2024年9月26日
映画『サウンド・オブ・フリーダム』をみた。赤い靴、はーいてた、女の子、いー人さんに連れられて行っちゃった。昔から日本でも子供をさらって売り飛ばすなんて人身売買はあったんだろう。ていうか、あまりに貧しくて、親が子を売っていた時代もあったと聞いている。野坂昭如の「マッチ売りの少女」なども戦後間もない頃の話だが、主人公のお安は人攫いではなく、十六で母を殺して、父を求めて家出して、自ら身を売りに東京や大阪を放浪する話。ところが父は六歳の時に亡くなっており、ほぼ記憶にない。誰彼かまわず、あんたお父ちゃんやない?と身を売るうちに、ヤバイ病気になり、二十四にして四十にしか見えない風貌に成り果て、最後は公園に立ち、マッチ売りの少女のようにマッチの火でご開帳というところまで堕ち、不鎮火により焼死を遂げるという壮絶な話。このように女性の場合、ある年齢になると自ら身を売る人がいまだに絶えない。それがみんな経済的な貧窮からでないのがいかにも現代的。「男の人に”セックスしたい”ってアピールされて、断った時にガッカリされるのが怖いっていうか。”明日から連絡なくなるんじゃないか”とか、”アイツはもう要らない”とか言われる気がして……。性的な役割でも、他人に必要とされているのは嬉しかったんです。」(『なぜ、私は誰とでも寝てしまうのか』福田光睦 2024)こう語る女性も早くに両親が離婚し、母子家庭でリスカを繰り返し、援助交際で稼ぐようになって母も田舎も捨てたという。ここに体を売っているという罪悪感はないのではないか。この女性、後にAVにも出て、3大NG、要は汚れ仕事専門を自らすすんでやるが、それが「楽しかった」という。「ダメ人間とヤッてる方が素直になれるし、自分らしくいられる。」とも。わからなくもない。老人の下の世話ばかりやって介護職ってかわいそうだね、と世間一般は思うのかもしれないが、やってる本人たちは自らすすんで、使命感すら持ち、時には楽しんでいるかもしれないから。売春と介護、全然ちゃうやん!と?同じ人間相手ですよ。需要があるから立派な商売です。商売とはコミュニケーションです。じゃ、子供を売り飛ばすのも需要があるからいいではないか。成り立ってしまう世の中が悪い。もし莫大な報酬の一部でその子たちの身なりや生活が潤うなら、そのうちヤリガイを持つ子も出てきたり、優しいオジサンが「かわいいね」なんて褒めてくれて、ああ、生きててよかった、なんてトキメク瞬間もあるかもしれぬではないか。
肝心の映画は、まるで「踊る大捜査線」みたいにスリリングな、誘拐少女救出作戦として描かれていて、エンタメとして成功していた。また主人公の警官がいろいろな困難な状況に遭遇しても、これは仕事としてではなく、子を持つ一人の父としてやるんだ、みたいな感動の話に仕上がっているのも英雄伝説的でグッド。あとで時間をみたら二時間ちょいの尺。コロンビアの秘境での救出シーンが意外と簡単に思えたわりにちゃんと長い作品なのも、そこまでの弟君の救出とか、そもそも二人が拐われるところから始まっているから仕方ない。救出劇にもっと尺をとっていたら、もう一時間くらい長くなって、さすがに耐えられない。ただでさえ目を伏せたくなるヒドイ話なのだから。あそこはサクサクっと救出が進んで、メデタシ、メデタシでエンドロール、という急展開の方が、最後の役者からのシリアスなメッセージを伝えるのには大正解だろう。そのメッセージ、要はみんながこの事実を知って、共有することが問題解決にとって希望なんだという感じ。その通りですね。ジャニーズ問題にしてもBBCの番組がきっかけだったし、ペドの問題は権力側が深く関与しているから、なかなか内的圧力でエグることが難しい。エプスタインにしてもディディにしても、今のアメリカは分断してるから、外部圧力で明るみになったといってもいいんじゃないか。バイデン・ハリス政権じゃ無理だろう。むしろ不法移民をどんどん入れて人身売買の原因をつくってる側だから。日本も現在、年間9万人の子どもが行方不明というが、インバウンド大歓迎みたいな移民政策をやっていると、今にお宅のお子さんも異人さんに拐われて、偉人さんに高値で売り飛ばされますよ。
