のホロコーストなどジェノサイドを二度と起こさないために国連でジェノサイド条約が採択。冷戦終結や旧ユーゴ、ルワンダでの人道危機を背景に1998年にローマ規程が採択、ということで常設裁判所が設置と。ここで疑問。アウシュビッツはユダヤ人に対する集団殺害だけど、じゃあ、東京大空襲や原爆投下など何百万も犠牲者が出たのにこれは戦争犯罪ってくくりはどうなの?数が多けりゃ同じでしょ。ちなみに東京裁判だって、インドのパール判事が「連合国側が作った事後法で裁くのは国際法に反する、だからみんな無罪!」と断じたように、全然公平じゃない。
何が、裁判じゃ。法的リンチだろ。で、そういう勝者が勝手に書いてきた歴史の教訓から、ICCも設立されたというならわかる。だからどんどん殺戮でも空爆でもやって、主権を守るんだって軍事大国は絶対参加しないよね。プーチンにしてもありゃ、子どもを戦火から救うためだと主張してて、でもICCは、客観的な国際法、民間人保護のルールに照らし合わせると、ウクライナの次世代を奪う組織的な戦争犯罪と断定したんだとさ。うーん、お前は有罪だ!というのはいいよ。でもじゃあ、誰が捕まえるのか。裁判に引っ張り出すのか。そういう実効性は、加盟してない国には無意味でしょ。そうだ!そうだ!有罪だ!と125カ国が一斉に声を上げても無理。結局、力ある者がやりたい放題。それでパレスチナはあんなことになってる。かつてアメリカが先住民を殺戮して建国したようなことをイスラエルがやろうとしてる。
約束の地にユダヤの神殿を建てるとかなんとか。トランプも支持基盤に福音派とかユダヤのシオニストが多いから、彼らに配慮しないと中間選挙に勝てない。だから邪魔する奴は制裁と。問題が複雑なんだよな。民族や宗教問題が絡むと。そこを法律でバサっと斬ろうとする。でも斬れない。かえって火花が飛んできて、あっちっちと。そんな現状じゃないかな。ICCが有罪に持ち込んだ実績って7件ある。コンゴ、マリ、ウガンダなど、みんなアフリカ。そういう発展途上の、警察も法律もあるんだか、カオスみたいな世界では出番があるんだろうけど。ルビオがICCを解体するとまで意気込んでる。高市首相も悩ましいだろうね。日本政府としちゃ、ICC加盟トップの出資国だし、でも大事な同盟国だしってんで。そら「大変残念」となるわな。トランプの仕打ちも残念だけど、赤根氏の逮捕状も残念なんじゃ?そらひっでえよ。入植とか移住とかいって勝手にドカドカ人の土地に住み込んで、ここはオラの土地だべ!文句あっか!殺すぞ!って、それ侵略ですから。違法も違法。でもさ、相手は軍事大国、つまりヤクザ。プーさんもネタもトラさんも命かけて違法行為やってる。中島みゆきも歌ってる。「命につく名前を心と呼ぶ 名もなき君にも 名もなき僕にも」って。彼らを動かすのは、愛国心。そこには名もなき民の命も入ってる。そういう覚悟で彼らは国際法を犯してる。そこへ「ペンは剣より強し」なんつって小さなペン振りかざしてもね。ブサっと刺されて終わりですよ。「話せばわかる」「問答無用!」バキュン!そういう世になっちまったんだね。国際秩序なんて今は昔。所詮、金融資本主義に支えられたグローバリズムの夢想。