オフライン(3)



砂川堀の源流 猫に小判 豊かな無明 酒蔵リポート(伊勢原厚木編) 記憶の改造 九十九川 比留間園 桑乃井 酒蔵リポート(湘南編) 模擬解答 北澤川 極茶人 海老田酢 安寧死 透明老女

砂川堀の源流

砂川堀の上流部分はどうなってるのだろうと新所沢から出発して、南へ歩き始めた。西武線の小手指駅あたりまでは用水路であったが、さらに南側はのどかな農業地帯を流れる小川であった。流れに沿って歩くと土地が傾斜していて、その一番低いところを流れているので、それがかつて川が大地を削った跡だとわかる。河岸段丘である。この小手指の野原はかつて新田義貞が鎌倉幕府軍と戦った古戦場であるという。その塚がこんもりとした雑木林の中にあり、周囲はかなり広大な平地で、今は畑となっている。こういう見通しのきく場所が戦場の舞台にふさわしい。どこにも隠れる場所がないのだから。そんな血生臭い歴史とは裏腹に、カマボコ型に整えられたお茶畑の中に、高い柱が立ち、上に扇風機?がゆっくりクルクル回ってる風景はなんともいい感じだ。東大和あたりの車がビュンビュン飛ばす道路沿いに所狭しとある茶畑とはずいぶん違う。ま、あれはあれで田畑園で聞いたように過酷な環境に耐えて栄養価の高いお茶ができそうだが。香りという点では、長閑な環境の方がよさそうな気がする。三ケ島といったかな、ワセダのキャンパスのある少し北側がやはり茶畑になっていて、その脇道を歩いていたら途中で工事中で進めなくなった。散策路を整備中だって。仕方なく反対岸に川を飛び越えた。それくらいの小川なのだ。そこにわざわざ散策路を造っている。金が余ってるのかね?所沢市。大学を誘致すると地元は潤うのかね?そのキャンパス内に水源があった。狭山丘陵の麓が湿地帯になっていて、池もあって、その一帯から一筋、流れ出していた。丘陵はキャンパスの建物が斜めに見下ろせる程度の小高い丘で、その稜線に沿って歩いたら、どんどん深い森に入り、前にも来たことのある六道山方面は避けて、西久保湿地方面の脇道に入るとやはり原生林で心湧き立った。丘陵北側の麓も茶畑が所々にあって長閑な感じ。気づけば四時間近く、20キロも歩いていたらしい。箱根ヶ崎駅で飲んだ五穀の甘酒がなんとも旨かった。 2023年3月15日

猫に小判

「世界のなかにおのれの所有物をもたない自我は何ものでもなく、この固定化された価値に具体化されてはじめて世界に足がかりをもつ。」(『貨幣の起源』岸田秀) 今、アメリカで銀行が次々と破綻していて、そのうち未曾有の大恐慌になると囁かれている。日本ではほぼ何も報じられていない。WBCとか大相撲に人々はうつつを抜かしている。なんともこの状況がことの重大さを物語っているような気もする。だって、大々的に報じればみんな不安になって、銀行に殺到し、預金をおろそうとする。当然、そんな金は銀行にないので、次々と破綻の連鎖ということが容易に想定されるから。なるべくテレビは馬鹿騒ぎを演じるのだろう。だが、重役たちはこっそり預金を下ろして金や銀を買ってるにちがいない。こういう現象も自我ゆえなのだろう。 「本能とは行動規範であり、この行動規範が壊れた人間は代わりの行動規範をもたざるを得なくなった。自我である。行動規範として、自我は本能とくらべていろいろな欠陥がある。」(『貨幣の起源』岸田秀) その欠陥を岸田氏は七つ挙げていて、それらを補うために、神や貨幣を人間は発明したという。ついでに家とか制度もそうだという。たぶん国家とかもそうだろう。自我にも大小、強弱、軽重、いろいろあると思う。家も土地も車も地位も名誉も、つまり「世界に足がかり」などほとんど持たない人には、きっと大した自我もないのだろう。そういう人の行動規範はいったい、どんなものか?社会ではなかなか生きていくのは大変かもしれないが、岸田氏の説を借りれば、欠陥だらけのポンコツ自我を持ってる人よりはるかに自由で安定した生活をしているかもしれない。とくに社会が不安なときには、何食わぬ顔で呑気に猫のように生きていられるのではないか。 ときに、最近姿をみなかった猫が今朝、ギャーギャー他の猫と喧嘩していた。しばらくするといつもの場所でのんびりくつろいでいるから、牛乳をやると、あら?後ろ足ビッコ引いてる。あの程度なら一週間くらいで治りそうだが、二年ほど前にも大喧嘩して片目を一ヶ月くらい開けられない状態で過ごしていたこともあった。そうして守り抜いてきた場所だからヨソの猫に勝手に渡すわけにはいかないのだろうか。そうかと思えば、フラッとどこかへ行ってしまった猫もいた。それも力関係で敗れたのかもしれないが、他にいい土地を見つけたのかもしれないし、そういう猫の行動規範を見ていると、やっぱり猫にも本能というより、自我があるように思える。 2023年3月19日