2024年10月13日
「例の藤尾文部大臣(当時)の「放言」と、それにつづく中曾根首相の「人種差別発言」のおかげで、この文章がにわかに注目を浴び、この問題に関してあちこちのテレビ、新聞、雑誌からインタビュー、対談、原稿の依頼が殺到し、某官庁や某大学からは講演の要請まである始末」(『日本人は親米か反米か』岸田秀 1987)
おそらく「この文章」とは、ペリー来航以来の近代日本が、アメリカに屈従、迎合する外的自己と、憎悪と攻撃、誇大妄想的誇りに走る内的自己とに分裂した、精神分裂病であるとする『日本近代を精神分析する』(1975)だろうと思われる。
また「放言」とは、藤尾大臣が雑誌の対談で「韓国併合は合意の上で形成、韓国側にも責任がある」と発言したことから罷免され、「人種差別発言」とは、中曾根首相が党の講演で「日本は高学歴社会になっていて、それに比べたらアメリカは黒人とかプエルトリコ、メキシカンなどが相当にいて、平均的にみたら知的水準が非常に低い」と発言し、米議会で弾劾決議案にまで発展した問題。そのときの中曽根の謝罪文がこちら。
「私は、最近の私の発言が多くのアメリカ国民を傷つけたことを承知しており、心からおわびします。唯一つはっきりさせておきたいことがあります。それは、私は、従来からアメリカの偉大さは、その多様な民族の活力と業績に由来するものであると確信しているということであり、私は、人種差別や、米国社会のいずれかの面を批判することを毛頭意図していなかったということです。」
この問題について岸田氏はこう分析する。
「日本は親米であると同時に反米であり、親米と反米との葛藤と対立を解決できないでいることが近代日本の最大の問題」(『日本人は親米か反米か』)
今から40年も前だから、とっくに日本はその葛藤を克服?と思いきや、昨今のコロナワクチン政策やウクライナ戦争支援、LGBT法案の速攻可決など見ていると、相変わらず従米式の外的自己に走ってるとみえる。その流れはどうやらもっと前からだったようだ。
「いわゆるGHQ(ジェネラル・ヘッド・クォーター、占領軍の総司令部)方式というのは、国家規模での民主化政策というソーシャル・エクスペリメンタリズム(社会的実験主義)あるいはソーシャル・コンストラクティヴィズム(社会的設計主義)のことでした。(中略)アプレゲール(大戦後)の日本とは、アメリカナイゼーションの実験国家ということであったのです。(中略)ニッポン列島はアメリカのテリトリー(属州)である、つまり「投票権なき自治領」である、といってさして過言ではありません。「日米同盟」なる防衛論での用語も噴飯物でしかなく、自衛隊はアメリカの属軍であるにきまっているのです。(中略)軍事を外国の差配の下におけば、外交において独立が保たれるわけがありません。そうなれば、すでに「デモちゃん、クラちゃん」の流儀で設計されている内政がアメリカの要求にいっそう順応する成り行きとなります。その総仕上げがこの平成期に、アメリカから日本へのいわゆる「構造改革要望書」という形で行われてきたことについては、わざわざ検証する必要もありますまい。もう一度いいます、戦後の(日本人ならぬ)ニッポン人は、敗戦・平定・属国・隷従民族なのです。」(『文明の敵・民主主義』西部邁 2011)
主要メディアがよく使う文句「失われた30年」とは、80年前からGHQによって設計済みだったわけだ。そのアメリカ様のご意向の代行役、外的自己を担当してきた自公政権が、先の衆院選では大敗。そろそろ隷従民族も気づき始めたらしい。
