2023年8月2日
「人間の全体像を忘れて、一つの歯車、一つのファンクションにみずからをおとしいれ、またみずからおとしいれることに人々が自分の生活の目標を捧げている。」(『葉隠入門』三島由紀夫)
ファンクションは「機能、働き」といった意味だが、三島流に訳すと「歯車」なのだろう。若い頃、どこかの知事が新人職員へのあいさつで「君たちはこれから社会のネジとして働く」みたいに言っていて、嫌な気持ちになったのを思い出す。
「ライナ・マリア・リルケは、人間の死が小さくなったということを言った。人間の死は、たかだか病室の堅いベッドの上の個々の、すぐ処分されるべき小さな死にすぎなくなってしまった。」「毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだということを「葉隠」は主張している。」(『葉隠入門』三島由紀夫)
しかしウクライナの兵士の生存時間はたった数時間ともきく。これでは人間も魚雷と同じだ。戦争ですら人間は死によって生をいきいきと心に当てることができない時代になった。どこかのYoutuberが何百mのタワーの頂上によじ登って配信中に転落死、みたいなニュース、このバカげた行為の方がよほど生を謳歌していたのではと思う。
「要するにこの書は現在の事実なり。単にこれのみをもってするも立派なる存在理由ありと信ず。」(『遠野物語』柳田國男)
今夏、怪談にハマってから、UFOやオカルトのみならず、魂とか量子力学の見出しをみつけると食いついてしまう。医学や科学では説明のつかない現象の多くが、多次元の意識体の悪戯、あるいは、ニュートン力学の及ばない超ミクロレベルの現象ではないかと思ったりもする。
「私は石原慎太郎氏や黛敏郎氏と共に、「空飛ぶ円盤研究会」の会員であって、去年の夏などは、大勢の会員と共に、日活ホテルの屋上で、いつまでたってもあらわれぬ円盤にひたすら憧れつつ、何時間も双眼鏡を目にあてていたほどのマニヤであります。」
「孔子は「怪力乱神を語らず」ととりすましていましたが、これはあたかも現代の科学者が、心霊現象にノー・タッチを標榜しているのと似ています。全然否定することはできないことを知っていながら、下手にこの領域へ踏み込んで、世間の信用を落とすのがこわいのです。」(『不道徳教育講座』三島由紀夫)
いつの頃からかテレビが心霊番組やスピリチュアル番組をやらなくなった理由も、同じではないのか。ディレクターの上で命令してる連中こそ、(彼らの狭い)世間の信用を恐れているのだろう。
「大虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入っていくほかはない。形のあるものはすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさえ地震によってゆすぶられる。何故なら形があるからである。しかし、地震は大虚を動かすことはできない。(中略)大虚は永遠不滅であり不動である。心がすでに大虚に帰するときは、いかなる行動も善悪を超脱して真の良知に達し、天の正義と一致するのである。」(『革命哲学としての陽明学』三島由紀夫)
この「大虚」とは「心の外にある、心の本体」というが、ネット上のクラウドとかビッグデータと大して変わらない。しからば、肉体は端末にすぎないし、精神もその中の些細なデータといったとこか。
「われわれの近代史は、その近代化の厖大な波の蔭に、多くの挫折と悲劇的な意欲を葬ってきた。(中略)日本が貿易立国によって進まねばならない島国という特性を有しながらも、アジアの一環に属することによって西欧化に対する最後の抵抗を試みるならば、それは精神による抵抗でなければならないはずである。(中略)日本の中に浸潤している西欧化の弊害を革正することによってしか、最終的に成就されない道である。」(『革命哲学としての陽明学』三島由紀夫)
それで三島は自衛隊の決起を叫んで自決。いわば、端末のデータが書き換えられる前にその端末を自ら粉砕したみたいな事件。だけど相変わらず、クラウド上では日々、データが書き換えられている、みたいな。機械とちがって、人間という端末のデータ(精神)は誰かに書き換えられなくとも、勝手に自ら壊れる。それは老人や狂人、罪人の収容施設にいけば一目瞭然。それでも彼らにも心はあって、ちゃんと生きている。好きな食い物もあれば、嫌いな奴もいる。たぶん、こんな心の集合体こそが、大虚なのではないかと。そういう有象無象の世界からみれば、西欧だの、日本だの、些末にすぎない。きっと空飛ぶ円盤を操る多次元意識体も三次元世界の話とたかを括ってるはず。軍国時代に育った三島も生まれる時代が違えば、UFOやオカルトマニヤになっていたかもしれない。