豊かな無明

「価値の多様化と画一化とは決して矛盾したことではなくて、同じ現象の両面のように思えてくる。(中略)わたしは現代を「嫉妬とはしゃぎの時代」だと言っているが、普遍的価値が崩壊すると、そこに自我の安定した基盤を見出せないので、人びとははしゃいで目立つ以外に自分の存在を確認する方法がなくなり、また、同じ理由で他の人のことが絶えず気になり、嫉妬に狂わざるを得ない。」(『価値の多様化と画一化』岸田秀) SNSとか情報社会とか、人間はその中に多様な情報を求めながら、同時に画一的な行動に走っている。それはネット情報には監視や規制が働いていて、それにそぐわぬ情報は排除されたり、淘汰されていくシステムだからというのも確かにある。しかし、こんな文明の利器がなかった時代から人間の頭には勝手に常識という発想の限界、壁が築かれている。言葉や数字といった記号でしか、ものを考えられないことが、最初から世界に限定を与えて、言葉や数字で表すことのできないものは世界から除外されてしまう。そういう意識のゴミ、ジャンクが無意識という沼にはごっそり眠っていて、実はそこに創造の泉があったりする。 今朝もテレビで少子化について若者が議論していた。すでにその概念がそういう現象を助長している。識字率の低い途上国や、大した学歴のない情弱の人の方が出生率が高いのは、情報に誘導されないからだろう。こんな現象が起きていて、それに対してこんな支援がある、対策を考えていると多様化を謳えば謳うほど、うちは一人っ子でいいや、と躊躇させられる。画一化へ進んでいく。最初から「少子化」という概念すら知らぬ無知な人々は、何人でも産んで、なんの問題もなく、仕事もしながら子育てしてしまう。頭の中に発想の壁がないからである。 「人間の親にとって、育児は本質的に無理な負担なのである。」(『何のために親は子を育てるか』岸田秀) だから家父長制という社会制度が長い間、ハバをきかせてきたわけで、そうでもしないと育児放棄、子捨て、人身売買なんてザラに起きてしまうのが、猫とはちがう本能の壊れた人間の所業。でも戦後、どういうわけか人口は勝手に増え、人間が有り余る時代がきて、人々はそういう不自然な社会制度に縛られなくてもよくなり、今日のように本来、重い負担から解放されているわけだ。そうなると、今度は社会の方から少子化、少子化と騒ぎ始める。稼ぎ手がない、働き手がないと、結局、カネの話しかしない。またいつか日本が終戦時のように貧しくなって子作りしか生き甲斐がなくなったら、勝手に増えるだろう。それまでは束の間の春を謳歌するのではないか。 先行きが不安だから子作りを躊躇うと言ってる、ようにテレビの議論は聞こえるが、若いうちから先が見えまくって、どんどん子作りしまくるなんて、よほど退屈な時代だろう。大昔の田舎みたいに他にすることがなくて、せいぜい家族を殖やすことくらいが世界を豊かにすることみたいな小さな小さな世界。若い人は不安でいいんですよ。同時に自由です。年取ったら発想自体が限定だらけ。でも若者よりは多少、土台がある。明日も来年もだいたい同じと思える。しかし若い人は明日も知れぬ。だから今、何かしなきゃ!と自由なんでしょう。不安こそ生きる原動力。 何もないから作る。それが発明になったりする。何十年たっても誰もそれを超えられない。もう飽和状態だから。仏教の言葉でも「無明」というのが欲の一番最初にある。何もない。知らない。そこが生きることのスタート。日本だけじゃなく、グローバル社会はすでに飽和状態。モノも金も知識も飽和状態。こんな世界にあふれるパワーといったら、破壊、タナトスくらいでは?だから無意味に戦争を長引かせる。でも、無明はけっこう日常に溢れてる。情報や常識を断ち切ったところに。 2023年4月2日

酒蔵リポート(伊勢原厚木編)

職場の同僚が中古車を購入したというので、一緒にドライブして、酒蔵めぐりに付き合わせてしまった。本日の目的地は神奈川の伊勢原厚木方面の酒蔵。スタンプラリーもようやく5つ、6つ目。13の酒蔵すべてをめぐれるのは相当の暇人、いや通人だな。16号の橋本手前で混雑を避けて、津久井方面へ。と思いきや、前もここで右折できずに次の交差点で曲がる羽目になったんだよな。どうしてこんな設計にしたのかなー!城山ダムの手前で圏央道ICの方へ、前にきた久保田酒造の近くを通って、小高い山を上り、これも前にバスできた愛川町の大矢孝酒造の前を通り、中津川を渡り、いい感じの山道に入る。軽自動車のエンジンがブォーーンと唸りをあげる。お天気は曇り。窓の風でちょうどいい。厚木七沢あたりで一軒目の酒蔵に到着。「盛升」の黄金井酒造は、200年の歴史を持つといい、その威風を十分に伝える木造建築が並ぶ。ここでは無濾過生原酒を購入。後で飲んでみたが、18度だけあって温燗にすると焼酎のように喉にカーッとくる。そこから15分ほど走った東名高速近くの住宅地の中に聳え立つ煙突が、2軒目の吉川(きっかわ)醸造。ここも年季の入った建築の中に販売所があり、奥様とご主人が親切に対応してくれた。先代からの「菊勇」と新たに「雨降り(あふり)」なる銘柄で出してる。近年は輸出が多く、主に米国や中国の客がステーキと一緒に日本酒を飲んでいるとか。そうした料理に合うように麹を多くしたり、飯米を使ったり、酒の作り方も変えているという。買った「はるみざけ」も飯米90%精米で、たしかにほんのり甘く、酸味が効いてる。東京港醸造のオール江戸に通じる趣向。しかし日本人はなんで日本酒を飲まなくなったのか?若い人は酒すら飲まない。飲んでもやたら甘いやつ。あんなの添加物だらけで体にも悪そうなのに。そういえば、車の中で運転手の趣味に合わせて松田聖子を聴いた。キラキラした80年代の空気。今、こういうのないよね。貧すれば鈍すとは、今の時代のこと。ガソリンのオクタン価も1986年以降、まったく変わってないそう。むろん上げた方が燃費、性能ともいいのに。業界を覆ってるのはコストダウンと環境規制、そしてSDGsの波。暗い空気を醸してる元凶はこいつらだ。帰りに猿ヶ島の河川敷でオフロード走行を初体験。オジサン二人、童心にもどって、ガタガタ道に心踊ってしまった。 2023年4月30日

