旧姓、言えン(松)




(竹) (梅)


霊園 商魂 番犬 商品 鈍感 離婚 浪人 宣伝 勤勉 実演 雑菌 中心 不安 人間 政見 精神 不倫

霊園



タレントの愛です。私もついにこの三月で芸能界を卒業する。思えばAVから入って、いつしかバラエティの女王として長者番付に載るまでになった。だけど、失ったものも多い。一つは健康。それと安息できる場所。一時はホストクラブに通いつめたけど、肝臓と膀胱を悪くしたのはきっとドンぺリと…ホストのクンニのせいかも…。ところで今、私は都内のとある霊園に来ている。祖父の墓がある、ここへ通うようになったのはもう3、4年前からだ。2、3ヶ月にいっぺんは来てる。霊園散歩が趣味だなんて人には言えないね。でも、ここは気が落ち着く。死んだ人が眠ってるとか、お線香の香りが…というのもあるけど、ここを歩いてる人も不思議と安らかに見える。弔うっていう気持ちがそうさせるのかも。私も祖父だけじゃなく、知り合って別れた人、人だけじゃなく可愛がった犬も、さらには会った事もない物語の中の人まで供養しちゃう。心の中では彼等は永久に生きている。いつどこにいたって私を見守ってくれてる。今はそう信じてる。でも、前は違った。何で、あんなにホストに貢いじゃったんだろう?あれも精一杯、今を手に入れようとした結果だったのかな?今は、それが口のない死人に代わっただけなのかも。どうして私は死ぬか生きるかみたいに極端なんだろう?思えば私は小さい時から隅っこを歩いてきた。学校の席も、電車の座席も、結婚式の二次会も、いつも隅っこ。芸能界だって世界の中心のようでいて、実は隅っこも隅っこ。いつはじき出されるかみんなビクビクしてる。私が堂々と真ん中を歩けないのは、小さい頃から家にいて居心地を感じたことがなかったせいだろうか?芸能界まで家出して私はこれからどうなるんだろう?だけど、お金なんかいくらあっても今も未来も手に入らない。過去を弔うことでしか…そうか、だから私は霊園に通うのか…0円で未来を手に入れようと。そうこう考えてるうちにお線香が真っ白に燃え尽きた。これで過去も消えたらいいのに!これで病気も治れば…これで新しい自分に生まれ変われたら、どんなにいいか! 2007年3月4日

商魂



ギネスブックにも載った、アナウンサーの、みの、です。人は言う。「何でそこまで働くのか?そんなに稼いでも使うヒマがないじゃないか?」まったくその通り。どういうわけか、私は働いてないといられない。これも一つの病気かもしれない。病気といえば、昨年、激しい腰痛に襲われ、脊椎の手術をした。入院してみると、世間にはいろんな病気があるものだ。病院は社会の縮図だった。例えば精神病というと鉄格子の中に入れられて…なんて思いきや、全然そうでない。何かのきっかけで発作を起こすと手をつけられないから病院にいるのだ。彼等はむしろ純粋だ。今日が何日で何曜日かも忘れ、時間も忘れ、言葉やカネすら使わず生きている。サルと同じと言えばそうだが、つまりそれが精神病なのだ。何か一つくらい悩みというか、人間的に囚われるものがなければ野人と同じ。私もほとんど何も考えないでしゃべり、明日の事など気にせず飲んだくれ、ほとんど野人だが、朝になればムクッと起き上がり、テレビが回れば何かに憑かれたようにシャキッといつもの私になる。テレビでは言ってはいけない事も多く、それでも面白がらせなければいけない。私は長年の経験でその要領を得ているから、あのNHK歌合戦の時ですら無心でしゃべれた。ほかの事はサル同然でも、しゃべることだけは誰よりも人間的なのだ。世の中にはボランティアとかNPOなんてキレイな仕事もあるが、私はカネを稼いでないと働いた気がしない。タダでしゃべれと言われても勘が鈍って困る。その商魂があるから私は野人的であっても精神病ではないのだろう。「腰のために少し仕事を控えてはどうか?」と先生はおっしゃったが、私はしゃべりながら死ぬつもり。芸能界は私にとって格好の病院であり、墓場なのだ。 2007年3月5日

