オフライン(8)



不良少年の冥想 精春論 安吾とプロパガンダ 終幻想 現代の終わりに 特殊な国ニッポン

不良少年の冥想

「わたしの見解によれば、精神分裂病と呼ばれているところのものは、多形妄想の再現または再現の途中の状態である。(中略)われわれは誰でも、われわれの超自我および自我、アイデンティティまたはセルフ・イメージが、われわれの属する集団の共同幻想による支えを失えばたちまち精神分裂病者となるであろう。」(『精神分裂病』岸田秀) 岸田氏によれば、元来、人間の幼児期は多形妄想的であるといい、これはあらゆる種類の妄想が心を占めている状態だという。最近、夢をたくさん見るのだが、寝てる時は誰もが多形妄想的ではないか? 「この状態にとどまるなら、幼児は家族をはじめとするもろもろの人間集団の一員にはなり得ず、個人にもなり得ず、永久にその多形妄想的自閉世界のなかに閉じこもることになろう。」(『精神分裂病』岸田秀) この精神分裂症が、現在では「統合失調症」と呼ばれる所以も、本来は多形妄想、つまり、とっ散らかった妄想をムリクリ統合して、無いものを在るかのように取り繕ってるのが「自我」であり、「個人(わたし)」であり、また社会通念もそうだからだろう。「この状態にとどま」らないようにするのが親や家族の役割だったり、学校や社会の教育機能であろうが、これが環境条件によって不完全(それが発達障害?)であったり、何かの環境要因によって、多形妄想が再現、つまり統合失調を起こすことがある。 「昭和二十三年の大みそかから二十四年の元旦にかけて顕著な症状をあらわした。(中略)その大みそかのまえの晩、京都行きが決定してにわかに旅支度した。(中略)京都行きはまえまえから「スキヤキから一つの歴史がはじまる」という長編を書き始めていて、それに出てくる京都言葉のために是非一遍行ってこなければ、といっていたもので(中略)彼はこの長編を書くことによって、生活の環境を変えたいと思っていたらしい。厭人癖が強くなり、もはや誰にも逢いたがらず、各社から殺到する切り売り的な注文を一切拒絶した。身心ともにヒロウコンパイしてきたから長編一本にしたのだった。」(『クラクラ日記(チャブスイの味)坂口三千代) 短編や評論で名をあげ、過去には長編に挑んで失敗していた安吾が、長編一本に絞ることがどれほど無謀なことか自身でもわかっていたのではないか。しかし作家という職業は、多形妄想を売りにしているようなものだ。ある種、それを統合しているのがペンネームである。 「彼はいかり狂ってあばれまわり始めると、必ずマッパダカになった。(中略)身につける一切のものはまぎらわしく汚らわしくうるさいと思うらしかった。(中略)一糸纏わぬ全裸で仁王さまのように突っ立ち、何かわめきながら階段の上から家財道具をたたきおとす。階段の半分くらい、家財道具でうずまる。(中略)何をどう考えたのか、一度、自室の窓から階下へ飛び降りたいといい出した。」(『クラクラ日記(チャブスイの味)坂口三千代) この飛び降り事件は、庭に敷いた布団のおかげで無傷で済んだというが、後に自殺未遂とマスコミに書き立てられた。 「ヨウシ、たった今、オレの目の前で死ね。死んで見ろ。オレは眉一つ動かさずにお前の死ぬのを見とどけよう。早く死んで見ろ。早く、早く」とせきたてた。」(『クラクラ日記(チャブスイの味)坂口三千代) そんなサイコパスが、別のときにはマザコンにもなる。 「十六日には禁断症状の最初の徴候が現われ始めた。なぜ十六日という日をはっきり覚えているかというと、二月十六日が彼の母の命日で、十六日の朝、彼が泣いていたからだった。ふとんの衿をかみしめるようにして彼が涙をこぼし、泣いていたからだった。」(『クラクラ日記(チャブスイの味)』坂口三千代) こういう状態こそ、多形妄想の再現なのではないか。もし幼児がそのまま大きくなって自閉的世界から飛び出したら、暴力、暴言、自殺行為、感情過多の状態、つまり統合失調になるのだろう。 「安吾の病気はなにか。はじめ、わたしはその病名を知らなかった。病院に見舞に行ったとき、安吾はすでに眠っていて、その眠は一ヶ月つづくべきものだという。そして、病名はメランコリイと、主治医の某氏からきかされた。(中略)メランコリイの訳語は鬱病というそうである。けだし悪訳である。」(『安吾のいる風景』石川淳) かくして安吾は昭和二十四年二月二十三日、東大病院神経科に入院。一ヶ月におよぶ睡眠療法を受け、四月に退院。その後、環境をかえるため伊東に移住。そこでは「負ケラレマセン勝ツマデハ」を書いて国税庁を相手に国家権力と闘争したり、伊東競輪に通っては「光を覆うものなし」を書いて写真判定の不正を告発したりと、世間からは奇異の目でみられた。 「やつらはおれを狙っている。ここまで来る途中も、ずっと追跡された。おれは車を迂回して、やつらをまいてやった。一度はあぶなかった。すんでのとこに、やられるところだった。おい、大きい声をしちゃいけない。ここのうちのまわりにも、やつらは網を張っている。やつらは警察にも、もっと上のほうにも連絡があるんだ。内閣の更迭。おれのやり方次第で、そこまで行くんだ。」(『安吾のいる風景』石川淳) 現代の暴露系ジャーナリストあるいはユーチューバーがいいそうなセリフではないか。 「すべては陰謀としか思えないらしく、私がそのあやまりを正すと悪鬼の如く、いかりくるうというふうになり(中略)私が彼に出来ることは、彼のいいなりになるということ以外には何もない。」(『クラクラ日記(チャブスイの味)』坂口三千代) 「石川淳氏に、君、窓の外でスパイが立ちぎきしているなんて本気でいっているのか、といわれ興をさまし、大ムクレにムクレ」(『クラクラ日記(競輪事件前後)』坂口三千代) 親しい友人や身内まで気を許せないほど四面楚歌だったようだ。 「貴方はよくおっしゃいましたね。「オレが家以外の場所で死んだら他殺と思え」って。」(『追憶 坂口安吾(亡き夫へ)坂口三千代) いつ消されてもおかしくない覚悟だったようだ。権力と闘争とはいっても、暴露系は一応、それで稼いでもいるから、自業自得の面はあるが、安吾の場合、命をかけても何の得もない。無償の行為とか正義心といえば聞こえはいいが、どこからそれは湧き起こっていたのか? 「雑談であった。たれかがさるところの入社試験のはなしをして、ちかごろ新聞沙汰になっている芸者の名が問題に出たといった。それをきくと、安吾はとたんに声をはりあげて、「うむ。そいつの本名はなになに、年はいくつ、パトロンはたれ。」自分が入社試験を受けてでもいるように、じつに淀みなく、ずばりと応じた、みなが笑った。しかも、たれかの証明に依ると、その答は正確ですらあった。」