記憶の改造

モディファイとは和訳すると「改造」。今、アンプの改造をしてもらってる。二月上旬に依頼して、ようやく作業が一応済んだとの連絡を受けて、先日、引き取りにいった。アンプは1990年製のSoldanoのプリアンプ。初期の日本製だ。前にも書いた、4本の電圧増幅管を2系統に分けてキャラのまったく異なるサウンドを生み出せるものだが、ドライブチャンネルがメタリックすぎて手に負えないので、大人しくしてもらう依頼をしていた。しかし、コンデンサーや抵抗といった小さな電子パーツの値変更でガラッと変わるものだ。イコライザーで多少の微調整は可能だが、それ以上、どうにもならないほど変わってしまった。もはや、これではSoldanoじゃない。じゃあ、そのらしさって何だろう?そもそもどうして自分はこのアンプを選んだのか。単に多チャンネル式なら他にいくらでもあるのに。よくよく考えてみると、そこには当時、聴き込んでいた音へのノスタルジーがあるように思う。当時、高校生から大学生になった私が日々、聴いていた懐かしいサウンド(個別には書かないけど洋楽)、それは従来のアンプ(マーシャルとかフェンダーとか)では出なかったような、シングルコイルだとまるでライン直か、あるいは高級なアコギのようなサラサラしたクリーントーンと、マーシャルとメサブギーの中間というか、さらに上をいくハイゲインでありながら、荒々しさを感じさせない、まるでビールの泡のような、シュワーッと爽やかなテイストのドライブトーンという、2つのまったく異なるキャラクターが一つのアンプから瞬時に飛び出すということがとても衝撃だった。これこそが、マイク・ソルダーノ氏のデザインした音なのだろう。しかし実際に扱ってみると、シュワー!ではなく、ギャー!ってな、耳に痛い歪みだった。ということは、私のヒーローたちはみんなギターのトーンやボリュームをかなり絞ってたんじゃないかと、ようやくそこに気づいたら、今度はせっかく改造したのを一部、元に戻したくなってきて、ショップに連絡したら、「やはりちょっと「らしさ」がなくなったかなとは思っておりました」と回答があり、無料で手直ししてくれることになった。機械を改造するより、記憶を改造する方が、まだ取り返しがつく。 2023年4月30日

九十九川

前にも書いた、舟運が盛んで「九十九曲がり」と呼ばれた頃の新河岸川の源流、九十川をその水源の伊佐沼まで歩いてきた。ほとんどは水害対策で直線化されていて散歩するには楽だ。田んぼの中をウネっていた頃の姿は所々に残る旧河道にみることができるが、それは川というより草むらで、その茂みの下を川が流れている感じ。歩いてみると、カメがよく泳いでいる。ナニコレンズ(アプリ)で調べると「ニホンイシガメ」だとか。首のとこに赤い斑点のあるカメもいたが、それはどうやら外来種のミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)のようだ。カメは三十年くらいは生きるため、お店で買って育ててみたものの引越しとかで仕方なく、川に放すなんて人も多いのかも。カメが多いのは伊佐沼に近い上流で、下流には鯉とかカモがいっぱい、歩いてる人よりも多かった。快適な川沿いの散歩道も大きな道路や鉄道橋に阻まれ、それを越すにはだいぶ遠回りさせられる。ここは思い切って、ガードを潜るか。同じことを考える輩がいて、ちゃんとケモノ道ができているので、それをガイドに草むらを分け入ると、暗いガード下は思いの外、静かで、生物の安全地帯だったりする。突然の侵入者に驚いてバタバタと羽音をたてる野鳥に、ゴメン!と謝ってささっと通り過ぎる。やっぱりふつうの道の方が歩きやすいし、道端にはシャガ、シラン、セイヨウアブラナ、ジャーマンアイリス、ヤグルマギクなどの草花が目を楽しませてくれる。国道16号付近は穀倉地帯で、見渡す限りの田圃と畑の中を歩いているとプーンと怪しい肥料の香りと、どこかで焚き火をしてるアロマに包まれ、心が和む。川越の地酒、鏡山にも使われてる酒米「さけ武蔵」などもここで収穫されるのだろう。九十川の起点に到着。川の起点が沼というのも珍しいかも。伊佐沼は県内最大、関東でも二番目という広大な沼。これでも干拓で小さくなっていて、戦前までは北側にさらに広がっていた。もとは旧入間川の乱流する広大な湿地帯の川跡沼(アカギヌマ)だったのを14世紀に伊佐氏が溜池に整備して、それが名の由来だとか。ちなみに沼と池は何がちがうかというと、どちらも5m以下(それ以上だと湖)の水深で、沈水植物があるのが沼、ないのが池。東京にも井の頭池、善福寺池、三宝寺池など武蔵野台地の伏流水による池があるが、すべて標高が40〜45mなのに対し、この伊佐沼は7mと低地にある。帰り途、川越駅にある「ご当地プラザ」で銘酒、鏡山を探したら、原酒に惹かれたけど、アッコ先生が動画で「常温で売られてる生酒はやめた方がいい」と言ってたのを思い出して、ふつうに火入れしてある純米酒にした。ちなみに鏡山の酒粕は袋搾りなので柔らかくて何にでもすぐ溶けて使いやすいのでお勧め。 2023年5月1日