番犬



僕は国内最大のネット掲示板の管理者。言ってみれば口喧嘩の番人。八年前、アメリカ留学中に立ち上げたサイトは今や一ヶ月に一千万人以上は閲覧する。その影響力のお陰で民事訴訟を50件以上起こされて4億円以上の罰金を命じられてる。けど僕は支払う気なんかない。火のない所に煙は立たないんであって、ヒドいことを書かれるのは本人に責任の発端があるんだし、問題があれば番人としちゃアすぐ消しゃアいいだけ。その辺は留学中に本場で仕込んでる。ホリエモンが日本の株式市場を大人にしたように、誰かが日本の情報社会も大人にしなければならない。今の法廷がどう裁こうが歴史が僕の仕事を正当に裁くはず。いままでの日本の情報社会は強者が弱者を一方的に支配してきた。その点、ネットには強者も弱者もなく、誰でも言いたい事が言える。真に言論の自由がある。だから弱者にとっては武器になりうるし、強者にとっては不都合かもしれない。しかし、そんなの知ったこっちゃない。僕が罰金を払わないのは敗訴を認められないだけ。現状の法律の方に不備がいっぱい認められるから。情報社会にもホリエモンのような非常識な改革者が登場しなければならないが、その人物に自分がなろうとは思わない。ただ、その歴史が変わる瞬間を目撃したい気はある。僕が敗訴を認めることはその瞬間を遅らすだけ。それに負け戦とわかって勝負なんかしない。ちゃんと互角に戦えるルールになれば僕はいつでも喧嘩する。けど、今起きてる訴訟はまだ子供の喧嘩。せいぜい夫婦の喧嘩。夫婦喧嘩は犬も食わぬといって、そんなの放っときゃいいのに、それをいちいち食ってる法廷は、ありゃ法の番人じゃなく、番犬だ。 2007年3月5日

商品



ワタシはこないだ『商品』というドラマに主演した。整形しておミズの世界に入った女の子がパトロンに捨てられるって話。ワタシの仕事も夢を売ること。ワタシの肖像が商品の宣伝をしたり、おカネを稼いだり、賞をとったりもする。子供やペットと同じく肖像がひとり歩きしてる。所詮、夢も商品なのだ。おミズの子と違うのはワタシ自身は商品じゃないということ。そしてワタシは整形したり自分自身を傷つけてまで肖像、イヤ、偶像を守ろうとは思わない。なぜってワタシは誰よりも自分が好きでたまらない。好きを通り越して嫌いなほど愛してる。ワタシはどっちかっていうとSな性格だから偶像破壊は自分でしたい。モデルの仕事をしてるとキレイな自分ばかり。だからドラマでは反対に汚したい。「何なの、あの泣きッ面!」なんて姉たちに笑われたけど、泣くのって気持ちいい。きっと偶像を壊すのが気持ちいいんだろう。さっき大林監督の名作『転校生』をDVDで見た。今年の夏にリメイク版が公開予定だけど、オリジナル版の中で若かりし小林さんの捨て身の演技が凄い!小林さんっていうと浦安の恩田三姉妹『やっぱり猫が好き』の、あのイメージだったのに…おっぱいポロリ…にはビックリした。温故知新!って感じ。こうゆーのもある意味、偶像破壊だ。ワタシもいつかそんな風にビックリされたい。と同時に何を演じてもビックリされないくらいになりたい。今はまだ素のワタシに近い役しか演じてないけど、いつか年齢や性別の壁を飛び越えて、人間の壁まで飛び越えちゃうのがワタシの夢!妖怪役ならやったことあるけど、もう、動物になっちゃう。ワンちゃんとか、ネコ、ライオンとか!そしたらクラシックバレエで鍛えた体の柔らかさが活かせるかも。でも、あんまり夢壊しすぎて仕事こなくなったら…劇団四季に入れてもらおっかナ。 2007年3月8日