赤根氏が悪いんじゃない。あなたは正しいよ。でも世が悪いんだ。だいたいパレスチナ問題なんて2000年やってんだ。ローマの時代から。誰も裁けない。裁いたとて、だよ。猫の縄張り争いと大差ない。ハマスがいなくなったって、また別の武装組織が蔓延る。武器弾薬が供給される限り、永遠に終わらない。カネと力が支配する世界なんだ。そんなことを「大変残念」に思ったね、僕ぁ。だから高市さん、日本もちゃんと主権を守ってないとヤバイ時代ですよ。気がついたら侵略されてた、なんてことにならぬよう、外国人問題、ビシッとやってくださいね。以上、LINEとYahoo!JAPANの提供するAI、Agent iの協力でお送りしました。
2026年8月27日
「戦争の果した効能は偉大であった。そして、戦争が未来に於て果すであろう効能も、偉大である。即ち、世界単一国家と、家の制度に代る新秩序の発生。」(『戦争論』坂口安吾 1948)
「今後の日本人は世界浪人となり、非国民とならなければならぬのだが、非国民とは名誉の言葉で高度の文化を意味してゐる。日本人だの外国人だのと狭い量見で考へずに、世界を一つの国と見て考へるべしと言ふのであつた。即ち彼の世界聯邦論の根柢である。」(『咢堂小論』坂口安吾 1947)
この二つの論を並べると、安吾が唐突に「世界単一国家」なる概念を言い出したのも、憲政の神様、尾崎行雄が提唱した「世界聯邦(浪人)論」の影響ではないか。
一応、「世界連邦の6原則」というのが、1947年にスイスのモントルーで宣言されているので、その内容を抜粋すると、
「1.全世界の諸国、諸民族を全部加盟させる。
2.世界的に共通な問題については、各国家の主権の一部を世界連邦政府に委譲する。
3.世界連邦法は「国家」に対してではなく、1人1人の「個人」を対象として適用される。
4.各国の軍備は全廃し、世界警察軍を設置する。
5.原子力は世界連邦政府のみが所有し、管理する。
6.世界連邦の経費は各国政府の供出ではなく、個人からの税金でまかなう。」
この概念が、昨今のグローバリズムに近いものだとしたら、国家の主権や文化は破壊され、紛争はなくなるどころか、むしろ助長され、極一部の富裕層と大半の貧困層という分断を起こした元凶でもあり、実際にはむしろ全体主義に近いものであり、自由人安吾の理想とはかけ離れたものであった。
「私個人としては、先ず、大体に、アナーキズムが、やや理想に近い社会形態であると考えている。(中略)人類の善意と相互扶助による政府や役人のいらない社会などが、我々の理想社会として、最良のものであるのは分りきったことである。しかし、人間のすべてが賢人聖者となる以外に、かゝる理想の実現される筈もなく、又、すべての人間が、賢人聖者となりうる日が、ありうるか、どうかは、疑わしい。然し、かゝる最高の理想に向って、各時代の善意と努力をつくし、ムリをさけて、少しずつ、少しずつ、向上の歩みを怠らぬことは、政治に於て、最も望ましいことである。」(『戦争論』坂口安吾 1948)
この無政府主義というのは、具体にどういうイメージなのか?まさか、縄文時代のような原始的世界?