比留間園

今日は、夏も近づく八十八夜。前にも書いた狭山茶の大西園で知った、比留間園に行ってきた。サッカー元日本代表の中田英寿が「にほんもの」の活動で訪れたもう一軒の茶園である。ご主人、極茶人こと、比留間嘉章氏は手もみ茶の茶聖であり、指導者としての資格「茶匠」にも認定され、40年間で60近い受賞歴を持ち、香りへのこだわりは凄まじく、紫外線照射芳香装置なるシステムを開発してしまった。大西園も香りのとくにいい茶を天日干しで作っているが、多くは作れないから季節限定でほとんどSOLD OUT状態。比留間園ではその自社で開発したシステムで、すべてのお茶でそれをやってしまう。ざっくりいうと、葉っぱに光をあてて、ストレスを与えて、植物の自然な防衛本能を利用して香りを引き出すという。人間も冷や汗をかくと、まことにいい香りがしますよね…。その製造工程は紅茶やウーロン茶では当たり前だけど、日本茶ではなかったのだという。手揉み茶は一般的な茶づくりと違って、ある種、伝統芸術のようなもので、ご主人が若かった頃にすでに廃れてきていて、当時の年寄りたちに教わったのだとか。まだ飲んだことはないが、ふつうは刻んで細かい葉っぱがそのままよじってあるので、お湯を注ぐとふわっと元の形に戻り、その形も手で「一芯二葉」を摘んだ、そのままなのだとか。ハーブティーに近い感じなのかな?お店に飾ってあった葉っぱを手に取って「ここが一芯で、これとこれが二葉」と教えてくれた。え、そんな若葉なんだ。じゃあ、その下の立派な葉っぱは摘まないの?「そうです」と。意外。「お時間はありますか?」と新茶「ふみか」をいれてくれた。へー、そうやって注ぐんだ…。お猪口くらいの小さめの茶碗に急須から3回、4回くらいにわけて、少しずつ注いでいた。温度も60〜70度がいいのだとか。こりゃ、家のポットの保温温度を90度から70度にしなきゃ。一口、なめて、何これ!うまっ!懐かしい玉露茎茶の香りに近い。「これはかぶせ茶ですか?」「はい」思わず「もう一袋いただいていきます」と。ちなみに手摘みは今の時期だけで、あとは機械でやるんだそう。そしてこれから他の種類も次々と新茶が発売されるそうだ。店内で販売されていたフィルターが中にあって、水と葉をいれるだけで冷茶ができるというボトルに目がいった。最近は急須で作ったお茶をステンレス製の水筒に入れて仕事に持参しているので、便利そうだなと思ったが、耐熱とはいえガラス製なので持ち運ぶと割れちゃいそうでやめておいた。冷蔵庫に入れて家で飲むにはいいだろう。HARIOさん、これのステンレス版出してください! 2023年5月2日

桑乃井

八王子の小澤酒造場(桑乃都)に半年ぶりにいった。城山川散策の帰り途に立ち寄ったのだが、前の時より大勢のスタッフがいて、ちょうどランチタイムにお邪魔した。大柄な、力士風の男性スタッフが応対してくれて、きくと、彼の曾祖父さんにあたる人が昭和初期に青梅の小澤酒造(澤乃井)から分家したそうな。やっぱり。だから同じ「小澤」で「場」があるかないかだけの違いなんだ。つまり、由緒正しい酒蔵なわけだ。その辺のことは何もホムペには書かれてないから、もしかしてと思って聞いてみたのだが、言われてみると、たしかに銘柄の「乃」の一文字にそれが表れてるのかも。今回も前回と同じ「元巳」を買った。温燗にするとほのかに香るトウモロコシのような甘みが気に入っていたのだが、今日買ったのは、さほど香ってこなかった。個体差?しかし、もう一本買った、純米吟醸の生原酒の方にその味が濃厚に感じられた。近年増えてる外人向けのスイート系ではなくて、純日本人向けであり、和食にはばっちり合う。さて、散歩の話だが、城山川は八王子城から流れてきて、八王子市街地の北側で浅川と合流する小川。その中上流、高尾街道と交わる多摩御陵の辺りから歩き始め、中央高速のガード下を二回くぐって、最後は岩肌の多い浅川に急流となって注いでいた。戦前はこの付近をクネクネと蛇行していた。流域の元八王子は、畑の多い里山の所々にベッドタウンや大学が開発されたような土地柄。途中で八〇くらいのおばあさんがシルバーカーに座って川面を眺めていたので話しかけると、群れて泳いでる魚をさして「アカハラとかハヤといったか、田舎のお父ちゃんがこれを釣ってきて唐揚げにしてくれた」その川魚はウグイが本当の呼び方で、冬の旨い時期をのぞけば泥臭いらしい。「カワゼミが三、四年前はいてカメラマンがあっちこっちにいたんだけど、どこ行っちゃったんだろうね」もう少し下流の方に行くと、鮮やかなブルーのカワセミがいたので、その巧みなハンティングを激写しようと三分ほど待つと、風に揺れる高い枝から水面に近い枝に飛んだかと思うと、そこから一撃!獲物を捉えて飛んでいった。カメラには一瞬だけその姿をとらえることができた。カワゼミまだいたよー!さっきのおばあさんに動画の代わりにテレパシーを送ってみた。城山の由来はたぶん八王子城だろう。高尾山の奥にも同名の山があるからまぎらわしい。落城の際には城内の滝壺で最期を迎えた大勢の人たちの血で三日三晩、この川が赤く染まったとか。それで地元では命日には赤飯を炊くそうな。そんな惨劇など想像もできぬくらい、透明に澄んで、長閑な流れであった。 2023年5月12日