鈍感



私は最近『鈍感力』という本を出した直木賞作家。前首相が先頃、それを取り上げて下すって話題になっている。この言葉は私の長年の信念を今風に言い換えただけで、要は「人間は理窟では割り切れない」という事だ。それを思い知らされたのは学生時代。恋人に自殺されてからだ。彼女は何故自殺したのか?何度も小説にしたが、いまだにわからない。私が医者からドロップアウトしたのも彼女の残した不可解な置き土産のせいだ。「医学だの科学だので人間が割り切れるもんか」彼女は私にそう訴えたかったのかもしれない。ときに先日、建築家の安藤忠雄氏がフランス政府から勲章をもらった。その歓迎会によばれた。氏は私のようにドロップアウト組ではなく、反対にドロップインというかドロップキック組だ。つねに社会に問題提議する作品をつくってきた。氏はその挨拶で「いくつになっても青春を生きる」とおっしゃった。ああ、それで私もよばれたのか、とわかった。私も『失楽園』とか老人の性を扱った作品を書いたり、ちょいワル作家だ。青春はワルでなければ…だから私は読者にもっとワルになれ!と叱咤激励する。しかし、我々はもう空っぽなものにしか反抗できない。お母さんに駄々をこねるようにはいかない。その身代わりの影みたいなものと虚しく戦うよりない。例えば政府というのも情報政府にすぎない。二十年くらい前に寺山修司が誰かとの対談で「情報帝国主義」ということをいっていた。とにかく情報を多く持ってるものが強いという社会。そこでは戦前の情報操作と同じことが起こるという。いわば情報帝国の暴走。例えば今度、北朝鮮による拉致問題のCMを政府がするという。宣伝なら地球温暖化とか他にもっとやるべき事があるだろうと思うが、そこには事情がある。所詮、日本は米国の一部だ。日米安保というのも拳銃を突き付けられて股を開いてるようなもの。仕方がない。戦争に負けたのだから。強姦されて無理矢理に結婚させられたわけだ。戦後世代はその悲劇に眼を伏せ貞淑な妻として働いてきた。しかし周りを見ると中国は急成長している。一億総勢が成長神話を信じたのと違って、十三億の恐竜は相当歪みながら巨大化している。貧富の差もあれば自前の軍備もある。そういう問題を一切亭主に任せてひたすら家計簿のやりくりだけやってきた日本は今、その不備に直面している。すなわち格差や防衛の問題。やっとマトモな女、いや、国になってきたのだ。もとより日本は中国とは違う。米国やEUに近い。それは情報社会という点でだ。それでも情報帝国が暴走しないとも言えない。アメリカが戦争の泥沼に陥ったのもそのせいではなかったか?現に日本政府だって今、ニートやワーキングプア、パート労働者対策だの、自殺者対策、いじめ対策…などとあたかも弱者の味方を装っているが、その一方でイラク派兵延長や憲法改正を目指している。無知な人々に媚びを売るのは自分らの都合のいいように世論操作しようとしているのではないか?それが情報帝国の暴走を招くとするなら、私も彼らに呼び掛けなければならない。政府の言ってることなんかに耳を傾けるな!鈍感力でわが道をゆけ!と。日本も失楽園を経験して愛の流刑地に行かなければ救われない。 2007年3月10日

離婚



最近、離婚した、ヒカルです。ファーストラブは苦くて切なかったけど、恋も慣れるとしんどい。お酒みたいに二日酔いするからうんざり。愛と恋は別物なのだ。しいて言えば、愛はセックスと似て無節操。恋は結婚と似て、ひとりの人に縛られることだから不自由で苦しい。最近は日本でも「できちゃった婚が6割」っていうし、フランスなんかは「婚外児が4割」っていうのも、みんな無節操な愛に後からオトシマエつけてるんだろう。日本の少子化議論で「結婚したくてもできない、子供が欲しくても産めないのは、お金の問題」っていうけど、そんなにみんな節操あるとは思えない。実は、みんなチョー!無節操のせいだと思う。オトシマエもつけたくないチョー!無節操じゃ、何も生まれない。別れた彼もあたしが「子供を産みたい」って言ったら冷たかった。あたしは前に卵巣腫瘍を摘出してるけど子供を産めなくなったわけじゃない。どんな方法でも産む覚悟だった。なのに彼は仕事ばかり。どっかの週刊誌がいったように「マイワールド男」だった。だけど、それって男の人の本音なのかも。女の人は仕事じゃ幸せにはなれない。ミポリンさんなんかもパリに住んで今や一児の母だけど、あの旦那さんも食い道楽と小説三昧らしい。「家庭だの、ガキなんぞにかまってられッか!」って感じ。サルの世界じゃオスは子づくり以外は外をほっつき歩いてるらしいけど、フランス社会はそれに近いのかも。だからマイワールド男もデカい顔してられるし、シングルマザーも肩身が狭くない。だけど、ミポリンさんも時々日本でCMとかの仕事されてるってことは、いつ別れてもいいように…ってことなのかな?だとするとやっぱりサルのメスも辛そうだなア。あたしはお母さんと似てチョー!寂しがり屋だから、旦那さんには毎日、家に帰ってきて、かまって欲しい。6回も離婚したお母さんの二の舞いにならないように、この際、恋とは縁を切るしかないか。それでこそあたしの愛にもオトシマエがつく。 2007年3月14日