「「デモちゃん、クラちゃん」がそうなるのを望んだのですから、反米を唱えても致し方ありません。唱えるなら反「親米」であるべきなのです。」(『文明の敵・民主主義』)
保守、保守といっても、それは戦後保守であって、つまり「親米」保守にすぎず、真の保守とは何か?と考えさせられる。
一方、アメリカの方も、今回の大統領選では相当、深刻に分断というより、分裂しているのが浮き彫りになった。
「内的自己と外的自己が分裂し、たがいに切り離されると、内的自己も外的自己もともに歪み、変質する。外的現実との関係をうまくやってゆくことを役目とする外的自己から切り離された内的自己は、現実が眼に入らなくなり、誇大妄想的となる。(中略)被害妄想的にもなる。そして、自尊心とアイデンティティを保つことを役目とする内的自己から切り離された外的自己は、目の前の相手とうまくやってゆくことだけに心を奪われ、ひたすら屈従と迎合に走り、(中略)相手を過度に理想化し、崇拝するようになる。このようにともに歪み、変質した内的自己と外的自己とでは、もはや同じ話し合いのテーブルにつくことはあり得ず、内的自己の立場から見た外的自己、外的自己の立場から見た内的自己はともに、考えられないような馬鹿か変人である。」(『日本人は親米か反米か』)
大統領選の結果を受け、アメリカを出国したり、断髪したり、絶叫して、暴れまくってる民主党支持者がいるらしいが、彼らからするとトランプは悪魔であり、その支持者は「馬鹿か変人」であろう。また、勝った共和党支持者側は、そうした民主党支持者の言動や行動を「馬鹿か変人」と思っているにちがいない。つまり、アメリカ社会にも外的自己(民主党)と内的自己(共和党)が存在する状況となっており、今回の選挙では内的自己が大勝利したわけだから、トランプはアメリカの「自尊心とアイデンティティ」を取り戻すために、アメリカ・ファーストの政策を実施するだろう。負けたハリス陣営は外的自己として「目の前の相手とうまくやってゆくことだけに心奪われ、ひたすら屈従、迎合に走り」それが過度な平等主義、LGBTや移民政策であり、大半の国民から敬遠されたのだろう。
「要するにアメリカは、個人にたとえれば強迫的な性格神経症者であると言うことができよう。精神分裂病と同じく、性格神経症も経験の欺瞞に発する。(中略)自我がある程度発達したのちに行なわれ、より能動的、主体的である。つまり、経験は当人の都合のいいように偽られている。(中略)同種の経験が強迫的に反復されるようになる。その強迫的反復は、経験の欺瞞が暴露され、当人が真実を認識するまでつづく。」(『アメリカを精神分析する』岸田秀 1977)
日本人とアメリカ人の病のちがいは、本人が主体的に欺瞞を行なっているか、あるいは、他者に押しつけられたかだという。要は、日本はアメリカの主体的欺瞞の犠牲者、被害者で分裂病になったという。じゃあ、アメリカと縁を切るか、日米合同で先住インディアンに大々的に謝罪し、慰霊塔でも建立すればいいか?それは冗談として、結局、両者の病の根元である経験の欺瞞について、真実を認識することから治癒ははじまるのではないか。そういえば、トランプ氏が設立運営するSNSの名は「Truth Social」といい、彼は大統領に就任した暁には、CIAやFBIがらみの暗殺や策謀など様々な機密情報だけでなく、人身売買に加担した者のリストを公開するといい、彼の片腕にもなったイーロン・マスクにせよ、ロバート・ケネディJrにせよ、タッカー・カールソンにせよ、彼らは日本でいうなら「暴露系」であり、民主系にいわせれば「陰謀論者」であろう。一方、日本ではガーシーはすでに暴露系から足を洗い、彼が播いたタネはジャニーズ問題へと発展し、統一教会や創価学会と政界の癒着や裏金問題など少しずつ「真実の認識」は進んでいるようにみえるが、トランプが日本もジャパン・ファーストでやっていいよ、と言ってきたらどうするのだろう?
