2023年1月14日
いつか、石神井川散歩の帰りに板橋駅近くの一角でパンを貪り食った、あの場所がまさか新撰組の勇士の墓だとは知りませんでした。でもそんなに偉い人々なのかな。
「新撰組を裁くのはだれか、天の裁きはいまだにない。新撰組への評価は依然として定まらない。」(『新撰組 物語と史蹟をたずねて』童門冬二 1994)
といいつつ、著者はその直後のあとがきで「やはり暴力組織、人斬り集団」と一般の印象を代弁している。幕末の道場は、剣術と学問、政治を同等に学ぶ場で、それを切り離して、高等教育と称し、政治とは無関係な些末な学問ばかり暴走する、いわば「暴学」の世にしたわけで、そこからすれば、新撰組はヤクザと同じだろう。関わってはヤバイ集団と、幕末には京都も江戸も庶民から幕臣まで、そういう感覚だったのでは?二百六十年間も太平の世が続けば、仕方のないことだ。そんな時代に武士階級の下、豪農から多くの剣士が登場したのも、上がだらしなかった反映にちがいない。昨今も、とある学者が、時代を動かす力は、軍事、学問、経済の循環を繰り返し、今は再び、軍事になりつつあるという。幕末もまさに同じ状況だったのでは。古い体制が腐っていき、そこへ軍が動き出す。軍といっても、既存の軍ではなく、もっと別のところから起こってくる。
「慶応二年(一八六六年)、この地区に一揆が起こった。明治維新が起こる陰には、社会が行き詰まっていて、人心も不穏な状況もあったであろう。埼玉県で起きた騒動で、暴民が福生地区になだれこんできた。」(『武蔵野ものがたり』三浦朱門 2000)
結局、この暴徒を鎮圧したのが「農兵隊」で、すでに不穏な世に備えて農民に武器を与えて自警団を組織していたという。治安維持にも金がかかっていたから、長州を討てという幕府の要請にも各藩は腰が重い。
「理由はひとつ、戦争は莫大な金がかかるからだ。どこの藩経済も疲れはてていた。戦費どころか藩内の生活すらおぼつかない。農民一揆は頻発している。」(『新撰組 物語と史蹟をたずねて』童門冬二 1994)
手元にある歴史漫画を開いても、「明治初期のおもな一揆」がずらーっと書かれている。明治四年の「新政反対」「物価の値上がり反対」明治五年「地租改正反対」明治六年「徴兵令反対」などなど。特に地租改正、要は増税に対する反発は大きかった。今も軍備増強、少子化対策で消費増税をうたう政権、みんなよく一揆起こさないね。
このように庶民がブレたことはない。それに比べて武士や貴族のブレ具合といったら。薩摩、長州なんか際たるもの。坂本とか西郷、高杉、岩倉、こういった時代を動かしたといわれる人物たちは、コマでしかない。内戦を激化させて、幕府もろとも消耗してくれたら、そこが夷狄にとっちゃ攻め所だ。そのためならコマたちに武器でも知恵でもなんでも提供する。あとは黙って見ていれば、勝手に喧嘩して、潰しあってくれる。土方はこういうブレる人間が大嫌いだったようだけど、新撰組も同じ穴の狢。仲間内でまず粛清合戦。近藤だって結局、元仲間の伊東甲子太郎の子分に敵討ちされたようなもんでしょう。
池田屋事件と禁門の変で名が上がったことが、かえって進退を極めたよね。幕府とともに滅びるよりなくなった。もともとは尊王攘夷だから天皇と外国との関係が大事だったのに、幕府に雇われ、金と感謝をもらううちに忠犬ハチ公に成り下がった。あんまり頭のいい連中じゃないよね。褒められて得意になって、馬鹿の一つ覚えのように、佐幕佐幕。そこが庶民出身のブレないとこかもしれないけど。
まあ、あれだけ人を斬って、斬って、斬りまくったら、そら人生に悔いはないでしょう。斬るって、ただ殺すことじゃなくて、人を裁くわけでしょ。己の信ずる道徳に則って、相手を成敗する。それほど気持ちいいこともないでしょうね。現代人の知らない快感だろう。死刑宣告した裁判官でさえ自ら絞首刑のボタンを押すわけじゃない。それを自らの磨いた剣術で相手を一刀両断できるってヤバイよね。きっと、それだろう、人気の秘密は。要するに、羨ましい。ほとんどの人間にとって、国政とか世界を変えることなんかより、ムカつくやつをその場で叩っ斬る、そっちの方が現実的だからゲームが流行るんでしょう。