(『安吾のいる風景』石川淳) これは入院寸前の話だという。現代の陰謀論者のごとき、安吾はなぜ裏社会の実情に詳しかったのだろう。実兄が新潟新聞社の社長だったという所以か、あるいは父が地方政治家の端くれだった血筋か。 「子供っぽいと言えば坂口は探偵小説の熱烈なファンで、探偵小説を書いているとき、読んでいるとき、実に楽しそうであった。彼は探偵小説を頭の体操と言っていた。」(『追憶 坂口安吾(乱歩サンとのおつきあい)坂口三千代) それが楽しいだけならいい。都市伝説系を浴びるように観ていると、信じがたい裏社会の実情を垣間見た気がして、怪談よりゾッとする。そうして面白がっているうちに、現実社会に疑いの念が湧き起こり、それがあちこちでデモになったり、極右政党が選挙で大躍進したりする。分裂してゆく社会と自我、その先は暴動か、総合失調か。この過程は岸田氏のいう「多形妄想の再現の途中」なのではないか。それが避け難いというか、心地よくすらあるのは、精神の根源への回帰、幼児退行だからではないか。しかし、それを食い止めて、なんとか自我を保ったとて、その「わたし」というのも幻想、つくりものにすぎない。 「思うに現世の良俗は破れた嚢を縫うような間に合わせな稚拙なカリヌイであるにしても、あらゆる現世に於て多かれ少かれカリヌイであることはその宿命で、良俗に就てかかる絶望的な宿命を確認することは、良俗への侮蔑の念を失う根柢ともなるものである。」(『思想なき眼』坂口安吾 昭和22) こう書いていた頃の安吾はわかっていたはずなのに。名が売れる、ということの代償なのだろうか。あるいは、結婚生活という環境要因か? 「暴力というもの、不正というものは、たしかに世の中にあるだろう。したがって、たれかがそれとたたかわなくてはならぬような事件もおこりうるだろう。そのたれかが安吾であったとしても、とくに不思議ではない。たたかうにはあたいしないことと見てすぎるのは、赤の他人だろう。エネルギーの浪費にしても、当人がぜひたたかうというのは何ともならない。もともと、ムダは安吾の好むところであった。」(『安吾のいる風景』石川淳) 「坂口は別天地の人物なのだが、それが諸君の眼にはっきり別世界に行ったとわからせてしまったのは僕としては坂口の芸のやり損いのようにも思うし又、坂口の大サービスの精神の表れのようにも思う。」(『坂口安吾を悼む』石川淳) 「芸のやり損い」「大サービス」というと、太宰治の死について安吾も同じようなことを書いていた。 「ヘーゲル、西田幾多郎、なんだい、バカバカしい。六十になっても、人間なんて、不良少年、それだけのことじゃないか。大人ぶるない。冥想ときやがる。何を冥想していたか。不良少年の冥想と、哲学者の冥想と、どこに違いがあるのか。持って廻っているだけ、大人の方がバカなテマがかかっているだけじゃないか。芥川も、太宰も、不良少年の自殺であった。」(『不良少年とキリスト』坂口安吾 昭和23) 安吾のメランコリイも、不良少年の冥想であった。テツガクなどと大人ぶって冥想することも、暴れることもできない不良オヤジは、歪んだギターを無心にかき鳴らすしかない。そんな秋の夜長である。 2025年9月16日

精春論

「私は二十一の時、神経衰弱になったことがあった。この時は、耳がきこえなくなり、筋肉まで弛緩して、野球のボールが十米と投げられず、一米のドブを飛びこすこともできなかった。この発病の原因がハッキリ記憶にない。たぶん、睡眠不足であったと思う。(中略)また、恋愛めいたものもあったが、全然幻想的なセンチメンタルなもので、この発病に関係があろうとは思われない。男女関係の破綻が睡眠不足をもたらすからで、グウグウねむっている限りは、失恋しようと、神経にひびく筈はない。」(『わが精神の周囲』坂口安吾) なるほど、うちの母なども介護施設に入ってからグウグウねむって、季節の変わり目によく起こる神経衰弱もない様子だ。では、なぜ、うちにいた時は、そうなれなかったのか? 「精神病院へ入院してみると、病室は概して平和で、患者はつつましく生活しており、麻薬中毒や宗教中毒のような騒音はすくない。」(『麻薬・自殺・宗教』坂口安吾) ふだんはそうだろうが、条件がそろえば「大騒音」が起こるから入院しているのだろう。入院とまでは行かなくとも、条件がそろえば小騒音くらい起こしうる人も世間ではふつうに生活している。 「われわれは、性格とは何かについて明確な定義をもっているにせよいないにせよ、日常生活のなかで自分が接する人びとについて、あの人はこういう性格だから、この人はああいう性格だからと暗々裡にせよ判断して、その人に対する態度なり行動なりを決めている。」(『性格について』岸田秀) それは家族とか気心の知れた間での話で、一般社会では相手の性格なんて考えないから、いきなり切れられて乱闘騒ぎとなったりする。 「固定的、実体的性格なるものは存在せず、性格と言われているところのものは、当人と他の人びととの関係の形であり(中略)当人の(大げさに言えば)世界認識における盲点を表わしているのであって、(中略)彼には何が見えていないかを知ることが、彼の性格を理解する鍵である」(『ふたたび性格について』岸田秀) そういえば、母も家にいた時から、毎日、家計簿に細かい字で日記をつけていて、施設に入ってからは小さいノートに、お通じがいつ出たとか、今日食べたものがどうだったとか書き込んでいる。そうして自分のことを書かないと落ち着かない様子だが、昔の人は今ほど外部の情報が溢れてなかっただろうから、世界認識において自分の存在が盲点になるということもなかったのではないか。今の母の環境のように、社会の規模が小さく、対人関係の範囲が狭かった時代には、精神病は存在しなかったにちがいない。 「精神病というのは他人から貼りつけられるレッテルである。他人から貼りつけられるしかないレッテルを、そのまま自分だと本心から信じる者がいたとしたら、それこそおかしい。したがって、精神病者にとって精神病なるものは存在しない。」(『一人称の心理学』岸田秀) たしかに問題行動を起こす認知症の人で、自分を認知症と自覚してる人は非常に少ない。自分は忘れっぽいと自覚してる人はあまり問題は起こさない。だが、母のように日記をつけないと世界認識に自分を発見できない人は、他人のレッテルを本心から信じる。 「いったい、この世に精神病者でないものが実在するか、というと、これはむずかしい問題で、実在しないと云う方が正しいかも知れない。程度の問題だからだ。」