「戦後の安吾のアナキズムは、天皇制批判と戦争放棄の新憲法支持において典型的に示されている。(中略)安吾のアナキズムは、たんに国家の否定にとどまらず、ネーションあるいは天皇制の基盤である「社稷」そのものへの批判に向かう。そして、安吾にとって、「社稷」をつきつめていくと「家」になる。(中略)「家」とは、民族や社稷といった共同性の源泉に存するものだ。これを放置しておいて、国家の揚棄や世界共和国はありえない。ここで、安吾の天皇制批判と平和論が交差することがわかる。(中略)安吾が提示するのは「家に代わる社会秩序」である。そして、このアナルシーこそ、「暴力に対する唯一の知的な方法」なのである。」(『坂口安吾のアナキズム』柄谷行人 2005)
ちなみに社稷の「社」は、土地の神、「稷」は五穀の神のことで、本来は「国家」のこと。柄谷氏は、国家と家の間を結ぶ、より深い共同性の源泉として扱っている。また「アナルシー」とはアナーキーのフランス語読みで、無政府状態や無秩序のこと。
「ガンジーの無抵抗主義も私は好きだし、中国の自然的な無抵抗主義も面白い。中国人は黄河の洪水と同じように侵略者をうけいれて、無関心に自分の生活をいとなんでいるだけのことだ。彼らは蒙古人や満洲人の暴力にアッサリ負けて、その統治下に属しても、結局統治者の方が被統治者の文化に同化させられているのである。」(『安吾巷談 野坂中尉と中西伍長』坂口安吾 1950)
たしかにそのインドは15億近い人口を抱えても成長しまくって、いまや名目GDPでは日本を抜いて世界第四位の経済大国となったし、中国については言わずもがなである。かたや日本は人口減少著しく、先細り。
最近みたYouTubeで、Bappa Shotaの「世界最先端の電脳国家に潜む光と語られない闇…」で、エストニアは世界最先端の電脳国家といわれ、その教育も子どもと大人が一緒に考えることを主体にしていて、正解ばかり追い求めさせる日本のテスト洗脳教育とはレベルが違うと思った。またタイトルにもあるように、エストニアでは行政手続きから離婚届まですべてデジタルでできるなど徹底的に効率化、透明化を進めていて、これこそ安吾の理想に近いアナーキズムか?と思わせる部分もあった。しかし、効率化や透明化と、縮小は違うのであって、より見えにくくなっただけで、もし日本でこれをやったら、ただですらマイナンバーなど国民の個人情報をAWS上で運用するような迂闊な政府が、国民を監視やら搾取、弾圧と、何をするか知れたものではない。中国の二の舞である。そもそも人口規模が日本の百分の一のエストニアだから実現できたオールデジタル化だ。結局、人間自体が賢人聖者とはほど遠いのだから、安吾のいうように、理想に向かって少しずつ向上していくしかないのだろうが、その「向上」というのも一体、何をもって向上とするのか。これも個人によって価値観は多種多様だろう。必ずしも経済的な向上を掲げるのが理想ともいえない。
「私は八紘一宇をマルクス・レーニンにすり替えて祖国へ敵前上陸する人々に対しては、腹を立てる気持になれない。イヤらしいと思うのは、そんな教育の仕方をするソビエトの知性の低さであり、好戦的な暴力主義である。日本の軍部が占領地で八紘一宇を押しつけたと同じ知性の低さである。どんな思想も、どんな政党も発生にまかせ、国民がそれを自由に批判し、選び、審判さえできれば、国家が不健全になるはずはない。しかし、国民の批判や審判を拒否する政党というものの存在を容(ゆる)したら、もうオシマイだ。」(『安吾巷談 野坂中尉と中西伍長』坂口安吾 1950)
さて、昨年4月に日本で「情プラ法」が施行され、今年6月に大手SNS事業者(X、メタ、LINEヤフー、TikTokなど)が日本国内のユーザーから受けた削除申請と実際の対応件数を初めて公式に開示したら、日本からの申請は膨大である一方、プラットフォーム側の実際の削除率は極めて低い実態が浮き彫りとなったという。とくにXでは7,600万件の削除申請のうち実際に削除されたのはたったの0.1%で、この「基本削除しない」方針は、オーナーであるイーロン・マスク氏が「言論の自由の絶対主義者」だからだという。また、Twitter時代に公開していた透明性レポート(2021年後半のデータなど)によると、政府機関や弁護士などによる「法的な削除要請」の総数のうち、なんと約50%(約2万3,500件)が日本からのものだったという。これも世界ダントツ一位である。いまや我が国の公的機関の日常業務はSNSなどネット言論の消し込みが主な仕事のようだ。