冒頭の話に戻るが、ファンクションでもネジでもいいと思う。ネジ一本でギターの音色も大きく変わる(少し前の記事を参照)のだから、人間もたとえ小さなネジであっても、それが全体に大きな影響を及ぼす可能性がある。本人にその意図はなくとも、心のままに生きた結果、世界が変わっていくかもしれない。そうして一人一人の心が大虚に帰するとき、「善悪を超脱して真の良知に達し、天の正義と一致する」はず。
2023年8月20日
「日本のプロ野球はプロにしてはヘタすぎるから、見ていても楽しくない。(中略)その点、高校野球はヘタを承知で見物するから、むしろ楽しく見ることができる。そういうわけで、私は昔から甲子園のファンなのである。」(『明日は天気になれ(高校野球)』坂口安吾 昭和28)
今年の甲子園は慶應がずいぶん盛り上げて、あっという間に優勝してしまったが、実は神奈川県大会の決勝が事実上の全国大会決勝戦だったといわれている。もしあの試合、慶應が負けていたら、勝った横浜が甲子園でも優勝したのではないかと。そしてその試合のある判定が勝敗をわけた誤審ではないかと物議を醸している。それは9回表、3-5で負けていた慶応の攻撃で、セカンドゴロでゲッツーか、という場面。2塁付近で待っていたショートはセカンドからの送球を捕球後、右足でベースの角を擦るように1塁へ送球。これがベースから足が離れた、オフザバッグと判定。しかも打った選手の足が一瞬早く、一塁もセーフで、オールセーフ。送りバントで、2死、2、3塁となって、運命の逆転スリーラン。6-5となり、9回裏を守り切った慶應が優勝。物議を醸した判定について、いろいろな意見が飛び交った。ビデオ検証を導入すべきとか、審判をボランティアではなく、プロにしろとか。ベースにしっかり触ったかどうかより、タイミングで判断する、みなし判定が当たり前の中、じっくりベースタッチを見た2塁塁審は、むしろ時代遅れの生真面さにも映る。触ったか触ってないかは、いくら高精度の映像でもわからないだろう。ベースと選手の足に電気が流れるシステムでも導入しない限りは。だからそこは確実に2塁だけアウトをとりにいくべきだったとか、ベースを蹴るくらいの審判へのアピールをすべきだったとか意見もあった。高校野球の地方予選でも決勝レベルともなると、その後の人生がかかってる選手も多いのだから、ジャッジは正確にという意見もうなずける。70年前の安吾の時代と違って、プロはもちろんアマチュアのレベルも格段にあがっていて、なのに審判はじめ運営側は昔のままという状況がこういう「誤審」を生んでいるのかもしれない。しかし、協議の上、ちゃんと誤審を認め、説明する審判団もあるし、さらに選手への気遣いや礼儀など教育者としても素晴らしい審判もいる。そういうのはむしろプロではあり得ないのではないか。高校野球、とくに甲子園は、何が起きるかわからないから楽しく見ることができる。プロとはちがう、その魅力は捨てがたい。
2023年8月30日
「ネット上の虚偽を区別できない人は新鮮な空気の中で散歩して自分の考えを整理することを強く勧める、雨は不思議と元気を与えてくれる。」(ラムザン・カディロフ)
ロシア南部チェチェン共和国の首長が近頃、テレグラムに投稿した動画の中でそう語っているといい、これはウクライナの情報機関が流している「重病説」に対する反論のメッセージだという。両者とも真偽のほどは不明だが、この主張そのものには強く同意する。まさしくこの書のタイトル、オフラインの勧めだから。私としては同じ主張をヤフコメ民に申し上げたい。もう六日前か、tenki.jpが一ヶ月予報で、季節は足踏み、みたいな記事を出していて、日々の実感と違ったので、最近、発見した小さい秋をコメント欄に羅列してみたら、現時点で、いいね8、反対85だった。実に91.3%がtenki.jpの主張に賛同。でもこちらとしては事実なんだからしょうがない。桜の葉っぱはもう黄色く枯れて道端に落ちまくってるし、寝苦しい夜のまま薄手の布団をはいで寝てると朝方、思わぬ寒さにかぶって寝てたり、夜になれば家の周囲からは鈴虫の盛大な合唱が聞こえてくるし、女心と秋の空とはまさにこのことで、いわし雲、うろこ雲、羊雲、すじ雲といった複雑な空模様が目を楽しませてくれるし、そこに夕焼けが眩しく射してさらに立体的な模様を映し出すし、自分や木立に伸びる影も日々長くなり、キバナコスモスが風に揺れて彼岸花も顔をだし、すっかり秋めいてる。季節はほんと毎年正確。狂ったことがない。日中の最高気温は34℃なんて真夏日もあるけれど、最低気温は20℃まで下がってるから、この気温差で風邪を引く人も多い。冬でもないのにインフルエンザが流行中で、同時にコロナも蔓延中だから、通常ならウィルス干渉でいずれかしか流行しないはずなのにと首を傾げる専門家も多い。が、例のワクチンの打ちすぎで免疫が崩壊しているからだと主張する有志の医師もいて、今月から始まる秋接種にも「百害あって一利なし」と警鐘を鳴らしている。免疫が崩壊すると感染しても熱も出ないという。それってどういう状態?