2023年1月15日
前にこの街にきたのは二十年以上前で、車で母を連れてきたんだった。今回は独りで電車できた。目的地は「小江戸鏡山酒造」である。西武新宿線の終点、本川越で降り、まずは喜多院を参拝。所沢在住の人が初詣にここに行ったと言っていたので、そんなに立派なのかと思いきや、年末に行った増上寺の方がデカかったな。池上本門寺くらいかな、といった規模。さては、花より団子で、川越の街に繰り出したついでにお参りしたのかな。まあ、賑やかな街だ。どこもかしこも、平日の昼前だというのに、ひとひとひと。だいたい年配の女性の群れか、得体の知れぬ言葉を話す外人。ここは原宿か。喜多院から一路、酒蔵でもよかったのだが、せっかくなのでレトロな大正浪漫夢通りに入ってみた。おっ!すごい建築とスマホで撮影しようとしたら、近づいてきた男性が「すいません、撮影はお控えください」だとさ。え、なんで?って顔をしていたら「肖像権がありますもので」と。は?建築に肖像権?何言ってんの、君。ムスッと無言で通り過ぎようとすると、ああ、これか。人だかりの奥に数人の学生服の女子。アイドルかな?しらねー。きょーみねーし。わしゃ、建築を撮りたかったんじゃ。感じわりぃな。さっさと行こ。その印象がずっと後を引く。一番の名所、蔵造りの通りを歩いても、食いもん屋ばっかで辟易。二十年前もそうだったんだろうけど、観光産業に身を売った街に住むってどういう気持ち?毎日毎日楽しいのかねぇ。せいぜい外人のお腹でも満たしてあげな。わしはひとつも食わねえ。何がイモタルト、イモプリンだ。おならばっか出そう。時の鐘をちらっと横目に静かな裏通りに逃げる。その先に目的地がある。はず、だが、「松本醤油」なる看板はある。鏡山の樽酒もおいてあるが、ここが酒蔵なの?駐車場の奥がそんな雰囲気だが、結局、醤油醸造所の隣に酒蔵があるらしい。店の人によると、かつては駅の方にあったそうだ。ホムペにも書いてあるが一度ポシャってるんだ、この酒蔵。1875年創業で2000年に廃業。どこも後継者不足なんだね。東京港醸造と似たパターンで、2007年に復活と。小江戸鏡山と名も改めて、場所もここに移動と。駅前よりは落ち着いてていいね。店の人によると、復活をなした人たちはかつての酒蔵とは関係ない若者だったそうな。いい話だね。そういうのが本当の産業復興だ。百年先まで続くモノづくり。観光は廃れても酒は造られる。店の人によると醤油と酒と同じ地下水を使ってるそうな。ここの水も東村山の豊島屋と同じく、軟水だそう。米も川越北東部にある伊佐沼付近で獲れるそう。いいね、地酒と呼ぶにふさわしい。でももっと大事なのは微生物。酵母が元気なら水道水と東京産米でもいい酒は造れることは、東京港醸造が実証済み。そこで一つ面白い酒をみつけた。なんとワイン酵母で仕込んだ純米酒ですと。瓶もラベルもワインぽい。これは江戸開城スタイルに似てる。お値段もまあまあするので、試飲サイズの小瓶を買った。あとは無難に純米新酒と純米吟醸。手提げ袋で持って帰れるのはこれが限界。腰にもくるし。帰りは東武線川越市駅から武蔵野線経由で帰ったら案外近かった。
2023年1月24日