(『麻薬・自殺・宗教』坂口安吾) 近頃は、ここに目をつけて、法律を改正した結果、発達障害者(認知症もかな)が急増し、医薬メーカーが繁盛していて、その薬がまた覚醒剤や麻薬もどきで、その闇市場がネット上で成長していたり、医師の診断を免罪符のように悪用する不届き者がいるらしい。 ときに、子が親を殺す事件が起こる。 「彼ら(注:親)は、鬼でも蛇でもないし、冷酷無情な犯罪者でもなく、曲がったことのできない、ごく「世間並みの」常識人であったであろう。自分のしていることが相手の恨みを買うなどということは、想像だにし得なかったであろう。ところが、彼らのしたことは、相手に冷酷無情な犯罪者も及ばないような塗炭の苦しみを与えたのであった。どこに間違いがあったか。何をもって「親の愛情」とするかについての「世間の常識」に根本的な誤りがあるのではないかと思われる。ある行為が保護であるか虐待であるかを決定するのは、それを与える者の主観ではなく、それを受ける者にそれがもたらす実際の結果であると考える必要があるのではないか。」(『常識の恐ろしさ』岸田秀) これは親子の問題だが、世間一般にも当てはまる。しかし、誰も「世間の常識」を犯人に祭り上げられないから、近年はその矛先が親ではなく、無差別な場合が多い。彼らは「世間の常識」に抗っているのである。常識とは自然に起こるものと思いがちだが、それが誰かの手によって綿密に仕組まれた「常識」だとしたら?そんなことあるかと、実際にかつてあったではないか、戦時中の国家総動員法とか中国ではいまでも独裁政治、超監視社会だ。登録者数百万人越えの旅行系ユーチューバー、Bappa翔太がウイグルの非人道的な状況を動画で訴えたら、数ヶ月、動画更新がされず、最近、その休止理由を説明する動画が公開されたら、これがいかにも生成AIくさいといって視聴者たちが騒ぎ出し、さらに以前のような旅動画が公開されたら、今度はこれ過去動画じゃないかと、いよいよバッパさんが中国当局に拘束され、チャンネルまで乗っ取られたと外務省に安否確認の要請まで出されているらしい。 さて、こういう均一化し、情報の溢れる世界で、いびつな自分を見失わず、神経衰弱にならずにいる方法はあるのか。 「青春とは何ぞや?青春とは、ただ僕を生かす力、もろもろの愚かなしかし僕の生命の燃焼を常に多少ずつ支えてくれているもの、僕の生命を支えてくれるあらゆる事どもがすべて僕の青春の対象であり、いわば僕の青春なのだ。(中略)青春ということは、要するに、生きることのシノニイムで、年齢もなければ、また、終わりというものもなさそうである。」(『青春論』坂口安吾 昭和17) これが国中が戦争一色に染まってゆく時代に書かれていたという意味が大きい。 「私は書く、ああ、そういう私であったか、と。然し、私は私を発見するために書いているのではない。(中略)なぜ私は書かねばならぬのか。私は知らない。色々の理由が、みんな真実のようでもあり、みんな嘘のようでもある、知識も、自由も、ひどく不安だ。みんな影のような。私の中に私自身の「実在」的な安定は感じられない。そして私は、私を肯定することが全部で、そして、それは、つまり自分を突き放すことと全く同じ意味である。(中略)私は誰?私は愚か者。私は私を知らない。それが、すべて。」(『私は誰?』坂口安吾 昭和22) 他人から貼り付けられたレッテルを信じて、常識に魂を売って、愚かさを忘れた時、それが青春の終わり。親鸞もそう悟って自らを愚禿と名乗ったのではないか。そう思うと、二十一の頃の安吾はまだ青春すら始まっていなかったのではないか。三十七になって愚かな自分を全力で肯定するようになって、ようやく遅まきながら青春が訪れていたにちがいない。 2025年10月13日

安吾とプロパガンダ

「私は戦時中、日映に勤めていたとき、「黄河」という文化映画の脚本を書こうとしたことがある。これは宣伝映画で、戦争中、シナ軍が退却に際して黄河の堤をきって水を落して逃げた、このために黄河の河口が数百里移動して揚子江にそそぐに至ったが、この日本軍の治水事業を宣伝映画にしようというわけだ。前篇、後篇に分れていて、後篇がこの宣伝映画であるが、前篇は純然たる文化映画で、黄河とはいかなる河であるか、その独特の性格を知らせるための芸術効果を主にしたもの、つまり治水事業の困難さを知らせる伏線的なものである。そして万人がその困難さを納得するに値するだけの雄大独自な個性をそなえた大河なのである。私は前篇の脚本を書くことになった。」(『我が人生観(五)国宝焼亡結構論』坂口安吾 1950) この黄河決壊事件というのは、1938年6月に中国側の国民革命軍が日本軍の侵攻を食い止めようと、黄河の堤防を破壊し洪水を起こした、いわゆる、焦土作戦。氾濫は河南省など54,000平方キロに及び、11都市4千村が水没し、溺死者は数万人、被害者は600万人ともいわれる。結局、日本軍は被害住民を救出したり、防水作業を行うなどして、むしろ民衆との結びつきが深まり、進軍も一時的には止まったが、二ヶ月後には武漢まで占領し、焦土作戦としてはあまり意味がなく、民衆が多大な被害を被った結果となった。この治水事業にどれほどの戦意発揚効果があるのかわからないが、とにかく安吾もプロパガンダに協力させられるところだったわけだ。 「この脚本をたのまれたのは昭和十九年の暮で、もう日本が負けることはハッキリしてをり支那の黄河のあたりをカメラをぶらさげて悠長に歩くことなど出来なくなるのは分りきつてゐるのに、脚本を書けと言ふ。」(『魔の退屈』坂口安吾 1946) 80年後の現在では、脚本もなく、カメラや三脚の代わりにスマホと自撮り棒をもって身軽に旅行するブロガーやユーチューバーが案件や様々な優遇と引き換えに、知らず知らずに、諜報機関のスパイ活動や政府のプロパガンダに加担させられ、最悪の場合、逮捕されるケースがあるらしい。日本でもそんな国家ぐるみの情報工作や認知戦の現状を踏まえ、そろそろスパイ防止法の制定が検討される運びという。さて、時代は過去に戻り、撮影すら困難な状況で安吾は、ハナから書く気がなかったか、というと、そうでもなかったようだ。 「学者たちがかき集めても、黄河に関する文献というものはいくらもない。当時入手しうるものほぼ全部をあつめて三十冊ぐらいのものであった。私はこれを空襲の合い間合い間に、ひっくりかえって、毎日読んでいた。読めば読むほど黄河という河はおもしろい。自然華北の農業とか、風習、文化、生活、歴史、それらを知りたくなる。私は商売をウッチャラかして、半年間この読書に没頭した。すると、戦争が終ってしまった。」(『我が人生観(五)国宝焼亡結構論』坂口安吾 1950) 「尤も黄河の読書はたのしかつた。