酒蔵リポート(湘南編)

海は広いな、大きいな♪ というわけで、久しぶりに大海原を拝んだ。潮騒って一日中聴いてられる。砂浜に手をつけてアーシングしたり。そう、ここは海岸。はるばる来たぜ、茅ヶ崎。その目的は、しかし、酒である。またしても、酒蔵めぐり。その話はあとにして、まずは海へGO。めったに来れないから。大きな水辺といったら、せいぜい狭山湖、多摩湖、伊佐沼くらい。東京湾は埋立地ばっかだし、多摩川河口も空港とかで海は遠かったし。相模湾は次元がまるで違う。水辺っていうより、地球!って感じ。その水平線を横目に浜辺の道を相模川河口に向かって歩くと、昔、ここらの海辺に来たときの記憶が蘇る…。学生の頃に一回と、最新でも23年も前か。ずいぶんご無沙汰の相模湾。サザンビーチというけど海水浴には早すぎるので海沿いのレストランでランチする人々がいたくらい。こんなに天気もよくて波も穏やかなのにサーファーすら誰もいない。柳島海岸で高校生が砂浜でわいわい遊んでたくらい。静かな海には潮騒だけが自然なリズムと抑揚で流れていて、懐のスマホからは我がマーシャルとソルダーノの音がその隙間を縫って漂う。エレキの鈴鳴りやノイジーな音って、こういう砂浜ビーチの熱気によく似合うのはサーフィンミュージックやハワイアン音楽の例を挙げるまでもない。相模川の河口で直角に曲がって、今度は北上し、一路、酒蔵へ向かう。Googleによると5.8km、徒歩だと一時間半くらい。のんびりと川沿いに歩く。途中で川を離れ、街行き。道端のカメや木の電柱など面白いものを発見しつつひたすら一本道を北東へ。結局、茅ヶ崎駅から海岸と相模川河口を経て、小出川沿いに二時間半弱、11kmほど歩いて目的地、熊澤酒造に到着。喉はカラカラ。気温は三十度超え。日焼けしたかも。水筒の狭山茶がうまいこと。比留間さんの茶師気質の水出し。贅沢だなあ。酒蔵は住宅地を抜け、畑とこんもりとした木々の中にあった。辺鄙なとこと思いきや、カフェとレストランはすごい人気スポットで、ほぼ100%が女性客。ここは地ビールもつくってるから尚更。平日なのに大賑わい。こういう風景みてると、日本って平和だな。しかし、こんな海に近い土地で醸す酒ってどうなんだろう。ここも地元の米にこだわった「酒米プロジェクト」を開始して今年で四年目だそうで、ようやく全体の四割を地元農家と自社で賄ってるとか。茅ヶ崎市内では芹沢地区、赤羽根地区、それと近隣の寒川町でも。1升瓶にして3万6千本分をつくるのに12haの田んぼが必要と。その地元湘南産の五百万石でつくった「天青河童」の純米吟醸を買ってみた。冷でも燗でも呑んでみたが、さっぱり気味で、ほのかに酸味。また熊本九号酵母と山田錦で醸した「千峰天青」純米吟醸はさすがの味でした。しかしこの酒蔵もほぼ全て純米。アル添って最近は絶滅品種かも。 2023年5月18日