浪人



僕は元ライブドアの社長。御存じの通り、一時は「時代の寵児」と時の政権にまで支持されたが、テレビ局や球団の買収に突っ込むや、急に検察が動き出し、たった53億の粉飾決算で起訴された。最近じゃ、400億の粉飾決算でも問題ないのに。金額が問題なんじゃない。僕は権力に楯突いたから追放された。日本人というのは和を重んじるというが、それは内輪の中だけの事。昔、朝鮮半島や中国大陸でした残虐行為のように外に対しては冷酷非道だ。それってアメリカもそう。彼らがいう正義なんて外じゃ通用しない。だからアラブでもベトナムでも苦戦してる。日本でうまくいったのは、たまたま日本人も内と外が違う分裂病だったから。だけどこれは近代に始まった病気じゃなく、村八分なんていわれた時代からあったと思う。村同士の争いが藩の争いになり、それが統一されるや外国が攻めてきて今度は国同士の争いになった。今は国際社会とそれに従わないテロ国家の争いになってる。地球上がすべて内輪となるが早いか、分裂病国家が輪を広げる暴挙をやめるが早いか?僕は昔、尾崎咢堂がいった「世界浪人論」を支持する。みんな「家なき子」になれば「福は内、鬼は外」なんて分裂もなくなる。それが世界平和への近道だ。分裂の発端は封建的な家庭にあると思うから。世界中どこだって家はある。要はその中にどれだけ社会性というか、端的に言えば、父親の存在があるかだ。ご多分にもれず僕の家も父親不在だった。仕事人間の父に、母はいつも不満を漏らしていた。僕が権力に楯突くのも「父を許すまじ」という母の呪いのせいだ。会社を買収して自社株が膨らむごとに僕はある種の誇りと安堵を覚えた。僕にとって株は母にとっての家計簿のように強い味方だった。父をやっつけるための。だから僕は選挙に出たけど別に改革なんて興味なかった。やっつけていたいだけなのだ。威張ってる奴らを父の代わりにいじめ抜いてやれば、それが僕の分裂病との戦いなのだ。僕はこの病気を青春の如く愛してる。死ぬまで戦いたい。明日の判決が有罪であろうと。 2007年3月15日

宣伝



僕はスタジオジブリのプロデューサー。新作をどう宣伝しようか今、戦略を練っている。親子の確執をネタにしてはどうか?と。昔の侍は親子でも裏切り合い、殺し合った。アニメ映画の監督とて武士のようなものだ。己の道に立ちはだかる者が、たとえ父や息子であろうと斬り捨て御免のはず。父は戦中派でモノのない時代に生きた人だし、息子は戦後生まれでモノはあったが、何かが足りなかった。それぞれ無い物ねだりが作品に影を落としている。父は息子の『ゲド戦記』を「父への反抗」と感じたらしいし、事実、彼らは仕事場でも会話を交わしたことがない。他人より他人行儀だ。しかし、それは単に親子の亀裂というよりジブリの亀裂でもあり、宮崎アニメの亀裂でもあり、さらには戦後日本の亀裂だろう。放っておいたら橋桁は崩壊するかもしれない。そんな老婆心から僕は二人の仲を取り持つ。アニメとは無縁に造園屋としての半生を送ってきた息子だが、父譲りの部分もあるし、父には決定的に欠けた部分も見出せる。それはジブリ美術館の設計のときにすでに僕には見えていた。「ダメな物はダメ」巨匠にハッキリそう言える人は彼しかいなかった。現実の中には汚いものもあり、そこに聖なるものもある。それを隠して、ただ美しい物語だけ描いて、それでは画竜点睛を欠くというやつだ。だから息子は『ゲド戦記』で竜にヒトミを点じてみせたのだろう。だけどそれは彼の絵に父をも黙らせる説得力があっただけで、僕はどっちの味方でもない。現実だけを信じる。今度の新作で僕が訴えたいことはそれだ。今や、この国の庶民は国のやることに楯突くこともしない。増税だの改憲だの、よくも黙っていられる。危機感が欠落してるんじゃないか?ケータイだのパスモだの、便利ってことがそんなに大事なのか?管理されてるだけじゃないか。だらしなくていいじゃないか。もっと無茶すればいいんだ。オレだってそうしてここまで来たんだし。昔、誰かがいってたけれど「貧セザレバ鈍ス」ってやつだ。 2007年3月20日