「日本の場合、反米、親米と言っても現実的、合理的レベルのものではなく、むしろ、憎米、屈米と言ったほうが当たっている。このことは、戦争中と戦後の日本をふり返ってみれば容易に納得がゆくであろう。戦争中は内的自己がのさばっていて、外的自己を排斥していた。外的自己の立場に立つ人たち、戦争に協力せず、日本の勝利を疑う人たちは、たとえどれほど賢明に冷静に日本のためを考える人たちであろうと、アメリカのスパイであり、非国民であった。(中略)内的自己を代表する軍人たちが立てた作戦、行なった戦闘は、(中略)情報や補給などの現実的条件を無視し、ただひたすら大和魂や必勝の信念を強調した馬鹿げたものであった。」(『日本人は親米か反米か』)
日本の軍人、作戦がすべてそうだったのか?例えば、秋丸機関のような合理的な研究組織による現実的な作戦が実行されなかったところに、国民的な分裂病の歪みがあったと言えようか。元軍人の作家が終戦直後の状況を俯瞰してこう語る。
「終戦後のいまとなっての人々の言説を読んだり聞いたりすると、きまって、「生命が惜しかった」とか「戦争は儲からぬ」とかいった安易な平和愛好論が堂々とした正論として唱えられているのは(中略)やはり日本民族の人間性の貧しさを思わされた。それでは、かりにどんなにまちがった平和であるとしても、それが表面上平和である以上いいというのであるか。ひたすらに一身の安穏さえ保てれば、どんな卑屈な生き方でもしていいのだろうか。それが正論としたならば、自己犠牲とか正義を愛する勇気とかいうものは三文の価値もなくなるというのか。(中略)「人間は誰でも幸福を追求する権利がある」という言葉の、幸福なるものは、いまの日本人の間では、何と勝手に、安手に考えられていることであろう。」(『渇く日日』田村泰次郎 1946)
そういえば、最近何かとネットで話題の、兵庫県知事選。ここでも卑屈な利権屋とマスコミとが結託して、合理的な知事を辞職に追い込み、その出直し選挙で、まったく知事と関係のない立花党首が正義の使者のように立候補して、街頭演説や政見放送で真実を暴露しまくっていて、失職した元知事の街頭演説を聞きに集まった有権者たちがこぞって「テレビにだまされて、知事さんごめんなさい」と謝ってる光景が面白い。「正義とか犠牲的勇気」というものに人々が真に価値をおくような時代になった時が、近代日本が分裂病を克服し、「新日本」として生まれ変わった時ではなかろうか。
2024年11月12日
尹大統領による戒厳令が宣布からたった六時間で解除され、内乱罪で弾劾されるに至った一連の流れをみていて、最初は米国大統領選とよく似てるけど正反対の結果だなと思っていたが、いや、ひょっとすると、これはこれで正しい朝鮮半島史の一頁なのかもと思い始めた。というのも、このままいくと半島統一という流れになりそうだが、同じことが過去にもたびたび起きている。
「7世紀に新羅は中国大陸の唐と軍事同盟を結び、百済・高句麗を相次いで滅ぼして統一新羅国家として朝鮮半島の大部分を統一した。(中略)10世紀に新羅は地方勢力が自立して後高句麗・後百済を立てて後三国時代を迎えるが、やがて新しく興って後高句麗を滅ぼした高麗が勢力を持ち、新羅を滅ぼして統一を成し遂げ、鴨緑江南岸と豆満江付近まで勢力を広げた。」(Wikipediaより)
こうした半島内の内乱、いわば戦国時代の後、近代以降は日本など諸外国による占領統治を経て、朝鮮戦争後はまた南北に分断し内乱状態となっている。それがようやく統一というなら本懐ではないか?もう内乱はコリゴリだから弾劾せねばならないのでは?
「百済が滅亡し、大勢の百済人が列島に逃げてきたらしいですが、当時の記録には「百済から来た連中とは通訳は要らなかったけれど、新羅とは通訳が必要だった」とあるそうです。(中略)百済の滅亡により消滅した百済語といわゆる大和言葉と同系統の言語で、当時の新羅語がいまの朝鮮(韓国)語の原形である可能性もあると思います。」(『日本史を精神分析する』岸田秀、柳澤健 2016)
この白村江の戦い(663年)で、倭軍の指揮をしたのが中大兄皇子(天智天皇)で、彼は百済人ではないかともいわれている。
「高句麗と百済と新羅の勢力争いは、日本の中央政権の勢力争いにも関係があったろうと思われる。なぜなら、日本諸国の豪族は概ね朝鮮経由の人たちであったと目すべき根拠が多く、日本諸国の古墳の出土品等からそう考えられるのであるが、古墳の分布は全国的であり、それらに横のツナガリがあったであろう。そしてコマ系、クダラ系、シラギ系その他何系というように、日本に於ても政争があってフシギではない。むしろ、長らくかかる政争があって、やがて次第に統一的な中央政権の確立を見たものと思われる。」(『安吾の新日本地理 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻――』坂口安吾 1951)