模擬解答

電車の車内広告に面白いのをみつけた。日能研だったかが受験問題を掲載していて、サレジオ中学だったか、その問題というのが、要はコロナの総括を自由に書いてみろと。例文に西南戦争がなぜか挙げられて、それを政府軍が鎮圧したと歴史に残されているが、今回のコロナもいずれ歴史として語り継がれるかもしれないから、君なりに後世に伝えてみよ、という問題。これって正解あんの?まずそう思った。もちろんマスコミで言われ続けた事柄だけを拾って書けば、ダイヤモンドプリンセスから始まって、クラスター感染があちこちで蔓延し、ワクチン集団接種が行われ、飲食店の時短営業やら三密回避でアクリル板やらマスクやら外出自粛やらリモートやら行動規制がなされたことは誰もが記憶に新しい。ここまで書いてみて、私の模擬解答はすでに「歴史」から逸脱したがっていることに気づく。最近ようやく地方局で超過死亡とワクチンの関係が報道されて一部で喝采があがっているが、今更かよって思う。主要局じゃいまだに超過死亡扱うのタブーでしょ。私が厚労省の人口動態速報値を追っかけてたのって21年とかですよ。その時点でこりゃワクチンのせいだと確信したからもう追わなくなった。なぜ確信できたかといえば、鹿先生の動画を熱心に観てたからです。最初YouTubeだったけど検閲が厳しくなってニコ動に移ったね。22年くらいか、ツイッターでも同様に情報検閲がすごいことになってた。今ではそのカラクリもイーロンマスクによって暴露されたけどね。鹿先生、早くから心筋炎だけじゃなく、リウマチなどの自己免疫疾患や今、ターボ癌といわれてる免疫破壊のことも予告していたね。それは「打てば打つほど感染爆発」という論文が海外では出てたから、紹介してくれてたわけだ。向こうでも最初は学会が情報統制してたけど、次第に緩んだみたい。当然、全世界で接種が中止されていった。なのに日本だけが打ち続けて、まだ打たせようとしてる。もちろん感染爆発を起こすためだ。日本語しか知らないって、それだけで世界の言語障害だと思うね。で、こういう現象が単なる偶然ではなくて、すべて計画ってことも当初から言われてたね。世界経済フォーラムではだいぶ昔にパンデミックが議論されてて、その代表格がビルゲイツ。自身の莫大な資産を注ぎ込んでワクチン開発して「これからはミサイルじゃなくコレ(注射)で、人口を減らせます」と得意げに語ってた。キチガイでも何でもなくて、地球をクリーンにしましょうって、優生学ではそれが正義らしい。「水清ければ魚棲まず」っていう多様性を謳う孔子先生の教えとは真逆な発想。かつてユダヤ狩りしたヒトラーの発想でもってコロナウィルスという虚言に、PCRという、その発明者が生存していれば絶対に認めなかった使用方法によって、生物兵器ともいうべき免疫破壊ワクチンが大量に世界中にばら撒かれて多くの人がその犠牲になり、今もその後遺症に苦しんでる人々が大勢いるというのに、それを計画実行し、あるいは加担した者たちはまったく裁かれずにいる。これがわたしの描く「歴史」です。別に後世がどう伝えようと、現世にこう描いてる人がいることをサレジオさんにお伝えしたく筆を執った次第。似たような名解答があったら、どうかその人を不合格にしないでください。彼は有望な人材ですから。 蛇足ですが、西南戦争といえば西郷は元々政府側で明治維新に貢献したが、誤ったと改心して反政府側で討死した人物。「西郷は文明開化の世の中に、おそらく彼の儒教倫理の死を見たに違いない」(梅原猛)地元ではいまだに尊敬されるのは国に貢献したからではなく、そういう儒教の倫理観を守り、同志のために負ける戦で死んだからだ。今回のコロナでも西郷どんのような人物が米国ではチラホラでてきてる。前述のイーロンや、トランプ、それにケネディ甥とか。おそらく倫理観に基づく改心だろう。この日本でもそういう大人物が出てくることを祈るばかり。 2023年5月21日

北澤川

北澤川を歩いた。といっても、かつて川だった、川の跡。近くには烏山川もあって、ともに目黒川の上流部にあたり、玉川上水から分水して用水として利用され、現在では緑道になっている。用水を足さないと季節によっては枯れ川になってしまうような小川も小川。世田谷には、そうした名も無い小川が削った谷が多くあり、今は住宅地がびっしり貼りついた土地もかつては田畑が広がる農村だった。北澤川の起点は松沢病院内の将軍池あたり。八国山の将軍塚とは無関係のこの池、患者たちが造営したそうで、その中に自称「将軍」がいたとか。作業療法の一環で病院の敷地内に池を造ったなんて、なんともいい時代だなあ。直線的な街区の中に有機的な曲線の細い道を探せば、だいたいそこが川の痕跡で、松沢病院から東へゆるやかにS字を描いて日大グラウンドに続く。空は梅雨の晴れ間で、積乱雲がまるでキノコ雲のように奥行きと高さを感じさせた。あの雲の下は今頃大雨かなと雨雲レーダーとにらめっこしながら歩く。左内弁財天は玉川上水からの用水を引く際に尽力した地元名主、鈴木左内家にちなんでいるとか。川は少しずつ南進して、小田急線の経堂、豪徳寺あたりで併走する。この辺りからは緑道として整備され、かつての橋の跡が残されている。また文学者に所縁もあって、まずは萩原朔太郎がこの辺に自分で設計した家に住んでいたそうだ。次は斎藤茂吉。おどろおどろしい巨石に句が刻まれている。さらに進むと突然、赤煉瓦の門柱が現れる。坂口安吾が若い頃に代用教員を務めた代沢小学校に彼が住んでいた大田区東矢口二丁目の家の門が置いてある。その懐に「人間の尊さは自分を苦しめるところにある 安吾」と刻んである。『風と光と二十の私と』の一節だが、その後に「満足は誰でも好むよ。けだものでもね」と続く。 「私が代用教員をしたところは、世田ヶ谷の下北沢というところで、その頃は荏原郡と言い、まったくの武蔵野で、私が教員をやめてから、小田急ができて、ひらけたので、そのころは竹藪だらけであった。(中略)四方はただ広茫かぎりもない田園で、もとよりその頃はバスもない。(中略)その頃は学校の近所には農家すらなく、まったくただひろびろとした武蔵野で、一方に丘がつらなり、丘は竹藪と麦畑で、原始林もあった。」(『風と光と二十の私と』) 彼が勤めてた大正末期、この辺りは西山谷といって、下北沢駅(標高34m)から緩やかにくだる道の一番底、標高は26mほどの谷間が全部田圃で、その南側がやや小高くなって烏山川でまた下る。当時はそこまで見渡せたのだろう。その烏山川と北澤川の合流点が目黒川の起点。池尻大橋駅の方が近いが、北へ15mほどの階段をのぼって、南側一帯の渋谷から三茶方面までの眺望を堪能してみた。これも川が削った段丘だろう。丘の上は駒場東邦や筑駒、東大など名門校が軒を並べるが、かつては軍の練兵場。戦後間もない地図では井の頭線は京王帝都ではなく、東京急行となっている。そういえば、かつて山手線の外側に環状の鉄道を建設する計画があったらしく、明大前駅にその幻の線路だか名残があるそうな。 2023年6月16日