勤勉



どうも。この度、ボキャブラ・キングに選ばれた、森田です。笑っていいとも、でもお馴染みですね。しかし語彙力検定なんて受ける勤勉な人にそういわれると恐縮しちゃうね。首相は6位だっていうから、今度、演説は僕に書かせるといいね!?それはそうと、知識っていうのもお金と同じく、使ってこそだと思うね。どうも世の中には有り余って、かえって困ってる人が多い。カネの為のカネとか、情報の為の情報なんて財産じゃないよ。生きる為に必要なのはそんな有り余るもんじゃない。過剰すぎて大事な物が見えないのは、今の日本がそうだね。こないだある米国ドラマを見ていたんだ。そしたら主役の男の子と来たら、相手の事情も考えず「好きだ!好きだ!愛してる!」の一点張り。それってアメリカが世界でやってきた態度そのものだと思ったよ。恋多き人なのはいいけど、それに振り回されるのは御免だね。「イザとなったら彼が守ってくれる」なんて保障がどこにあるのか?そのドラマときたら高校生なのに次から次へとカップルが入れ替わってまるで乱交パーティー。アメリカ人のみんながみんなそういうわけじゃないだろうけど。信じ過ぎるのも迂闊だね。「自分の身は自分で守れ」っていうとすぐ「軍備せよ!」って勘違いされるかもしれないけど、「何もかも捨てて長いモンに巻かれろ」っていうのが僕の主義。カネやモノでつながった関係としちゃ日米はいい感じだけど、もっと深い関係をアジアでつくるなら、カネよりコトバを信じるべきだろうね。もちろん自分の国の言葉だよ。今、どこの自治体も財政難だけど、山を切り開いてマンションだの企業誘致しなきゃ維持できない豊かさなんて捨てちゃえばいい。今、在るもので何で満足しようとしないのかな?それがアメリカ病なんだよ。「国際社会」っていうのも「市街化区域」みたいなもンで、その中だけで遊べばいいのに、その外に踏出すから泥沼にハマる。アジアは、ありゃ市街化調整区域にしとくべきだね。自然保護区域でもいいくらいだ。え?言葉が難しい?なんせ、ボキャブラ・キングだからね。で、どうやって語彙力がついたかって?僕はナマケモノだから勉強してもつい脱線しちゃうんだ。それでムダな知識ばっか増えちゃったのさ。 2007年3月20日

実演



私はアップル社のCEO。このほど「DRM(デジタル著作権管理)なんてなくしちゃえ!」なんて4大レーベルに打診したのも、私の音楽に対する思想にワケがある。私はレコードを擦り切れるほど聞いて育った世代だ。CDは磨り減るものはないがそれなりに大事に聞いた。ところが今の音楽配信は何ら媒体がいらない。ここに情報は完全な情報となったのだ。本来、情報というものは複製される宿命。それを制限することで儲けてきたのが業界のはずだろう。滅多に手に入らぬから稀少価値がある。それが簡単に手に入るなら価値が下がるだけのこと。それなら次から次へと情報を出せばいいではないか?ネット上には無数の無料音楽配信サイトが存在し、何万というアーチストが日々、自信作を投稿してる。その質は確かにピンきりだ。ジャンクミュージックも多かろう。だが蓼食う虫も…で人々が面白いと思えばいいんであってカネになるかならないかで音楽の価値を決めるべきではない。できる事をできないようにして勿体ぶって何が自由だ。iチューンズを多用してる私だって、ときにはベニーグッドマンのレコードをターンテーブルで鳴らしたくなる。それを何度も聞くのも、この空気感を吸いたいからだ。彼の息遣いを感じたいからだ。情報ではない何かがそこにあるからだ。針が盤を引っかくときに空気も溢れ出すのかもしれない。それは不思議とデジタルじゃ味わえない。音楽が全部、情報になるなら、それこそ楽譜だけでオーケストラは済んでしまう。それと同じく映像も情報にすぎないから複製される宿命。ユーチューブやマイクロソフトが映像投稿サイトを立ち上げたのも、変な噂よりは情報の方が間違いは少ないからだろう。もっとも情報は編集も捏造も可能だ。それを受け手も知りつつ受け流すのが大人だろう。それでも噂を確かめたくなるのが人の情け。そこを利用というかサポートするのが業界でしょう。情報なんか宣伝だと割り切ってタダ同然で流せばいい。カネなら実演で稼げばいい。ライブでもいい、ミュージカルや演劇でもいい。その空気感でカネは稼げというのだ。わざわざ足を運びたくなる情報こそ流せ。それが大量情報時代の倫理なのだ。空気までは情報で運べないからね。 2007年3月20日