しずかだねぇ。無音部分に吸い込まれそう。これが超ローノイズという意味か。今、中島みゆきの「予感」B面をアナログ盤で聴いているが、「ファイト!」の前で、あまりの静けさに息を呑んだ。この曲、最初の方は何をボソボソ歌ってるんだろうと思ってたが、今はちゃんと言葉が聞き取れる。音量はいつもの状態で、さほど上げてるわけじゃない。デジタルアンプのゲインを最大の36dBにしてみたら、さらにヴォーカルの背後にベースと笛みたいなキーボードが伴奏してるのがはっきり聞こえる。前は気づかなかった。それとこれも中島みゆきの「愛してると云ってくれ」の冒頭に入ってる「元気ですか」という詩の朗読だが、「嘘ばっかり」というところで伴奏のオルガンがピタッと止まってシーンとなった後、「明日どうするの」だって…というところで、ビラっと紙が落ちたようなノイズが入ってる。こういう小さな音もはっきりと聴こえる、というのが、今回、電源をローノイズ化した効果の一つなのだろう。曲間の無音も吸い込まれそうなほど静かで、「闇」という字に「音」が入ってる意味がわかる。しかし、一番、気になるのは耳鳴りのような高周波ノイズ。これを除去するために3万円もかけたので、なくなってなかったら悲しいが、今のところ、以前のような不快なほど高周波ノイズは感じない。さすがトロイダルトランス。面白いのはこの電源、電圧と電流の値がリアルタイムに表示されるのだが、電流が無音状態だと0.092Aで、けっこう大きな音にするとやっと0.1Aを越える程度。そんなもんなんだ。スペックの最大が5Aだけど、とてもとてもそんなの使わない。プリアンプの電源アダプターも付属のスイッチング式からノイズキャンセリングのオーディオ用に交換。どちらの電源もアンプ本体価格の2倍、3倍もする。高いようだが、本体が安すぎる。本来は電源も内蔵か、付属で、込み込みの価格で売る方がオーディオファンの評判はよさそうだが、そこは中華人の、なるべく安くしたいという商売根性なのか、電源は好みで選べばいいというノリなのか不明だが、YouTube界隈では中華デジアンの評判はすこぶるよろしくない。その大きな要因は電源じゃないかと今回、思った次第。小さくて軽くてコンパクトというのは素晴らしいことだ。それでこの音なら文句ない。ついでに、前にレコード溝のホコリの掃除について書いたが、重曹やアルカリ電解水、水道水どれを使っても後に白い粉が残ってしまうのだが、天然水だとまったく残らないので、今は長野県の水を使ってる。
2023年1月26日
酒蔵訪問もついに武蔵を飛び出して、相模の国に突入。といっても、家からはさほど遠くない酒蔵を検索したら、たまたま神奈川だったという。これは行かねばならぬ、というわけで、県内で最古という清水酒造へ行った。その前に近くに憲政の神様、尾崎咢堂の生家が記念館になってるので寄ってみた。彼は1858年にこの又野の地で出生。当時はまだダムもなく、湖の底に沈んだ荒川地区もあったのだろう。ちょうど紹介ビデオの上映が始まったと館長が案内してくれたので鑑賞した。ふむふむ、福澤諭吉の紹介で新潟新聞主筆になったということは、若い頃から秀でた才能に諭吉も一目を置いていたようだ。でも慶応をやめて東大工学部に行く。養蚕とか繊維の勉強をしようと思ったらしい。が、身体に合わなかったのかまたすぐ辞めちゃう。気が早いね。おっちょこちょいなのかな。ロンドンに行ったのも、酒飲んで東京を焼いてしまえ、なんて暴言吐いて退去命令くらったからと。それが後に東京市長に就任だから明治の世は懐が深い。他にも天皇を罵った川柳で不敬罪となり、巣鴨に収監されたり、怖いもんなしね。市長時代に多摩の山林を視察して、山が荒廃してると植林事業を開始。SDGsとか環境なんて誰もいわない明治の時代にですよ。先見の明だね。最初の奥さんは日本人だが早逝し、すぐに再婚、しかも英国女性と。森鴎外もびっくり。アリスとは結婚できんかったもんね。普選と不戦が信条で、戦争なんて勝っても負けても損だよ(ロスちゃとかロックフェとかの戦争屋が儲かるだけだぜ、といったか知らんが)訴えたのに大政翼賛会には届かなかった。それみたことかと終戦後に世界連邦論を世に訴えたけど、これは今だに実現してないってことは、理想論だよね。