殆ど毎日のやうに私は神田、本郷、早稲田、その他至るところの古本屋を廻り歩いて本をさがし、黄河以外の支那に就ても書く為には読みすぎるほど読んだけれども、まつたく脚本を書く気持にはならない。」(『魔の退屈』坂口安吾 1946) なぜ、その気になれなかったのか?それが純然たる小説だったら、あるいは、勝てる見込みのある戦争のためであったら、彼は書いたか。それとも、敗戦を確信していた彼は戦犯を恐れたのか? 「文学の戦犯などゝいふことからして妙なことで、(中略)時局便乗といふことは決して犯罪ではなく、つまり、通俗といふことなので、たゞ、それだけの話だ。いつの世にも時流便乗作家はあるもので、それを通俗作家と称する。決して犯罪者ではない。」(『通俗と変貌と』坂口安吾 1947) ときに、今年一月にトランプ大統領がパンデミック中にワクチン接種を拒否して除隊となった数千人の兵士の復帰を認める大統領令に署名したという記事があった。日本ではワクチンによる健康被害申請は一万件に及び、空前絶後の薬害問題とも言われていて、ワクチン接種の実務に当たった医師や看護師や、ワクチン接種を推したメディアとそれに出演した学者や専門家、タレント、ユーチューバーを「戦犯」扱いする言論を見かけるが、彼らは時局の職務に応じた、あるいは、安吾のいうように時局に便乗しただけで、それを犯罪というのは当たらないのではないか。しかしそれを推進した政治家や役人はこの結果に対して罪を免れないのではないか。なぜならその重責を負うのが彼らの職務だからだ。 さて、けっきょく、黄河とはいかなる河であったのか? 「黄河は二三十年ごとに大洪水を起す。(中略)二三十年目には、どうしても大洪水を起すという必然の運命になるのである。(中略)黄河治水は数千年来の難題であり、学者たちは、それぞれヤケ気味でもあるようである。悠々として成功を説いた歴代の学者に成功したタメシがないのだから、ヤケクソの方に名論が多い。」(『我が人生観(五)国宝焼亡結構論』坂口安吾 1950) つまり戦争がなくても洪水は自然と起こる、だから水には逆らわず、流域の人民の方を移動させるか、洪水で何十万と死んでくれればちょうど人口のバランスがとれる、という解釈なのだという。「私は戦争というと黄河を思いだして仕様がない。同じぐらいの怪物だ。そして、黄河学者の名論や遺訓が大そうふさわしく役に立つ。水と地を争わず。これを戦争の場合は水を火の字に置きかえればよい。この火を防ぐのはムリであるから、さッさと逃げる。さもなければ、手をあげる。抵抗したってムダである。(中略)もっとも、運命主義者というものは運命に逆らわぬだけが能ではない。逆らってもムダという理を会得するに至って逆わないのであるから、逆らえばもッと巧くいくという理が算定できれば逆うのである。狂犬に出会ったら逆らわず、噛まれなければならないという定式が、あるわけではないのである。」(『武者ぶるい論』坂口安吾 1951) 黄河学者の遺訓にならって、戦禍にも逆らわない運命主義者に安吾はなっていたようだ。そういえば、近頃はクマが人を襲う事件が相次いでいるらしく、俗説によればメガソーラー開発のせいとか、林業の衰退で山が放置状態のせいと言われているが、理由はさておき、クマに出会っても逆らわず、とはさすがの運命主義者もそうはいくまい。 2025年10月25日

終幻想

「彼の共同幻想と個人幻想と対幻想って言葉があるのはご存知ですかね?(中略)共同幻想ってのはイデオロギーです。国家はこうあるべきだとか共同体はこうあるべきだっていう幻想です。で、個人幻想ってのも同じ。僕はこう行きたい、僕はこういう人間だっていう幻想です。で、これどっちも実は空想になりかねないんですよ。何でかっていうと国家幻想、あるいは共同幻想ってある意味、理念になるでしょ。私の頭の中でそれは作れるんですよ。で、自分自身の夢もそうですね。自分の頭だけで作れる。唯一自分の頭だけで作れない幻想があるって彼はいうわけ。これが対幻想なんです。対って何かって言うと、対だからカップルでしょ。セットなんです。つまり親子とか兄弟とか姉妹とか、あと夫婦とか、これが全部、対になってるんで対幻想なんです。」(『吉本隆明と太宰治/浜崎洋介先生に聞く「昭和100年」03』 もぎせかチャンネル 2025) 共同幻想といえば、岸田秀氏の本から知った身としては、これいる?という気もする「対幻想」について、ご本人は何と説明しているか。 「公けのことについて偉そうなことを言ったりやったり、社会を変えるんだみたいなことを言ったりしたりしてる人にとって、おまえの女性関係どうなんだとなった場合に、口をムニャムニャと、こう言わなきゃなんないみたいなのはおかしいじゃないか。それを明瞭に、こういうものが人間にとって三大柱みたいに重要にあるんだよ(中略)そういうのがモチーフなんですよ。」(『共同幻想について』吉本隆明、岸田秀 1981) 「103万円の壁」で人気になったが、女性スキャンダルで「口をムニャムニャ」となった国民民主党の代表を思い出す。どうも左寄りの人々は美しい空想をお持ちの方が多いように思うのは、吉本にいわせれば、対幻想が足りないからじゃないのか。 「(岸田秀)ぼくは、私的幻想と共同幻想と、二つ分けてはいるけど、相対的に考えているわけです。私的幻想というのがあって、それが集団において共同化されて共同幻想となる。集団というのは共同幻想がないと成り立たない、集団に所属するというのは共同幻想をもつことだと考えているわけです。しかしある集団の共同幻想は、より大きな集団にとっては私的幻想の関係になるというわけです。」(『共同幻想について』吉本隆明、岸田秀 1981) 近年、左と右のような形でグローバリズムとナショナリズムの確執が世界中で巻き起こっている。岸田理論によれば、前者にとって後者は私的幻想、反対に後者にとって前者は共同幻想ということになるが、両者は共存できないのだろうか。それは集団の話だが、個人においては、マスメディアからSNS、あるいはAIへとコミュニケーション手段が分散・細密化し、また移民の急増など社会も変化し、かつての国家や民族のような共同幻想が形骸化しつつある。吉本のいう「三大柱」、つまり共同幻想、個人幻想、対幻想の調和は、非常に存立の危機に陥っているのではないか。 「岸田さんが書かれているもののなかで、これはおれは書かんなと思うのは、たとえば男女の性みたいなのを、かなり岸田さんはバーッとやっちゃってるでしょ。ちっとも不賛成じゃない、このとおりじゃないかと思うんだけど、ぼくなら恥かしいから黙ってるなとか、そういうところだと思うんですよ。(中略)真面目な人にもいろんな段階があって、真面目なために、ほんとはここらへんに入ってるんだけど言えねえんだという人もたくさんいる。