「そういう状態にあっては、人間の内部にある本来の治癒本能、すなわち防衛と武装の本能が脆弱になるということである。何事につけ、脱け出すすべを知らず、片づけるすべを知らず、はねつけるすべを知らない ー ことごとく傷つくのだ。人間も事物もあつかましく感じられ、体験はふかく胸に突き刺さり、思い出は膿んだ傷となる。病気であることがすでに、一種の怨恨感情そのものなのだ。」(『ECCE HOMO(この人を見よ)』F.W.Nietzsche)
なるほど、こんな状態では暑さもよけいに疎ましく、私のコメントも厚かましく感じられたのかもしれない。しかし、彼らはどうして自分がそんなことになってるのか考えたことがあるだろうか。政府が製薬会社と不平等な契約を結び、厚労省やメディアがデータを改竄、隠蔽してまでもその効果を誇大に宣伝し、多額の協力金をばらまいて医療機関に打たせまくった大罪もあろう。が、もっと根底に、カディロフ氏の主張のように、人々が外にも出なくなり、自分の考えを整理することすらしなくなったからではないか。目前の情報を信じ込み、ますます外出が億劫になり、ますます目前の情報の奴隷となる。日本人の実に90%以上がそういう状態なのではないか。
それはさておき、8.7%の心ある人々よ、一緒に秋を満喫しましょう、雨が降る予報でも散歩に出かけましょう。
2023年9月21日
戸倉城山に登ってきた。この山の存在を初めて知ったのは、一昨年、秋川渓谷にいった時だった。その時は十里木バス停で降りて、石舟橋を渡り、瀬音の湯を素通りして、あまりの人の多さにさっさと秋川沿いの林道を歩いて帰ってきた。その林道からよく見えた山に昔、城があったということを知った。そして昨年、今度は酒蔵めぐりで「喜正」の野?酒造を訪れた際に、その城山の水で仕込んでることを教えていただいた。西戸倉バス停で降りて交番脇の道から山方面へ向かう。途中、二股で反対に行ってしまい集落に迷い込んでしまった。引き返して二股を右へ。しばらく登ると山口神明神社があり、お参りして山道に入る。両脇の石垣がいかにも城跡っぽい。標高は434mだが、その地点で220mだから、あと200m。津久井の城山も八王子城もそうだが、簡単に攻められてはマズいし、見晴らしもよくないといけないからだいたい急峻。でも標高も434mとさほど高くないので30分ほどで頂上につく。素晴らしい山頂の眺め。ちょっと前に登った高尾山よりよく見えるかも。都心のビル群が浮島のように見える。砂上の楼閣とはこのことか。国破れて山河あり。兵どもが夢の跡か。百年前にはなかったものは百年後には幻?結局、残るのは山河だけかも。そんなことを考えつつ、さて降る。何の道標もないが、何となく道はある。しかし、すごい、岩、岩。大岳山の頂上付近を思い出すが、あそこのようなチェーンのガイドはない。木の幹や細い枝を頼りにバランスをとりながら降る。蹴った石が10mほど下まで転がるほどだから落ちたら死ぬ。そう思うとなぜか、笑みが浮かぶのは追い詰められた人間の本能だろうか。岩肌が徐々に土に変わり、傾斜も緩くなってきた所に道標があって、光厳寺??山頂(急坂)とあった。そのお寺に着くと門前に名言を発見。「本当の幸せ」は、地位でも名誉でもお金でもなく、「今、生きている」ということです。それ、だいたいの人はわかってます。誰だって年をとればそうなる。健康第一に。でも極少数のわかってない人、わかる必要のない人が世界をかき乱しているから、今を生きてる人も不幸になる。イスラエル、ウクライナ、アメリカのことです。キシダのニホンも。どうにかしてください仏様。ほっとけ?一年ぶりに野?酒造を訪問。木戸を開けると昨年もお会いした奥様が相変わらずいらっしゃる。今し方、城山に登ってきたが思いの外、急だったと申し上げると、地元の子どもたちが遠足で登りますと。光厳寺の山桜はみましたかと。地元では白山桜というそう。「城山とかけてます?」と言ったら、今気づいたと笑っておられた、奥様。その「しろやま桜」なる吟醸酒を購入。お、最近飲んでないアル添か。しかも精米50%か。いいね。それと秋限定の山田錦の純米。「今一番よく出てる組み合わせです。来年もまたいらしてください」と奥様。帰りはバスでとも思ったが、バス停で待ってるうちに歩きたくなって、岩瀬峡へ降りる。紅葉にはちと早かった。今年は季節が駆け足かと思いきや、例年通りのようだ。阿伎留神社に立ち寄って神輿殿の中の白虎と朱雀の木像に見入った。