雑菌



私はタミフルを開発した研究者。日本では相次ぐ異常行動や死亡事故から10代への使用を禁止したという。副作用ッたって去年までに延べ3500万人に使用されて、たったの54人でしょ?何%だ?百万分の一程度じゃあ、臨床的には「頻度不明」、つまりほとんどゼロってことでしょう。それが社会問題になってるって方が異常だよ。そんなに大臣を失脚させたいのかネ?政治的思惑でもあるんじゃないの?日本のような事例は世界にはない。それもそのはず。全世界でのタミフルの使用量の75%が日本で、子供への使用も同2位のアメリカの13倍とダントツだから。日本の子供は我が社のマウス状態なわけ。しかし、何で日本の子供はそんなに風邪をひき易いのかネ?その方がまず社会問題ではないか?確かにタミフルを子供に投与する場合、免疫力が弱い為にウィルスの淘汰に時間がかかり、効きにくい場合がある。そもそもタミフルはウィルスの拡散を阻害する薬剤であって、既に増殖したウィルスを失活させる効果はない。だから発症後二日以内に投与する必要があるのだ。それにインフルエンザ自体の症状としても意識障害はある。これらを踏まえるとタミフルに異常行動の原因を疑うどころか、そもそもタミフルは効いてないんじゃないか?とさえ疑える。事例を見ると10代の特に男性に異常行動が集中していることが興味深い。思春期の子供にとって風邪の時は特にテンションが高くなってる場合がある。そのエネルギーが外に向かえば暴力行為となり、内に向かえば自傷行為や自殺にもなろう。だが、それを抑止する手段は?と問われたら、それはもはや医学の領域ではなく、教育や文化の問題だろう。日本は大人の自殺や鬱病も多いという。これもある種、抑止力の弱さが原因ではないか?それと子供の異常行動に関連があるとすれば、一つ言えるのは、風邪で異常行動のあった子供は将来、自殺や鬱病の恐れがあるということだ。こうなってくると、子供まで死にたくなるような無菌社会こそ、まず雑菌社会に改めることだろう。 2007年3月22日

中心



今年で83歳になる、わたしは、何年か前に『引きこもれ』という本を出した。それはあまりに少年犯罪が増えるなら、逆に引きこもった方がいいと思ったからだ。無学なわたしが「戦後思想の巨人」といわれるほどになったのも、引きこもって、せっせと読書したせいだ。しかし考えれば考えるほど世の中は馬鹿ばかり。大思想家ほど大馬鹿者はいない。近頃、タミフルとかいう風邪薬で凶暴になる子供がいるというのも、彼らは天才だからだ。それが異常に映るのは、社会の方が睡眠薬漬けなのだ。軍国少年として敗戦を迎えたわたしには国家とか社会は催眠装置としか思えない。できるだけそんなものに振り回されない人間に誰もがなるべきだ。親鸞にしても、天才は子供のように何の偏見もなく、俊敏な頭脳の持ち主だ。恐らく原始人の頭脳はコンピューターのハードディスクのようだったに違いない。人間の脳は文明の進化によってどんどん退化している。レコードのドーナッツ盤のようにアダプターをつけないと回転すらできない。そのドーナッツがどんどん巨大化して中心が見えないから生殖すらできない。もうやめようや。催眠装置に頼るからそうなる。そんな嘘っぱちは自然じゃない。嘘が嘘を必要としてるにすぎない。男も女も一切は、空だ。人と人がいて、それぞれの中心がハッキリあればいい。その中心がハッキリしないなら、引きこもれというのだ。「可愛い子には旅をさせよ」というが、それは、わたしが日頃、娘たちに実践してることで、むろん、旅とは、思索のことだ。 2007年3月27日