たとえば日本の進歩的な奴はみんなそうですね。その真面目ってのはちっともいいことじゃないでしょうけどね。だけどぼくらは真面目だから、いろんな総力を結集して、いろんな論を立てて、それではじめてそうだと言うわけですよ。」(『共同幻想について』吉本隆明、岸田秀 1981) 「真面目な人」吉本と、「何でもバーッとやっちゃう」岸田秀氏の違いは、なんとなく、育ちにあるように思う。 「母(そして父)とわたしとのあいだには、おたがいに口にしてはならない公然の秘密があった。わたしはひとりっ子だが、それは当然で、実はいわゆるもらい子であって、母の兄夫婦がわたしの生物学上の両親であった。(中略)われわれは、おたがいに実母であるかのごとく、実子であるかのごとくふるまっていた。このことが、母とわたしとの関係に内在する葛藤をますますこじらせ、陰湿なものにし、その解決の可能性を決定的に遮断した。」(『わたしの原点』岸田秀 1975) ここで「対幻想」をWikipediaで引いてみると、 「吉本は、対幻想は家族の本質であると述べている。単純な血のつながりだけではなく、対幻想が存在するから家族や家庭は成立するのである。」とある。そして岸田秀氏はこういう。 「対幻想という概念はぼくとしてはあまりピンとこないんです。なぜ対幻想という概念が自己幻想と共同幻想の間に入ってくるかというのもはっきりさせたい。ぼくが理解できるようになりたいというか......。」(『共同幻想について』吉本隆明、岸田秀 1981) 養父母を本当の父母と偽られて育ち、それを知ってからますます家族関係をこじらせた岸田氏が、吉本が「家族の本質」という対幻想にピンとこないのは当然ではないか。理解できるようには、一生なれないのではないか。 さて、類は友を呼ぶ。 「芥川龍之介には父が二人、母が四人いた。(中略)幼少時の龍之介を考えてみると、三つの世界とかかわりをもっていたことがわかる。第一は、実父母、養母の世界、第二は、養父母の世界、それから、芥川家に同居してはいたが、精神的には孤立していたと考えられる伯母の世界。(中略)あとから修正や追加を施すにせよ、親から押しつけられた現実を基本的には容認し、それをそのまま現実として信じて一生疑わず、そこに安住する人たちが、いわゆる正常人である。しかし、幸か不幸か、そうできない人たちがいる。子ども自身の素質や才能など無視し、あまりにも親だけの都合のよい現実を押しつけられた場合や、龍之介のように、不調和な複数の現実を押しつけられた場合などである。」(『シニシズムの破綻 ー芥川龍之介論』岸田秀 1977) ここでアダルトチルドレンという言葉を思い出した。機能不全家族で育ったことで成人後も心理的影響を受け続けている人々のことだが、つまり岸田氏がそれであり、吉本は「正常人」ということ。 「僕自身が挫折をしたかってことについては、まあ、ひとつだけ、これだけはとんでもなく別ものだぞっていう経験がありましたね。戦争が終わった時です。それに比べたら、一般的に挫折と言われるようなこと、例えば、失恋でも、入学試験に失敗したでも、落第でも何でもいいんですけど、そういうのはどこか原因があるから、きっと捉えどころがあるんですよ。でも、敗戦の時の挫折感っていうのは、「全部がちょっと違うよ」っていうか、自分がここにいること、それさえもおかしいよっていうふうになりましたからね。終戦の日って晴れてたんですが、その、晴れてるってこともおかしいんじゃねえか、とさえ思ったくらいです。」(『悪人正機』吉本隆明、糸井重里 2001) 幼少期から軍国少年だった吉本も、敗戦によって安住が根底から破壊され、大きな修正や追加を迫られ、ようやく辿り着いたのが共同幻想論というわけだ。 「政治も社会も文学も、戦争も平和もすべて嘘っぱちじゃないかという二人の拠って立つところは、際立っていた。つまるところ、太宰と坂口は「解って」いたのではないかと思う。」(『太宰と安吾』檀一雄著 解説 吉本隆明 2003) 早い話が、戦後民主主義も資本主義も、みんな「嘘っぱち」ということ。信長が愛した『敦盛』のように、人間五十年、夢幻のごとし。そういえば、最近とある有名ユーチューバーが突然エックスに「私は悟りを開き、世の中の全てに全く「意味」などないことを完全に自覚しました。」と投稿して、気が狂ったのでは?と周囲を心配させていた。これも吉本や信長と同様、すべては幻想という発見であろうか。さらに類は友を呼ぶ。 「太宰治は甘えの態度を強くもちつづけた人である。要するに甘ったれなのである。なぜ彼がそうなったかについては、断定的なことは言えないが、生まれてから生母たねにかわいがられたことがなく、乳母に世話され、その乳母も一年足らずして去り、次に叔母きゑに育てられ、子守りのたけに預けられたというその生育条件におもな原因があるであろう。」(『太宰治論序説』岸田秀 1979) 複雑な生育条件によってつくられる対幻想とは文豪への近道なのか。そういえば夏目漱石もわずか一歳で養子に出されている。 「〔養父母は〕健三によく斯んな質問を掛けた。「御前の御父ツさんは誰だい」健三は島田〔養父〕の方を向いて彼を指さした。「ぢや御前の御母さんは」健三はまた御常〔養母〕の顔を見て彼女を指さした。是で自分達の要求を一応満足させると、今度は同じやうな事を外の形で訊いた。「ぢや御前の本当の御父さんと御母さんは」〔略〕或時はこんな光景が殆んど毎日のやうに三人の間に起つた。或時は単に是丈の問答では済まなかつた。ことに御常は執濃かつた。「御前は何処で生れたの」(『道草』四十一)鬼気迫るような描写で、本当にこんなことがあったら、こりゃ子どもはたまらんぜと思う。本来ならただ無意識に受け入れるべき自分の生まれてきた由縁を、日々問い詰められて、逆に自己の存在を突き崩される不安に落とし込まれるのだ。これに近いことがあったとすれば、漱石の強迫的な自己不安の資質は、ここでも育てられたに違いない。」(『青春の彷徨 ー塩原金之助と夏目漱石』夏目房之介 1994) 漱石(金之助)は八歳のとき、養父母の離婚により、塩原家に在籍のまま、再び夏目家に引き取られる。 「すでに夏目家に帰った頃で、実の父母を祖父母だと思っていた。実の両親だと教えてくれたのは、親切な<下女>だった。(中略)実家で漱石は実父にうとまれ、随分寂しい思いをしたようだ。ただ優しかったのは<下女>と母親であった。多分、坊っちゃんを愛する<下女>の清は、ここにひとつの原型があるのだろう。坊っちゃんは父にうとまれ、母を亡くし、清だけが彼を無条件で愛してくれた。坊っちゃんの性格は単純で、表裏がない。