「ともかく、白村江での大敗によって倭人は韓半島から追い出され、そのため、大帝国の唐が列島にまで攻め込んでくる危機を感じたか、または、唐軍が列島の一部を占領したという事実があって、危機に対処するためにそれまでばらばらだった豪族たちは急遽まとまって中央集権体制を作り、日本という国を作ったのではないかと考えられます。」(『日本史を精神分析する』岸田秀、柳澤健 2016)
「ともかく日本統一の機運を生みだした日本最初のまた最大の大政治家は聖徳太子であったと云えよう。支那の文物を直接とりいれる機運のたかまると共に日本の中央政府は次第に本格的に確立して、奈良平安朝のころに雑多の系統の民族を日本人として統一するに至った。こうして民族的な雑多な系統は消滅したが、それは別の形で残ったものもある。それが何々ミコトや何々天皇、何々親王の子孫という系譜である。源氏や平家の系譜の背景にも相当の古代にさかのぼっての日本史の謎があるように思われる。」(『安吾の新日本地理 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻――』坂口安吾 1951)
ともかく日本は唐に対抗すべく統一国家として誕生したわけだ。
「中国大陸からやってきた渡来者は「われわれは外国からやってきたのではなく、天から降りてきた神の末裔なんだ」という物語を作って先住民を心服させ、共同体に取り込もうとしましたが、(中略)唐に対する日本の従属と劣位を否定し、われわれは唐の属国ではない、唐とは関係ない神の子孫であり、神である天皇が支配する神の国なんだと主張したということです。」(『日本史を精神分析する』岸田秀、柳澤健 2016)
ここまでの話で違和感を感じる人もいるかもしれない。
「戦前の歴史教科書には、白村江の戦いで敗北した話はいっさい出てきません。なかったことになっています。(中略)白村江で負けたことを隠蔽し、日本を建国したのが主として中国大陸や韓半島からきた連中であったことも否認して「日本列島には純粋な日本民族が昔から住んでいて、天から降りてきた神の子孫である天皇が統治する神の国だ」というフィクションを作ったのです。(中略)現在も、日本人は単一民族であり、大陸とは関係なく日本人だけで独自の文化を育んできた、という幻想が心のどこかに潜んでいて、この幻想の上に日本人のプライドやアイデンティティは成り立っている。」(『日本史を精神分析する』岸田秀、柳澤健 2016)
そういえば、最近SNS上でたびたび炎上しているクルド人問題とか、奈良公園の鹿への乱暴とか、神社の鳥居にぶら下がるとか、日本人には目に余る外国人の暴挙への批判なども、その根底には上記の幻想が影響しているのではないか。
「外的自己と内的自己との分裂はあらゆる面に表れるのです。たとえば、日本文化と外国文化は対立するという前提に立っています。その前提に立って、外国文化を崇拝したり嫌悪したりしています。(中略)国際化すれば、それだけ日本人としてのアイデンティティが傷つき、失われると思っている」(『日本史を精神分析する』岸田秀、柳澤健 2016)
たしかに世界遺産になって富士山は心ないインバウンドによってゴミで汚れるし、先ほど日本の伝統的酒造りがユネスコの無形文化遺産に登録されたが、変に高級化して値上がりしたら嫌だな。こういう心境の先に、移民への反感や、K-popなどへの嫌悪もきているのではないか。さて、お隣はめでたく念願の半島統一へ向かうとして、我が国はアメリカの支配から解放されたのち、どのような道を歩むのか?
「唐の衰えと共に、禁止されていた大陸との私貿易が活発化し、大国である唐から侵略される危険がなくなり、(中略)八九四年に遣唐使が廃止します。結局、唐は九〇七年に滅亡して(中略)その二年前の九〇五年には古今和歌集の編纂がスタートしました。東アジアの旧秩序が崩壊しようとするこの時期に、仮名序、つまりひらがなで書いた歌論から始まる古今和歌集が編まれたことはとても興味深いです。これを天皇家が版元になって作ったことは、中国文化からの独立宣言のような意味合いをもっていたのではないでしょうか。」(『日本史を精神分析する』岸田秀、柳澤健 2016)
さて、トランプ政権がスタートした暁には、日本も米国文化、あるいは欧米文化やグローバリズムからの大胆な独立宣言をするのかもしれない。そのとき天皇家が出てくるかはわからないが。
2024年12月16日
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