2023年10月30日
約四百年前、辺境の地だった江戸に幕府ができ、人口が急増し、当時飲み水といったら井戸水であったが、江戸は海に近く、飲める水が出なかったので、まず神田上水や玉川上水が築かれた。さらに人口増加につれ、四上水(千川上水、青山上水、三田上水、亀有上水)も築かれ、ここに当時世界最大の都市人口を支えた水道が完成。その水源は、神田上水は神田川を通じて井の頭池、善福寺池、妙正寺池、玉川上水は多摩川。この二つの上水は2,3年前に歩いたが、ここ最近は千川上水と三田上水を歩いた。といってもほぼ原型をとどめてないので、古地図とにらめっこしながら流路跡を辿る散歩となった。千川上水は武蔵野市で玉川上水から分かれ、練馬を経て、板橋に至る。そして昨日歩いた三田上水は笹塚で玉川上水から分かれ、駒場、松濤など渋谷区と目黒区の境界を流れ、目黒川を見下ろす高台を川と並行して流れ、今、防衛庁施設のところ、昔は火薬製造所で、その中を通り抜けて、名の由来である三田を通って、目黒駅で東に向きを変え、今、自然教育園、昔は白金御料地の広大な森を横切って、今、プリンスホテル高輪、昔、竹田宮邸や北白川宮邸のあった広大な敷地に至っていた。流路は今でも道として残ってるが、遺構としてはさすがにほぼ残っていなかった。東大付近の山手通り沿いに暗渠が姿を残していたのと白金台に今里橋跡とその先に用水路跡の表札があった。橋の幅から用水路は2mほどだったと想像される。遺構は少ないが名残はある。千川上水もそうだったが、妙にクネクネした細道に沿って妙に青カビの生えた巨木があると、だいたいそこが流路だったりする。しかし、これらの四上水は数十年で廃止となってしまう。その理由には謎が多いといい、小説『玉川兄弟』の作者、杉本苑子氏によれば、「頻発する大火に手を焼いた幕府が、意見を徴したとき、儒学者の室鳩巣によって唱えられたのが、<水道の設置こそ火災の根元>とする珍説でした」と。さらに「元来、風というものは、大地の気であって地から生じるものなのに、地下に縦横に水道管など通した結果(中略)大火災の因となる」云々。は?なんとまぁ長閑な思想。風水か易学なんでしょうか?何か、裏に陰謀が働いてそうだ。例えば、あんなスゴイ技術を放っておいたら今に武器をもって攻めてくるから今のうちにつぶしておけ!なんて大陸か半島の為政者がスパイ学者を送った、とか。だいたい学者と名のつくもの、いつの時代も怪しい。昨今の感染症問題にしても専門家とか学者がてんでバラバラなご意見。スポンサーにへつらう曲学阿世。いつの世もそんなもの。学が堕ち、金も堕ち、最後は武が起こる。まっとうな研究からすれば、廃止にはまっとうな理由があって、深井戸の掘削技術向上や水売りの発達、上水の水質汚濁問題などが考えられそう。多摩川からはるか40kmも離れて、途中、ほぼ開渠だから何が紛れ込んでるか知れない。犬畜生、餓鬼どもが放尿、放便してるかもしれん。そんな水に慣れた殿様や庶民が水売りの天然水、あるいは深井戸の純水を一口飲んだ時の感動たるや、もうカルキの臭いのする水道水なんて飲めない現代人と同じだろう。あるいはコレラとかペストなどの感染症、現代のピーファス問題と同じく、何らかの健康被害があったのかもしれない。ときに超過死亡数が爆増して久しいが、その超過死亡算出のもとになる予測値をあげて、超過死亡を減らすという隠蔽工作を厚労省がやり出した。四上水廃止の理由も、健康被害を隠蔽した結果、謎の珍説がまかり通ってるのかも。
2023年11月7日
四上水の一つ、青山上水を探る散歩に行ってきた。スタートは新宿御苑。北端を流れていた玉川上水の最終地点を歩く。ここで名残といえるのは大木だけ。その下を流れる小川はこの付近の地下水を汲み上げてる人口水路。その東端に四谷大木戸の水番屋跡。丸の内線の工事中に出土した当時の石樋にその文字が刻まれている。水番屋とは今で言う浄水場だが、濾過装置なんかなくて、水番人が一人で水量の管理、水質の管理をする。上水では水浴びも洗い物も魚取りも厳しく禁止されていたが、たった一人で葉っぱ掬うくらいで水質なんか維持できたのか。満水時には水番屋の吐水門から渋谷川に排水とある。新宿御苑内の湧水が渋谷川の水源だけど、玉川上水の余水も入ってたんだ。散歩は大京町を通って、信濃町へ。慶應大病院っていや、ZARDの坂井泉水が入院中に不慮の事故?で亡くなったとこか。サヨナラは今もこの棟に居るんだろうね。こういう人たちは命削って、時代の一瞬と永遠の間で生きてる。