内面と外面の差がなく、つまりは内面というものがないのだ。だから坊っちゃんは時代に敗北するしかない。」(『青春の彷徨 ー塩原金之助と夏目漱石』夏目房之介 1994) それを小説という形で作り上げて、漱石は身を削りながら時代に勝利したのではないか。芥川龍之介も太宰治もだいたい似たようなものだが、彼らは自ら作り上げた内面に絶望して身を捨てる自死を選んだわけだ。すべての小説が作者の内面を表現しているとは限らないが、吉本のいう対幻想とは、本人も忘れているような幼児期の記憶であり、その封印を解くことは実は恐ろしいものなのかもしれない。さらに類は友を呼ぶ。 「三島由紀夫の精神ははじめから死んでいた。この現実の世界に生きているという実在感の欠如に、彼の文学、その他の活動を解く鍵がある。彼は徹底的に人生を演技し通したと言う者もいるけれども、彼には、偽りの外面を演技することによって隠さねばならないような真実の内面があったとは思えない。(中略)彼の精神の死の原因は、誰でも容易に想像がつくように、その育てられた環境にあろう。それは誰が見ても異常としか言いようのない環境であった。(中略)三島由紀夫の場合は、自己中心的で支配欲の強い祖母に育てられるという悪条件の上に、息子の彼を見捨ててそのような祖母に任せている両親がそばに存在するという悪条件が重なった。(中略)こういう状態のもとでは、祖母を歓ばせることは父母を淋しがらせることであり、父母の意に沿うことは祖母を怒らせることであった。(中略)すなわち、抑圧されたものを足場として反抗し、その反抗を通じて自己を築きあげる余地がなかった。一方への反抗は他方への迎合となるから、反抗の根拠としての自己は築かれないのである。」(『三島由紀夫論』岸田秀 1976) なんだか米中に挟まれて自立できない自民党政権のようだ。首相の存立危機発言で中国に毅然と対応などと、三島のように死ぬまで演じ切るしかなさそうだ。それにしても中国というか習近平の過剰反応をみてると、一党独裁もそろそろ終わりな気がする。はよ、国債売り飛ばした方がいいよ、片山大臣。 2025年11月17日

現代の終わりに

高市政権が発足から2か月たち、支持率が全世代で65%、特に若い世代ほど高く、20代では90%を越えるという。 「時代の流行というものは、常に多分に、伝統と同じぐらい空虚なものであり易い。それというのが流行を支える大多数の個人が決して誠実な省察を日常の友とはしていないからで、尚いけないことは、時代の指導的地位にある人々、ジャーナリスト、教授、執筆者、必ずしも誠意ある思索家、内省家ではない。」(『現代とは?』坂口安吾 1948) 「フリードリッヒ・ニーチェはそうなるのを十九世紀末に見通して、「現代を特徴づけるのは三つのMである」といいました。「三つのM」とはモーメント(時間)とモーデ(流行)と(民衆の)マイヌング(意見)のことです。」(『文明の敵・民主主義』西部邁 2011) AIによれば、「現代」とは20世紀後半、第二次世界大戦後を指すことが多く、その特徴は、技術革新、グローバル化、社会的変動、文化の多様化などで、日常生活では情報過多、働き方の変化、価値観の多様化などがあるらしい。ではその前の時代、「近代」はいつだったのか?これもAIによれば、18世紀後半から19世紀初頭に始まり、二度の世界大戦によって終焉というのが一般的という。さらにその前の時代は?と問うと、中世が約5世紀から15世紀、近世が約16世紀から18世紀という。中世が10世紀もあって、近世が2世紀、近代が1.5世紀とすると、だんだん詰まってきてるから80年近くたっている現代もそろそろ終わる(終わってる?)のではないか。では次は何時代になるのか?果たしてそれはどんな時代なのか?それをAIに聞いても、現代の特徴がさらに多様化、進展としかわからないようだ。 「歴史的な観察法は現代には通用しないものだ。なぜなら、人間と一口に言うが、いわゆる人間一般と、自分という五十年しか生きられない人間とは違う。人間は永遠に在るが、自分は今だけしかない。そこに現代というものゝ特性があり、生活というものが歴史的な観方と別に現実だけのイノチによって支えられているヌキサシならぬ切実性があるのである。」(『現代とは?』坂口安吾 1948) と現代黎明期の人がいう。要は、現代とは歴史ではなく、生きているものだから、どう変化するかわからず、その価値も定まらぬというわけ。生まれたばかりの時代ならそれはそうだ。仮に歴史的な現代はすでに終わってるとして、次の時代(何というか知らぬが)の黎明期が今だとしたら、現代に正しいとされたものも近い未来には全否定されうるし、その逆もありうるわけだ。これ以上の技術革新やグローバル化は必ずしも人類を幸せにしないかもしれない。すでにそう見えている人も少なくないのでは?なぜなら、近代も現代も、それらは西洋文明の歴史観にすぎない。 「上手に思ひ出す事は非常に難かしい。だが、それが、過去から未来に向つて飴の様に延びた時間といふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思はれるが)から逃れる唯一の本當に有効なやり方の様に思へる。」(『無常といふ事』小林秀雄 1942) 思えば、時計もカレンダーも干支も廻るものなのに、歴史だけが過去から未来へ直線的なのは変といえば変だ。 「歴史は繰り返す、とは歴史家の好む比喩だが、一度起つて了つた事は、二度と取返しが附かない、とは僕等が肝に銘じて承知してゐるところである。それだからこそ、僕等は過去を惜しむのだ。歴史は人類の巨大な恨みに似てゐる。」(『ドストエフスキイの生活』小林秀雄 1939) 「年の暮れも近くなって、また忘年会の季節がやってきた。(中略)ヨーロッパには忘年会がなくて、日本や韓国にはあるということは、時間とか歳月に関する、また厄とか罪とか穢れとかに関するヨーロッパ文化圏と東アジア文化圏の考え方の違いを示しているのではないかと思う。すなわちヨーロッパ人にとっては、時間は過去から未来へと一貫して流れる切れ目のない一本の線であるが、東アジア人にとっては、区切ることができ、新たにすることができるものである。」(『忘年会 ー東アジア的な時間の概念』岸田秀 1976) 時間を直線で考えるから、巨大な恨みに苛まれ、生活にイノチが実感できず、やたら数字を追いかけるのではないか。小林の言うように、上手に思い出すことができる、つまり自分の過去が常に記憶にあって、いつでもそれとシンクロできる能力があれば、歴史は不要で、今が現代だろうが、中世だろうが関係ないのだろう。