世界を牛耳る大地主にとっちゃ世界が平和じゃ困るし、人口が増え過ぎちゃ困る。支配しきれねえから削減しねえとな。おっと、酒蔵の話に戻ろう。今日は一回じゃ書ききれんわ。バス通りに戻ると高い煙突。あそこが酒蔵だ。古めかしい木戸を開けると奥に空の樽。酒造りは休みか?すぐに女性が出てきたので聞くとちゃんと造ってるそうな。別の棟なんだろうな。パンフをもらおうとしたら、代わりにスタンプラリーを渡された。ほほー、神奈川酒造組合とトヨタがこんなイベントを。なぜトヨタ?飲酒運転NGでしょ。それはいいとして、ゲッ、13蔵もあるのか。しかもけっこう山辺。交通の便はよくなさそう。ま、3蔵でも手拭いはもらえるなら、がんばるか。とりあえず、よく出てるという辛口の吟醸酒を購入。そういえば、前に書いた豊島屋酒造(金婚)の江戸酒王子を呑んだら、やっぱ、酸っぱい。知らん人が呑んだら、古くて味が変になったんちゃう?といいそう。同じ江戸酵母でも東京港醸造のはメロンのようだったのにな。酒ってフシギ。(その2へ続く)
2023年2月1日
清水酒造を出て、今度は津久井城を攻めるためにひたすら歩く。三十分くらい歩いて、軽く汗をかき、さらにそこから城山を登ること二十五分。さっき買った酒一本分の負荷と急な坂道に息が切れる。だいたい山城は急坂だ。でないと簡単に攻め込まれる。山頂にある本城曲輪はさぞかし素晴らしい眺望、と思いきや、四周は木に囲まれて、その梢の隙間から津久井湖が拝めたくらい。説明を読むと、築城は鎌倉時代で、三浦半島の三浦氏の一族、津久井氏によると。一六世紀に北条氏が小田原城を中心にこの城も管理したが、八王子城と同じく、秀吉の小田原攻めで悲運の落城と。さて、次はいよいよ、いざ酒蔵へ。下りは登りと逆に走るように駆け下りる。途中、咲きはじめの梅に香りをかいだり、展望広場からは向かいの雨乞山などを眺望。これから行く、酒蔵もその麓にあるはず。そこを目指してどんどん降る。降り切ったところに串川があって、その辺りに久保田酒造がある。これまた古めかしい建物が周囲の山林や川といった自然と溶け合っていて、それだけで癒される風景だ。近づくと、販売所の建物は伝統建造物の遺構といってもいいくらいの風格だが、ちゃんと使われてる。一八四四年創業だからすでに一八〇年か。さっきの清水酒造は二七〇年だから、まだこっちのが新しい。なんか、バカバカしいよね、世間の嵐なんてどこ吹く風。水が渾々と湧き出るように、酒を粛々と醸しつづける。毎日毎日、毎年毎年、それで百年。川の流れのように、ってひばりちゃんの歌のように、営みは延々とつづいていく。こんな辺鄙なとこなのにけっこう客がいてびっくり。みんな車できてるみたい。さっきのスタンプラリーのハンコを押してもらって、ついでに無濾過生酒を一本購入。そういえば、さっき津久井城に行く前に、諏訪神社があったので立ち寄った。だいたい神社や稲荷があったら参拝する。別に信心深いわけじゃなく、なんか威風に惹かれる。この神社にも杉の巨木が何本もあった。樹齢五〇〇年だって。帰りは近くのバス停からと思ってたら、次のバスが一時間半後で、調べると山越えして行きに乗った路線に戻った方が早そう。でもまた三十分も歩く。とほほ。暖かい日和を見越してわりと薄着にしたのだが、それでも汗がじわじわ、風はひんやり。暑いんだか寒いんだか。そういえば、今日は初めてスマホを3Gで歩いてみた。4Gの何分の1のはずだが、マップを使うのとたまにメールやSNSをみたり、音楽を聴くくらいならまったく問題なかった。六時間で三〇%ほどしか電池も減ってない。世は5Gだが、余には3Gで十分。帰りのバスで高校生がたくさん乗ってきて、席が空いてたから座ってたんだろうけど、途中で運転手さんが「高校生は優先席に座らないで、空けておいて」と車内アナウンスした途端、バッと前の方の女の子たち立ち上がった。再びアナウンスで「空きましたのでどうぞお座りください」と年配の人に席をすすめる。へえ、運ちゃんも大変ね。高校生もがんばれ。あといつもの駅で降りたら「ありがとーございましたー!」と大声でひとりひとりに言ってた。すごいね。駅員さんも大変ね。