不安



さいきん転職のCMに出てる、菅止戈男です。カタカナで書かないとわからないかな?こんな名前、親は何でつけたんだろう?会社員の時は呪ったけど、ミュージシャンになってからは逆に感謝してる。オレがその会社を辞めたとき手元にあったのはホントに100万だけだった。そのカネで機材を買い込んで、くる日もくる日もデモテープを作った。その頃作った曲がほとんど初期のアルバムになってる。女にフラれたりフッたり。生活がそのまま歌になってる。「♪何一つ確かには見えないけど怯えることは何もないから…」そう唄った、あの頃は今思うと若かったなア。今は何もかもハッキリしてる。手元には10年前の10倍のカネはある。コネもある。それを失うことに怯えることもある。「転職って誰かが言うほどカンタンじゃない」とはまさに今のオレのこと。だからこうしてCMにもでなけりゃならない。「すごく悲しんでる人に、じゃあガンバろう!なんて言えない」昔、ある番組でそういった事がある。「何をしていいかわからないなら、とりあえずカネをためろ」とも。そんな、言葉とかカネで何とかなる不安ならまだいい。「かたまりのような不安」に押しつぶされそうなとき、人は何にすがるんだろう?アルコール?クスリ?それとも、マジナイ?「どうか、神様!この不安に耐える力をお与えください!」そう祈りながらオレは、それでもギターをかき鳴らすしかできない。でもオレはやめない。JBみたいになるには知力でも体力でもない、この不安力しかないと思ってるから。あんな強靱なグルーヴの上で気狂いのような絶頂感を味わえれば、オレのソウルはそれで満足のはずだから。 2007年3月27日

人間



僕は全米でナンバーワンになったこともある、ホラー映画の監督。ホラーっていうと、ナイフでグサッと、血がドピューッ!って吹き出すとか、そういうのがみんな見たいはず。エロ・グロ・ナンセンスのグロを。だけど、ナンセンスほど恐いものはない。例えば精神病者がガタガタ震えてるシーンとかある。けど、じっさい、そーゆう患者は滅多にいない。老人ホームでも行ってみな。アルツハイマーの人とか、ほとんど眠ってるから。それがときどきウワーッ!ってなる。そうでない時に食事をあげる。もちろんコミュニケートとれない。それがサルだったらいいんだけど、同じ人間だから、それは死者に食事あげてるようなもんでしょう。我々が恐れてるもんてそんなもんです。つまり意味が通じないってことが一番コワい。血がドワーッ!ってのは恐いっつうか痛そー。あの血、生ぬるいんだろーなとか。しょっちゅう手術とか解剖してる人なんかは逆に笑っちゃうんじゃない?僕はそういうグロよりナンセンスの恐さを追求してる。いわゆる超常現象が何故、人を惹きつけるか?例えば、時間は一定に流れてるとか、空間は固定されてるというのも人間の偏見にすぎない。あのスマトラ地震の時、あんなに人が死んだのに動物はゾウすら一匹も死んでない。人間だけが逃げ遅れたのは、自然に対してセンスを閉じてるからだ。そこにちょっと自然が入り込むから大変なことになる。センスだらけの人間からすればナンセンスな自然は恐いわけ。その逆も然り。ナンセンスな世界の住人にはセンスだらけは恐い。例えば、映画に限らずアニメとか小説にしても、よくもマァ、こんな細々と、長々と、架空の事件をまことしやかに物語って、どこにも作者の存在とか主観が感じられないっていうのが不気味。その、あまりに人間的、というのが、僕にはもっとも恐い。 2007年3月28日