そういう状態が小林の云う「無常」ということで、また安吾のいう「内省家」もそうだろう。そういう状態にあるとどうなるか? 「酒場にて 今晩あゝして元気に語り合つていゐる人々も、実は、元気ではないのです。近代(いま)といふ今は尠(すくな)くも、あんな具合な元気さでゐられる時代(とき)ではないのです。諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞおやめなさい。ほがらかとは、恐らくは、悲しい時には悲しいだけ 悲しんでられることでせう?されば今晩かなしげに、かうして沈んでゐる僕が、輝き出でる時もある。さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、「あれでああなのかねえ、不思議みたいなもんだねえ」。が、冗談ぢやない、僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。」 (『未刊詩篇』中原中也) ここで興味深いのは、中也は今を現代ではなく「近代」と記している点。この詩篇がいつのものか正確には知らぬが、作者は1937年に亡くなっているので、現代以前にはちがいない。そしてその時代の元気さが「定規みたいなほがらか」という。すでにここにも数字に一喜一憂する文明病が蔓延っている。 「ベルグソンは、普通世間でいう「時間」とは例えば時計の針の動きで計るような、実のところ空間化された時間であって、人間が精神の裡で経験する時間、いわば「生きられる時間」ではないということを明らかにしたのである。」(『汚れつちまつた悲しみに……』解説 ー伝説の衣裳を脱いだ中也 新保祐司 1991) 人は、生きられない時間、時代にずっと閉じ込められるとどんなことになるのか? 「戦後は、アメリカとソ連という主要な二つの患者群が対峙し、朝鮮戦争、チェコ侵略、ベトナム戦争などでときどきその症状の発作を起こしている。日本はアメリカに従属し、軍事侵略という症状はもっぱらアメリカに任せて、対外的には経済侵略、対内的には自然破壊という症状を呈している。実際、この伝染病の基本要素である、他人(他の生命)を単なる手段・物質と見るあくなきエゴイズムと利益の追求、不安(劣等感、罪悪感)に駆り立てられた絶対的安全と権力の追求、最小限の労力で最大限の効果をあげようとする能率主義は、いったんその方向に踏み出せば、そのあとは坂道をころげ落ちる雪ダルマのような悪循環がかぎりなくつづくのみである(原水爆は、ヨーロッパの近代的自我の確立、エゴイズムと能率主義の必然的帰結である)。どこにも歯止めがない。そして無菌者は必ず保菌者に負け、同じ保菌者になるか(日本)、滅び去るか(インディアン)、あるいは閉じこもって難を避けるか(未開民族)しかない。歯止めのないこのヨーロッパ文明に歯止めをかける別の文明が現われるであろうか。それとも人類は悪循環の果てに奈落の底に落ち込むであろうか。」(『伝染病としての文明』岸田秀 1976) 今月4日に発表されたトランプ大統領の米国家安全保障戦略(NSS)の草案には、G7に代わる「C5(コア5)」の言及があり、それは米、中、ロシア、インド、日本だという。ここにEUが排除されているのが興味深い。ヨーロッパ文明との決別、あるいは真の独立を意味するのか。だとすると、それがある意味、現代の終わりではないか。このように、世界はとっくに多極化しているのに、高市政権は西洋文明という伝染病に気づかず、雪ダルマのようにどんどん奈落の底にころげ落ちている。ポスト現代の日本は、すみやかに米国従属から脱却し、ウクライナ戦争終結に協力し、その復興支援を進め、ロシア制裁も解除し、中国を軍事的に刺激するのをやめて、東アジアを代表するコア5の一員としての自覚と責任意識を持つべきだろう。 2025年12月27日

特殊な国ニッポン

「And but that is true that Japanese culture is a very ,very special one」 今月19日、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラム年次総会で、日本の移民政策について聞かれた片山大臣が、その回答の中でこう言ったという。要するに、日本は「とても特殊な文化」だから、欧州諸国のような移民社会にはならない、と。その特殊性とはいったい、どういうものか? 「日本人は宗教心を持たない代りに、手軽な諦らめとあんまり筋道のはつきりしない愛他心とに恵まれてきました。元来情熱は一途に利己的なものであるやうですが、日本人はこれまで情熱を追求することを教へられず、途中で抑へ、諦らめることに馴らされてしまひ自分の正しい慾念よりも他人の思惑の方を余計気にしたりするやうであります。」(『日本人に就て――中島健蔵氏へ質問――』坂口安吾 1935) なるほど、神社や墓地では手を合わせて拝むものの、旧統一教会や創価学会の問題などを見ていると、「神サマ」はむしろ怪しまれるもので、それよりはるかに強大で空気のような「世間様」を恐れている国民性である。 「日本人の自我は世間の人びとに是認されるという規準に支えられ、欧米人の自我は神または神の代替物であるなんらかの普遍的原理に是認されるという規準に支えられている。(中略)日本人の自我を支えている規準は普遍性がなく、そのとき個人がどのような場に身を置いているか、どのような人たちに認められたがっているかなどによって変動する。」(『日本人の自我構造に内在する「いじめ」』岸田秀 1986) 世間、とひと口に言っても、地域社会や学校、会社といったリアルな交流なのか、メディアやSNSなどのバーチャルな交流なのかによって、人格や態度もコロコロ変動するのが日本人というわけだ。 「わが国の「非国民」というのは曖昧糢糊としていて、公的機関が一定の規準で判定するわけでなく、ただ何となく「あの人は戦争に熱心に協力しないらしい」ということで「世間の人びと」が後指を指し(面と向かって名指すのではなく)、冷たい眼を向けるといったものであった。そして、日本国民は(中略)「非国民」と後指を指される恐ろしさから「自発的に」戦争に協力するという仕掛けになっていた。」(『日本人の自我構造に内在する「いじめ」』岸田秀 1986) コロナパンデミックの頃のマスク警察を思い出す。いまだにネットでは「反ワク」と後指さす言論があると同時に、昨今は、逆に「自発的に」打った方を揶揄する言動もみかける。こういう現象も公的機関が科学的知見に基づく対策を取れなかったが故ではないか。 「叱る母もなく、怒る女房もいないけれども、家へ帰ると、叱られてしまう。