2023年2月1日
武蔵野散歩も北へと進行し、ここのところは新河岸川をうろついていた。今では人工的に直線化されているが、明治大正の頃までは「九十九曲がり」と言われ、船が頻繁に往来する舟運が盛んだった。運んだのは、米穀、材木、薪炭、そうめん、肥料、塩、小間物、雑貨、石材、小麦粉、壁土、織物などなど。もちろん人も。駅や街道から離れた川沿いにある志木の旧市街地には今でも古い立派な建築が残っていて、往時の舟運の繁栄がうかがえる。明治の地図をみると、当時の新河岸川はほんとにクネクネ蛇行して、かえって時間がかかったのではと思えるが、水量を保つための知恵だったという。さすが「知恵伊豆」こと松平信綱。というのも、今では入間川から取水した赤間川用水を引っ張って、川越市街地をグルッと巡っている新河岸川も、もとは伊佐沼を水源とする九十川がその真の姿で、そこへ南の狭山丘陵から涸れがれに流れてくる不老川の水を足して、なんとか舟運をやっていたからだ。川越に一番近い仙波河岸はその合流点より上流にあり、川越城の堀をも満たした湧水だけで水量を保っていたのだろうか?昭和になって伊佐沼に流れ込んでいた赤間川用水を先述のように川越の外堀のように引き回して、新河岸川につなげたのだが、その理由もよくわからない。水害対策というが、農業用水なのだから取水をとめればいいではないか。大正の頃から鉄道の発達とともに舟運は衰退し、蛇行が水害を起こす、ということで新河岸川全流域で直線化されていった。要するに、人がヌカルミにまで住むようになったから、水害が起こるようになったのだろう。新河岸川を歩いていると、人間の都合のいいようにいじくりまわされてきた自然の哀れな姿を思ってしまう。
2023年2月22日
武蔵野北部の川を柳瀬川、黒目川、白子川、霞川、入間川、不老川、新河岸川と歩いてきて、野火止用水も歩き、他にないかとマップに目をこらすと、砂川堀というのがあって、歩いてみようということになった。水源は狭山丘陵の麓で、周辺の川と同じく南西から北東へまっすぐ流れて、小手指、新所沢、ふじみ野を通って、新河岸川に注ぐ。自然河川というより雨水排水路で、途中、道路の下で暗渠になったり、開渠のところも無機質な台形護岸で、親水性は皆無。ハッキリいってドブだ。ところが、実際に歩いてみると、ここらのどの川よりもすごい数のカモの群れに出会った。サギもたまにいたが、鯉はさすがにみなかった。ということは、魚はいないがカモが食べる植物の種や水草、虫くらいは生息してるようだ。散歩の前に周辺に目ぼしいものはないか検索すると、茶園が点在してる。その中でも一番、目立たない「田畑園」のクチコミをみると、創業は元禄だとか宮内庁御用達とかすごそうなので立ち寄ってみた。その前に多聞院と神明社を軽く参拝。周囲は見渡す限りの砂漠、いや、畑。遠くには雑木林も。こんな風景が昔は東京も含む、武蔵野の典型的な風景だったのだろう。田畑園の店に入る前に茶畑をちょっとみると、何やら黒いシートが被せてある。もしや、玉露みたいな「かぶせ」かな?ご主人の田畑忠良さんにお聞きしたところ、「着てる、それと同じだよ」と。ダウンジャケット?「寒さに弱いから」「あれはやぶきたですか?」「うちはさやまかおり。やぶきたはデリケートなんでね」と。いろいろ聞いてると、百聞は一見の塩梅で、お茶を立ててくれた。そして何やらデータシートをみせてくれた。「葉酸の標準値がこれで、うちのはこれ」と。ずいぶん高い。それが評価されて御用達になったのかも。「葉酸ってなんでしたっけ?」「妊婦さんが飲むと健康な子が生まれるって」なるほど、皇室といえば、お世継ぎ問題。