政見



有権者、諸君!私がこの度、東京都知事選に立候補したのは、政府転覆の為だ。国を滅ぼすことが私の望みなのだ!私が当選したら奴らはビビる。だが、私もビビる。なぜって、知事になる気なんかこれっぽっちもないから。私はこの場を借りて政見を述べたいだけなのだ。その内容はこうだ。政府なんてものは税金のパラサイトにすぎない。それに政治なんてものは多数派のお祭りだ。所詮、理想にすぎない。理窟と膏薬はどこにでもつく。私には理想なんてない。改革なんて自分が変わればいい。私は反体制というより、つねに非体制である。だから選挙にもいかない。無党派どころか無投派。私が求めるのは自由で楽しい生活であって、それは自らつくり出すものだ。その邪魔をしない限りにおいて、政治は否定しない。ただ、そんなものを当てにしてる多数派を嘲笑したくて、こうして演説してるわけだ。それにしても今の政府は転覆し甲斐がない。放っておけば勝手に転覆しそうだ。どうせ滅びるなら有終の美を飾れ!と逆に応援したいくらいだ。その為には、まず何としても国連常任理事国になれ。そうなったら北朝鮮なんかもっとイジメてやれ!あらゆる制裁を発動して、拉致問題も徹底追求しろ。犯罪国家を弾劾せよ!そして憲法9条も改正して自衛隊をどんどん戦場に送り込め。その軍事費の捻出のためには増税が必要だ。消費税は20%にせよ。そしてインドを引き込んで東アジア共同体をいち早く実現するのだ。首相は靖国神社に紋付袴で参拝せよ。しかも終戦記念日にだ。それに従軍慰安婦問題なんて絶対に認めるな。どうだ、これだけやれば、私の望みは実現するはずだ。 2007年4月1日

精神



わたしは皇太子妃です。世間ではいろいろ悪口をいわれています。娘とこどもの国にいったとか、公務をしないとか、なんとかという精神病だとか…確かに、わたしの精神は死んでると思います。ですが、精神が生きてることがそんなに偉いのでしょうか?感情とか欲望とか自分とか、そんなものがわたしにはうるさくて仕方がありません。それはみんな、精神のせいだと思います。それがないといけないのでしょうか?世間は娘が笑わないといいますが、子供は笑う必要がないのです。煩わしい精神がなくて、静かで安定した心だからです。ですが、最近は子供にも精神がありすぎるから教育の現場が混乱してるように見えます。わたしは娘を大事には思いますが、他の母親のように溺愛したりはしません。わたしも早くから親に突き放されましたから。わたしが留学した欧米社会でも、それは当たり前でした。ですから、あちらでは独立心と公共精神が芽生えるのでしょう。今の日本のように親が子供をペットみたいに可愛がりすぎると子供は手のつけられないわがままになります。それが感情の豊かさであったり、欲望であったり、精神の働きなのでしょう。大昔と違って今は個人主義の時代ですから、そういう精神の活発さがあった方がいいのでしょうが、反対にわたしのような無私無欲な人間は気を病んでしまいます。公務というのも奉公のようで多分に政治的といいますか、私欲を働かせなければ勤まりません。そもそも天皇制というものが、もっとも精神的です。どうか、無私無欲な人間が反乱を起こさないですむような国であってほしいものです…ちょうど、こどもの国のような。 2007年4月2日

不倫



あたしが世界フィギュアで金メダルとれたのはコーチのおかげってゆうより、不倫パワーのおかげだと思う。彼がイケメンだったからじゃなく、言葉のよくわからない外人で、しかもバツイチで子持ちだったからだと。あたしは、ホントは頭ではよくない相手だってわかってるんだけど気持ちの方がどうしようもなくて…そういうことってない?どうしても離れられないの。その揺れる気持ちをスケートにぶつけられたのがよかったんだと思う。コーチはあたしがよくできると強く抱きしめて、キスまでしてくれる。彼の国では当たり前なんだろうけど、日本で育ったあたしにはそのご褒美で胸がキュンとなる。彼はそのとき耳元で何か囁く。意味はよくわかんないんだけど、あたしはボーッと舞い上がっちゃう。意味がわかんないのが、かえってそうさせるのかも。金をとったエキシビジョンで、あたしは彼への愛をスケートで表現しようと滑った。だから曲もあたしが選んだ。だけど、こんな素晴らしい経験をして、立派な結果まで出しちゃって、この先、もう二度とあんな人にはめぐり逢えないんじゃないかって思う。大先輩のみどりさんもあんまり幸せな家庭は望めなかったみたいだし。スポーツの選手とコーチってある意味、親子以上の絆だから、それを家庭に求めるのは無理なのかも。あの人が前の奥さんと幸せになれなかったのもそんな理由だったりして。だとしたら、あたしも負けてらんない。これからメダルどんどんとって、結婚してバツイチになったら、かわいい男の子いっぱい育てなきゃ!不倫パワーで。 2007年4月3日


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