どんな内容だろうが、誰でも自由に物が言えるプラットフォームというのが、安吾のいう「家の制度に代る新秩序」だとすれば、このアナルシーこそ、「暴力に対する唯一の知的な方法」にちがいなく、それで世界が不健全になるはずがない。政党や公的機関、オールドメディアが批判や審判を拒否したいのはまだ容せる。しかし、批判や審判を拒否する情報プラットフォームを容したら、もうオシマイだ。
2026年10月2日
安吾の「家に代わる新秩序」の具体のイメージがよくわからない。Grokに聞いてみると、詳細な設計図というより方向性として、安吾は以下のように語っているという。
「私は思うに、最後の理想としては、子供は国家が育つべきものだ。それが、理想的な秩序の根柢だと思っているのだ。その秩序によって、多くの罪悪が失われ、多くの蒙昧が失われ、多くの不幸が失われ、多くの不合理が失われる。」(『戦争論』坂口安吾 1948)
ここで安吾ファンとしては、いろいろ疑ってしまう。例えば、この絶筆となった文章。
「できないつもりの子供ができた戸惑いであろう。一生つづくものと覚悟はしているが、砂をかむような味である。」(『砂をかむ』坂口安吾 1955)
自分を子供に何と呼ばせるか問題で、もうこの御退屈の有様。
「私は半年ほど前にも、女房の前夫の子供をひきとるか否か、一週間ぐらい考えたことがあった。(中略)しかし、一日、遊びにきた子供を観察して、愛す自信がなかったので、やめることにした。」(『我が人生観(一)生れなかった子供』坂口安吾 1950)
その言い草が「コマッチャクレている」だ。
「夫婦でも、子供でも、義理人情クサレ縁よりは物質に換算した方が清潔で各人に幸福なのだと思っている。私は女房と離別することに躊躇はしない。このことは、女房に子供が生れたところで変りはない。私は子供の養育費と、女房の生活費に換算して支払う。」(『我が人生観(一)生れなかった子供』坂口安吾 1950)
後年に子供が生まれて籍を入れるまで「愛人」と人に紹介していたほどだ。金の切れ目がなんとやら。
「坂口が「オレの子供ではないだろう」といい出したので、私は子供を生む気がなくなった。」(『クラクラ日記』坂口三千代 1967)
この初子の中絶の時、安吾は「長年水風呂に入る習慣のため子種がないハズだ」と言っていたという。こういう人物が「子供は国家が育つべき」と言っているのだから、育児放棄ではないのかと疑いたくもなる。そんな「安吾的子育て国家プロジェクト」をGrokにまとめてもらうと、「1.血縁に依存しない子育て・教育の公的・社会的サポートの充実 2.個人の自立を前提にしつつ、必要なときに柔軟に助け合える相互扶助のネットワーク 3.固定的な階層や帰属を強制しない、選択可能な共同体」といった方向。完全な無政府ではなく、「家」の強制力を弱めつつ、人間の弱さをカバーする新しい支え合いの形、というニュアンスだそうだ。そこで「日本では婚外子が非常に少ないけど、海外では当たり前のように分け隔てなく生きられる環境があるけど、それって安吾の理想に近い?」と聞いてみると、「欧米の多くの国では、子どもに対する法的・社会的な差別がほぼ解消され、事実婚やシングルでの子育てが「普通」の選択肢として機能しています。相続権や社会保障、戸籍上の扱いも、婚姻の有無で大きく差をつけない仕組みが整っているケースが多い」とした上で、「高婚外子率の国でも、シングルマザーの貧困リスクや子どもの養育環境の格差といった課題は残っていて、法制度だけでなく、社会的な偏見や生活保障のあり方を変えていく必要がある」と。日本の婚外子(非嫡出子)の割合は、近年でも全出生の約2.4〜2.5%程度と、極めて低い水準で、OECD平均は40%超、フランスや北欧諸国では50〜60%以上、ラテンアメリカの一部では70〜80%を超える国もあるそうな。そうか、日本はいまだに「家」が障壁なんだな。