そらお茶にも願かけたいよな。「これ東大で調べるんだけど50万かかるんで、どこもやらない」店内には品評会の賞状も額に入れて飾ってある。みると大正九年とある。先々代のものだとか。「もっと昔のもあるよ」そういう10代目当主はあまり関心がなさそう。「ぶっ壊すのが好きでね」聞くと、ご主人は青森出身で、ここへ養子入りしたそう。どうりで革命児の如き姿勢。しかし先達の苦労もちゃんとわかってる。元禄の頃に入植したときまず5haの土地を与えられたけど、赤土で栄養がないから、林から堆肥を運んできて懸命に耕してやっと畑ができたと。さっき参拝した多聞院も、この三富新田の開拓民の拠り所として創建されたとか。ちなみにご主人によると、砂川堀は新田開発の際に野火止用水のように作ろうとした「失敗作」らしい。歩いていても風が吹くとえっらく砂埃がたつ。それが赤土で、要は富士山の火山灰。「だから畑と畑の間にお茶を植えた」と。ええ、風除け?そらやわな木じゃ枯れるわ。でも、逆にそういう過酷な環境だから栄養価の高いお茶ができるのかもしれないね。「ちょっとマジックみせてあげる」とご主人、何やら持ってきて、湯を注いだ急須の中をかき混ぜてる。何もしないお茶と飲み比べると、味がちがう。というか、水道水の臭いがまったくしない。「これ作ってた人、もう亡くなっちゃってね」その炭は竹を高温で蒸し焼きするみたいなこと言ってた。他にも「これも東大の」といって、福島産のりんごを輪切りで御馳走してくれた。食べてると、他のお客が入ってきた。女性の二人連れ。わたしも買った「農家のまかない茶」をドサドサっと、それに「二千円の500」、合計で1万4千円以上買ってた。そのまかない茶は一番よく売れるそうで、月に300と。一日10袋か。こんな辺鄙なとこで。さすが300年の老舗。お茶談義やら世間話で盛り上がって一時間以上お邪魔してしまい、お茶三杯とりんご丸ごとですっかりお腹もいっぱい。
2023年2月28日
相模の地酒も今日行った泉橋酒造で四蔵目になる。こちらは海老名にある、創業160年の酒蔵。この蔵の最大の特徴は、自社栽培の酒米を使用していること。そんな「栽培醸造蔵」は全国でも珍しいらしい。海老名は神奈川でも屈指の穀倉地域だそうで、山田錦の生産量で神奈川県は全国20位だが、そのほとんどを海老名で栽培とのこと。もう一つ、海老名というと相模国分寺があった場所で、小田急線の海老名駅のすぐ東側にその遺跡がある。まあ、府中の武蔵国分寺跡もそうだけど古代すぎてほとんど何も残ってない。しかし、何でこんなとこに?と考えると、稲作が盛んだった土地柄もあるのでは?だっていくら立派なお寺建てたって、食糧が貧相じゃ、僧たちの生活も難儀でしょう。相模川で獲れる魚も豊富だったでしょうし。土の色が埼玉の赤土とはちとちがう。酒蔵の周囲は広大な田園で、あぜ道を歩くと土がモリモリしてて、雑草も青々して、いかにも肥沃な感じ。富士山の火山灰も飛んできてるだろうけど、それ以上に相模川が運んだ丹沢山系の砂、泥が堆積した土壌ってことだろうね。パンフによれば大化の改新より前からここは耕地だったとか。
あと大山。東京からも晴れた日にはよく見える、あの三角の山がこんなに近くに見える。大山詣りって古典落語もあるけど、江戸の庶民にとっちゃ格好の観光レジャーだったのでは?その大山街道がすぐ近くを通ってて、けっこう賑わってたのかも。で、ここの井戸水は丹沢山系の硬水だそうで、米あり、水あり、往来あり、とくれば、酒蔵も繁盛するでしょう。ちょっと気になるのは、最近問題になってるピーファス。この辺も座間とか厚木とか米軍基地が多いから地下水に影響がなければいいが。まあ、水とちがって酒は酵母がそんなもんアルコールで破壊してくれそうだけど。純米吟醸の「恵」と「彩」を買ったのだが、この二本、値段もほぼ同じだし、度数も精米歩合もまったく同じ。使用米も同じ山田錦だが、海老名市内か市外の違いしかない。市外は相模原や座間なので、当然、輸送コストがかかるってんで、50円だけ高い。それを帰ってから味見したけど、味は案外違う。とくに「彩」の方は温燗で飲むとほんのり吟醸香がした。「恵」も和食にバッチリの辛口でした。帰りは相模線の入谷駅から帰ったのだが、田圃の中の無人駅で、ちょっとした旅気分を味わえた。