極茶人

八十八夜以来、約一ヶ月ぶりに狭山茶の比留間園を訪れた。二度目は極茶人に会うことができた。話をされてる姿は大西園の中島さんもそうだったが、味と香りの追求に余念がないのがわかる。今はすべて新茶とのこと。紫外線照射はすべての製品にやってるが、やればいいというわけではなく、旨味を出すか、香りを出すかのバランスなど、狙う味によって変えているとのこと。この辺は音楽でいうと、エコライジングと同じだなと。トレブルを上げ過ぎれば、バスが引っ込む、逆も然り。 花のような香りがするのは当たり前で、花と葉はもとは同じなのだとか。花になるか、葉になるかは環境次第で、農家は花にならないように栽培して、葉に蓄えられた成分をお茶として我々は頂いているというわけ。仮に葉を全部取ってしまっても木としては枯れはしない(試してみた人がいるそうだ)が、農家としては春に新茶を摘めないから、葉を残して冬を越すのだとか。 自分が渋みや苦味の少ない、旨味や香りのあるお茶が好きというと、それならと、茎茶を推された。茎には苦味や渋みの元となる成分がないとのこと。 また仕事に水出しのお茶を水筒で持参してること、しかも水や氷を足したりしてると話すと、水だと熱湯より渋みや苦味が出にくいのと、時間をかけるため、より味が濃く出やすいので、火入れをしっかりしてあるほうじ茶、とくにお店で出してる「蜜香ほうじ茶」を推してくれ、実際に飲ませてくれた。案外熱い。聞くと、90℃だそうで、この手のお茶は紅茶や烏龍茶と同様に熱い方がいいとのこと。水出しに向いてるのに熱い方がいいとは矛盾してる気もするが、熱いと苦味も出やすく、色など変化が出やすいのだが、ゆっくり水出しならその点は大丈夫とのこと。葉の量だが、水の100分の1でいいと。お店で売ってる750mlのグラスなら8gほど。ということは、お茶パックに半分くらい詰め込んでる私は葉の量が多すぎなわけだ。だから最後は粉っぽくなってしまうのか。 茎茶とほうじ茶と買うものがだいたい決まったので、他に何かオススメを聞くと、これは極め付けというか、いつも来客をもてなすのに出す「まがたま」を推された。比留間氏はこれを氷水で一時間、水出しするとのこと。これは20グラムで他のと同じ値段、という高級茶。紅茶などを沸かすガラスのポットに5グラムの葉と氷と水を半々くらい入れ、一時間置く。暑い夏には最高に違いない。これは夏用に買おう。 あと保管についてうかがうと、冷凍庫でなく冷暗所でいいそう。開封後も別に容器に入れ替えなくても、お店のパックのままで大丈夫と。ジップロックでも冷蔵庫のニオイが移るんだとか。とにかく、開封したら早く飲むべし。 2023年6月17日

海老田酢

ヤフコメに投稿しようと思って電車の中で夢中で書いたのだが、書き終えてみたらどうでもよくなってしまったので、投稿はやめて、こっそり、ここに残しておこうと思う。ニュース記事のタイトルは「新型コロナウイルス、体内から追い出せず後遺症? 感染後に潜伏するヘルペスと類似 大阪大教授が指摘」というもので、免疫学の第一人者であるそのセンセー(75)によると、「新型コロナウイルスも(ヘルペスウイルスと同じく)何らかの仕組みで体内に残存する可能性があり、免疫が弱い人はウイルスを体外に排除することができず、症状が持続する可能性がある」そうだ。そこで以下のようにコメントしようとした。「自分の場合、職場で三回目のワクチン集団接種(70名ほど。自分は全くの未接種)した頃から腰に違和感を覚え、二週間後に職場でクラスター集団感染が発生。自分も陽性反応と発熱で自宅療養となり(その間、腰痛は不思議とまったくなく)、回復後、今度は腰から足にかけて坐骨神経痛のような痛みが起き、とくに左太腿の痛みが強く、不思議なことに動いてると大丈夫で、横になって休むと痛むので、仕事には差し支えありませんでしたが、三時間ほどで目が覚めてしまうので睡眠不足で困りました。整形外科や内科を受診し、レントゲン検査もしましたが、異常はなく、痛み止めを処方されるだけという状態が三ヶ月続きました。しかし、徐々に痛みは消えて今はまったく問題ありません。後で考えた痛みの原因が、帯状疱疹です。その後遺症と症状が非常に似ていたからです。実は5年前に帯状疱疹を発症したのも同じ左太腿だったのです。その時は後遺症もなく、完治していましたが、もしかして免疫が落ちてヘルペスウイルスが目覚め、また免疫が戻ってきて、眠りについたのでは?と。今となっては調べようがありませんが、以後、免疫を維持するべく、ビタミンDと日光浴を欠かさぬよう気をつけています」と。つまり、コロナに感染する前からヘルペスウイルスが再活性化し始めていた兆候を腰の違和感として感じていたわけで、あえて書かなかったが、免疫が落ちた原因を、ワクチン集団接種、あるいはその後に起きたクラスター集団感染とみている。もっとはっきりいえば、ワクチン自体にウイルスが入っており、また、免疫を抑制する働きがあり(だから感染爆発するのは当然!)、接種しようがしまいが、周りからの影響(これをシェディングという)を受けるのは避けられないから、センセーのおっしゃる「何らかの仕組みで体内に残存」というより、みんなでワクチンをやめてしまえば(日本以外の世界中がそうでしょ)周りからのシェディングがなくなり、症状は持続しなくなるはず。けれど何度も接種してしまった人は、免疫が回復不能であろうから、症状は持続どころか、悪化の一途をたどるでしょう。 2023年6月20日