日常とは無縁に。だから死ぬときもあっさり消えちゃう。夢幻の人生。かっこいいけどね、ナムアミ。信濃町駅から神宮外苑へ。苑内の円周道路を歩くと沿道に白と黄色の花。これはお茶の木だ。葉っぱを鼻に近づけてみると、かすかに香った気がした。百年前、ここは青山練兵場で、南東端は陸軍大学。上水はその中を通っていたようだ。外苑東通りに入ると都営アパート前の歩道に、幅2mほどの細長い空地に謎のバリケードがある。これは上水の名残?その先で目を引いたのは乃木将軍の旧邸。彼は日清日露戦役で有名になった人。軍国時代に育った人には忘れ得ぬ英雄だろう。明治天皇崩御の日に妻共々殉死を遂げたという部屋もあった。思えば、軍人も日常とは切り離された人生を歩む宿命。いわば人身御供。安らかにお眠りくださいと乃木神社をお参り。次に見えてくるのはミッドタウン。その手前で何やらカメラを構えてる人。あとでマップみたら「スマイルアップ」と。あ、今年一番世間を騒がせてる芸能事務所のビルか。文字がなかったんでわからなかった。その先は六本木界隈。ちょうど昼時でビジネスマンが出歩いていたが日本語をあまり聞かなかった。見た目はアジア系だけどたぶん中韓あたり。そういえば外苑にも外人観光客がいっぱい。かつて戦った国の人々がこうして仲良くしてる姿に希典はどう思う?平和でいいじゃないか、グローバルになってよかったと?この繁栄の陰で搾取されるサウス。人類はこういう奪い合いの業から解脱できる日がくるのか?麻布台ヒルズはあのグニャグニャの建築が見たかったのにみそこねた。そんな未来都市空間に何となくドブのような異臭が漂ってる。だいたいここらはアナグマや鼠が横穴を掘って暮らすような坂の多い台地。その狸穴坂を下る。ちなみにアナグマとタヌキは似てるけど別物。江戸の庶民には同じだったんでしょうが。この坂の下一帯が青山上水の末端。近くに渋谷川があるので、そこに繋がっていたのでしょう。上も下もつながって渋谷川の親戚みたいな青山上水であった。
2023年11月15日
昨日、思い立って、すぐチケットとった。きっかけ?何だろ?昨日は夜勤明けの散歩で14キロ歩いて、気持ちよく寝入って、起きたら18:30。足はガクガクだけどあとは絶好調。あ、そうだ、エックス(Twitter)みてて、中島みゆきの歌会上映の宣伝が入ってて、それで何となく、くるりの映画のこと思い出して、調べたら東京は下北沢と青梅の映画館で、青梅の方がまた素敵な古い建築を改築してて行きたくなった。
そんな感じでチケットを購入。前日なのに全席から選べたってことはまだ観客0人。実際は三人だったけど、こんなんで利益でるの?大赤字だ。でも大丈夫なんだろうな。何せ、すごいぞ、くるり、だから。あの謎のパワーフレーズを思い出す。98年といや、もう25年前か。バンドメンバーみんな若かった。わたしも若くて暴れたいエネルギーを持て余してライブハウスによく行ってた。リキッドルームとかクラブクアトロとか。あの頃は音楽が人生のほとんどを占めてた。落ち込んだ心を癒やしてくれたのも、不安の背中を押してくれたのも音楽の力だったような。
若い頃の岸田さんを見てると、ホント、昔の自分を見てるみたい。彼は年下だけど、雰囲気が自分に似てた。でも自分にはやりたくてもできなかったことをやってて尊敬する。あの頃の自分の延長線上に彼はいる、みたいな。だから、そのまま生きていてほしい、変わらないで。世界が変わっても。
そう、今回のアルバム、すごく気に入ってる。とくに、「世界はこのまま変わらない」が大好き。でも実はCDは買ってないし、ダウンロードもしてない。YouTubeからテープに録音して毎日大音量で聴いてる。そんなアルバムのメイキングなら観てみたいと思ったわけ。
この映画のこと知ったのは、10月末、あきる野の戸倉城山に行ったときだ。あのときもコンビニで昼飯たべながらエックスみてて、アルバム発売の宣伝が流れてきてて、何となくみてて、へー、もっくん復活かー、なんてインタビュー記事よんでた。だから、青梅で上映には、地理的に由縁を感じた。
映画の中で、岸田さんがメンバーに若い頃の歌には、何に対してかはわからない怒りがこもってた、みたいに話してて、今回のレコーディングでそれをいくらか取り戻せたら、みたいなことを打ち合わせてるシーンは興味深かった。なぜ今、もっくんを迎えて、初心に戻ろうと思い立ったのか。怒りを忘れたらロックじゃないと?じゃあ彼は何に今、怒りを?