人は孤独で、誰に気がねのいらない生活の中でも、決して自由ではないのである。そうして、文学は、こういう所から生れてくるのだ、と僕は思っている。」(『日本文化私観』坂口安吾 1942) 彼がこれを書いたのが、ちょうど母アサが亡くなった頃であることが興味深い。それほど、母や家の呪縛というのは、彼のような無頼の精神にも深く影響を及ぼしているようだ。 「自己犠牲的・献身的な母、世界一不幸な母というイメージはわたしの心に深く刻み込まれており、わたしは不幸な母を救い、幸福にする責任を負っていた。(中略)しかし、ずっとのちのことであるが、よく考えてみると、このイメージは現実の母と喰い違っていた。(中略)母はわたしを母の人生計画を実現するために必要不可欠な要員と見なし、わたしをうしろめたい気持ちにさせて、わたしを思いのまま自由に使える便利な奉公人にしようとしていたらしい。」(『日本史を精神分析する』あとがき 岸田秀 2016) 血のつながりのない、もらい子の岸田氏ですらそうなのだから、この「必要不可欠な要員」は、子供のみならず、夫や、家族そのものではなかったか。今のように社会的地位がほぼなかった時代の女性にとって、家とは社会で生存できる唯一の場であったからだ。  「日本の親たちが子供を必要とするのは、単に情緒的に満足を得るためばかりではなく、もし家の血統を絶やすようなことになれば、彼らは人生の失敗者となるからである。すべての日本男子は息子を得なければならない。(中略)女もまた子供をほしがるが、それもやはり情緒的満足を得るためばかりでなく、女は母親となることによって始めて、地位を獲得することができるからである。」(『菊と刀 日本文化の型』 ルース・ベネディクト 長谷川松治訳 1972) 敗戦後、アメリカの自由な文化に触れてはじめて、お家のために犠牲になる封建制が、日本の特殊な文化だったことに、多くの日本人が気づいたことだろう。 「日本の幼児は、思慮に富む西欧人がおそらく想像すると思われる仕方とは、異なった仕方で育てられる。(中略)日本の生活曲線は、アメリカの生活曲線のちょうど逆になっている。それは大きな底の浅いU字型曲線であって、赤ん坊と老人とに最大の自由と我儘とが許されている。幼児期を過ぎるとともに徐々に拘束が増してゆき、ちょうど結婚前後の時期に、自分のしたい放題のことをなしうる自由は最低線に達する。この最低線は壮年期を通じて何十年もの間継続する(中略)アメリカでは(中略)壮年期に個人の選択の自由を増大することが肝要であると考えている。ところが日本人は、個人に加えられる束縛を最大限に達せしめることが必要であると考えている。」(『菊と刀 日本文化の型』 ルース・ベネディクト 長谷川松治訳 1972) 一見、欧米化が進んだかにみえる戦後の日本社会だが、いまだに「U字型生活曲線」が影響しているから保育士や介護士が人手不足になったり、また結婚前後に自由が最低線に達し、ほかにも労働や納税など壮年期の束縛が最大限に達するから、経済は低迷し、未婚率や少子化が増大するのではないか。 「その階層的地位の故に最高の敬意を寄せられる人びとでさえ、自らほしいままに権力をふるうことがなく、その階層制の首脳を占める官吏が、実権を行使することがないということが、日本の特異性である。天皇を始めとして下じもにいたるまで、助言者や隠れた勢力が背後にあってそれを動かしている。」(『菊と刀 日本文化の型』 ルース・ベネディクト 長谷川松治訳 1972) これは父親が西欧人のように強権的でなく、「顧慮と鍾愛をもって子供を遇する」からだと著者はいう。「地震雷火事親父」と言われた時代ですら、日本の父は子に強権的でなかったわけだ。しかし、近頃はその特異性につけ込んで、政治やメディアを背後で動かす勢力が蔓延っている。最近だと、関西ローカル番組で、各政党が指向する国家像を「優しく穏やかな日本」と「強くてこわい日本」と表現して、「こわい」に対して苦情が殺到し、番組が謝罪し、「手ごわい」の意味と訂正する事があった。それにしても、誰にとって手ごわいのか?少なくとも日本人ではないだろう。 さて、つい23日、高市政権が通常国会冒頭に電撃解散した。60年ぶりの異例だという。大義はあるのか、スキャンダルを隠蔽するためではないかとも囁かれているが、たしかに現状の少数与党では彼女の悲願である、憲法改正は困難だろう。 「わたしは九条には反対ではありません。安保条約を破棄した上で改憲に取りかかり、国民的合意に基づいて、いまと同じ戦争放棄の平和憲法を作るのなら、それはそれでいいと思います。その結果、アメリカかロシアか中国かに攻め込まれて反撃できず、国が滅びたとしても、日本国民自身の判断の結果だからあきらめがつきます。いまの憲法は日本がふたたびアメリカに戦争を仕掛けることがないようにとアメリカがアメリカのために日本に押しつけたものですから、その憲法を守って滅びたら、悔やんでも悔みきれません。(中略)日本は実質的にアメリカの属国です。属国から脱することのないまま、「自主」憲法を作れば、できあがった憲法はいまよりもっとアメリカに都合のいい憲法になることは目に見えています。安倍さんがもくろむ憲法改正は自衛隊をアメリカ軍に組み入れるためですよ。」(『日本史を精神分析する』 岸田秀 2016) もうとっくに組み入れられているらしい。昨年の4月、陸海空3自衛隊の実働部隊を平時から有事まで一元的に指揮する「統合作戦司令部」が発足という記事があった。要は、日米の軍事一体化を加速する目的だという。また、有事の際に、日本が米軍の指揮下に入るとの密約を吉田茂首相(当時)が米国と結んでいたことも明らかになっている。こんな状況で憲法改正なんて意味あるのか。 さて、それでも「特殊な」日本人はどう判断するのか。 「現在、日本人は、軍国主義を失敗に終った光明と考えている。彼らは、軍国主義は果たして世界の他の国ぐににおいてもまた失敗したのであろうか、ということを知るために、他国の動静を注視するであろう。もし失敗しなかったとすれば、日本は自らの好戦的な熱情を再び燃やし、日本がいかによく戦争に貢献しうるかということを示すことであろう。もし他の国ぐににおいても失敗したということになれば、日本は、帝国主義的な侵略企図は、決して名誉に到る道ではないという教訓を、いかによく身に体したかということを証明することであろう。」(『菊と刀 日本文化の型』 ルース・ベネディクト 長谷川松治訳 1972) 要するに、世界様次第ということらしい。 2026年1月25日
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