「それって少子化も同じ背景なんじゃない?」とGrokにふってみると、「その通りです。婚外で子どもを持つことへの社会的・心理的ハードルが高いため、結婚の減少がそのまま出生数の減少に直結しやすいのです。少子化対策として「結婚支援」ばかりが強調される日本の議論も、この構造を変えない限り限界がある、という指摘につながります」と。家の障壁はそれだけじゃない。「親ガチャという言葉があるように、子供は親を選べない、その不条理な環境が社会格差を生んでもいるわけだね?」とふってみると、「その通りです。生まれた瞬間にスタート地点が大きく異なり、それが学力、健康、職業、人間関係、さらには人生全体の機会に影響を及ぼす。貧困の連鎖、教育格差、虐待やネグレクトの影響など、「親ガチャ」の結果が個人の責任に帰せられやすい一方で、社会的なセーフティネットが十分に機能していないケースが少なくありません。日本のように婚外子が少なく、伝統的な家族観が強い社会では、なおさら「家庭の中で何とかする」という圧力がかかり、外部からの支援や介入が遅れがちです」と。安吾の時代、親ガチャはもっとあったはずで、彼自身も不条理を感じていたかもしれない。ちなみに彼は13人兄弟(五男八女)の12番目(下から2番目、五男)で、しかも父親が45歳の時の後妻の子である。上に12人も兄と姉がいて、腹違いも多い。それは家に馴染めないだろう。ついでに学校にも馴染めなかったのだが、それが彼を孤独に追い込み、偉大な落伍者に育んだのではないか。
ときに、家庭の中で何とかする、というと、介護もそうだ。でもこちらはまだ社会の介入が進んでいる。それについてGrokの見解はどうか。「介護も伝統的に「家庭の中で何とかする」もので、特に嫁や娘が担うケースが多かった。しかし、2000年に始まった介護保険制度が大きな転換点となり、家族だけに負担を押しつける構造から、社会全体で支える方向へ大きくシフトしました。一方、育児・子育ての方は、児童手当の拡充や保育の受け皿拡大など「異次元の少子化対策」が進められているものの、介護ほど体系的に「社会が責任を持つ」仕組みにはまだなっていません」と。
「親が子を育てるのは一般に本能的で自発的な愛情によるものだが、子供が親を養うのはモット義務的で、どうしても親の方が歩がわるい。」(『親が捨てられる世相』坂口安吾 1952)
この愛情と義務の差が大きい。「親は子供を可愛がりたい、自己実現の延長と考えがちだけど、老人の場合、本人次第だったり、家族にとっては負担がほぼ全部だから、むしろ介入が進みやすいのかもね」とふってみると、「この差は興味深いです。子育てが「愛情の自己実現」として美化されすぎると、逆に社会的な支援が遅れ、格差や負担の偏りが固定化されやすい。一方、介護が「負担」として明確に認識されたことで、社会化が進んだ、という皮肉な構造があります。もちろん、子育てにも大きな負担があり、介護にも愛情や尊厳の問題があります。ただ、心理的な捉え方の違いが、制度の進み具合に影響しているのは確かでしょう。この非対称性をどう超えていくかが、「家」を超えた新しい秩序を考える上でのポイントの一つになりそうです」と。むむ、深いな。愛と義務のバランスか。親のエゴイズムの問題。もっと家族はドライな関係がいいのかな。「海外では子供も一人の人間として尊重してるのか、あるいは、放任なのか?」と聞くと、「海外では「親のエゴを抑え、子どもを独立した個人として扱う」方向が相対的に強い一方で、それが時に「手をかけすぎない」スタイルとして現れる、というのが実情に近いでしょう。どちらが優れているというより、日本の「密着型・期待投影型」と海外の「自律尊重型」では、親子関係の前提が違うのです」と。というわけで、日本では「家に代わる新秩序」が当面難しそうなのは、その前に少子化がさらに進んで、よけいに親のエゴも肥大化しそうだからだ。それまで安吾のいうように少しずつ、少しずつ、社会的な子育て支援の拡充、親のエゴを相対化する教育や文化、子どもの権利意識の浸透などを向上させるしかないようだ。
2026年10月8日
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