それはわからないし、たぶん公言できないと思うけど、何となく思い出すのは、去年のフィッシュマンズの配信ライブ。あの大人しそうなダーツ関口さんが、時代に対する怒りを演奏にぶつけたと言ってた。コロナでライブ活動もしにくかったから。
ろくな時代じゃないことは誰でも思ってる。信じてたものに裏切られたら、そら怒る。悲しむ。それでも前を向いて歩かねばならぬ、できたら笑いたい。そんな時代の空気を聴衆と共有するのがロックバンドだとしたら、それが今なぜ初心に戻るか?という答えではないかと思ったり。でも実際、岸田さん的には全然ちがって、新しいファンをつくりたいってビジネス的な理由だったり、あとは同業者に対して、今時こんなアナログな作り方できひんやろ、とかアーチスト的な理由かも。ビジネス的にはネット配信の方がいいはずなのに、映画ってとこも制作過程そのものを「作品」としたいアーチスト魂を表現してるよね。すごかったぞ、くるり。
2023年12月4日
ヤフコメアンケート第2弾。前回は「季節は足踏み 10月に入っても異例の残暑か」という記事に、私の五感による反論を述べたところ、90%以上が反対という結果であったが、今回は二つの記事でアンケートしてみた。一つは「ドクター中松、日本を嘆く「不真面目な連中が多すぎる」資本主義、民主主義ではない主義提唱」という記事。もう一つは「助けを求めて鳴いていたのに…カナダで猫が電柱の上から予測不能の大ジャンプ!」という記事。まず中松氏の民主主義はアカンというのに賛同して、小林秀雄の「私の人生観(1949)」から抜粋。「組織化された政治力という化け物が人間を食い殺してしまうだろう。ムッソリーニ はファシズムを進歩した民主主義と定義していた」それは今日の自公政権、あるいはバイデン政権をみてれば明白でしょう。こうしてヒトラーも民主的な方法で独裁者になって、あのアウシュビッツをつくったんだなと。そしてニーチェの「善悪の彼岸」からも抜粋しようと思ったが、ちょっと何言ってるかわからんと思われそうなので、ざっくり「笑うしかないほど浅薄」と。LGBT法案なんか「水平化」の最たるもんでしょう。「民主主義の運動はキリスト教の運動の遺産」で「彼らはすべて一様に、救済者としての社会を、すなわち畜群を、自分自身と信じている」それは「単に政治的機構の一つの頽廃形式であるだけでなく、人間の頽廃形式、すなわち人間の矮小化、凡庸化と価値低落」とまでこき下ろす。だからこそ二十世紀の戦勝国、英米にとっては世界支配の最適な形式だったんでしょう。日本なんか一番うまく畜群化に成功したんでは?その自覚はあるらしく、このコメントに賛同が84%も。もう一つの猫の記事を読んですぐ思い出したのは、最近みた近所の猫たちの驚くべき運動能力。たまに庭に現れ、クンクンする近所の飼い猫が、矢のようなスピードで土手を越えて河原に突入する姿をみかけた。最初、鳥かと思ったほど。それと我が家を縄張りにする常連猫さんがある時、隣家との境界にある幅2センチほどのフェンスの上をスタスタと歩いて渡っていた。オリンピックの体操選手も真っ青な平衡感覚。この2つのシーンを思い浮かべて「猫の運動能力をみくびってはいけない、家の中に閉じ込めるのはかわいそうだし、運動不足にさせるだけ」と書いたら、賛同わずか7%、反対93%という結果。おまけに返信で、正しい猫の飼い方まで指南された。そこでふと思い出したのが、犬公方。五代将軍綱吉。「生類憐みの令」で有名な人。一言でいうなら、お勉強熱心すぎてお世継ぎができなくて、母が憂いて坊さんに相談したところ、動物愛護せよと。その保護対象は犬、猫、鳥、魚、虫にまで。御触れは一回のみならず24年間で135回も出されたという。こんな悪法、順守されなかっただろうし、こんなんでお世継ぎ問題も解決するわけない。結局、次代将軍は甥(兄の子)が継いだ。そして綱吉の死後、ただちに法令は廃止。しかしこの法令、そもそも「捨て子対策」だったとか。それがなぜか動物にまで拡大。そこが異様だ。犬公方とか天下の悪法といわれたのも、民衆よりも、学問や動物を大事にした綱吉の性格に対する反感を感じる。話を無理につなげるわけではないが、現代の猫公方たちもお世継ぎ問題は大丈夫?少子化日本は国民全体が生類憐みでは?御触れも出てないのに犬猫を可愛がり、人は怖れる。お勉強も大好き。猫も杓子も大卒。なんか犬公方と似てない?で、また話をつなげるみたいだけど、この現象も民主主義的なのでは?「彼らは一様に共通の同情という道徳を信奉し(ニーチェ談)」猫や犬にも同情。これこそ矮小化、凡庸化した人間の姿。その頽廃した人間社会では犬猫が逆に偉そうにしてるわけだ。ちなみに元禄の世は文化も栄えたが、飢饉・大火・地震・洪水・噴火といった天変地異に見舞われた。人が動物を溺愛しだすと神様が悪戯して、天変地異を起こすとしたら、7%の賢明な諸君よ、早く逃げましょう。