2023年3月4日
久しぶりにミニカーを買った。スーパーカー世代には懐かしいカウンタックだが、LP400とかではなく、LPi-800なる最新型。ヤフオク!で探したらマイストとかブラーゴとかとは違う謎のモデルに出会った。開閉はフルオープンだし、ライト点灯やサウンドギミックまで。かつてプラモやトイラジコンを改造したことのある者にはこういうギミックは大変惹かれる。それがつい先ほど到着した。箱がちっちゃ…というか平べった。ノートPCの箱って感じ。これに1/24入るか?まさかスケール間違い?やだな。開封。ん?ああ入ってる。斜めにしたか。しかもダイレクト。土台とかないのね。プチプチに包まれてテープで段ボール箱に固定。よくこれで無事だったな。やっぱ欧米の有名メーカーじゃないな。バッタもんかしら。プチプチを履いでいくと、でもなかなかちゃんとしてる。塗装もふつうにいい。1箇所だけフロントフェンダーに2mmくらいの傷?があったが、慎重に布で拭いたら消えた。粘着性の付着物だった。まず確かめたのは車体裏のメーカー刻印。「Jinlifang」とあり、かわいいクルマが背景に描かれたロゴ。いかにも玩具メーカーっぽい。中国のミニカーメーカーかな。RASTARならラジコンいくつか持ってるぞ。ちょい検索すると1/24とか1/32とか小さめで、マクラーレンとか新しめの車種を多く扱ってる。で、わたしの買ったやつの紹介動画もあって見てみると、やっぱ1/24らしいが、若干デフォルメというか、幅と高さは1/23くらい、ホイールベースは1/22くらいと微妙に大きい。ま、これだけギミックが詰め込まれてるんだから仕方ない。ちょっとビックリしたのは、このサイズで後輪がプルバックになってる。懐かしいね。この空転させた時のブルーーン!って音。さすがにこの重さでは勢いよくは走れないだろう、というか走らせたくない!傷だらけになっちゃう。ライトは前輪を押し込むと前後とも光って、同時にブワーーン!って景気いいエンジン音が轟く仕掛け。少しして消えたと思ったら、キュキュ〜!ってブレーキ音が鳴ってテールライトが点灯。おもろー。フルオープンもいい感じで、リヤウィングまで上下しちゃう。中どうなってんだろ?マグネットでも仕込まないと上がった状態キープできないハズ。ドアもシザードアだけど斜めに跳ね上がる。万歳ドア。このヒンジも角度は単純な水平直角じゃないハズ。ボディとドアの縁がギリギリで擦りそう。てか、ちょいカスってる。あんまり開閉するとせっかくのキレイな赤の塗装がはげるな。リヤのエンジンフードを開けると、何というか市松模様みたいに塗装されたカムカバーが妙に目立つ。ここら辺はお値段相当かな。ディテールでいいと思ったのはサイド後方のインテーク。数は合ってるか知らないけど、ちゃんと細いスリットが開いてる。それとドアのダクト?三角の凹み。カーボン柄のプラがはめ込んである。ここが塗装だとがっかりなんだよな。あとこれワザと?ボンネットのエンブレムの牛さんがお馴染みのと違う。牛は牛だけど横から見た牛だ。本物は正面だよね。これライセンスの関係かな。車体裏にもランボルギーニのロゴ入ってないし。やっぱバッタもんか。その代わりcountachの文字は至るとこにあるし、リヤのナンバープレートには車種がしっかり正式なロゴで書かれてて、イタリアのトリコロールカラーのラインもいい感じ。マフラーはシルバーで塗装されてるけど、実物は真っ黒なんで特注のチタンマフラーってことにしよう。ま、そんな感じでなかなかよくできたオモチャでした。ちなみにお値段は送料込みで六千円弱。そして出品者曰く、中国メーカーは作りが荒く、不良品も一定数あるとのこと。日本ならそういうのは検品でハネられるはずだけどそこんとこは中華人は雑なんだね。だけど設計や発想はいいんで、そこはライセンス頼りの大手も見習ってほしいものだね。その前に子どもや若者がクルマに興味示さない状況をなんとかせんとね。