安寧死

二週間くらい前から下腹部に赤黒いオデキができて、けっこう大きく育って、当初はさわると痛みもあって、それがようやく痒みに変わって、色味も淡くなり、さわっても何も感じなくなった。と思ったら、今度は右腋下に同じような赤みがかったオデキができて、さほど大きくはないものの、膨らみがあって、さわるとやや違和感がある。はて、バイキンでも入ったのか?いつ?どこで?考えあぐねてもさっぱりわからない。いや、何となく目星はついてる。二ヶ所の共通点というと、発熱時にアイスノンなどで冷やすべき部位、つまり、毛細血管が多い部位である。そこで炎症反応が起こったということは、バイキンと免疫細胞との紛争が勃発してるというわけだ。わたしの場合は、その程度で済んでいるが、同じバイキンが命取りとなった人もいて、この三週間で、身近な人がすでに三人亡くなって、三人が入院中である。みな高齢者であるから、もともと持病なり、衰弱していたりと、バイキン一つでも命取りになりうる状態ではあったが、それにしてもまだまだ生きながらえたはず。そして、ここ数日、高齢者ではなく、わたしよりも遥かに若い人が二人、体調を崩し、抗原検査で陽性となっている。わたしにオデキを作ったバイキンが別の人では喉の痛みや発熱を起こしたり、持病を悪化させ、命まで奪ってしまう。そのバイキンの正体とは、三週間前に集団接種でばらまかれた、コロナワクチンである。すでに欧米社会では「生物兵器」と認定されつつあり、免疫抑制は持病を悪化させ、スパイクタンパクが全身炎を起こしたり、血栓ができたりすることがわかっている。こんなもの六回も打てば、ネコなら全滅してしまう。体外に排出されたスパタンは接種してない人にも影響し、わたしの場合、オデキができたわけだ。しかし、恐ろしいのはそれらのmRNAワクチンの遺伝子書き換え作用よりも、その治験中の薬剤の働きも知らず、生ワクチンと同様に毎度恒例の行事のよう無心に接種していく医師、看護師たちである。彼らは職務をただ遂行しているつもりで、相手から感謝されれば、「どういたしまして」と笑顔で返す。自分がしてる行為が生物兵器による殺人行為であろうと。「悪意はなくとも、無智ということ自体が罪だ。悪意がないだけ、救いがない。(坂口安吾『安吾風流譚』)」しかし、ある意味、安楽死の問題はこうして解決するのかもしれないとも思う。何回でも接種する人々は自分が信じた「医療行為」によって、安心を得て、逆に苦しみながら、死に至らしめられているわけだから、これはもう、安寧死と呼ぶほかない。 2023年7月17日

透明老女

赤いキセツ到来告げて、容赦無く四十度近い日が続く。夏の涼を得るものといえば、風鈴もいいけれど、やはり怪談でしょう。フィルムしかなかった時代とちがって、デジタルにいくらでも加工ができるようになると、心霊画像とか心霊スポット巡り動画はあまり迫力がない。それならいっそ怪談をラジオのように聞き流してゾッとしてる方がいい。霊感などまったくない自分でも、魂ってホントにあるんだ、と思うようになった出来事がある。それは今から八年前の六月のこと。ある朝、起きて、いつものように朝食の準備のため台所へいくと、なんかおかしい。まるで、別荘にきたみたいな静けさ。と思ったら、なんと冷蔵庫の製氷機が水浸し。ドアを開けると暗いままで、全部、常温になってる。こりゃダメだ。故障してるわ。すでに数時間はたっている。そして、もう一つ、飼っていたインコの様子も明らかにおかしい。止まり木に登ることができずに、籠の底で羽をバタバタさせて、ブルブル震えている。そしてその日のうちに死んでしまった。愛知にすむ祖母永眠の知らせがきたのも、ほぼその頃合いだった。さては、ばあちゃん、知らせにきたのかな。お腹空いてたのか、冷蔵庫ぶっ壊して、寂しかったのか、鳥まで連れてっちゃって….。虫の知らせってホントにあるんだ。霊魂ってやつは案外、乱暴者らしい。坂口安吾の「石の思い」にもこんな話が書かれている。「それはまだ暮方で、別邸では一家が炉端で食事を終えたところであったが、突然突風の音が起って先ず入口の戸が吹き倒れ、突風は土間を突きぬけて炉端の戸を倒し、台所から奥へ通じる戸を倒し、いつも白痴がこもっていた三畳の戸を倒して、とまった。すべては瞬間の出来事で、けたたましい音だけが残っていた。それは全くある人間の全身の体力が全力をこめて突き倒し蹴倒して行ったものであり、ただその姿が風であって見えないだけの話であった。そこへ病院から電話で、今白痴が息をひきとったという報せがあったのである。」その白痴とは、安吾の五つ年上の従兄に当たる男で、よく碁を打ったという。ある日、家出をしたまま、一年ほどつかまらず、警察の手で精神病院に送られ、放浪生活から衰弱し、病院で息を引きとったという。こういうのは怪談というより、遠野物語のような逸話、説話の類だろうが、何となく、心が和らぐのは、なぜだろう。 2023年7月17日
前のページへ 次のページへ