2023年12月13日
風邪をひいた。鼻汁が無限に出る。身体が不具合のときは、精神もいつもとテンションが違うらしく、エックスなんか聴いてる。このバンドを知ったのは古く、インディーズ時代で、私が高校の時、メタル野郎の友人がすごいバンドが出てきた!と騒いでた。けどわたしはDead Endの方がおどろおどろしくていいんじゃない?みたいな。その後、あっという間にメジャーでも大ブレイクしたけどやはり関心がなかった。ブルースばかり聴いてたし。家にあるCDはたった一枚、どっかで拾ったライナーもないLAST LIVE、しかもDisc1のみ。それもほぼ聴いてなかった。それが何で今になってBlue Bloodなんか聴いてる?風邪のせいもあるが、リスニング環境もある。中低音寄りの音響だとベースがアンサンブルの中心に聴こえて、そうすると初期エックスのグルーヴを生み出してるのがベースだとよくわかる。友人が狂喜していたVanishing Visionなど8分の9拍子にスラップベースとか、そして真骨頂であるBPM200の高速ツーバスも鼻噛みすぎた脳みそに心地いい。Endless RainのAメロ、語りの後ろでベースがよく歌ってる。だけどバンドにも転機が訪れ、そのベーシスト沢田泰司氏が脱退。いや解雇。リーダー佳樹氏曰く、音楽性とファッション性の相違と。一方の泰司氏は不公平なギャラとか演奏に文句つけたからウザくなったんでしょと。そんなことにこだわる器じゃないでしょ。たぶんクスリでは?佳樹氏はとてもクレバーな、実はお坊ちゃん。4歳でピアノを始めるってどんな家庭環境?千葉南端館山の呉服屋の御曹司。父はプロのタップダンサーでジャズピアノも嗜む。その音楽的影響は計り知れないだろうが、10歳の時に還らぬ人に。何を苦に自殺?佳樹氏の歌詞には激しい悲しみやネガな感情が横溢してるけど、父の幻影がつねにあるのでは?映像でみる佳樹はいつも明るくポジティブだけど、芸術の中にすべて込めてるからなんだろうね。そういう人間らしい、表現者としてはメンバーの誰よりも孤高の存在だったんだろうな。一方、泰司も産みの父は失踪し、勘当同然で放浪と、似た境遇ではあった。クスリにハマってしまったのも本場仕込みのグルーヴを作りたい思いもあったんでは?その二人が築き上げた初期エックスの音は奇跡といえる。でも何となく泰司の方に共感してしまうのは、なぜだろう。解雇の後も放浪の末、若くして死去、しかも謎多き死という、最期までロック人生だったというのもある。佳樹は育ちからして貴族だよな。ロックは弱い人間を天下無敵にしてくれる音楽。むろんこの世に天下無敵なんかありゃしない。でも自分だけの世界では誰もが天下無敵でいたい。だからロックは不滅。今思うと、トシが洗脳されたのも泰司が脱けて、エックスがロックじゃなくなったからではないのかな。
2023年12月21日
ロック、ロックと書いてみたけど、じゃあ、ロックって何か?何がロックな人生?酒やクスリに溺れ、放埒な人生を送って最期は豪快に死ぬこと?そうかもしんないけど、それって何かに抗った結果で、つまり、それは社会が押し付けてくる生き方に対しての抵抗。未来から振り返った時、ロックは20世紀の民主世界でポピュラーになった音楽と言われるだろう。その発祥は北米で、最初は土着の白人によるカントリー音楽と、アフリカからの奴隷黒人の間で流行したブルーズ、R&B、ソウルが融合とか。エルビスに始まって、その潮流は海を越えて英国で花開く。ストーンズやビートルズが登場、みたいに語られると思うが、そのロックの波及と同時に民主主義、あるいはそれに伴い資本主義も波及した。ということは、ロックはそれに抗っていたともいえる。民主主義のどういうところにロックは抗ったのか?それはニーチェの善悪の彼岸をよく読めば、何となくわかる。畜群化。水平化、矮小化、凡庸化。そういう社会的抑圧に唯一、許された個人的自由が、資本主義。そういうカラクリは、大岡昇平も小説の中で書いてたな。金で手に入る自由しか、我々には許されてない、みたいに。『花影』だったかな?それでいいじゃないの、お金は必要よ、アンタ出世してしっかり稼ぎなさい!と。そういう拝金思想に染まると民主主義は成熟の段階。’90年前後の日本は世界第二位の経済大国となり、空前のバブル景気を経て、ちょうどそこにエックスはデビューし、日本のロックも全盛期を迎える。