2023年3月6日
先日、買ったカウンタックのミニカーだが、飾って眺めてるうちに気になってきたことがある。実車の映像をみると、もっと平べったい印象なのだ。要は、タイヤとボディの隙間、つまり車高が高すぎる。これをどうにか下げれないものか。中がどうなってるかも気になってたので、ゴム手袋をして慎重に分解した。車体裏のネジを外すと意外と簡単にボディが外せた。ほー。ボディ裏もちゃんと塗装してあるんだ。こういう見えないとこはつい手抜きになりがちだけど偉いな。プラパーツがいくつかはめ込んであって、熱で溶接?してある。接着剤は使われてないみたい。そりゃそうか。大量に生産してんだもんな。一瞬でガチッと固定しないと効率悪いよな。プラパーツはすべてブラックで、フロントフード内部(ラゲッジスペース)、ダッシュボード、サイドインテークなどで、ドアとか前後フードのヒンジは金属板を当ててネジで固定されてて、開いた状態をキープできるようになってる。ウィングは支柱に凹があって、内部のプラパーツに凸があり、噛み合うことで上下位置を何段階かでキープできるようになってる。このウィングの裏はボディ色のままだが、実際はブラックなので、塗装した。三年くらい放置していたスプレー塗料を引っ張りだして、熱湯で湯煎してガスに気合いを入れてからサッと2、3度吹き。もちろん表面と側面はマスキングテープを貼って。久しぶりだなあ、こういう作業。さて、シャーシにはコクピット(運転席)とエンジンが一体になって乗っかってるのだが、これを取り外すと、その下に動力、つまりゼンマイが入ってる。そのカバーが二重になってて、左右2つのバネが間にかましてあって、これが後輪のサスペンションになってる。これが車高が高い原因だ。このバネを短くすると車高が下がるのだが、ためしに全部取っ払ってみたら、とてもいい感じ。それにボディをかぶせてもゼンマイで走る。そんな凸凹のとこ走らせるわけないし。なんだ、こんなバネなくていいじゃん!とも思ったが、ゼンマイの下に平たいバネを入れて後輪全体を持ち上げる形にした。次に前輪の車高。ライトなどの電子基板を外して、カバーを開けると、おー、ラジコンと似たようなステアリング機構で、ちゃんとセンタリングのスプリングもある。左右両輪を結ぶ板(リンケージ)とカバーの間に後輪と同様に2つのバネがかましてあった。これも外して、ボディをかぶせてみると、やはりいい感じに車高が下がり、どこに干渉することなくゼンマイでちゃんと走る。だが、念のため短いバネを入れておいた。さて車高はどのくらいになったのか?実車の寸法は1,139mmなので計算上は47.5mmだが、実寸で49mmくらい。うーん、まだちょい高いのか。スケール的には約1/23。ま、ホイールベースは1/22だからいいとするか。最後、コクピットのディテールアップ。シートベルトは前にプラモで使ったのを引っ張り出して適当に繕ってみた。ブルーのベルトに金具は1/20だけど、それにSabeltのシールを貼った。フロアマットにはグレーのフェルトを型取りして、両面テープで貼ったら、少しは居心地の良さそうな運転席になった。楽器もそうだけど、カスタマイズをすると、やっと自分のものになった気がする。
2023年3月11日
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