しかし、オウム事件やトシの洗脳のような象徴的な事件も起きる。繁栄で見失ったものこそ、ロックが抗いながら守っていたもの。もはやロックは死んだ。これは民主主義の完成を意味する。斉藤幸平氏の本にあったが、近年、グローバリズム全盛の米国では、Z世代は民主主義より社会主義を支持する傾向にあるという。もはやこういう社会ではロックは聴かれまい。抗うより協力しあう心を育てる音楽が必要。例えば、学校で歌う文部省唱歌とか賛美歌みたいな。ただただキレイな美しい世界。どこにも汚い人間はいないかのような。ロック人間はそんな嘘っぽい、寒々しい世界には馴染めないはず。民主主義が強要してくる非人間性に抗う時、酒、タバコ、ドラッグもうまく、そして音楽、芸術も光り輝き、スポーツや性も生き生きと感じられる。そうして人間に復帰しようとする。そうして結果的には民主主義を愛していた。資本主義が国際化し、グローバリズムに進化した時点で、民主主義は形骸化し、中流層が消失し、格差社会に分断され、下流層に社会主義が波及しつつあるのではないか。日本もその潮流にある、とすれば、もはやエックス復活は社会現象にはなり得ず、佳樹氏が上流社会の社交界で披露する芸術表現の中にその造詣を語るのみだろう。
2023年12月21日
それは昨日のお散歩。流れ的に鶴見川シリーズの最終回ということで河口まで歩く予定であったが、前回の終点から河口まではさほど距離はなく、海方面に足を伸ばして大黒海釣り公園を考えていたが、徒歩で二時間弱、バスでも40分、しかも途中は殺風景な埋立地ということでいまいち気が乗らないまま前日まで迷っていた。何となく地図を眺めてたら、鶴見駅から海方面に出てる鶴見線を発見。どうせ帰りは川崎に出るのだからこっちを通っていけないか?ちょうど散歩の終点、河口干潟から少し歩くとその鶴見線の国道駅がある。そこから乗って途中、海に一番近い海芝浦駅に行ってみようか?とGoogleマップを調べたら、え?海の中にホーム?何これ!行きたーい!と一気にテンション爆上がり。でも時刻表を調べると一時間に1本あるかないか。乗り過ごすとまずい。でも順調にいけば昼頃には海だ!そこで昼ゴハンといこう!あとで思い出したのだが、その朝にみた夢がまさに海であった。わたしは高校の教室にいて、出欠名簿に記入すべき生徒番号がわからなくて、友人が○○室にいくとわかるよと。その別の校舎の売店みたいな所で行ってみたがうまくみつからず、まぁいっか、と外に出ると、台風一過の如く空は晴れ渡り、向こうは水平線。仕方なく腰まで浸かって歩いて教室まで帰った、みたいな夢。そこで見事につながった。現実はもっと面白かった。鶴見川の右岸を歩く。天気は快晴。少し暑いくらい。橋をいくつも越えていくと、柵にとまった百羽ほどのユリカモメの大群に出会す。その横をお邪魔してごめんね、といいつつ通ると、バタバタ!ガァーガァー!と飛び立つ。40分くらいで干潟に着く。ほんとに波打ち際がある。たぶん昔あったものを再現したのだろうが、貝殻がいっぱい!粉々になってたり、サザエだったり。そしてサーーー、、、サーーー、、、と漣のリズムが耳に優しい。ほんとはもう少しここに居たいのだが、一時間に1本の時刻が迫ってる。その国道駅がまた何とも味のある構造。高架下のトンネルは暗く、どこにも看板もなく、突然改札が現る。撮り鉄が何人かいてわかった。乗ると車内にも鉄ヲタばかり。そういう路線なんだ?埋立地の突端にあたる終点の手前から海のすぐ横を走る。うぉー!きらきらの海だー!向こうには鶴見つばさ橋。そしてその向こうはもう東京湾。右手には大黒埠頭。ホームのすぐ先はシマダイが泳いでる海。それらをおかずに昼ゴハンにパクつく。結局、出場せずUターン。あとで見たら国道駅から海までの往復はタダ乗りでした、ごめんねJRさん。今年の最後に海を体感できて幸せ。鶴見川の源流、小山田からここまで42.5kmの長い旅でした。標高差は110mほどなので勾配は約1/400と緩やか。Googleマップの分析情報によれば今年の徒歩距離は1,170km。一月約百km。埼玉南部シリーズや東京の消えた川、用水路シリーズなど60カ所訪れたし、秋以降は家の近辺も歩いてるからそのくらいになる。だが散歩の醍醐味は距離ではない。小旅行の気分が味わえるか。だから遠くでなく、山や海、観光地である必要もなく、知的好奇心が満足できれば都心でもよく、大事なのは、行ってみたい!というテンション。来年は引き続き神奈川を攻める予定。
2023年12月30日
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